邂逅 Ⅱ
御神はその白銀の少年を見て、思い出す。
あの時、存在に気が付き、心が折れた『ダンジョンの魔王』に対する記憶。
いつその牙が剥かれるのかと考える度に、恐怖と不安で眠れなくなる日々を過ごす事になった。
目立たない一人の生徒、〝彼方 颯〟の姿を利用して潜んでいたという『ダンジョンの魔王』は、恐ろしい量の、それこそ人間離れした魔力を濃縮させていた。
故に、白銀の少年が現れた瞬間、御神は行動していた。
たとえ見た目を変えていたとしても【魔力視】を前にすれば、その正体を見破るのは容易いだろうと、驚愕している自分とは裏腹に冷静に理性が判断し、【魔力視】を発動していた。
結果――あの白銀の髪の少年はリーナと名乗る少女と同様に、【魔力視】で見ても、一切の魔力が感じ取れない。
魔力を持つ者であれば有り得ない反応に、そしててっきりかの『ダンジョンの魔王』と同様の凄まじい魔力を有しているのだろうと予測していたがために、一瞬その差異に理解が追いつかなかった。
一方、長嶺もまた突如として現れたその存在を前に戸惑っていた。
ヴィムと呼ばれた大男を見て感じ取った、戦ってはならない相手だという直感。
その直感は少年の存在を知覚したその瞬間に上書きされた。
――あれは、ダメだ。
自分の中の何かが、叫ぶように訴えてくる。
攻撃をしたら、殺される。
下手に機嫌を損ねるような真似をすれば、その瞬間に矛先が向けられ、無造作に攻撃をされる危険性がある。
そんな可能性がある以上、声を張り上げることも、逃げ出すことさえも躊躇われた。
唖然とする御神と戸惑う長嶺との間に生まれた僅かな間。
その間を破るように、後方から聞こえてきた足音が響いてくる。
「――副隊長!」
「遅くなりました、っと……おや?」
白銀の髪をした少年と、そんな少年に向かって片膝をついて忠誠を誓っているかのような大男。それに大鎌を持った少女。
そんな不思議な面々を、転がっている人であったものたちを挟んで見つめる、御神、そして長嶺の後方からやってきたのは、木下と藤間の二人であった。
そんな二人をカプセル状の装置の上、しゃがみ込んだままだった少年が立ち上がりながら一瞥すると、ふとその姿が消えた。
どこに行ったのかと逡巡する間もなく、次の瞬間には膝をついた大男の前に現れており、その肩に触れていた。
「ヴィム、ご苦労さま。キミがリーナと一緒に行動してくれて助かったよ」
「……あなた様の命令とあれば、喜んで」
「あはは、相変わらず堅いな、キミはさ。もっと気楽でいいって言っているだろう?」
「そうはいきません」
「いいから、ほら、立って」
頑なに頭をあげようとせずに膝をついたままのヴィム。
そこまでしても現れた少年の胸元に頭がきているのは、ヴィムの背が大きいこともあるが、その少年の身長もまだまだ低いせいか。
ともあれ、そんな少年に促された以上、いつまでも頭を垂れ続けるという訳にもいかず、些か困ったような表情を浮かべてヴィムがゆっくりと立ち上がる。
そんな姿を白銀の少年が満足げに見つめていると、ふわりと少年の背後からリーナが飛びかかるように抱きついた。
「お兄様っ! なぁに? リーナを迎えにきてくれたのー!? きゃーっ、うれしー!」
「おっと、あはは、相変わらず元気だね、リーナは。まあ形としてはそうなるかな? ここに用事があったっていうのは確かだね。今から扉を出すから、ちょっと待っててくれるかな?」
「はーい!」
「ヴィム。僕はそっちの人たちに少し話があるから、リーナを連れて先に戻っていてくれるかい?」
微笑みながらそんな言葉を口にして、少年が虚空に手を翳す。
すると、まるで四角く空間を切り取ったかのように、淡い光を放ちながらその場所が揺らめき出した。
その光景に、長嶺ら一行は思わず息を呑んだ。
その特徴的な光と揺らめくようなその光景は、非常に見覚えのある光景だったからだ。
「……あ、れは……ダンジョンの入口と同じ……?」
藤間が思わず口にしたその言葉は、長嶺たちが感じたものと同じものだ。
どこのダンジョンも、入口となるその場所には観音開きとなっている石造りの巨大な門を象ったようなものが現れる。
