経験値の差
日本のダンジョン庁、魔力犯罪対策課の第4特殊対策部隊。
水都が率いるその部隊は、今日の配信を観るためにダンジョン庁内の会議室に集まっていた。
《――はっははははっ! おいおい、どうしたどうした、どうしたよ、あぁ? 島国の【勇者】サマはこの程度かよ、あぁ!?》
《く……っ、速い……!》
《大重さん、下がってください! 撃ちます!》
《しゃらくせぇ!》
:相変わらず全部の言葉が自国語で聞こえるのすごい
:慣れ親しんだ言語に翻訳されてる、みたいな話だよな
:そんなこと話してる場合かよ
:魔王強すぎだろ
:大重さんが遊ばれてる……
:現地探索者とかソラきゅんとかまだ!?
:ソラならなんとかなりそうだけど、『深層の悪夢』がいるからなぁ
:ヤンだっけ? あっちのパーティもさっきヤバそうだったけど
配信に書き込まれた言葉の数々が、次々と流れていく。
視聴者が感じ取った通り、明らかに大重たち『大自然の雫』陣営は【魔王】であるシンを前に遊ばれていた。
シンが持つ双剣は凄まじい速さで振るわれ、大重とぶつかり合う度に大重の身体に浅く、しかし確実に斬り刻まれていく。
大重の身体からは赤い血があちこちから滴り落ちており、対して【魔王】シンには傷一つなく、余裕が窺える。
急ぎ援護に動く萩原の魔法も、シンを捉えることはできない。
放たれた火炎が凝縮した槍のようなそれが、シンへと肉薄すると避けられ、双剣によって斬り払われて霧散する。
その映像を見ていた御神が、確信した様子で呟いた。
「……やはり、あれは魔道具ですね」
「ん。5年ぐらい前に一度だけオークションに掲載された、『破魔の双刃』っていう二振りが対になっている魔道具。私も欲しかったけれど、値段が高すぎて手が出せなかった」
「へぇ、そうなんすねー。ちなみに、おいくら?」
「私が見た時には3億4千万。まだオークションの締め切りまで時間はあったから、多分6億ぐらいまでは伸びたと思う」
「……はー……なんじゃその額。億って……そりゃ手なんて出せないっすね」
今でも未練が残っている様子で、共に配信を見つめていた長嶺がぽつりと言えば、そのあまりの金額に藤間、それに話を聞いているだけであった木下が目を丸くした。
魔道具の中でも、武器は特に高い金額で取引される。
ダンジョン産の武具とは、自分の実力を補うような『アビリティ』がついている魔道具もあるが、そうでなくともその強度、斬れ味という点からも、通常の刃物などに比べても強く強靭だ。
位階が上昇した人間は、一般人から見れば超人だ。
そのような存在が、それでもなお戦って勝てないこともあるのが魔物という存在である。
化け物と評してもおかしくない相手と渡り合うには、相応に強い得物が必要になってくるため、必然的に武器や防具などは高騰しやすい傾向にある。
しかし現実的な問題として、探索者は装備不足という状況でもあった。
装備品自体が必ず手に入るようなものでもない上に、魔道具として『アビリティ』を有したような得物となると、その少ない中でもさらに一割にも満たない程度しか出回っていないのである。
そのため、オークションに出てくるような『アビリティ』付きの魔道具ともなれば、その額の跳ね上がりぶりは凄まじい。
実のところ、ニグやヨグは、中層以降の『
だが、宝箱は戦い方や討伐時間などで評価しているものではなく、その探索者の位階と挑戦人数によって宝箱の確率が定められているのだ。
もちろん、他にも宝箱などは点在しているが、そちらについては人数と魔物の討伐数などが参照される形になっていたりもする。
そんな裏事情を知らない一般探索者たち。
彼ら彼女らの探索はゲームのようにトライ・アンド・エラーを繰り返せるものではないため、どの探索者も安全マージンを取っている。
結果として、良くて銀箱、あるいは銅箱と言うのが実状であり、必然的に魔道具そのものが出回りにくかったりもするのだ。
これが、常に上限を超えた戦いを求め続けている颯が武器や防具を大量に拾う理由であり、一般的な探索者たちにはなかなか手に入らない理由の真相であった。
それはさて置き。
「人類最強クラスの実力者であり、武器も超一流。大重氏も何か狙いはあるようだが、このままでは萩原氏、弓谷氏の二人を狙われるのも時間の問題、というところだな……」
「……水都隊長なら、どうしますか?」
「……そうだな……」
状況の分析。
それに対して御神に改めて訊ねられ、水都は顎に手を当てて思考を巡らせた。
今はまだ【魔王】も遊んでいる。
だが、ああいう快楽主義的な存在は、ちょっとした何かがきっかけで、突如豹変することも有り得るのだ。
ああいうタイプは己の中でのルール、線引きを優先している。
そのため、そういった独自の価値観が共感できない他者には、理解できないことが多い。
要するに、行動の予測が立てにくい相手であると言える。
:一方的じゃん……
:大重さん強いんじゃないの?
