伊豆のホドリゴ
池戸葉若
伊豆のホドリゴ
指先一つで、ゴリラが消える。
タップをすれば、さらにもう一頭消える。
画面に滑り込んできた、面接を受けた企業からのお祈りメールを無言のスワイプで飛ばして、次のゴリラを抹殺する。
(ああ。なんかもう死んでしまいたい)
心の深奥でも浅瀬でもない場所で、思考の内省的でも短絡的でもないフローでそんなことを思いながら、私は去っていった男の写真をスマートフォンから削除していく。
とはいえ、後ろ髪を引かれる思いは驚くほどなく、作業はものの数分で終わる。
最後の一枚を消して、プロサーファー志望の自信だけが取り柄だったゴリラみたいな男は、貧弱な記憶力の私の脳内で消滅するのを待つのみとなった。
ゴリラとは、世間一般でいうところの彼氏彼女の関係だったのかと問われれば、こちらとしてはゼロカウントで「ノー」といえた。
しょうもない場所で繋がって、しょうもない理由で切れただけ。
それは、お別れというより雑踏ですれ違うのに時間がかかっただけなのかもしれない。
血は争えないというのか、両親の無責任と勢いの残りカスとして生まれた私にはふさわしい結末。
とにかく、ゴリラは野生の本能に目覚めたのか、ある日いきなり音信不通になり、目撃談もめっきりなくなった。今ごろアフリカのどこかで、現地の方々とワシントン条約的なよき関係を築いていることだろう。
心底どうでもいいけれど。
「……っしゃおら!」
私はとあることを思い立ち、ベッドから起き上がった。
(そうだ。旅行にいこう)
それは、けっしてゴリラに引っかかれた心の傷を癒したいわけではなく、敗戦続きの就職活動に嫌気が差したわけでもなく、私という人格がまとった泥を
これからはもっと色々考えよう。次からは新しい自分だ——なんて、心にもない妄言をSNSに垂れ流しながら見慣れない場所を歩きたかっただけ。
少し考え、行き先は伊豆に決まった。
理由は単純明快。
先日、自分が通う三流大学の図書館で、川端康成の『伊豆の踊り子』を見かけたのを思い出したからだった。
翌日には伊豆に到着した。
……しかしそうしてはみたものの、具体的な来訪の目的などはじめから持ち合わせていない私は、すぐさま途方に暮れるはめになった。
そして本当に日が暮れてしまった。
「何してんだろ」
そうつぶやき、暗い夜道を歩いていく。
金があるわけでもないし、今日は安いビジネスホテルにでも泊まろうか——などと考えていたときだった。
それは起きた。
いきなり後ろから口をふさがれ、体を持ち上げられた。
肌が伝えてくるのは、筋肉質な男の腕の感触。
圧倒的な犯罪の予感。
私はなす術もなく路地裏に連れていかれる。
その最中に頭に浮かんだことといえば、明日のニュースで全国のお茶の間に晒される自分の写真はどれだろうか、という非常にまぬけな心配だった。
(……いや、待てよ。別に殺されなければそういう事態にはならないのか)
しかし。
そんなふうに考えてすぐに、やっぱり殺されるかもと思い直した。
暗がりの中で、男はナイフを突きつけてきていた。
「ちょ、それホンモノ?」
私が銀色に目を丸くすると、男はいった。
「カ、カネ……」
「え? なに?」
「カネダス!」
……どうやら、おそらく、金を寄越せといっているらしい。
つまりは強盗か。
なけなしの所持金を渡すのが惜しくないわけじゃないけど、生命がかかっている状況で守銭奴に徹せられるほど極まった人間でもない。私は財布からあるだけの紙幣を抜いた。
男はそれを乱暴に奪いとり、ズボンのポケットに突っ込む。
(これでおとなしく身を引いてくれるか……)
と思いきや——男はあろうことか私に抱きついてきた。強引にキスしようとする。
(こいつ! まさか強盗ついでにサカりやがったのか!? ふざけんなよ!)
一瞬にして、私の中にそびえ立つ怒りの火山が噴火した。
あるいはこれは、やられっぱなしの近況に溜まったフラストレーションを爆発させる、最後のトリガーだったのかもしれない。
男はケダモノに変身するのに夢中で、私の挙動に注意しきれていない。
(チャンス! くらえ! キックボクシングジム通いの実力!)
