あらわれたもの
《……なんっかつまんねェなー。飽きたわ。おまえらもういいわ》
《――ッ、萩原、弓谷、来るぞッ!》
大重の叫び声とほぼ同時に、【魔王】シンが萩原に向かって一瞬で間合いを詰めて、右手に握った双剣の一振りを突き出した。
しかし、大重も位階としては劣っているものの、戦いの経験と長年の勘というものが働いていたおかげで、萩原の首に向かって伸びていたシンの行動と狙い、刃の行く末を先んじて読んでいた。
差し込まれるように振るわれた大重の長剣が弾き飛ばし、さらに大重が崩れかけた体勢をそのまま投げ出して、シンの身体にぶつけるように体当たりして反撃する。
シンもこれには素直に驚愕した。
まさか防がれるとは思ってもいなかったからだ。
咄嗟に反撃しようと弾き飛ばされた右手とは別、左手に持っていた双剣の片方を崩れた体勢からなんとか大重へと突き出して攻撃する。
だが、今度はそれを弓谷が事前に読んでいたかのように物理障壁を大重の腹部に張り巡らせ、弾き返した。
――な……ッ!?
今までこんな対応ができていなかったというのに、突如として変わった動き。
その驚愕にシンの心が揺らぐ。
大重がそのまま倒れ込むと同時に、シンの視界に何かが映り込む。
シンの目には氷の円が迫っているように見えていたが、しかしそうではない。
尖った先端を真正面から捉えていたからそう見えただけのことだった。
大重の身体を遮蔽物に迫っていたその一撃は、シンの左目を貫いた。
《――が、あああぁぁぁっ!?》
《ふぅーー……、あんま舐めてんじゃないわよ。こちとら日本ではトップクラン張ってんのよ、坊や》
:え
:は?
:え、何今の!?
:すご
:やべええええ!
:ナイス!
:一撃かましたあああ!
:姐御かっけえええええ!
:姐御の元ヤン感すこ
長い髪を手櫛でかき上げながら、萩原が先程までの苦々しげな表情から一転、眉間に皺を寄せて睨みつけながら吐き捨てるように言い放つ。
なんなら中指を立てメンチを切っていそうな表情に、思わず「どこのチンピラだ」とツッコミを入れたくなる御神や藤間、木下らであったが、今はそんなツッコミを口にするよりも、何より今の一連の動きに素直に感嘆していた。
「……やれやれ、まさかこうなるとは。藤間の読み通りだったな」
「……いやぁ、正直予想以上っすね。てっきり援軍を待ち続けるためのものかと思ってましたけど……。さすが、日本最強は伊達じゃない、ってトコっすね。まさか形勢逆転するとは思いもしませんでした」
「隊長、今のは……?」
「視聴者含め、【魔王】もろとも私たちはあの3人に一杯食わされたのさ。大重氏らは恐らく、あの【魔王】と遭遇した時点で時間稼ぎを最優先にしつつ、しかし最初からこの盤面を作り出すことを計算していたのだろう」
大重では【魔王】シンの動きにはついていけない。
炎系統の魔法を連発してみせるも、全て防がれてしまい悔しがる萩原。
足手まといであるかのように回復のみに徹し、何もできずにいるだけの弓谷。
そのどれもが、この一瞬――【魔王】シンが勝負を決めようと、完全に格付けを終わらせ、トドメを刺そうと油断するその時のため。
手も足も出ないような格下相手だと勘違いさせ、手痛い反撃を与えるための布石であり、罠だったのだ。
シンのようなタイプは、大重らも何度か相見えた事があった。
痛めつけ、自らが圧倒的な格上の存在であることを誇示し、弄び、格付けをしっかりと明確に刻みつけてから相手を殺す。
そんな類の人種は、こと特区で育ち、生き抜いてきた実力者であり、犯罪に走った者には多い。
それは彼らの育った環境のせいだと言える。
力がある者は、無理を通してしまえる。
養成校時代に抑圧されてきたからこそ、そんな子供の頃の反動は強くなる。
己の力が大きくなり、傲慢で不遜な態度を取るような浅はかさを露呈するのだ。
