解剖狂ハワード





 ハワードと名乗ったタキシード姿の男性。

 彼の登場とその口から告げられた文言に、時野と燐は思わず固まった。


 まずそもそも、彼が言った言葉――解剖させてくれという申し出も意味が分からなかったというのもある。

 だがそれ以上に、何よりも気になる点が2つほどあった。


 まず1つは、『喫茶店の客も店員も何故か全員眠っていること』。

 つい先程まで起きていたはずの人々が、まるで背景を切り替えたかのように全員が全員、机に突っ伏して眠っていた。

 数名程度がそうしているのであればさして驚くこともないが、全員ともなればハワードが声をかける前に気が付いてもおかしくないが、今になって周りを見て初めて気が付いたのである。


 次に、『盗聴防止用の魔道具を利用していた会話を聞いていたこと』という点だ。

 喫茶店という公の場では、どうしても『キメラ計画』などの話は持ち出しにくい。

 そのため、魔道具の一つを利用して周辺に声の漏れない魔道具を用いて会話をするというのが、時野と燐のコミュニケーション方法となっていた。


 だと言うのに、その魔道具の防壁をあっさりと抜いて、会話の内容を把握したと思しき言葉をかけてきたのだ。


 その方法も判らないが、それはともかく。

 咄嗟に動き出そうとしたのは、探索者として位階の高い燐であった。

 即座にその場から立ち上がろうと椅子を押そうとして、しかし、その動きがハワードと名乗った男のステッキで抑えられて阻害した事に気がつく。


 燐の視線が再びハワードへと向いたところで、ハワードはにっこりと微笑んだまま口を開いた。



「まあまあ、そう急がなくともよろしいではございませんか。別にワタクシ、あなた方に危害を加えようとは思っておりませんので、どうぞご安心を。あ、手のひらの解剖がダメなら腕の解剖などいかがでございましょう?」


「……どこを希望されても解剖なんてされたくないですけど」


「おや、左様でございましたか? 仕方ありません。……では、肩と首周りでございますね」


「ダメですっ!」


「ふぅ、頑固なお嬢様でございます。では、そちらの――時野氏はいかがでございましょう? 手のひら、腕、肩がダメとなると、ワタクシ、譲れる場所としましてもせめてふくらはぎあたりか太腿あたりを解剖させていただかなくては、納得できかねるところではあるのですが」


「ダメですっ! 私も時野さんもダメなんですーっ!」


「やれやれ、これは非常に手厳しいお嬢様でございますね。仕方がありません、ここはワタクシ、泣く泣くながらも前座・・のみで我慢させていただくことに致しましょう」



 ――何を言っているんだ、と時野と燐が疑問を抱いた、その瞬間のことであった。


 カラカラカラと音を立てながら滑るようにして自分たちの足下にやってきた、円筒状の何か。

 その先端部分の上下には小さな穴がついており、中から何かを出すような独特の形状をしていた。


 それが何であるか、即座に時野が気が付いた。

 探索者ギルドの所属部隊が利用する装備品の一つであり、対魔物狩猟用の装備品の一つ。

 その中でも最も強力な、致死性の高い毒を発生させる代物である、と。


 ――ここには一般人もいるのに……ッ!

 それらを巻き込みかねないような代物を使ってきた事からも、本気で自分たちを害そうとしているであろう事は明白だった。


 咄嗟に、時野は叫ぶ。



「マズい、息を止めて――!」


「――おやおや。そのように突然動かれてしまいますと、〝せっかく閉じたのに開いて中身が出てしまいます〟よ?」


「……え?」



 咄嗟の叫びは、しかしハワードが店内の一角を見つめて告げた言葉によって遮られた。

 一体何事かとハワードの視線を追うようにして時野が目を向けると、そこには。



「――うが、は……っ!? い、いでえええぇぇぇ!?」


「あ、あぁ……お、おで、ど……ぞ、うぎ……が……っ!?」



 突然身体を切り裂かれたかのように血を流し、ぱかりと開かれた皮膚と骨。

 そこから臓器を落としながら、何名かの男が叫びながら必死に自分のものと言いたげに真っ赤に染まったそれらに向けて手を伸ばしていた。


 明らかに異常な光景。

 グロテスクかつ、残虐なその光景に時野が顔を青褪めさせ、同じくその光景に気が付いた燐がせり上がるものを堪えるように口元に手を当てて顔を逸らす。


 そんな中、タキシード姿のハワードだけが鼻歌混じりにゆったりと歩き出し、投げ込まれたと思しき、探索者ギルドの所属部隊が使う携行型の毒ガス爆弾とでも言うべき円筒状の代物を拾い上げるなり、しげしげと見つめていた。