迫りくるタコ口をかわしながら、私は全力の蹴りを男の股間に打ち込んでやった。
「オウッ!」
人体で最も露出した内臓に衝撃を受け、痛覚の宇宙に吸い込まれた男はうずくまる。
私は追撃の手を緩めず、近くにあったコンクリートブロックを持ち上げて思いっきり脳天に食らわせてやった。
男はみごとに昏倒して動かなくなる。
「なんだったんだ、こいつは……」
お金を奪還するついでに、男を仰向けにさせてみる。
焦げ茶色の肌。大味な目鼻立ち。変なタンクトップと、ブリンブリンっていうんだっけ? とにかくやたらとごついネックレス。
……まあ、確実に同郷の人間ではない。
あやうく誤ったかたちで国際交流をするところだったが、ひとまずは警察へ突き出すべきだろう。スマートフォンを取り出す。
ところが、ここがふだんのアンポンタンさを遺憾なく発揮するところで、私は一一〇番だったか一一九番だったかとド忘れに陥ってしまった。
そしてそうしているうちに、早くも男が頭をさすりながら身を起こした。
「ウ、ウウン……」
しかし、そこはすかさず没収したナイフをぎらつかせて威嚇。
「おい、私に近づくんじゃねえ。ぶっ殺すぞ。アイキルユー」
「ヒッ……」
男はあとずさった。
それから、いきなり百点満点の土下座をしていい放ったのだった。
「オネガイシマス! ワタシヲ助ケテクダサイ!」
「……はあ?」
こっちのセリフじゃボケ、といおうとしたタイミングだった。
男の腹からぐううううと切実な音が聞こえた。
「はああああ?」
気の抜けた私は、いつのまにかスマートフォンを持つ手を下ろしていた。
男はホドリゴと名乗った。
故郷は南米のどこからしい。ブラジルとアルゼンチンぐらいしか知らない私にとっては、国名をいわれてもよくわからなかった。
私とホドリゴは二十四時間営業のファミレスにいた。
通報を中止した理由は、懇願というか哀願のレベルで繰り返されるヘルプに私のほうが折れたからである。
また何か危険な目にあってもこっちにはナイフがあるし、それに、よく見るとホドリゴにはどこか愛嬌があって、放っておけなくなったのだ。
……まあ、こういう感じで異性関係を失敗しつづけているわけだけど。
「チハヤサン……スゴイコレ味ガシマセン」
「塩でも振っとけ」
私はきのことベーコンのペペロンチーノをフォークに巻きながらいった。
対してライス(小)だけのホドリゴだが、私の奢りなのだから文句はいわせない。
彼はいわれたとおりに塩を振ったライスを頬張ると、キラキラと顔を輝かせた。安上がりな男である。ちなみに、チハヤというのは私の名前だ。
「それで? あんたはなんで助けてほしいの?」
本題をなげやりに聞くと、ホドリゴは表情を沈ませた。
「実ハワタシ……出稼ギデ日本ニキマシタ」
ありがちな話だなあと感じつつ、続きを促す。
ここまでの経緯はこうだった。
ホドリゴは母と兄弟を食わすために日本にやってきた。昔お祖父さんにいわれた「あの太陽のむこうには黄金の国ジパングがあるんだよ」という言葉を信じて。
しかし辿り着いた東京は、それなりに不条理を抱えていて、それなりに薄汚い街で、それなりに腐った人間が蔓延っていた。
初めは黒い産廃業者でお世話になっていたホドリゴだったが、しばらくするとまともな働き方ができなくなってしまい、裏社会に迷い込んでしまう。ようはヤクザの下っ端だ。
けれど、そこで図らずも組に大損害を与えてしまった彼は、連中に追われて追われてここ伊豆まで逃げてきたのだという。
「——で、金がなくて強盗に至ったと」
「ハイ……マコトニモウシワケゴザイマセン。反省シテイマス」
「それだったら、金奪った時点で私を襲わずに逃げればよかったじゃん」
「ソレハ……」
ホドリゴはもじもじと恥ずかしそうにした。マッチョな成人男性が。
「チハヤサンガベリーキュートデ、ツイムラムラットキチャイマシテ……」
