迫る不安




 ダンジョンが世界に現れて以来、沈黙を貫いていたという『天の声』。

 しかしその女性寄りながらも性別を、感情を感じさせないその声は、この2年程の間に何度か人類に対して語りかけている。


 そんな彼女――『天の声』にそもそも性別の有無も不明ではあるが便宜上彼女と称する――の声を聞いた一般人たちの反応は、今や二つに分かれている。


 恐怖する者と、しない者だ。

 前者に至っては恐怖に震える者もいれば、今度は何が起こるんだと不安そうにそわそわとする程度となる。

 これはひとえに、『天の声』によってダンジョンが追加され、『魔物氾濫』が引き起こされてしまい、少なくない影響を受けた者たちだ。


 故に、『天の声』の直後、テレビでは緊急速報が流れ、テロップで「落ち着いて行動してください」という文字が大きく表示されており、全てのテレビ番組が中断されてアナウンサーが安全な場所での視聴と、指定時刻の案内を繰り返している。


 その光景がかえって不安を煽っているような気がする、と感じるのは修司ら若い世代の者たちだった。

 良くも悪くも怖いもの知らずである十代の少年少女にとってみれば、今回のこの『天の声』と、そんな彼女のメッセンジャーである道化師がわざわざ放送する理由が容易に理解できた。


 ――新システムと〝生活系ダンジョン〟。

 前回の配信で細かく発表はされなかったが、年の瀬頃の実装を目処にすると言っていた以上、おそらくはこれだ、これに違いないという声がSNS上でも次々とあがっている。


 それらをスマホで確認している中で横合いから声をかけられて、修司が顔をあげた。



「……修司、どう?」


「大丈夫だよ、母さん。新システムと〝生活系ダンジョン〟についてだろうってみんなも言ってる。俺もそう思うし」



 安心させるように声をかける修司の声が、僅かに興奮を帯びていることに修司の母は気付いていなかった。


 修司からしてみれば、「やっときた」と言いたいぐらいだ。

 探索者として活動するには、旧来の『ダンジョン適性』チェックを受けなくてはならなかった。だが、修司の育ったこの場所の近くにはダンジョンが存在しておらず、必然、探索者ギルドの支部もこの付近には存在していない。


 そもそも、探索者ギルド支部はライトノベル等で描かれる冒険者ギルドと呼ばれるような便利な組織ではない。当然、ダンジョンのない町にまで進出し、一つの町に一つあるようなものではないのだ。

 そのため、一般人が『ダンジョン適性』を計測するには、主要都市部にあるような探索者ギルド支部に足を運ぶか、あるいは特区に入場して内部にある探索者ギルド支部に赴くかのどちらかを選ばなくてはならず、学生が「帰りに寄っていこうぜ」と気安く行けるような場所にはない。


 そうした背景もあって、これまで『ダンジョン適性』を計測したことはなかったが、新システムで作られる〝生活系ダンジョン〟であれば、そのようなものをいちいち計測しなくても良いという。


 どちらが便利かと言えば、当然後者だろう。

 すでに探索者となることを決定し、そのために筋トレと身体作りを行ってきた修司にとってみれば、今日という日が待ち遠しい程であった。



「俺、走ってくる!」


「えっ、ちょっ、修司!?」


「30分だけだから! 帰ってシャワー浴びるから、入るなら早く入ってね!」


「え、あ……。もう、あの子ってば……」







 すっかり外には夜の帳が下りて、冬の静けさが町を覆う。

 今日は『天の声』の配信があるということもあって、外を出歩いているような者もいないためか、奇妙な静寂が辺りを支配していた。



「――ふう、さっぱりした」


「……はあ。あなたはもう、肝が据わっているというか」


「配信までちょっと時間あったし、日課のランニングとダッシュもやってなかったから。それにほら、時間ピッタリでしょ」


「それはそうだけれど……はあ。ホント、インドア派だったお父さんとは全然違うんだから」


「父さんは父さん、俺は俺、だよ」


「はいはい。でも、私も修司がそんなんだから落ち着いたわ」



 不安や恐怖といったものは伝播する。

 だが、そういったものを感じていても、一緒にいる人間が何一つ気にもしていないような素振りをしている姿を見ると、人は平常心というものを取り戻していく。


 ――そうよね、うん。大丈夫。

 修司の姿を見ていて、母親は小さく己に言い聞かせていく。


 何もこうした状態に陥っているのは彼女だけという訳ではなかった。

 これまで、『天の声』がきっかけとなってダンジョンが増加したり、あるいは【勇者】や【魔王】というような存在が増えたりと、何かと騒動を引き起こす引き金となっている。

 さらに言えば、メッセンジャーという存在は、一般人にとってみれば「得体の知れない悪魔のような存在」という印象が強い。


 最初に登場した時は、その戯けた態度や滑稽な姿に油断した人間が、軽い気持ちでコメントをした結果、発狂したかのように言葉にならない言葉を叫びだし、そのまま自我を完全に失ってしまったという情報が流れている。

