探索者になる少年




 厳しい暑さの夏が終わり、山が紅葉に彩られ、冷たく乾燥した風に葉が落ちる。

 季節の移ろいは振り返ってみれば「光陰矢の如し」とはよく言ったもので、ふと気が付くとまた今年も終わりを迎えようとしていた。


 ただ、それは日常が何気なく過ぎていく大人特有の感覚、とでも言うべきだろうか。

 子供の頃には感じられた日々の、一日の長さというものが曖昧になり、消え去ってしまったからだとも言える。


 この一年――否、正確には一年と半年程の間に、世界の有り様は大きく変わっている。大人たちにとっての「当たり前だった日常」は呆気なく、あっさりと崩れ去っていった。

 直接的に『魔物氾濫』の被害を受けた者もいれば、間接的にその影響の煽りを受けた者。あるいは、魔力犯罪者の犯罪などもまた然りだ。


 そんな予想だにしていない刺激が加えられたせいか、日々やる事、やらなくてはならない事が多すぎて目眩がしそうな毎日の濃度というものは非常に濃かったのだが、今度は「忙しすぎて時間の進みが早かった」となるのだから人間とは不思議なものだ。


 そしてそれは、徐々に「在ったはずの日常」が魔物やダンジョン、魔力犯罪者によって変わっていくものの、けれどまだどこか遠い世界での出来事であるような家庭であっても、少しずつその余波は影響を及ぼしていた。



「――母さん、これどこに片付ければいい?」



 まだ若い、けれど声変わりはしている少年の声が、夕刻が迫り西日が庭を照らす光景が目に映るリビングへと響き渡った。

 声をかけられた女性は手拭いを頭に巻いていて、雑誌などの書物をビニールテープで巻き終えてから顔をあげると、少年の訊ねた件の代物に目を向けた。



「……そうね。持って行く訳にもいかないでしょうし、置いていかなくちゃね」


「……父さんの形見、なんだろ?」


「えぇ、そうよ。でも、あの人なら分かってくれるわよ」


「……そっか」



 年末の大掃除に向けて徐々に片付けを始める中、毎年のように訊ねてきた大きな囲碁盤。安物のマグネットタイプのものとは違い、しっかりとした脚のついた本榧製の足付碁盤である。

 その重厚感としっかりとした造りから、囲碁に詳しくない少年とその母であっても上質なものである事ぐらいは見て取れる程の代物であった。



修司しゅうじが興味あるなら持って行く?」


「ううん、それはないかな。父さんには悪いかもしれないけど」


「そう。あの人、あなたに囲碁を教えたがっていたのだけれど、ね」


「……そうなんだ」



 母の答えに、修司と呼ばれた少年は困った様子で返した。


 修司は父親の顔を知らない。

 自分が小さい頃に交通事故で命を落としてしまったからだ。


 だから、薄情な話であるかもしれないが、自分と直接的な会話をした覚えもない父という存在が、唯一の家族である母の心だけに残っていて、どこか寂しげに告げるような態度は苦手だった。

 なんと答えればいいのか分からないからだ。


 そんな気まずさを押し隠すように母親に背中を向けてから、修司が囲碁盤を乾拭きしていく。



「……ねえ、修司。やっぱり――」


「――高校は行かないよ。探索者になるって決めた」



 沈黙を破って声をかけてきた母親の言葉を遮るようにして、修司は囲碁盤の上に置かれた碁石の入った碁笥を拭いて、倒れて碁石が散らばらないようにテープを貼りながら答える。

 心配そうに声をかけてきた母の声色に対して、修司の声色はハッキリとしていて、そこには断固として曲げる気のない意志が感じられた。



「……でもね? せめて普通の就職でも……」


「無理だって。今はどんな会社もお店も求人なんてないじゃないか。母さんだって、その煽りを受けて派遣切りってヤツになったんだろ」


「それはそうだけれど……」



 あちこちで引き起こされた『魔物氾濫』によって、社会の在り方は徐々に変容している。

 当たり前のように見かけていたコンビニも、物流が滞ったせいで商品を仕入れることが難しくなったせいで店舗数を減らしていて、シャッターが閉じられたままだ。


 なんとか営業を続けているようなお店であっても商品の購入制限がかかっていたり、あるいは夜間の営業も完全にストップしている。


 こうした動きは社会全体の問題となっていて、これまで生活を支えていた仕事自体を失う人も増えている。

 実際、求人なんてものも取り下げばかりで、アルバイトやパートさえも見つけるのが難しい。


 中学校を卒業してすぐに外に働きに出る。

 かつてならば家庭環境の都合、両親との折り合いなど様々な事情からそういった選択を取らざるを得なくなった子供も一定数存在していたが、今となってはそれも厳しい状況だ。

 そういった子供の学歴がどうという話ではなく、そもそも高学歴の大学新卒であったとしても同じだ。仕事そのものが減っているのだから。


 修司の母もまた、派遣社員として働いていたものの、経営状況の悪化によって派遣切りに遭ってしまった。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、父の残した保険金のおかげで切迫はしていないものの、余裕があるとは言えない状況であった。