「つい、じゃねえよ! ムラムラしたやつちょん切るぞ!」
勢い余ってテーブルを叩いてしまう。
ホドリゴはびくっと胸を抱いた。乙女かよ。
「チハヤサン、コワイヒトデス……。東京モコワイヒトダラケデシタ……」
なんというか、この男は見た目と性格のスケールが合っていないと思う。
私はため息をついてホドリゴをねめた。
「これからどうするつもりなの。ずっと逃げるわけにもいかないでしょ」
「ドコカ身ヲオチツケラレル場所ガホシイデス……」
「そんなところあるのかね。いっそもうお国に帰っちゃったら? 今よりは安全じゃないの?」
「ソレハデキマセン」
妙に力強い声だった。
「なんで」
「兄弟タチニ約束シタノデス。ニイチャン札束カカエテ帰ッテクルト」
「……なんていうか、アンタってバカだね」
「トイウワケデ、チハヤサンノ家ニシバラクオ世話ニナリマス」
「何がというわけでじゃ。日本語おかしいんだよ」
ホドリゴの鼻っ面にまるめた紙ナプキンを投げる。無駄にビビりまくる南米人を横目に、私はつづけた。
「それに、私んちにくるとなるとおっかない東京に戻るぜ」
「ソンナァ……」
悲しそうに太い眉を下げるホドリゴ。だが、すぐに質問してきた。
「デシタラ、ココヘハ旅行ヲシニキタノデスカ? ナカナカ渋イチョイスデスネ」
「別になんにも考えてないよ。適当な気晴らしかな」
「ナニカ嫌ナコトアッタノデスカ?」
「嫌かあ」
消えたゴリラの顔が浮かぶ。
しかし、あいつのことは嫌いなわけじゃなかった。
それよりむしろうんざりするのは——
「いってしまえば、私自身のしょぼさかな」
「オウ……日本人ノ『謙虚』サハセカイイチ……」
「いや、そうじゃないでしょ。卑下……っていうのも間違いか。マジの事実だし」
私は一度口を閉じた。そしてつぶやいていた。
「私さあ……人に優しくできないんだよね」
そんな愚痴を謎の南米人にこぼして何になる——そういわれれば返す言葉もないが、だからこそ、無価値という話す価値があるのかもしれない。
私の日常に存在しない、過去も未来も関係ない今だけの彼。
名づけて伊豆のホドリゴ。
友人や家族といったしがらみの多い人たちに比べれば、とても気安く膿んだ心情を吐露できる相手だ。
「他人に対してもそうだけど、自分にもさ」
「トイイマスト?」
こいつなにげに聞き上手だな。
「人が物事が甘ったれて見える。クソがって思う。それで、思ってる自分もロクな人間じゃないだろってキレてる。なんていうのかな。なんでもかんでも批判しかできないっていうのかな」
たとえば、海外のサーフィン大会に出たいと語ったゴリラに、その夢に対して優しくすることができたなら、もう少し一緒にいたかもしれない。
いたところで、ではあるけども。
「タイヘンナンデスネ」
ホドリゴは複雑そうな顔をしてつづけた。
「モシカシテ、ワタシニモソウ思ッテタリスルノデスカ?」
「かもね。傷つきたくなかったら、これ以上は聞かないほうがいいよ。今は男も就活も終わりすぎてヘラッてるから、特にヤバいの出るんじゃない?」
くっくっと笑い、私はおしぼりでアヒルをつくって遊ぶ。
——すると完成と同時に、いきなりホドリゴに頭をつかまれて、下に引き落とされた。テーブルにおでこをぶつける。
「いだっ! なにすんだっ!」
「シッ。チハヤサン、モットフセテクダサイ」
「はあ? いきなり何?」
「東京ノヒトタチデス……」
振り返ってみると、出入口のところに男が数人いた。どうやらあいつらがホドリゴを追ってきた刺客たちらしい。絵に描いたようなスジモンだ。
おそらく捜索を中断して休憩ってところだろう。私たちのいる禁煙席とは逆の、喫煙席のほうに歩いていく。鉢合わせにはならなくて済みそうだ……が。
「キビシイデスネ……」
それはそうとて、私は小声で叫んだ。
「つうか、私まで隠さなくてもよかったじゃん! おでこ痛いわ!」
「ス、スミマセン。ナントナク……」
