変わり始める世界のかたち

閑話① 知ろうとすること、変わろうとしているもの




 突然ダンジョンが出現し、さらに『魔物氾濫』が発生。

 これとほぼ同時とも言っても良い最悪のタイミングで、探索者ギルドの各国支部に対する襲撃が始まった。

 さらに国によっては演説中の政治家への襲撃や、臨時国会が開かれている国会議事堂への爆撃――もっとも、これは一人の魔力犯罪者と思しき者によるものと考えられている――など。


 これらの騒動に対してはそれぞれに対応を進めるしかなかったが、これらの騒動のせいで対応が遅れてしまっていた問題もある。

 ちょうどそのタイミングで、若手女性探索者の有望なパーティ『燦華』による配信と、それに乗じて各クランが公開したデータの数々だ。


 政治家が加担した探索者ギルドとの共同研究となっていた、『キメラ計画』。

 それだけでも充分に大問題ではあるのだが、さらに加えて『ダンジョンの魔王』、そしてソラと名乗る同一存在もまた、その計画の延長にあったと思しきクローン研究によって生み出されたという事実もまた、すでに収拾がつかない程に広まっている。


 これまで30年ほど、ダンジョン出現からも極力大きな変化を避け、人間社会を保っていた平和。

 薄氷の上に成り立っていたそれは、この騒動によってほぼ完全に崩れ去った。


 魔力犯罪者の増加、探索者として育てられた特区出身者と一般人との確執。

 探索者ギルドと探索者間で。または政治家と一般人、探索者との間にも生まれたような、もはや修復が難しいレベルの溝。


 そんな状況で、世界各国でダンジョンが出現して『魔物氾濫』までもが発生したために、各国の情勢を鑑みたという名目で次々に決められた貿易停止。



「……頭の痛い問題だらけだ、ちくしょう」



 ダンジョン庁、都内ビルの屋上。

 口に咥えた煙草から上る紫煙を見ているような、けれど実際は何もない虚空をぼんやりと見つめて呟いた無精髭を生やした男――崎根の言葉が、曇天の中に吸い込まれるように消えていく。


 ダンジョン庁は現在、省庁には珍しく現場判断が優先されている。

 というのも、先日の臨時国会に対する突然の爆撃――ドラクによるものだが――によって、各省庁の大臣などのトップクラスが軒並み行方不明か死亡となった。


 それはそうだろうな、と崎根は思う。

 巨大な国会議事堂の敷地と周辺の道路まで、その全てが魔力犯罪者と思しき何者かの攻撃によって大爆発を引き起こし、立ち上った巨大な火柱に呑まれた。

 位階が相当高い者が魔法などで防御するなどしており、さらに即座に脱出でもしていなければ、耐えられるはずもない。


 ともあれ、そういった経緯から上層部は大混乱。

 従来のお役所仕事的なものではなく、現場での判断を最優先にして対応するように、というお達しが出ている。


 ――つまり、曲がりなりにも部長なんて立場にさせられちまった俺に判断して決定しろって訳なんだが……。

 煙を吸い込み、火の点いた先端部分をジリッと音立てて燃やしながら、崎根は一度瞑目した。


 ここ最近、ダンジョン庁では【勇者予備軍】の保護と登録、それに本人の意思に合わせて育成できる環境の紹介や、ダンジョンでの戦い方講座などを広く行ってきた。


 メッセンジャーの配信の際、「自分ならば戦える」だの、「自分にも適性があればいいのに」と軽い気持ちで書き込んだコメントに対する、メッセンジャーからの〝ありがたい配慮〟のような建前ばかりの、公開処刑と言えるような対応。

 そうして【勇者予備軍】となった多くは、軽い気持ちで書き込んだところ、いざ戦えるようになったと言われても、実際には恐怖し、手の甲の紋章を見られたくないからと引きこもるような者達がかなり多かった。


