case Ⅱ 蝕歴5.333年 神獣殺しについて その3
事務所に連なる薄暗い廊下を進む最中、彼女は端的に仕事の内容について語った。
僕は思わず聞き返した。
「神獣のスクラップ……?」
彼女は頷き、腰のポケットから取り出したタバコを咥えた。火はまだつけないらしい。
「あんたにはそれを手伝ってもらう」
「僕に狩りをしろと?」
「いいや、生きたのに興味はない。それは公共事業の領分だろう」
彼女は「やっぱやめだ」と言ってタバコを手中に収め、そのまま握りつぶした。
「
「タバコ……もったいない」
「身体が求めちゃいないんだ。無駄に吸う方が命がもったいないね」
「なるほど、
「
ともあれ僕の仕事は決まった。
外顎――活動をやめた肉塊としての神獣を処理すること。それが僕の
「プレジデント、つまりあなたは不法に蒐集した悪魔どもの外顎を処分せよと、そういうわけですね」
「ああ」
「理解しました。しかしなぜ僕を適正と考えたのでしょう?」
「君は
「楽閥?」
僕の疑問に彼女は大儀そうな表情を浮かべる。
「……何も知らないのかね」
「……ええと」
「自分の家におかしな規律はなかったかい?」
僕は思案し、思い当たる節があってそっと頷いた。彼女は単調に話を続けた。
「それだよ。君は此の国の十二ある功徳の
「……」
「そのいずれに属するかは冠心號法の応答で分かる。師走の空にしわしわす。それは紛れもなく
「その楽閥とやらと神獣の始末とに何の関係が?」
「楽閥には共通して
月読みとは僕が幼少の頃より両親に叩き込まれた一連の呪文のことを指す。呪文の意味は一切分からないが、「困った時にはそれを唱えろ」と親からは口酸っぱく言われている。
「外顎にそれを聴かせろと?」
「当たりだ。とりあえず明後日、朝の十時にもう一度ここに来い。一攫千金の仕事をやろう」
◇
事務所で一通りの書類にサインをし、僕は自宅へと戻った。
玄関を超えると、すぐに異変に気付いた。
玄関口に仰臥の躯体。僕の恋人のそれだ。胴体だけが框に上り、下半身は土間へと無惨にも投げ出されている。靴は裸足――おかしな表現かもしれないが、そう言うにふさわしいほど素足は土の汚れで黒ずんでいた。左腕は切り落とされていたが、断面は白い糸のようなもので縫合されているらしい。
久しい時を共に過ごし、生涯の伴侶となることも約束したはずの恋人が、眉を顰めた苦悶の表情で動かなくなっている。声も出ない。
僕の頭上には天井を這う人間大の蜘蛛のような気配があった。
僕の帰りを待っていたのだろう。凄惨な現場を演出し、その絶望の最中、鳥肌を立てた僕をとびきり美味しく食するために。
薄汚い蜘蛛め。道中で始末した例の神獣の仲間だろうか。僕に仕返しをするために待ち伏せしていたのだろうか。
悪趣味な奴らだ。知能のない豚め。僕は安眠の猿だぞ。それは僕たち人間にしかない特権なのだ。
この××どもが。
「ヴィオラの音のように鷹揚に生きる、よいね、これ真なる喜びだね。己を律しているのだから。見頃の向日葵のように豊かに生きる、よいね、これ真なる喜びだね。己を律されているのだから。街場の噴水のように喧騒に生きる、よいね、これ真なる喜びだね。己を律し、己を律されるにふさわしい場所を与えられているのだから」
天井から顎の外れた化け物が墜落した。蜘蛛のようだと期していたそれは、人間の四肢を借りて全長を装った狐の姿をしていた。四肢はそれぞれ特徴が異なり、異なる人間のものと思われた。それが六つ、それぞれ狐の身体に縫い合わされていた。故に蜘蛛の輪郭を成していたというわけだ。
動かなくなった狐から一本の腕を剝ぐ。それを亡き恋人の左腕の断面にあてがうと、妙に馴染んだ。そのまま強く押し込むと、かちっと音を立て、適合の感触に捉えられた。
嵌った。そう直感した。
そして直感はもう一つあった。
この女は人形だ。顔面を凝視して初めて気付いた。いや、思い出した。
こんな女は知らない。よく見ると毛穴一つない端正な顔立ちをしている。端正すぎるがゆえに、それは人とは違う異形を思わせる。
ようやく得心が行った。
この現場において、どうやら被害者は僕一人だけらしい。玄関口に転がる狐、奴は人形使いだ。僕が恋人だと思っていたこれもまた、奴の操るコレクションの一つだったのだろう。
そして、何よりも操られていたのは僕の記憶の方だということ。存在しない恋人に悲しみを馳せる人形に、僕もまたされていたということ。その錯覚からようやく目が覚めた。
クソの外顎が。
僕は狐を踏み潰した。新たな仕事の第一歩だ。
こんな奴らがスクラップになる姿を想像して、おっとしまった、堪らず勃起だ。
虚ろのレヴィアタン 山川 湖 @tomoyamkum
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