その扉が開かれたような形となっており、扉の向こう側に向かって存在している光の揺らめきを潜ることで、初めてダンジョンに入ることができるのだ。
少年が生み出したと思われるそれは、まさにその扉の向こう側にある光の揺らめきと全く同じものであった。
驚愕に目を剥いた一行を他所に、白銀の髪の少年はリーナの頭を撫でてあげてから、そっと背を押すように光を潜らせる。
素直に笑顔で応じ、大鎌を担いで歩いていくリーナに続いて、巨大でギザギザと突起するかのような刃が片面についている大剣を床から引き抜き、ヴィムもまた目礼してから去っていく。
それらを笑顔で見送ってみせた白銀の少年の視線の向こう側で、ダンジョンの入口と同じような光は虚空に溶けていくかのようにすっと薄れるように消えていき、その場には一人、白銀の少年だけが残された。
やがて少年は小さく一息ついてから、ふと長嶺や御神ら一行がいる方向へと振り向いた。
「僕の仲間が迷惑をかけて悪かったね。これはお詫びの印ということで、受け取っておいてもらえるかな」
そんな事を言いながら山なり放り投げられたのは、液体の入った瓶であった。
独特な形状に、淡く青みがかった光を放ったそれを受け取った二人は、その正体に気が付いて思わず目を丸くした。
「これ、回復
「はぁ!?」
最上級回復魔法薬は、肉体の欠損症状ですら瞬時に回復させ、例え心臓が止まりかけていたとしても、たった3滴程度投与しただけで身体が全回復するという、世界全体でも2回程度しか発見されていないポーションだ。
最上級の回復魔法薬という代物は、そもそも世に出回ることは滅多にない。
今まで世の中に出て回ったのは、下層を探索していた探索者クランが深層へと続く『
その効果から実物の画像は世に出回っていたが、その回復効果の高さと、たった数滴程度で一瞬で瀕死の傷も完全に癒やすという回復効果から、世の権力者、金持ちたちがいざという時のために手に入れておきたいという考えから、数千万円から億単位に届く価値がつけられて取引されたという。
一つの瓶に25ミリ程度しか入っていないような小さなものではあるが、二人の傷を治す程度であれば、それぞれに1滴垂らすだけで事足りるような代物である。
そんな代物を気軽に放り投げて渡されたことに驚いた長嶺の言葉に、木下が思わず声をあげ、対する白銀の髪を持った少年は笑ってみせた。
「その程度の薬なら、すぐに手に入るよ。だから遠慮せずに受け取ってほしいな」
「え……?」
「ダンジョンの奈落中層あたりからは、むしろその程度のポーションは
「な……ッ!?」
あっさりと、事も無げに奈落中層という人類では到達できていないとされる深部の話を語る少年。
そしてそんな場所へ、気軽にコンビニに買い物に行くとかのような物言いで「なくなったらまた取りに行けばいい」と言い切ってみせるその姿は、決して誇張を口にしているか、あるいは妄想を語るような類ではない、純然たる事実を口にしているといった様子であった。
そんな言葉に目を丸くする一行。
ダンジョンの深層の先、奈落の情報というのは非常に大きな情報だ。
その情報をどう尋ねるか、あるいは、協力してもらって探索したり、取得物を買い取らせてもらうというだけでも、恩恵は凄まじいものだ。
どう交渉をするべきかと考える藤間と木下であったが――しかし、予想もしていない方向に事態は動き出した。
白銀の少年の説明が終わったその瞬間、長嶺が最上級回復魔法薬の瓶の蓋を開けて飲み干したのだ。
唖然とする二人の前で、長嶺の身体が淡く光を放つ。
その光景に少年以外の面々が言葉をなくしていると、光が消え、肌のハリと瑞々しさが強まり、髪までもがツヤツヤと輝いた長嶺が自分の腕を見て、頬を触り、口角をあげた。
「……ちょっ、え!? 副隊長!?」
「の、飲みやがった!?」
まさかそれ程の価値のものを飲み干すとは思いもしなかった藤間と木下の悲鳴にも似た声が上がる中、長嶺は自分の頬をむにむにと触ってみたり、身体のあちこちを見て満足そうに息を吐いた。
肌艶に髪の艶。
それだけじゃなく、身体的な不調と言えるような肩凝りなども含めたものまで消え去っている事に気がついて、長嶺がむふーっと鼻息を吐き出した。