欲望のままに力でどうにかできてしまう世界で生き続けることで、なおのこと自制という箍が外れ、刹那主義かつ快楽主義に陥っていく傾向にある。
確かに、位階はシンの方が高い。
身体能力的にも、最初から本気で戦われていれば、為す術もなく蹂躙されていたかもしれない。
だが、シンは――【魔王】は精神的に未熟だ。
自制することさえできず、かつ【魔王】となったことで、さらに己が特別な存在であると感じ、万能感を得たつもりでいる。
先日、『ダンジョンの魔王』が【魔王】という存在を処刑するに至ったことからも、【魔王】という存在たちの中でも、特に『魔物氾濫』を引き起こしているような【魔王】については、【魔王】となったことが慢心を助長させる要素となっているであろう事を、『大自然の雫』のブレインである丹波が完全に看破していたのだ。
「このやり口は……おまえだな、丹波」
献策した者が何者であるかを察して、水都が口角をつり上げる。
冷静に他人を観察し、プロファイリングしていくような性質の丹波の観察眼と頭の良さを、水都はよくよく理解している。
そしてそんな丹波を、大重と萩原、そして弓谷は信頼して、信用している。
――もしも【魔王】と対峙したら、勝負を決めるその一瞬まで常に本気を出さず、必死さだけを全面に押し出して油断させてください。
確実な勝利ではなく、己の快楽、主義を優先する愚かさを露呈する類であれば、それを利用し、好機を生み出すはずです、と。
フライト前の滑走路で、丹波はその策を大重らに伝えていた。
だからこそ、なんの合図もなく3人はオーダーを実践してみせたのだ。
――素晴らしいチームじゃないか。
水都が胸の内で最高の賛辞を送りつつ画面へと目を戻せば、大重らの反撃が始まったところであった。
《――せああぁぁっ!》
《ッ、チィッ、クソッタレがぁッ!》
《はいはい、自己紹介お疲れさま》
《――ぐッ!?》
:いけえええええ!
:いける!
:左側に常に魔法攻撃とか、死角を狙ってくスタイルつっよw
:煽る姐御wwww
:いや、地味に大重さんが右眼側に連撃かますから、死角の注意散漫になってるおかげだろ
:さっきまでの苦戦はなんだったんだよおおおww
:地味に弓谷ちゃんが障壁で魔王の動き阻害したりもしてるww
:一番若いのに玄人感ヤバすぎ、弓谷ちゃんww
「……すごいチームワーク……」
「完全に役割分担が確立している。お手本というよりも、理想を突き詰めたような連携レベル……!」
大谷が右眼側、シンの右半身に回り込んで敢えて攻撃を仕掛けていけば、今度は死角から次々と氷の礫や槍がシンの左半身へと急襲し、その身体に浅い傷を生んでいく。
苛立ち混じりに反撃に出ようと腕を振ろうとしたところで、そこに弓谷が設置した障壁が、ちょうど肘を引いた先、曲げようとした腕の内側に生じて、いちいち動きを阻害してくる。
その連携の完成度の高さと、確実に追い詰めていくその手腕に思わず御神が呟けば、長嶺も少々熱が入っているのか、言葉が弾んでいる。
もしもシンが無傷であったのなら、大重らの攻撃の全てに対応してみせる事は確かにできていた。
だが、そうはいかなかった。
「視界が狭まったのはデケーよな」
「それだけじゃないよ。片目が使えなくなると、慣れないとバランス感覚も崩れるんだ。そのおかげで持ち前の身体能力を発揮できなくなっている」
「藤間の言う通りだ。さらに言えば、片目だけになると遠近感も掴みにくくなる。慣れるまではまともに走ることすらままならないだろう。完全に機動力を潰せている」
「じゃあ、このまま勝てるんじゃ……――!」
《――クソッタレがああぁぁぁッ!》
《下がれ! 弓谷、障壁!》
《はいッ!》
:ひぇ
:こわ
:なにこれ
:暴風というか、いっそ爆風レベル?