 聞けば、どうにか隠そうと手袋をつけてみたり包帯を巻いてみたりと試してみたようだが、その程度は無駄だと嘲笑うかのように、布などを透過して紋章が浮かび上がってしまうらしい。

 さらに、手を引っ掻いて傷をつけても紋章が欠けたり消えたりという事さえなかったと言う。


 あのメッセンジャーに「あはははっ、そんなの無駄に決まってるだろう?」と嘲笑われているような気がして、どうにも悪辣さというものが透けて見えた気がしたのは、何も崎根だけではなかった。

 多くの【勇者予備軍】が、己の浅慮な言葉を後悔し、笑って罰するというメッセンジャーの悪辣さに民衆もまた恐怖していた。


 ともあれ、ダンジョン庁としても【勇者予備軍】を放置しておく訳にはいかない。

 そういった者達を保護し、義務を果たしているという建前を設け、余計な騒動に巻き込まれずに日常を過ごすためにも、ダンジョン庁の養成プログラムに登録、参加してもらうよう説得を続け、把握できている者についてはどうにか保護できたところだ。


 崎根の見立てでは、これからも彼ら彼女らは育成していくつもりではあるが、使い物になるかは怪しいところだ。

 一般人として育ち、普通の人間、普通の暮らしを謳歌してきた彼らに、「じゃあ戦えるようになったから命懸けで戦ってきてね」と言ったところで、それが可能になるとは思えない。そもそも自分とて、今から戦えと言われても無理だと思うからだ。


