波兎の文様と機織り機

藤泉都理

波兎の文様と機織り機






 緑樹 影沈んで 魚 木に登る景色あり


 月 海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や




 緑豊かな木々の影が(琵琶)湖に深く沈むように映り、まるで魚たちが気を登っているよう。


 月は湖面に浮かぶように映り、白くさざ波が立つ様子は、まるで月に住む兎も波間を走って行くようだ。(琵琶湖の中の島である)竹生島の景色はなんとも素晴らしい。




 波兎文様の一説とされている謡曲「竹生島」より。











 七夕とは。

 中国から伝来した牽牛星と織女星の伝説と裁縫や習字などが上達するように祈った乞巧奠の行事に、日本古来の棚機津女の伝説が結びついて、宮中で行われるようになった。


 棚機津女の伝説とは。

 棚機津女とは神を迎えて祀るため、七月六日の夕方から七日にかけて水辺の機屋(はたや)に籠る乙女(巫女)の事で、棚機津女の元を訪れた神が七日の朝にお帰りになる際、人々が水辺で身を浄めると、一緒に災難を持ち帰ってくれると言われている。






 蔵にずっと眠っていた機織り機を修理に出しては、己の部屋に招き入れ、失敗を繰り返してのち、己が思い描く布を織れるようになった。

 波兎文様の布だ。

 いつどこで見聞きしたのかは全く覚えてはいなかったが、この年になるまで、ずっとずっと、己の真ん中に、やわく、そして鮮烈に宿り続けていた波兎の光景。


 いつの日か必ず。

 祖父が使っていた機織り機で波兎文様の布を織りたい。

 抱き続けた願望は今、叶えられた。


 さあ、この波兎の文様の布を何に仕立てようか。

 着物にしようか。

 帯にしようか。

 小物入れにしようか。

 座布団カバーにしようか。

 帽子にしようか。


 胸を躍らせていると、声が聞こえた。

 誰かが遊びに来たのだろうか。

 立ち上がろうとしたが、できなかった。

 身体を動かす事ができなかったのだ。

 この異常事態に血が凍りつく私の前に、白のレースカーテンが突如として出現したかと思えば、そこからより明確に声が聞こえるのではないか。

 白昼夢か、もしくは、眠っていた霊感が今、発現してしまったのだろうか。

 どうか、前者であれと願いつつ、必死に声を拒もうとしたが叶わず。耳が勝手に拾っては脳が勝手に認識した言葉は、寄こせ、だった。


 波兎の布を寄こせ。

 それを持って、私は月に帰る。


 その声は恐ろしくはなかった。

 思わず手助けしたくなるほどに、切羽詰まっていた。


 一期一会。

 この波兎の文様にまた出会えるかと言われると、それはないと断言できる。

 ゆえに、今膝の上に置かれている波兎の文様の布を手放すのがひどく惜しかった。

 けれど。


 大切にする、一生後生大事にする。

 私の声ならぬ声が届いたのだろうか。

 白のレースカーテンは切羽詰まった声で言った。

 大事に、されるのならば。

 また、私の声ならぬ声が届いたのだろう。

 気が付けば、白のレースカーテンは姿を消していた。

 波兎の文様の布も。




「………神様だったりして」


 無意識に留まっていた視線の先には、カレンダーがあった。

 今日は七月七日だった。

 壁時計へと視線を移せば午前七時だった。

 夜通しして作り終えたのだと、遅まきながら今、気が付くと、眠気が一気に押し寄せて、身体をよろけさせながら押し入れに入れていた布団を敷いて、眠りに就いた。






 夢を見た。

 ぴょんぴょんぴょんぴょん。

 月の波を奔る兎が身に着けていたのだ。

 私がこしらえた波兎の文様の布で作った法被を。

 ぴょんぴょんぴょんぴょん。

 月の波を奔ながら、兎は大きく手を振っていた。

 私に振っているのではないかと思い、私も大きく手を振った。

 瞬間、無数の魚が波から一気に垂直に駆け上がっては、弧を描いて、また波へと帰って行った。

 兎の姿はなくなっていた。


 月に留まらず宇宙の旅に出たのだろう。

 どうしてか、そう思ったので。

 行ってらっしゃい。

 そう、言っていた。











(2024.5.19)



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

波兎の文様と機織り機 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