へこへこしてから、ホドリゴは唇をなめた。
「シカシ、ドウシマショウカ」
「……まあ、こっそり逃げるしかないんじゃないの?」
私は可及的速やかにレジにて代金を払う。
そして、中腰のホドリゴを従えつつ、こっそりとファミレスを出ようとしたときだった。
トイレに立ったヤクザの一人と目が合った。
「あっ! てめえホドリゴ! 待ちやがれ!」
「逃ゲマスヨ! チハヤサン!」
「ちょっ、なんかどんどん巻き込まれてない私!?」
ホドリゴに手を引かれ走り出す。
ヤクザどもが、何か罵声をまき散らしながら追ってくる。
通りでは
だが、当然ながら私がそれについていけるはずもなく、木箱に足をとられ転んだ。
「チハヤサン!」
「わ、私のことはいいから先にいけ!」
「ソンナヒドイコトデキマセン!」
そういって私を抱えると、ホドリゴは再び走りだす。
「いや! 正直ここらへんで面倒事から下ろさせてもらいたかったんだけどな! なんかもうボニーとクライドみたくなっちゃってるけど、私は本来無関係だからな!」
本音の叫びは届かない。
それからも逃げつづけたが、やはり多勢に無勢。しかも私というお荷物をわざわざお姫様だっこしているものだから、徐々に追いつめられていく。
そして、ついに一本道の左右を塞がれてしまった。
建材屋の裏手みたいな場所だ。
「往生際が悪いぜ? ホドリゴ」
「クッ……バンジキュースデスカ」
「おとなしく消えてくれや。女は何者か知らねえが、タダで帰れると思うなよ」
ヤクザどもはじりじりと近づいてくる。
私の中にも諦めがよぎったが、ホドリゴの仲間だと思われて非道な仕打ちを受けるのは納得がいかなかった。理不尽すぎる。
(クソ……何か打開策は……)
そう見渡すと、おあつらえ向きなものが目に飛び込んできた。
私は叫んだ。
「ホドリゴ! 左へ突っ込め!」
「ハ、ハイ!?」
「いいからいうこと聞け! 男なら女の尻に敷かれろ!」
「イ、イエッサー! マム!」
私たちが迫っていく先には二人が待ち構える。
ふつうに考えて、今のホドリゴでは勝ち目など一分もない。
そう。ホドリゴが立ちむかうのなら。
私はホドリゴから没収したナイフを握りしめる。
狙いは、壁に立てかけられた何メートルもある鉄棒の束。
(建材屋! マジでごめん!)
束を固定していた紐を、私は切った。
バラバラになった鉄棒たちは次々に倒れ、ヤクザどもに正面から襲いかかった。
さすがに受けとめきれまい。
轟音とともに押しつぶされて目を回す、やつらの横をすり抜ける。
「ああっ! ちくしょう! 待ちやがれ!」
さらに他の建材を倒して足止めをする。声が遠くなっていくのをみるに、うまくいったみたいである。どんなもんだい。ざまあみろってんだ。
「スゴイデス、チハヤサン! マルデハリウッド映画デス!」
「フィクションならどれだけよかったよ! いいからもっと走れ!」
「リョーカイデス!」
危機からの脱出に成功しても、ホドリゴは私を抱えたままだった。
大通りに出て「下ろせ!」と叩くも、ハイになった彼はいうことを聞かなかった。
通行人のみなさん、恥ずかしいからあんまり見ないで。
結局、完全に逃げきったと思えるころには、空が白みはじめていた。
誰もいない公園。
私は自販機からホドリゴのいるベンチに戻る。
「ほい。これ、南米の豆使ってるらしいよ」
「アリガトウゴザイマス」
缶コーヒーをホドリゴに渡し、隣に座る。
自分もペットボトルのお茶を開けた。潤いが渇いた喉を流れ落ちていく。肉体的にも精神的にもくたくただけれど、無駄にやりきった感があった。
するとホドリゴがぽつりといった。
「……チハヤサンハ優シイデスネ」
「はあ? 優しくないっていったと思うけど」
「優シイデスヨ。逃ゲルトキ、ワタシヲ助ケテクレマシタシ……ファミレスデモ、今デモ、オゴッテクレマシタ」
「そんなのただの成り行きでしょ」