「ふぅむ……、なるほどなるほど。安全対策のピンを抜かなければ作動しないようでございますね。事故で作動してしまえば助かる命も助からないなんてこともあるかもしれませんから、必要な措置というものでございましょう。そちらの方々はおおかた、こちらに投げ込もうとして、ワタクシの施術痕が開いてしまい、ピンを抜くには至れなかった、というところでございましょう」


「は……、ハワードさん……。もしや、アレはあなたが……?」



 目の前の惨状を当たり前のものであるかのように、さして目を引く程のものではないと言わんばかりに反応も見せずにそんな事を呟くハワードに、時野が震える声で訊ねてみれば、ハワードが柔らかく微笑んだ。



「アレとは、彼らのお腹が開かれ、臓器という臓器が落ちてきたことを指しているのであれば、答えはイエス、でございます」


「……いつの間に……?」


「あぁ、実はワタクシ、このお店に入ってきて一番最初に、店内にいるあなた方を除く全ての者をワタクシめの特殊な魔法――【遅滞解剖室】という魔法で包んでおりました」


「え……?」


「ワタクシの魔法は、指定した空間に作用する麻痺、回復、幻影、幻覚、催眠に睡眠といった多種多様な、いわゆる状態異常を与える魔法でございまして。ここに入ってきた時点で、御二方には幻影と幻覚を。他の方々には麻痺と催眠、睡眠といった異常を与えていたのでございます、ハイ」



 唐突なハワードの言葉に唖然とした様子の時野が目を丸くしていると、ハワードが時野の前に手に取った毒ガス爆弾とも言える代物を置いてから、人差し指をピンと立ててみせた。



「そうしてあなた方のお話を聞きながら、このお店にいる全ての者の腹部から胸元までを解剖していたのでございます、ハイ」


「……は?」


「おっと、どうぞご安心ください。ワタクシが魔法の効果時間を調整しておりますため、一般人の皆様方も無事に全て元通り、それどころか腫瘍を摘出させていただいた方もいらっしゃいますので、さらに健康になる方もいる程度には無事に目覚めます。元々ワタクシ、痛みもなく私の解剖を堪能していただくよう、しっかりとケアにも力を入れているのでございます、ハイ。――もっとも、ワタクシの魔法に無理に抗って動かれてしまいますと、あのように動いた瞬間に再び縫合が外れて開いてしまうのはワタクシの至らぬところでございます、ハイ」


「……つまり、彼らは……」


「えぇ、時野様を襲おうと無理に動いた結果、ワタクシが開いてから鑑賞し、閉じてくっつけていた臓器などがボロボロと落ちてしまったのでございます。ワタクシとしましては、無闇矢鱈に殺すなと我らの敬愛するマスター様に言われておりますゆえ、殺すつもりは毛頭ございませんでした。故に、治癒状態も継続するよう調整させていただいていたのでございますけれど……いやはや、不幸な事故でございます、ハイ」



 ――何が不幸な事故か。

 時野も、そして顔を逸らしながらも話を聞いていた燐もまた、そんな事を思う。


 その話を信じるのであれば、この喫茶店にいる全ての人間が、今、ハワードが魔法による麻痺効果と治癒の併用とやらの展開を止めた瞬間、この場にいる者達が目を覚まし、動くと同時に身体が突然開いて命を落とすということだ。


 そのような真似をしておきながらも、それに気付かせぬ技量も、そんな不可能とも言えるような所業を可能にしてしまう腕前も。

 そして何喰わぬ顔をして自分たちに話しかけ、今では物言わぬ屍と化した襲撃犯たちと思しき者たちには興味すらないと言わんばかりに、自分たちのみに話しかけてくるという精神性。


