【魔王】ルフィナ
突然始まった全世界配信。
一般的なダンジョン配信とは異なり、テレビの全チャンネル、動画配信系のサイト、アプリを開いた途端に映像が流れ出すそれが『魔王ダンジョン』の攻略動画であることは誰もが知っていた。
というのも、世界的に見ても【勇者】を外国へと派遣するという事自体が、今のところは異例とも言える状況であるため、探索予定時間が迫る頃には誰もが配信を観れるよう、待機している者が圧倒的に多いからだ。
最初から『魔物氾濫』を常態化させていた『魔王ダンジョン』が3箇所――ディートヘルムの攻略によって1つ、そして『ダンジョンの魔王』による粛清によって2つのダンジョンが消えた。
これにより、最初は9つあった『魔物氾濫』を引き起こしていたダンジョンは、一時的に6つに減っている。
魔王は17名中3名が死亡。
残りは14名となり、それ以降、特に動きを見せることもなく沈黙を保っている。
そのような状況であるため、防衛ラインの構築などのニュースばかりが流れている程度で、今回のような本格的な攻略は注目度が高まっていた。
一方で『魔物氾濫』が設定されていない『魔王ダンジョン』に入ろうとする探索者たちは少数ながらも確かに存在している。
8つのダンジョンは『DP』を稼ぐために浅い層に弱めの魔物を放ち、罠に関しても致死性の低いもの――『DP』の低いものを用意しており、同時に人を呼び込むための〝餌〟として回復用の魔法薬などを宝箱に入れて設置したり、薬草などを群生させたりと試行錯誤を繰り返してきた。
だが、特区ではない場所に出現してしまったため、探索者で大賑わいになるとはいかず、これが【魔王】にとってもなかなかにつまらない展開となっている。
そうした状況のため、【魔王】側も退屈を持て余している。
コンソールを通してネットサーフィン程度はできるが、【魔王】側が発信したり書き込みしたりということはできず、傍観するだけだ。
アニメや映画、動画などを見るぐらいならばできていたが、それだけで満足できる者は少なかった。
――もう『魔物氾濫』させてしまおうか。
それぐらい変化のない日常に飽き飽きとする程度には、【魔王】陣営も暇を持て余していた。
それでも下手な真似をして『ダンジョンの魔王』の反感を買うのは避けたいと考え、大人しく過ごしているというのが実状だ。
そんな中で始まった、久々の『魔王ダンジョン』攻略。
その標的となったシンと、ダンジョンの造り、その動きに多くの【魔王】は感心していた。
――――【魔王】ルフィナもまたその一人であった。
彼女は『ダンジョンの魔王』に惹かれ、実は【魔王】になる前に、一度わざわざ『ダンジョンの魔王』に会いに日本に行こうとしていたという異例の経歴を持つ存在でもあった。
褐色肌の若い女性――スペイン出身の【魔王】ルフィナは、波打つ黒髪を手櫛で掻きあげ、うつ伏せに寝転がりながらコンソールを目の前に展開し、頬杖をついてから足をパタパタと動かしていた。
「――ふんふん、なるほど? DPが少ないなら防衛に自分を駒として考えて、分断して各個撃破、ね? いいねいいね、悪くないよ。でもでも、舐めプは減点だよねぇ?」
大重と萩原、弓谷を相手に戦うシンを見て、ルフィナは小馬鹿にしたかのように鼻を鳴らした。
3人の実力は、お世辞にも【魔王】に対峙するには足りていない。
アタック型の前衛である大重、魔法攻撃型の萩原、支援系の弓谷という、一見すればバランスの良い構成だが、相手の方が高い位階を有した戦いではそうでもない。
位階上位者は、身体能力が高い。
前線で止められなければ自由に動かれてしまう。
まして、魔物とは違い相手は人間、しかも対人に慣れている存在となれば、萩原と弓谷が狙われてしまう。
だが、シンはそれをしない。
明らかに余裕を持っていながら、大重だけを相手して遊んでいる。
「ま、気持ちは分かるけどねー。せっかくの〝獲物〟だもん、遊びたくもなるよね」
退屈な日々の中でやってきた大重ら一行は、シンにとっては久々にやってきた〝獲物〟であり、遊び道具だ。
そのような存在をさっさと終わらせてしまうなんて、それは
萩原と弓谷を殺さないのは、大重の心が折れてしまわないようにするためであり、痛めつけるためだとルフィナは察していた。
――あぁ、アイツは私と同じような世界にいた人間か。
そんなことをふと思う。
ルフィナという女は、いわゆる殺し屋だった。
探索者ギルドのお抱えという立場であったが、政治家からの依頼を探索者ギルドを介して行うなどの事も多く、その度に手を汚してきた。
シンのような性格の持ち主は、裏側の世界でたまに見かけた。
弱者を痛めつけ、玩具のように扱い、泣き叫び命乞いする姿を楽しむようなタイプの人間だ。
僅かな希望を残したまま手を伸ばさせ、ようやく届くというその寸前で偽りの希望であったのだと見せつけ、心を折り、踏み躙り、その絶望した姿を見て高笑いする。
その表情を見るためなら、多少の犠牲など厭わない。
そんな類の屑は、ルフィナが心底嫌いなタイプの人間だった。
ルフィナから見れば「やり口が雑で、無駄が多い。何もかもが美しくないから」という理由で。
ルフィナという女は〝洗練された美しいもの〟を好む。
もちろん、美術品などに対しても目がないのは確かではあるが、何も造形物ばかりに限らず、たとえば職人の突き詰めた技術などこそが、ルフィナにとっての〝洗練された美しいもの〟なのだ。
だからこそ、彼女は『ダンジョンの魔王』という存在に強く惹かれた。