「……これは、すごい。みかみん、ぐいっと。貰ったのは私たち。つまり、使うべきは私たち」
「え、あ、はい」
「ああぁぁぁっ!? 御神ちゃんまで!?」
「マジかよ……! あれ一本ありゃ、安心して任務に取りかかれるってのに……!?」
「……っ、これ、凄いですね……」
「うん、ホント。定期的に飲みたいレベル」
「え、こわ。副隊長、定期的に時価数千万の魔法薬飲むつもりとか、こわ」
「あはははっ、キミたち、仲いいね」
はっと我に返る4人に向かって、白銀の少年は心底楽しげに笑って再び何かを投げて渡す。
4つ投げられたそれらは、確かに今、長嶺と御神が口にしたものと同じ最上級回復魔法薬だった。
「そっちはお詫びも兼ねてのものだと思ってくれると嬉しいかな」
「お詫び?」
「そう。ヴィムとリーナがもう少し早くここに到着していたら、そっちの白い服の人たちを助けられたんだけどね。間に合わなかったからね」
そう言いながら僅かに悲しげな表情を浮かべてみせた白銀の少年。
その姿は、かつて御神の見た『ダンジョンの魔王』とは全く違う、どこか酷く人間味のある表情だ。
だからこそ、御神はここでようやく確信する。
――あの少年は、『ダンジョンの魔王』とは別の存在なのだ、と。
だが、そうだとしてもあまりにも顔が酷似している。
御神もまた、かつて丹波らがぶつかった疑問――即ち、〝『ダンジョンの魔王』は彼方 颯の死体を利用した。故に同じ顔であるはず。なのにまた一人、彼方 颯と同じ顔をした人物が目の前にいる〟という事に疑問を抱いていた。
もしも問いかけたとして、この白銀の少年は答えてくれるかもしれない。
そんな一縷の望みを胸に、御神が口を開いた。
「……あの、訊きたいことがあります」
「うん? なんだい?」
「あなたのその顔は、本当にあなたのもの、ですか?」
「え?」
「みかみん、どういう意味……?」
その言葉が何を意味しているのか、事情を知らない長嶺たちには理解できなかった。
しかし、この場においてただ一人、御神以外に唯一その質問の意味を正確に理解していると肯定するかのように、白銀の少年は一度小さく頷いてみせた。
「その質問をしてくるという事は、キミは
「……はい」
「けれど、まだ真相には辿り着けてはいないようだね。……うん、じゃあこれをあげるよ」
そう言いながら白銀の少年がポケットから何かを取り出して放り投げる。
御神の手元に届けられたそれは、一つの黒いUSBメモリであった。
「これは……?」
「キミの疑問、そして僕らという存在の足がかり程度にはなるヒント、というところかな」
「ヒント……」
「ただし、それを見たらキミは――そしてキミたちは、二度と引き返せなくなるだろう。それぐらいの情報だよ。もしかしたら、キミたちが信じて見ている世界が壊れるかもしれない。がらりと物事に対する考え方が変わるかもしれない。でも、真相はそこにある。それを見たことで、キミたちの中にある確固とした何かが壊れたとしても、僕は責任なんて取れない」
「……どういう意味ですか?」
「うん、その疑問はもっともだ。ただ、これ以上はまだ早いかな。キミが、キミたちがそれを見るのなら、あるいは答えてあげることもできるかもしれない。もちろん、怖くなってそれを見ないと選択しても構わない。ただまあ、それを廃棄する時は、必ず他の誰かに見られることがないよう廃棄してくれると嬉しい」
そこまで言って、白銀の少年が虚空へと手を翳し、先程と同じようにダンジョンの入口を思わせるような光のゆらめきを生み出すと、長嶺や御神らに背中を向けて、歩き出す。
あと半歩でそこに踏み込む、というところで、少年が何かを思い出したかのように、背中を向けたまま告げた。
「――あぁ、そうそう。それを見るかどうかとは別として――探索者ギルドと、その協力者たちには気をつけることだね」
「え……?」
「今日、ここに『大自然の雫』クランが来るっていう情報が漏れていたんだ。だから僕らはここに来た、という話さ」
「――ッ!?」
それだけを置き土産に、手をふりふりと小さく振って、白銀の少年は光の揺らめきの中へと姿を消したのであった。
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