 時野、それに燐にとって、ハワードは実に理解し難い存在であると言えた。



「一般人を殺しても、なんとも思わないんですか……」


「ご安心くださいませ。一般人はワタクシめの魔法には抗うことなど不可能。完全に回復した後に勝手に目を覚ましますので、死ぬことはありません、ハイ」


「それでも、何かあって死んでしまったら――!」


「――おやおや、それは不幸な事故でございます、とだけ」



 ――狂っている。

 そんな感想を素直に抱いて、時野も燐も言葉を失う。


 しかしその一方で、時野は冷静にハワードという男の力量を評価していた。


 明らかに常人ではない。

 探索者である燐ですら気取れていない間に施したという麻痺と解剖。

 その手腕からも、間違いなく力を持つ存在であろう事が窺えた。


 さらにハワードの言葉を聞いたところによれば、目的は一緒であり、利害関係は一致しているように時野は思えた。


 これが探索者ギルドの裏切者を釣り出そうとする罠の可能性も否定しきれないが、その可能性は低いだろうというのが時野の予測だ。

 そもそも先程までの会話を聞かれていたとなれば、最初からこのような会話ではなく、自分は殺されていただろう、とも思う。


 先程、燐にも時野自身が伝えたことではあるが、時野には協力者と言える存在があまりにも少ない。

 まして、燐たちのような真っ当な探索者を、探索者ギルド内を牛耳る一派と敵対させ、これ以上裏側の世界に引きずり込むのは気が引ける、という思いもあるからこそ、手切れを言い渡したのは確かだ。


 その点、いかにも荒事に慣れていそうなハワード。

 そして、そんな彼を従えているというマスターと呼ばれる存在が協力者となってくれると言うのであれば。


 リスクがあるのは間違いないが、しかし時野は決断した。



「……ハワードさん。あなたのマスター様とやらに、お会いさせていただきたい」


「っ、時野さん!?」


「承知致しました。それではワタクシめが、我らのマスター様のもとへとご案内させていただきます、ハイ。ついて来ていただけますかな?」


「……畏まりました。行きましょう」



 背を向けて歩き出すハワードの後ろについて行くように、時野が立ち上がり、足を踏み出す。



「待ってください、時野さん……! あまりにも危険です!」



 燐には時野の気持ちが理解できなかったのだ。


 ハワードという男が、あっさりと、それもなんの躊躇もなく人の命を玩具にするかのようにやっているという行いも、それによって生み出された光景も、どう考えてもまともなものではない。

 そんなものを目にすれば、当然ながらにそんな相手を信用しよう、とは思わないはずだと考えていた。


 しかし、それはあくまでも燐の立場だからこそ選べる選択肢に過ぎない。

 時野にとっては、そのような危険な力であっても、抗うためにはどうしたって手に入れたいと考える代物であり、リスクを承知で踏み込むだけの価値があった。



「……佐倉さん。先程の報酬を使って、なるべく早く関東から離れてください。私を監視し、処理しようとした部隊の者が死んだとなれば、あなた方にも牙を剥く可能性があります。奴らが動き出す前に、そしてここにいる人々が起きる前に、早く」


「……時野さん……」


「巻き込んでしまって、申し訳ありません。ですが、私はもう、止まれないのです。そんな私と、あなたたちは違います。――今まで、ありがとうございました」



 そんな言葉を残して、時野はハワードと共に外へと出て行ったのであった。



「では、案内致しますついでに、やっぱりお腹を解剖させていただいても?」


「……佐倉さん、判断を間違えたかもしれません」



 店を離れて数歩。

 たったそれだけで、早くも時野は己の判断が誤ったものだったかもしれないと思うことになったのは、ある意味当然の流れとも言えた。






◆――――おまけ――――◆


しそー「いや、引くわ。なんだこいつ」

おーが「笑えなすぎて不毛地帯」

うおー「……コイツ、灰谷なんかよりよっぽど狂ってやがる……」

しそー「というか、しれっと解剖済みってのが一番こえぇよ……」

おーが「眠っている間に解剖されて治されて、目が覚めても自分は気が付かないとか」

うおー「なんか埋め込まれてそうじゃね?」

しそー「おーいー」

おーが「やーめーろーよー! なんかヤベーの埋め込まれてそうでこえーじゃんよー!」

うおー「なんだコイツら、いきなりガキみてェなリアクションしやがって」




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