彼が戦いの中で見せる、圧倒的な力。
あれは力に振り回され、暴力を暴力として振り翳すだけの代物ではなく、戦いの中で常に磨かれ、研ぎ澄まされ続けて辿り着いた完成形――極致だとルフィナは思う。
ルフィナが彼を知ったのは、日本人の兄妹がダンジョン内で転移トラップに引っかかり、『深層の悪夢』と呼ばれる魔物と戦っていたその時だった。
ルフィナとて『深層の悪夢』と戦えば勝てる。
だが、それはあくまでも「本気で戦って勝利できる」だけであり、「圧倒的な技術と実力を前に、埋められない程の差を見せつける完全勝利」には程遠い。
あの配信を知って以来、ルフィナは何度も自分のイメージと想像の中で、『ダンジョンの魔王』と戦っている。
イメージトレーニングをするために幾度となく兄妹の配信を見て、わざわざその動画をダウンロードして、戦いが行われているそのシーンだけを切り抜いたものを、何度も、何度も何度も見返してはその度に想像の中で挑む。
だが、勝てなかった。
どうしても、自分の攻撃が『ダンジョンの魔王』に届くというイメージを抱けないのだ。
何をしても、どう足掻いても追撃が展開されて死ぬイメージしか湧いてこなかった。
そんな中で【魔王】となり、ダンジョンが与えられた。
ルフィナはそんな状況の中に放り込まれる事になったものの、己のダンジョンがどうだとか、人間に対して復讐できる『魔物氾濫の状態化設定』なんて代物も、どうでも良いものとして思考から追い出していた。
ただ、〝進化〟によって【魔王】になった自分の肉体の強さ、魔力の強さを把握することに努めた。
オーバーワークとも言えるような筋トレ、ランニング、瞬発力のチェック、膂力に魔力。
それら全ての限界値が大幅に更新され、それらを使いこなすためにひたすら自己鍛錬に時間を費やしてきた。
そうして十全に今の力を振るえると確信したところで、再びイメージトレーニングを開始した。
以前までの自分では、たった一撃を避けても追撃を躱すことはできなかった。
今の自分は追撃を避けて、さらに踏み出し肉薄することもできる――が、その結果自分が見たイメージは、自分の身体が四方八方から串刺しにされて、空中で力なく項垂れた己の姿だった。
そんな中で行われた【魔王】の公開処刑とも言えるメッセンジャーの配信。
突然あの不思議な空間に呼び出されたルフィナは、ただ一人、本物の『ダンジョンの魔王』のその力を爛々と輝かせた目で見つめていた。
――あぁ、美しい。
ルフィナは目の前で繰り広げられた惨劇を見ているようで、見ていなかった。
ただただ、『ダンジョンの魔王』の一挙手一投足、そして攻撃に転じるその瞬間に意識を向けていた。
目の前で繰り広げられた処刑は、かつての自分――それも、【魔王】となる前にイメージしたものと全く同じだった。
やはり『ダンジョンの魔王』には届かない。
ただ、それにしても最初に消された方も、その後に消された方も、ルフィナは「弱すぎる」という感想を抱かずにはいられなかった。
同じく〝進化〟した【魔王】であるならば、実力はある程度は拮抗するだろう。
そう考えていたというのに、最初に消された方も、その次に消された方も、人間だった頃の自分の実力と遜色ない程度でしかなかったからだ。
――せめてもう少しぐらい『ダンジョンの魔王』様の動きを引き出してくれれば良かったのにと強く思う。
それでも、新しい動きも見れた。
故にルフィナは、あの強制召集に対しても「ある程度は満足感のある召集だった」という感想を抱いている。
ルフィナは知らない。
他の【魔王】たちは自分たちが最強だと思い込み、研鑽などしていない。
そもそも〝進化〟した時点で、『ダンジョンの魔王』が自分たちよりも圧倒的に強い存在であることは理解できた。
要するにアレは自分たちが届かない領域にいる存在であり、勝てるはずのない相手なのだから、最初から勘定に入れなければいいのだと割り切ったという事を。
そして、驕り高ぶった【魔王】たちは、ルフィナのように鍛錬などに時間を費やしたりすらしていないのだということも、ルフィナは知らない。
再び画面が切り替わる。
そうして映し出されたのは、巨大な男と白銀の髪に蒼い瞳、白い服と白い鞘という特徴的な服装をした少年であり、ルフィナが敬愛する『ダンジョンの魔王』と全く同じ顔をした存在であるソラだ。
ルフィナの顔から、表情という表情が全て消える。
一挙手一投足、聞こえてくる声、呼吸の一つ。
ありとあらゆる情報を見逃すまい、聞き逃すまいとばかりに、意識の全てを流れてくる映像の中のソラへと集中させる。
彼女は『ダンジョンの魔王』とソラの戦いを見ていなかった。
だから、ソラが動く姿はハルトの配信に僅かに映った際にちらりと見た程度だ。
だが、それでも気になるものが確かにあった。
だから、ソラを観察する。
全ての意識を映像に向けて、【魔王】として上昇した動体視力もフルに活かして、『深層の悪夢』の攻撃を目で見て対応してみせるソラを見ている。
――――そうして、ニタリと口角をあげた。
「――あぁ、やっぱり……『ダンジョンの魔王』もソラも、
世界で唯一、『ダンジョンの魔王』とソラとが同一人物であると気が付いた存在は、爛々と輝かせた瞳を配信へと向けたまま、迷うことなく『魔物氾濫の常態化設定』をオンにした。
――これをやれば、あなたはきっと来る。
そんな確信が、彼女の中に生まれていた。
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