:ロートルだからなぁ
:出た、無駄に上から目線
:相手が悪すぎるんだよ
:大重さんは強いけど、相手がな
:なんとか一矢報いてくれ!
:がんばって、大重さん!
好き勝手に書き込まれ、流れていくコメントの数々。
応援するだけならばともかく、否定的な意見なども見受けられたが、それでも好意的なものが多い。
メッセンジャー相手の配信となると口を噤むくせに、と言いたくなる気分を抑えて、水都はゆっくりと口を開いた。
「ふむ。私ならどうするか、というのは決まったが、その前に御神、おまえはどう考える?」
「……そうですね。起死回生の策があるのなら、それに懸けるしかない状況かと」
「みかみん、甘い」
「え?」
水都に対する御神の回答を否定したのは、画面を見つめたままの長嶺であった。
振り返った御神に視線を返さず長嶺は続ける。
「今のところ魔王は無傷で、こっちは遊ばれている。この状況が続いていて、かつ今回みたいにソラくんっていう切り札があるなら、この状況を覆そうと無理をするのは好ましくない」
「っ、ですがこのままでは……」
「うん、勝てる見込みはゼロに近い。でも、下手にやり返すと、このまま待つよりも可能性がゼロに近づく」
「え……?」
「大重さんが何かチャンスを狙っているのは多分、間違いない。でも、今の状況でそれを繰り出さないということは、今それをやろうとしても当たらないか、無意味になってしまうと悟っているから。だから、無駄撃ちしないで敢えて攻撃を受け、舐められるように仕向けている」
「……じゃあ、大重さんは……」
「ん、理解した上で敢えて何もしないという選択をしている。隊長、私の読み、どう?」
「あぁ、私もそう判断している。だからこそ、今は〝待ち〟一択というところなのだろうな」
大重たちには苦しい状況ではあるが、今のように手が出せず、遊ばれている状況だからこそ、【魔王】が本気にならずに済んでいるのは間違いない。
今は大重が動けなくなるほどに追い詰めるつもりはないと見て良い。
弓谷が治療している間も、【魔王】は追撃することもなく双剣をくるくると回し、ニヤニヤと笑いながらわざわざ待っているほどだ。
だが、ここで「自分に通用する手段がある」と思われてしまえば、まず間違いなく警戒度が跳ね上がり、萩原と弓谷から即座に消され、追い込まれるだろう。
確実に決まるタイミングを待つか、あるいはどうしようもない程に追い込まれているならばともかく、下手に刺激してしまうのは避けるべきだというのが水都、それに長嶺の判断であった。
「彼は今、己のプライドを守って意地を張ろうとするのではなく、無様に、不格好に足掻いている――そう思わせるために、敢えて傷を多く作っているのだ。それでも諦めずに立ち向かい続けること。そんな自分を見て楽しむ類の相手だからこそ、その思惑に乗ってみせているのだ。視聴者にも違和感を覚えている者もいるようだぞ」
:大重さんがんばって!
:いや、今はこれでいいと思う。何か狙ってるっぽい
:ぶん殴ってやれ、あのニヤけ面!
:確かに、大重さんらしくないな
:世界中から観られててテンパってるんじゃね?w
:あの人がそんなタマかよw
:大重さんがそんなの気にする人か?w
:わざと遅く動いてないか? 気のせい?
:さっさと負けろ
:メッセンジャーさん、また頭おかしい発言してるの追放してあげてw
:どんな神経して負けろとか小馬鹿にしたりとかできてるんよ、コイツら……
何やら雲行きの怪しいコメント欄であるが、確かに水都の言う通り、大重の動きに違和感を覚える者も少なからずいるようであった。
「多分だけど、大重さんは今、布石を打っているってトコだね~」
「布石?」
「そ。コメントにもあるけどさ、大重さんってもっとスピードのある戦いとかする人なんだよね。でも、今は本気で動いてないっぽいしねぇ。多分、【魔王】の意識を錯覚させるためだね。「コイツはこの速度が限界だ」と思わせるためのものなんじゃないかな?」
「……っ、なるほど。最初から欺くつもりで……?」
「多分そう。分断されている状態で目の前に現れた魔王に気付いて、即座に作戦を立てたんだと思う。多分、萩原さんもその作戦に気が付いて、わざと必死なフリをしている。あの人も得意な魔法を使ってない。つまり、『大自然の雫』は機会を待っている。致命的な隙を晒し、確実に仕掛けられる最初にして最後のチャンスが来ると、信じている」
「……すごい」
実戦の経験が浅く、さらに対人での戦闘経験の乏しい御神とは違い、『大自然の雫』は日本国内全域にその名が知れている大手クランだ。
そんな彼らが蓄積してきた経験と、培われてきた技術と判断力があるからこそ、この作戦を一瞬で思いつき、実行に移すことができているのだと御神は今になってようやく理解した。
――――しかし、想定外というものは得てして起こるものだった。
《――なんっかつまんねェなー。飽きたわ。おまえらもういいわ》
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