case Ⅱ 蝕歴5.333年 神獣殺しについて その2

 かつてコンビニエンスストアのあった土地には、既に別の建物が建っていた。仕事を辞めて以来通ることの少なくなった往来だ、その潮流など無論知る由もなかった。しかし、こうも生活圏の経済の変化に疎くなるというのは孤独感を誘うものでもある。母-HaHハハの伝承にある浦島太郎のような茫然自失とした気分だ。

 いささかの隔世の感はともあれ、目的を果たすためであれば店舗の形態にこだわる必要はないという結論に至り、僕は新たな建物の敷居を跨ぐことにした。

 それは元あったコンビニエンスストアとさほど変わらぬ平屋の建物だった。建屋の輪郭の類似から居抜き物件かもしれないとも思ったが、外装は当時とは打って変わってモノトーンで固めており、新築か否かの判別は難しい。そもそもコンビニエンスストアの時代の見た目も判然とはしていない。

 当時はフランチャイズのブランド名を掲げていた看板と店構えは、それぞれ『クリティアス・クリーニング』という新たな店名を標榜している。クリーニング屋の類だろうと直感はした。ここが新たな職場になるというイメージは湧かなかった。

 もちろん僕だって、最低限この店が従業員を求めていることの確認はしている。正面入り口のガラス張りの外壁に貼られた「アルバイト募集」のポスターを一瞥した上で僕は進んだのである。

 店に入ってすぐカウンターに突き当たった。カウンターの奥は業務用の巨大なハンガーラックとそこに掛けられた無数の衣類とでひしめき、森のような様相を成していた。森はワイシャツとスーツとで概ねはモノクロの彩りである。

 カウンターには誰もいないが、奥でがさごそと音が立っていることから、人の気配はある。

「すみませーん」

 呼びかけてしばらく待っているとハンガーラックの間を縫うように店員と思わしき女性がカウンターに顔を出した。包装された衣類に身を擦り、ビニールの擦れる音と共に何やら騒々しく、慌ただしく現れたという感じだった。カウンターに来るまで何やら口をぱくぱく動かしていたが、雑音にかき消されて何を言っているのかはよく分からなかった。「何のようだい?」というようなことを言っていたように見えなくもない。

 彼女は年配とまでは言わないほどの年嵩の行った女性だった。天然パーマと思われる頑固で乱雑なクセの髪を携え、上下にはインディゴのデニム地のツナギをまとい、足元は経年で色のぼやけた運動靴で固める。そんな見た目だった。職業柄に合わず服装には頓着しないタイプらしい。

 彼女はカウンター越しに僕の方を見た。視線は合わない。彼女の方では、僕の手元とかそういうところに興味があるらしい。

「受け取りかい?見ない顔だが」

 手ぶらなことからそう判断したのだろう。僕はかぶりを振った。

「ふーん、来る店を間違えちゃいないかい?」

「実は……アルバイト募集のポスターを見て」

「……」

 彼女の顔が強張ったのが分かった。元々眉間に強いシワを持つ女性だったが、それがより克明に表れた。

 彼女は改めて試すように僕を睨み、しばらくの無言のあと口を開いた。

「――師走の空に?」

「『しわしわす』」

 僕が反射的につぶやいた言葉で彼女は何かを確信したようだ。残念ながら僕は何も分かっちゃいない。彼女がなぜこのタイミングで冠心號法かんしんごうほうを僕に求めたのかも分からない。幼い頃の記憶によって応ずることはできたが。

「ついてきな」

 ともかく、彼女に従い僕はカウンターの奥へと誘われたのだった。

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