2話 人間やっぱり中身が大事という話

 ということがあったのだと僕はたった今思い出した。


 僕が目を覚ましたのは、どことも知れない怪しい部屋だった。

 怪しい、というよりも妖しいというべきか。妖艶で、まるで異世界のような空間。宙に浮かぶ本棚、謎の魔法陣的な模様の描かれた石造りの壁と床、漂う空気からすら刺激的な匂いが感じられる。


 そんな部屋の端っこだろうか。僕は牢屋みたいに鉄格子で区切られたスペースで記憶の中の魚雷ちゃんに押し倒されていた。

 押し倒され、胸に手を当てさせられていた。


 こう表現してみるとなんともえっちな響きな気がしないでもないんだけど、実際の所僕の手が触れているのは学ランに包まれた僕の胸な訳で、それはもうこれっぽっちも全然えっちじゃない。いや、美人な女の子に押し倒されている状況はどう弁明するまでもなく結構えっちなシチュエーションだとは思うんだけどね。


「まぁ状況は大体分かったよ。それはそうと僕の上から降りてくれないかな、このままじゃ全国の清い心の青少年たちの性癖が狂いかねない展開になっちゃうよ」


 ふとももの上に跨られ、両手を彼女に捕まれた体勢。マウントポジションというのはそれを取られているってだけでそこそこ恐怖心を煽ってくる。それにいくら相手が女の子とはいえ人間一人の肉の重さっていうのは結構なものだ。

 それを直接口に出すほどデリカシーがない訳じゃない僕はたしなめる様に彼女を諭す。


「端的に言って重いからさ」


 しまった、本音が出てしまった。


 しかしそんな僕の言葉に目の前の女の子は表情を歪ませた。


「ホントですかー? ホントにホントに、アタシのコト重いって感じてますかー? 状況もなにも分かっていないのに適当なコト、言ったりしてますよね?」


 こちらを見透かしたかのような笑み。

 あの黒いマスクの下はこんな造詣だったのかと思わせる、端整な顔立ちを、まるで名作絵画に幼児が絵具を塗りたくるが如く台無しにするような表情。


 これはこれで可愛い。やっぱ顔立ちがいいヤツはお得だなー。


「うんうん。ホントのことを言うと実はキミの体重とかよく分からないんだよね。なんていうのかな、正座してたら足って痺れるじゃん? そんな痺れている足を触ったらビビビって感じになって、痺れている方ばかりに意識が向いて触られている感覚なんて全然気にも止まらないじゃん? それの痺れている感覚抜き、みたいな感じ」


「全然なにも感じてないじゃないですか、やっぱり」


「そうなんだよ、不思議なことに。ホント、生きていたら不思議なことも起きるものだよね。目が覚めたら知らない部屋だったり女の子に跨られてたりなんか心臓止まってたり。僕が知らないだけで、こういうのって世間じゃよくあることなのかな」


「……なんか思っていたリアクションと違いますねー? もっと取り乱したり驚いたりてんやわんやになるアナタが見られると思っていたんですけど、アタシ」


「僕のポリシーの一つに目の前の状況を素直に受け入れるってのがあるんだよ。認めたくない現実があっても現実なんだからそいつは受け入れるしかないだろ? だったら驚くよりも受け入れた方がめちゃ早い」


「すごい価値観ですね、素直に。それで、えっとぉ……まずお名前を聞いてもいいですか?」


「マルクス・アウレリウス。アントニウス三世」


「誰ですかその外国人」


「知らないのかよ、めちゃ昔のローマの偉い人だよ。世界史にも出てくる」


「知りませんよガッコーとか行ってませんし、それにやっぱり別人じゃないですかー! アナタの名前を聞いてるんですよー!」


「石黒さんちのハヤトくんだけど」


 石黒ハヤト。石が黒いに隼の人って書いて石黒ハヤト。それが僕の名前だった。

 高校二年生の十六歳。これといって特徴のない男子生徒という自負があるけれど、強いて言うのなら代わりの効く誰かを目標にして生きていることが特徴かな。


 代わりの効かない特別に憧れるって人は多い。けどそれって、自分がやらなきゃいけないなにかがあった時にそれを絶対に自分がしなきゃいけなくなるってことだ。責任とプレッシャーでいっぱいだな。

 僕は責任とプレッシャーって言葉が、差別と貧困と僕の隣の水たまりに突っ込んでくる自動車の次に嫌いなんだ。


「石黒、ハヤト。ハヤト、ハヤト、ハヤトくん! ……えへへ、なんか下の名前って気恥ずかしいいですね、そう思いません?」


 なのでそんな僕だから責任を目の前の女の子に移すべく口を開いた。


「僕の認識だと僕ってキミを助けたと思うんだけどあれって夢じゃないんだよね? 困ったことにさ、僕の脳みそって人一倍出来が悪いから今の状況がさっぱりわからないんだよね。よかったら色々と説明してもらえないかな、二百文字以上三百文字以下で」