:力を解放したっていうか、むしろ暴走してない?
:なんか様子おかしくなった
:あ、黒い靄
:魔王様のアレに比べると少ないけど、なんか様子おかしいな
優勢となった『大自然の雫』の攻撃を受けていたシンが吠えると同時に、強大な魔力が解放されて、シンを中心に放射状に暴風が吹き荒れた。
そうしてシンの周囲に、かつて『ダンジョンの魔王』が魔力を可視化できるほどに凝縮して放出した際に出現した、黒い尾のようなものが現れた。
直後、その尾がシンの身体に絡みついていった。
暴走させるかのように荒々しい魔力を放つシンに、すわ次の手が来るかと身構える大重たち。
しかし――――
《――縺昴�蝎ィ縲∝眠繧上○縺ヲ繧ゅi縺�》
――――その声はシンの口から聞こえてきたはずだった。
だが、それは間違いなくシン以外の何者かの言葉だと、誰もが理解した。
ぞわりと背を走る強烈な悪寒と、心臓に直接氷水をかけたかのような痛みを伴う寒気が、配信を見つめていた御神ら全員を襲い、思わず身構える。
奇妙な言葉のような何か。
その影響は配信を観ていた全ての存在に襲いかかったようで、配信上のコメントもピタリと止まっていた。
配信の映像の向こう側では暴風が止み、シンの身体に黒い魔力の塊のようなそれらが染み込んだかのように、皮膚をところどころ真っ黒く染め上げており、明らかに異質な存在に成り果てているように見えた。
《……閧峨�蝎ィ縲∽ココ髢薙�霄ォ菴薙�閼�シア縺�縺ェ――ぃ、ぁー……あー。ふむ、現代の言語はこれか》
何かを確かめるように、シンが――否、シンの姿をした何者かが独り言を漏らしている。
明らかに、異なる存在。
先ほどまでのシンの荒ぶるような気配もなく、それ以上に悍ましい何かがその場に現れたのだと、否応なく理解できた。
その存在は首の後ろに手を当てながら身体を動かし、そして――突然、真っ直ぐ配信画面を見つめた。
《――そんな所から覗き見するとは、相変わらず趣味が悪いな。繧キ繝・繝暦シ昴ル繧ー繝ゥ繧ケ……む?》
何か理解のできない言語らしきものを奏でた、その瞬間。
空間に銀閃が走る。
誰かを狙ったものという訳ではないらしく、シンの身体を奪ったと思われる何者かと、大重の間、地面に、そしてその直線上の壁にも深く斬り裂いたような跡が生まれる。
そんな中、大重らとシンの身体を奪った何者かが、同じ方向に目を向ければ、砂塵を舞い上げて崩れたであろう壁、その向こう側からソラがゆっくりと歩いてその姿を見せた。
《……貴様は、なんだ?》
シンと思しき何者かが、不快そうに眉間に皺を寄せて口を開く。
しかしそんな視線を受けたソラは、表情をぴくりとも変えようとせずに淡々とした様子で返す。
《今から死ぬ存在に名乗る価値があるのかい?》
刹那、ソラが駆け出し、シンであった何者かから魔力が放たれ、触手のような形をして一斉に展開、ソラを穿つべく迫っていく。
それらをソラが腰だめに構えた刀を一閃して斬り飛ばすと同時に、ソラが空中に飛び上がり、再び刀を鞘に収めながら口を開いた。
《――【
轟と蒼い炎がソラの肉体を包み、蒼い雷を奔らせながらそれらを刀へと収束させていく。
《雋エ讒倥∝、悶↑繧狗・槭°��!》
振り払われた刀がシンであった存在を両断し、蒼い炎と雷を撒き散らしていった。
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