 そんな家族の姿を動画に撮って、モザイクを入れてSNSに投稿するような真似をした者もいるため、本当に起こった事であるのは間違いなかった。


 そして2度目の登場。

 メッセンジャーの危険性をある程度は理解した視聴者たちであったが、迂闊な一言を口にしたがために【勇者予備軍】という存在となってしまい、浮かび上がった光の紋章のようなものを隠せず、戦いを強要してみせた。

 その後は有名な少年――『ダンジョンの魔王』を呼び出し、その場で世間を賑わせている【魔王】を処刑させた。


 そして3回目が前回だ。

 アップデートと称した新システムを導入するという流れの案内と、人間たちの生活を助けるという名目で〝生活系ダンジョン〟なるものを実装してくれるという予告を行って、人間社会を混乱させた。


 若く夢見がちな者たちが。

 あるいは、魔力犯罪者に復讐を誓った者たちが、それらに歓喜して沸いた。


 一方で、年を取り冷静な者たちが。

 あるいは、下手に民衆に力を手に入れられては面倒だと考える者たちが、こぞって〝新ダンジョン〟への勝手な入場を禁止するべきだと声高に騒ぎ立てた。


 おかげで、現体制と市民との間に対立が生じてさらに治安は荒れている。


 こういう時、都会のように様々な思想の者たちが集まる場所は混乱に陥りやすいが、ある程度の意思疎通を図り、帰属意識の高い片田舎の村落などは、かえって騒動なども起きずに平和なものだった。

 故に、修司の母のように都会で起こっている騒動を対岸の火事を眺めるように感じている者も多いというのが実状だ。


 修司の母は、そんな混乱を引き起こしながらも笑って、戯けて、変わらないまま言葉を口にするメッセンジャーが恐ろしい。

 ニタリと笑ったようなあの仮面の向こうで、一体何を考えているのかも分からない。

 滑稽な人間を嘲笑いながら、あっさりと人間を陥れておきながら、仮面の向こうでは笑顔一つ浮かべていないような気がしてならなかった。




 それでも、時間は無情に過ぎていく。




 点けられたテレビ、繰り返しの呼びかけを続けるアナウンサーの声を聞いていると、ブン、と短い音を立てて映像が切り替わった。


 真っ白い空間。

 そんなものを背景に画面いっぱいに映った道化師の顔に、思わずひゅっと喉を鳴らして息を呑み込んだ修司の母と、「うおっ」と短く声をあげた修司を見透かしたかのように、メッセンジャーはぷるぷると震えた。



《ふ、ふふふっふ、ぶふぇっほ……っ! あっはははははっ! 人間くんたち、ビビりすぎじゃない? だいじょぶそ? めっちゃ仰け反ってたじゃん。あと、飛び跳ねるようなリアクションして頭打った人たち、頭だいじょぶそ? 色んな意味で》


:びびったわ

:ピエロって意外とドアップ怖いんよw

:頭だいじょぶそは草

:大丈夫じゃないんだよなぁ

:それは果たして外傷を指しているのか、それとも

:もーー、めっちゃ心臓バックバク言ってるってー

:ほんまこいつ……!



 開幕から人を食ったような態度で腹を抱えて煽り始める、メッセンジャー。

 そんな彼に対して控えめながらもコメントが流れ、画面上を移動していく姿。


 ――あぁ、始まってしまった。


 修司の母がそんなことを考える中、メッセンジャーは笑いが収まって上体を起こすと、カメラから離れてから両手を広げた。



《――さあ、人間諸君! 待たせたね! 今日は前回のメッセージでも伝えた通り、〝生活系ダンジョン〟及び新システムのご案内だよー!》


:きたあああああ!

:待ってた!

:コメント正気か……?

:やっとか!

:なんで喜べるんだよ

:ジョブに賢者とかないかなー!

:私はヒーラーとかほしい

:待ってましたあああ!



 どちらが正常な反応で、どちらが間違った反応なのか分からなくなりそうなコメントの数々。

 修司の母はそれらを眺めて呆然とした様子で固まる。


 命を落とすかもしれないダンジョンという危険を目の前にして、熱狂的なコメントを打つ者の方が多いその様は、なんだか酷く不安定で、朽ちかけた板の上に立たされているような、そんな錯覚を引き起こした。


 一方、そんな母が後ろにいる事に気が付きながらも、未だに母の様子に気が付いていなかった修司は、はっとしたような様子で顔をあげて、周囲を見回した。



「……? 母さん、今なんか言った?」


「……ぇ?」


「ん、いや、気の所為だったみたい。というか顔真っ青じゃん、大丈夫? ちょっと座りなって」


「……ぇ、えぇ、そう、ね……」



 かくして、メッセンジャーによる配信は始まったのであった。






◆――――おまけ――――◆


ヨグ「♪( 'ω' و(و"」

ニグ「……楽しそうですね、ヨグ」

ヨグ「♪((‹( 'ω' )›))♪」

ラト「……無表情なのホントどうにかしてくれないかしら……」

ヨグ「₍₍ (ง ˘ω˘ )ว ⁾⁾」

ラト「……これ、踊ってる感じ?」

ニグ「ですね。ノリノリで【諧謔】待ちしてます」

ヨグ「♪ƪ( 'ω' ƪ )♪」





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