「チガイマス。優シイデス」
やけにきっぱりと断じられ、私は変にムキになった。
「優しくないっていってんじゃん。……いいよ。そのファミレスでいわなかったこといってあげる。ホドリゴさ、家族のためとかいって遠路はるばる日本にきてさ、ちょっとしたら音を上げて逃げてんの正直ダサすぎて無理。それでヤクザだの犯罪だのに走ってんのもマジでキモイ。何にもまともにできないなら、おとなしく祖国で弱者やってろよ。あと、そのブリンブリン? 似合ってない」
どこまで通じているのかわからないけれど、ホドリゴの表情は変わらなかった。
「ヒドイデスネ。デモ優シイデス」
「……はあ。もう意味わかんね」
「オジイサンガイッテイマシタ。日本ニハ真面目デ素敵ナヒトガタクサンイルンダッテ」
「もはやおとぎ話だよ、それ」
「チハヤサンハ素敵デス。ソシテ、スコシ真面目スギルノデハナイデショウカ? ソレデ他人ニモ自分ニモ厳シクナッテシマウノデハ? ホントウハ優シイヒトナノニ」
「…………」
三流大学の頭脳だからか、私の口からはうまく反論が出てこなかった。
「ニュースデ見マシタ。日本ノヒトハタクサン自殺シマス。真面目スギルカラ、ソウナッテシマウンダト思イマス。神様カラモラッタダイジナ命ナノニ、ジブンデ失クシテシマウノハ、トテモカナシイデス。ホントウハ、死ヌイガイニ死ヌコトナンテヒトツモナイノニ」
「……ははは。急に何いってんだか。やっぱり日本語おかしいし、殺されかけたやつがいうと一味違うね」
「ソレホドデモ」
「褒めてねえよ。おい、ホドリゴ。ここはアンタの国とは違うし、私みたいな気楽な学生ばかりじゃないんだって。アンタはさあ……」
あいもかわらず批判してやろうとした私だった——が、ふいになぜか一昨日の自分が喉を指先でタップしてきて、捨てゼリフみたいに終わってしまった。
「……何もわかっちゃいないよ」
(……死ぬ以外に死ぬことなんて一つもない、か)
胸の中でなぞってしまう。
きっと、本当に辛い人を救うことはできないけれど、誰かを少しだけ開き直った気持ちにさせてくれる——そんな言葉な気がした。
すると、ホドリゴはにかっと黄色っぽい歯を見せて笑った。
「ワカラナクテイイデス。チハヤサンガ素敵ナヒトダト、伝エタイタイコトガイエタカラ、ワタシハハッピーデス」
次に立ち上がって軽く体操をこなす。
「サテ、ワタシハコレカラドウシマショウカネ」
「……ねえ」
私はいやらしく頬を曲げた。
出会って間もないくせに、好き勝手に人を語りやがった謎のワンナイト南米人(おおいに語弊あり)に意地悪してやるつもりで。
「アンタ……たしか身を落ち着けられる場所がほしいっていってたよね? 私に名案があるんだけど、聞く?」
「オウ! キキタイデス! モシヤ、チハヤサンノ家二許可ガオリマシタカ!?」
「刑務所」
「エ……?」
ホドリゴは一瞬フリーズしたあと、頭を押さえながら聞いてくる。
「スミマセン。モウ一回イッテクレマセンカ? 耳ガオカシイヨウデ」
「だから刑務所だよ。けーむしょ。プリズン。あそこなら外から手出しできないし、衣食住ついてくるじゃん? あれ? 考えてみたら結構よくない?」
「……ドウイウ罪デ入ルノデスカ?」
「もちろん強盗罪。プラス婦女暴行? 案外高くついちゃったりして」
ホドリゴは汗まみれの顔をわななかせたあと、くるりと反転してダッシュした。
「ヤッパリチハヤサンコワイヒトデース!」
「まてえっ! このやろおっ! 警察に突き出してやる!」
私はホドリゴを追いかけて、早朝の公園を走り回る。
そして。
そうしながら——私は笑っていた。
東京に帰る足は、なんだか知らないけど軽そうだ。
〈伊豆のホドリゴ・おわり〉
伊豆のホドリゴ 池戸葉若 @furugisky
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