 とは言え、ただでさえこの場所は片田舎と言えるような場所だ。

 物資が少なく、たまに見かける食材等についても価格高騰が著しい。

 こうなってくると、いくら保険金のおかげで多少なりとも片親の生活にゆとりがあるとは言え、それもすぐに底をついてしまうだろうことは子供ながらに修司にも理解できた。



「新ダンジョンはさ、食料とかが手に入るし戦いやすくなるって話なんだ。もしそこで食料を手に入れられるようになったら、生活だって落ち着くだろ?」


「でも、危ないわ」


「うん、確かに危ないと思う」


「だったら――」


「――でも、だからってダンジョンに行かなかったら、また『魔物氾濫』が起きたら、また物流が届きにくいからって引っ越すの? 俺は嫌だよ、何度も何度も逃げるなんてさ」



 年末の大掃除も含めているが、修司とその母親がこうして掃除をしているのは、それだけの為ではない。

 父の形見の処分を決めたのも、引っ越しを余儀なくされてしまったがためだ。


 直接的な『魔物氾濫』の影響は受けていなくても、しかしその影響によって物流的に支援が遅れる地域は多かった。

 修司らの住まうこの地域も、少しばかり都会から離れた場所であるがために物資の調達が難しい場所である。


 故に、この地域に住まう人々の多くはすでに引っ越していった。

 修司のクラスの生徒たちもずいぶんと人数は減っており、また修司と同じように中学卒業と同時に引っ越すため、遠方の高校に進学するつもりで願書を提出している生徒も多いというのが実状であった。


 きっとこれから先もこういう事はあるのだろうな、と修司は子供ながらに思った。

 父と母が結婚を機に購入し、引っ越してきたというこの一軒家を、売りに出さずとも離れなくてはならなくなったのも、自分たちが弱くて抗えないからだ、と。



「俺、悔しいんだよ。何もできないまま、逃げるしかないなんてさ」


「修司……」


「無茶はしない。母さんだけを残して先に死ぬなんて、絶対しないように気をつける。もう決めたんだ」



 同じクラスの生徒たちも新ダンジョンには行くという事を高らかに語っていたが、特に身体を鍛えても、何かの訓練を受けているという訳でもない。

 どうやら同じクラスの面々は「新ダンジョンではジョブがもらえる。それがもらえたら強くなって魔物と戦える」という勝手な解釈をしているようだが、修司はそうは思っていない。


 探索者になるためにこの数ヶ月、ひたすらに長距離走と短距離のダッシュという、いざという時に一番大切なスタミナ、瞬発力の強化を繰り返している。

 

 元々、修司はサッカー部に所属していたスポーツ少年だ。

 サッカーはスタミナが要求されるため、走り込みの量も多い。

 さらにゲーム展開によっては素早くトップスピードに乗る必要があった。


 そのための走り方などを意識してスポーツに打ち込んできたため、基礎的な「運動する身体と筋肉」はできている方ではあるが、修司はそんな己を過信していない。


 母との生活を守るためにも探索者になると決めて以来、様々な探索者の動画を見て、探索中の事故などを徹底的にメモし、対策を学ぶ。

 受験勉強をしなくて良い分、探索者の動画を見ながら様々な想定に対して勉強していたが、それらを実践するためにも大前提としてスタミナと速度はつけるべきだと判断して、今日に至っている。


 筋肉はつけすぎず、身体はなるべく軽いまま。

 引き締め、瞬発力をあげるための筋トレメニューを重点的にこなす。

 そうして気がつけば、中学生にしては随分とアスリート寄りな身体になってきたと最近感じていたところである。


 ――母さんは父さんが死んじゃって、さらに家を離れなきゃいけなくなった。

 だから、絶対にこの場所にまた帰ってくるんだ。

 俺が、思い出を守ってやらなきゃ。


 そんな誓いを、口にはしないものの胸に抱いて探索者になると決めたのだ。


 修司の真っ直ぐな目を向けられて、母親は僅かに逡巡して口を開こうとした。

 だが、その時。




《――全世界へ通達します。これよりあなた方の時間単位にして1時間後に、我々のメッセンジャーより全世界への配信を行います。あらゆる映像媒体に同じ映像と音声が流れますので、しっかりと観れるよう事前に準備することを推奨します》




 その声は『天の声』と呼ばれるもの。

 修司にも、そしてその正面にいる母親にも聞こえていたのか、二人は目を白黒させてから、お互いに幻聴ではなかったかを確認するように目を見合わせた。



「……今の、修司も?」


「うん、『天の声』だ」



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