 そういう意味では、特区の育て方というものはある意味正しかったのかもしれない、とも思えるのだから、自分は疲れているのだろうと崎根は思う。


 特区というやり方を、搾取という方法を取った結果が今なのだ。

 それを認めてしまう訳にはいかない。


 頭の中にある幾つもの情報、それらを整理していきながら、溜息と共に崎根が紫煙を再び空に向かって吐き出した。



「――崎根さん、煙草は身体に毒ですよ」



 不意に聞こえてきた声に、崎根が目を向けるだけ向けてから、再び火が点いたまま指に挟んでいた煙草を口元に寄せ、唇で支えた。



「我慢しろって方が毒なんだよ。つか、健康に気遣って長生きして何になるってんだ。いつ魔物が出てくるかも分からねぇってのに」


「……それもそうですね」



 声をかけてきたのは、どうやら自分を探して屋上くんだりまでわざわざやってきたらしい部下の女性、瀬戸だった。

 かつては世間知らずの一般人らしい価値観を持っていたものの、崎根との会話以来思うところがあったようで、自ら勉強し、調査し、真実を知ろうと努力してきた。

 もっとも、そんな努力を後押しするかのように諸々の騒動が引き起こされたため、想定よりも早く色々なことを学んだようである。


 一般人がどれだけ恵まれ騙されていたのか。

 その事実を知り、一時は寝不足に陥っていたような真面目な人間である。



「では、一本、もらえますか?」


「は?」


「煙草です。身体に悪いものと忌避してきましたが、知ってみるのも悪くないかと思って」


「構わねぇが、俺が吸ってるのはキツいヤツだぞ? 吸い始めるならもっと軽いのにしておけよ」


「いえ、吸い続けるつもりはありませんので。どういうものか知りたいだけです」


「……ほらよ」



 どうにも特区の一件、そしてここ最近の騒動も含めて、色々な経験や知識に貪欲になったというべきか。

 譲りそうにない瀬戸の申し出に苦笑を浮かべてから煙草の箱を上下に軽く振って一本だけ器用に飛び出させると、瀬戸がゆっくりと手を伸ばして受け取り、匂いを嗅いだ。



「ありがとうございます。……変な匂いですね」


「そんなもんだ。ほれ、火に先端をつけろ。あぁ、当てただけじゃ火は点かねぇから、少し吸い込むんだ」


「……っ、げっほ、ごほ……っ。うえぇ……マズ……」



 最初の一服、煙草を吸わない人間が感じる特有の苦みを感じ取り、瀬戸が咳き込む。

 その姿に妙な懐かしさを感じつつ、崎根は手に持っていたまだ空けていない缶コーヒーを差し出した。



「最初はそんなもんだ。口直しに飲め」


「……いただきます」


「煙をいきなり肺に入れると咽るしキツいからな。最初はほんの少しだけ吸ってから口の中の煙を吐いて、その後で息を吸いながら肺に入れるって感じだな」


「……けほっ。……なんだか、一瞬くらっとしたような」


「おう、吸い始めはそうなるもんだ。最初の内は膝に力が入らなくなるぞ」


「……危ないクスリみたいです」


「一緒にすんな。まあ、中毒性だのは似たようなもんか」



 それだけ言ってから、崎根も手に持っていた煙草を消して、また一本咥えて火を点ける。

 もともと、今吸っていた一本だけ吸い終わったら戻るつもりであったが、瀬戸に付き合う形だ。


 お互いに無言になって、ほんの僅かなゆったりとした時間が流れていく。



「……あぁ、こういう時間が好きなんですね」


「だな。煙草を吸いながら、頭をクリアにして思考を整理する。なんつーか、切り替えとかそういう感じの時間だ」


「……分からなくないかもしれないです」



 煙草を吸う、ほんの数分。

 その時間の中で思考を整理して、タスクを整理して、そうやって区切りをつけるというのは、崎根にとってのルーティンとも言える。


 人間は数時間も集中し続けてはいられない生き物だ。

 だからこそ、崎根は一服という物理的な行動をスイッチのように扱って、その間に思考を整理して次のタスクを決定する癖があった人間だ。


 もっとも、昨今ではニオイがどうの、周囲の健康被害がどうのだのという言葉や視線によって、喫煙者の肩身が狭くなり、禁煙していた側ではあったのだが。



「……崎根さん」


「あん?」


「これから日本は……というか、世界は、どうなっていくんでしょうか?」


「……なんだかんだで適応すんだろ。人間はそうやってしぶとく生き残ってきたからな」



 たとえハリボテのような平和に浸かり続けていたとは言っても、いざ窮地に追いやられれば覚悟を決めるのが人間という生き物だ、と崎根は思う。

 一般人たちも徐々に魔物との戦いが、ダンジョンという存在が自分たちとは無関係なものではないという自覚を持ちつつある。


 そして、時野という探索者ギルドを是正しようという気概のある存在が、今、徐々に探索者ギルドの在り方も変えようとしている。

 未成年者からの魔道具の強制買い取りなどもなくなり、特区内にもしっかりと現金を行き渡らせ、特区内と特区外の垣根をなくそうと訴えている。


 もちろん、そんな時野に噛みつき、魔力犯罪者の予備軍とも言える探索者を許容しないと未だに声高に叫ぶ者もいるが、徐々にそういう考えが間違いだと誰もが気付きつつあるのだ。


 ようやくだ。

 ようやく、人間たちは変わろうとしている。


 メッセンジャーのやり方はともかくとして、『ダンジョン適性』がないものであっても、望めば与えてくれるかもしれない。

 戦いが嫌でも、直接的な戦い以外で魔物との戦いに協力しようという者達も現れつつある。


 歪に取り繕われた世界が、今になって、初めてダンジョンや魔物に向き合おうとしているような、そんな気がした。



「……なら、頑張らなくちゃいけねぇよなぁ」


「はい?」


「なんでもねぇよ。さて、戻るぞ。後でまた吸いたけりゃ言えよ」


「いえ、結構です。もう充分理解しましたので」


「……そうかよ」



 屋上喫煙仲間は増えなかったが、なんとなくやる気が出たような、そんな気がして。

 そんな崎根が瀬戸を連れて戻ったところで、メッセンジャーからの配信が始まった。







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