「なんですかその文字数制限。それにさっき状況は大体分かったって」


「あれ、そんなこと僕言ったかな。ごめんね、僕ってば前世がイカだから。知ってる? イカって知能の割に記憶力はめちゃ低いんだよ」



 いい加減僕の上から退いてくれないかなこの子。

 顔近いし。あと少し近づいたら触れ合いそうなくらい。

 キスしてやろうかな。


 そんな僕の邪念を察したのかどうかは分からないけれど、僕の豆知識には反応せずに立ち上がった彼女の顔が僕から離れる。カツン、と石畳を分厚いブーツが叩き音を鳴らした。


「アタシは霧崎メア、メアちゃんって呼んでくださいね! あっ、でもメアって呼び捨てにされるのも乱暴な感じがして結構アリかも?」


――――


「要はここに至るまでに何があったのかを話せばいいんですよね? 任せてくださいっ、おしゃべりは得意分野ですので! 話をさせればアタシの右に出る者はいないと言っても過言ではないくらいですよ、話のプロですよこのメアちゃんは!」


「とはいえ語るようなことも特にないんですよねー実際。看板に潰されたハヤトくんが誰かの通報で救急車で運ばれてしまったのでそれを取り戻したってくらいですか」


「ルールとはいえ面倒で無駄なことをしますよねー。あんな大きな金属の塊が頭の上から降ってきたんですよ? 普通に死にますし普通に死にましたし。でも死亡が完全に確認されるまでは便宜上『生きている』扱いなんですよ、死体も」


「いわゆる心肺停止の重傷、ってやつですね? どれだけぐしゃぐちゃでもまだ生きているから病院行き、霊柩車じゃなくって救急車」


「フツーなら死んだ人はお葬式して火葬して、ってなると思いますけど」


「でももったいないじゃないですか? アタシにとびっきりの愛を伝えてくれたアナタが灰に消えていくなんて」


「なので! 不肖このメアちゃんがこっそりハヤトくんの体を回収してこうして生き返らせたという訳です! えへん! こうみえてアタシ、黒魔導士なんですよ!」


――――


「……つまり、僕って死んだんだね。いや、厳密には今も死んでるのかな。心臓止まってるし」


「めちゃ分かりやすく言うとゾンビですねー」


「ゾンビ」


「もっと詳しく言うとアタシの操り人形でしょうか?」


 メアと名乗った魚雷系女子は僕が座り込んだベッドの周りをグルグルと回りながらそんなことを口にした。


「えへへ、その気になればアタシはハヤトくんをどんな風にでも出来てしまうんですよー、すごくないですか?」


「そんなことよりもさ、僕って死んだってことはもう学校には行けない感じなのかな」


「学校、ですか?」


「そう、学校」


「フツーに考えればまぁ無理じゃないですかね? 死んだわけですし。死んだ生徒が登校してきたらみんなビックリしますよ」


「なんてこった」


 僕はもう学校には行けないのか!


「つまり僕はもう学校で眠たくなるような授業を受けられないし苦痛にしか思えない宿題を貰うこともないし卒業したら今後一切連絡を取り合うことはないような薄い付き合いの友人と表面上だけの会話を交わすこともできないのか、なんてこった!」


「……えっ、今の話のどこに嘆く要素があったんですか」


「まあいいや。それで、黒魔導士だっけ魚雷ちゃん」


「魚雷ちゃん?」


「ああいや魚雷じゃなかった、メアちゃんだった」


「……魚雷ちゃん?」


「僕が生き返ったこととその黒魔導士とやら、多分関係があるんだよね? 感覚的には魔法使い的なアレかな?」


「魔法使い、というよりもネクロマンサーですけどねこの状況」


 ネクロマンサー。

 文字通り、ネクロマンスする人。

 もっと横文字に頼らず日本語的に表記するなら、死霊魔術的なアレコレをする人。


「なんで僕を生き返らせたのさ」


 気になっていたそこんところを聞いてみることにした。


 僕はどこにでもいるような人間だ。代わりのきく人間を目指している僕だから変わりがきかない訳がない、少なくとも代わりのきく人間を目指していないヤツよりは代わりがきくはず。

 そんな僕を態々生き返らせる理由。


 やっぱりアレかな。看板。僕の記憶が正しければメアちゃんを助けた訳だし。

 女の子を助けて死んで、女の子が偶然ネクロマンサーでそのお礼に生き返らせてもらった。


 うん、なんかそれっぽい。


「うーん、いくつか理由はありますけど、どれもこう言語化しにくいといいますか……強いて言うのであれば」


「あれば?」


「中身がめちゃキレイだったから、ですかね?」


 中身がキレイ。

 性格がいい、的なアレだろうか。


 確かに彼女視点ならそうかもしれない。自分の身を顧みず命を張って、というか文字通り命を捨てて助けたのだ。いい人に見えるだろう。客観的な立場なら僕自身そう思う。実際は咄嗟に体が動いたというか、一万回あれば九千九百九十九回は何も動かずにいただろうし今からあの場面になりましたと言われたならば死にたくないから何もしないと断言してしまうような、そんな奇跡的かつ短絡的な行動だったのだけれど。

 それでも客観的に見れば、中身がキレイ。


「ぐしゃって潰れて、どくどくって血が流れて、真っ赤で真っ黒で、こんなにキレイな中身の人って初めてでした! 率直に言って一目惚れしちゃったんです! 人間外見よりも中身って言いますもんね!」


「あっ、そういう」


 中身がキレイのベクトルが違った。

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ネクロ・マイン! ――助けた女の子が地雷系黒魔導士で僕はゾンビになってしまった!―― チモ吉 @timokiti

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