邂逅 Ⅰ




 到着と同時に目にした外観は、円形のドーム状の建物であった。

 すでに調査チームが入っていたおかげで、扉は開放されているようだが、厳重かつ重厚な扉が設置されている事が見て取れた。

 そんな扉を抜けて内部に足を踏み入れると、その建物の内部は床から天井までが全て白で統一されており、壁には電源の入っていないディスプレイのようなものが埋め込まれているようにも見えた。


 中に入ればいかにも研究所らしい清潔感と無機質さとでも言うべきか。

 そんな建物内に響き渡る、轟音、断末魔の叫び声、悲鳴、そしてまるで高笑いするかのような哄笑。


 それらを耳にしながら、長嶺と御神は用途不明施設の中を駆け抜ける。



「この造り、見覚えがある」


「そうなんですか?」


「うん。しばらく前に入った、山梨の山中にあった施設と似てる。多分、まったく同じ造り」


「造りが、まったく同じ?」


「そう。基礎や防水は立地や地盤の影響もあるけれど、上モノ――つまり建物だけは同じ設計、同じ建材にすることで、工期を短縮して数を用意できるようにしてる。多分、山梨の研究所を建てたのとここを建てたのは、背後にいる存在が同じ存在だと思う」


「同じ研究所をわざわざ建てる意味があるんですか?」


「そもそもこんなところに研究所があるなんて許認可もなかった。だから間違いなく、ここは秘密裏に建てられた場所。迅速かつバレないように進めるための工期短縮が可能な造りにしている、という可能性が高い」


「っ、そういう……――っ、副隊長」


「……うん。音が止んだ。警戒は怠らず、しっかりついてきて」



 軽い情報交換は、長嶺なりの教育だったのだろう。

 御神に対し、どういった情報を見るべきなのか、ここまででどのような推測が立つのかということを、口数の少ない長嶺には珍しく、一つ一つを丁寧に説明していく。


 そんな長峰の教えを耳にしていた御神が、先程まで響いてきていた音が、声が止んだことに気が付いたのは、入口から真っ直ぐ直線的な通路を進んだ先、ちょうど丁字路にぶつかったところであった。

 右へと曲がった長嶺を追う形で、御神も進む。


 そうして進んだ先、正面に巨大な扉が開かれており、その中へと足を踏み入れ――そうして、思わず二人は足を止めた。


 巨大なカプセル状の何かが大量に置かれていた広い室内。

 中には黄色がかった液体が満たされているのか、ぼんやりと光を放ってはいるものの、中には何も入っていないようにも見える。

 カプセルの幾つかは割れてしまったようで、鋭利な破片が散らばり、その周囲を濡らしている。


 太く長いケーブルがカプセルとカプセルの間で束となってまとめられており、二人の正面の通路以外は歩くために整備されているとは到底言えなさそうだ。


 そんな二人の視線の先。

 カプセルの立ち並ぶ広い室内の奥、開けたその場所は、死屍累々と呼ぶのが相応しい。

 つい先程まで聞こえていた轟音も、声も、全てが消えたのは、その光景を見れば理由はすぐに理解できる。


 血の海、人であったものがあちこちに転がっていた。


 先ほどまで戦いが起こっていたのは明白だが、『大自然の雫』の調査チームは服装を統一していたのか、白いジャケットを身に纏っていたらしい彼ら彼女らは、その死因となった傷の種類が豊富だ。

 切り傷か、あるいは魔法攻撃によって焼かれたか、貫かれたか、といった生々しい傷跡がいくつもついている。


 しかし一方、いくつかの別の遺体はそうではなかった。

 おそらく襲撃した側と思しき者たちは服装に統一感はないが、何故か首を一直線に刈り取られたかのようなものが妙に多かった。


 そんな光景の向こう側。

 巨大なギザギザと尖った刃がついた大剣を床に突き立てられており、その側面に背中を預けるように巨躯の男が座っている。


 そうして、ちょうど長嶺と御神の視線が向けられたことに気が付いたようで、ゆっくりと顔をあげた。



「……新手か?」



 地を這うような、低く、それでいて太い声。


 短くツンツンと立っている髪。

 顔の右半分、口から上を隠すようにつけられた仮面をつけたその男は、鋭く赤い目を剣呑に輝かせて、長嶺と御神を睨めつけた。


 瞬間、その目に宿った光を見て何かを感じ取った長嶺が、叫ぶ。



「――ここは放棄する! 最優先で逃げて、みかみんッ!」



 彼女らしくない鋭い声をあげながら、腰に下げていたナイフシースから短剣を引き抜いて、すぐに腰を落とす。

 だが、それは襲いかかるためのものではなく、追わせないためのものであるようで、その場からは動こうとはしなかった。御神を逃がし、自分は足止めしようという魂胆なのだろう。



「副隊長っ!?」


「いいから急いで!」




 しかし――――




「――あはっ、その首、もーらいっ」


「ッ、く……ッ!?」




 ――――刹那、耳元で聞こえてきた少女のような声に、御神は咄嗟に前転するように頭を下げて飛び込めば、ほぼ同時に、御神の首のあったその場所を、風切音を響かせて鋭利な刃が虚空を斬り裂いて通り抜けた。


 その刃を振るった何者かが着地する。



「あれー? 避けられちゃったー」


「……少女……?」



 前方の巨躯を誇る男はすぐに動くつもりはなさそうだと判断した長嶺が、咄嗟に御神のフォローに回って御神を襲った相手との間に飛び出して、その相手を見て小さく呟いた。


 そこに立っていたのは、一人の少女だ。


 金色の長い髪を頭の左右、高い位置でまとめたているいわゆるツインテールと呼ばれる髪型で、ほぼ漆黒に近い紫がかった光沢を放つゴシックドレスに身を包んだ少女。

 右眼を隠すように黒い布を斜めに巻いているらしいその少女は、御神が死角からの一撃に反応し、避けてみせたという事実に緑色の左眼を僅かに丸くして不思議そうに小首を傾げている。


 振るわれたのは、深い藍色がかった色合いの巨大な刃を有する大鎌だろう。

 つい今しがた、多くの者を断ち切ったであろう事を示唆するかのように赤黒い血の痕が付着していた。


 ――この子供が、首を刈ったの……?

 長嶺に庇われながらも立ち上がった御神は、自分たちを前に微笑みながら声をかけてきた金髪の少女を睨みつけながらもそんな事を思う。


 最初の一撃。

 気が付けたのは、運が良かったからだ。


 幾つも転がる人だったものたち。

 首を一撃で刈り取られているような痕跡は、正面の巨躯の男の得物を見る限り、そちらの仕業とは思えなかった。

 さらに、たまたま御神の視界の横、そこに佇んでいたカプセルに影が差し込み、何かが動いたと気が付いた。

 故に、声が聞こえると同時に即座に飛び込んで、なんとか避ける事に成功した。


 明らかに自分の首を狙った一撃。

 その鋭さから、転がっている死体の中でも首のないものは、この少女によって生み出されたものである事は想像に難くない。


 しかし少女は、お世辞にも本気で戦おうとも、そもそも殺気の一つすらも滲ませた様子はなかった。



「あはっ! おねーさん、やるねー? あっちのよわよわさん達とは大違いだねー?」



 楽しそうに左眼を輝かせて笑顔を浮かべ、まるで面白い玩具を見つけたかのような物言いで少女が告げる。

 やはり、首を刈り取って殺したのはこの少女であるらしいと御神も、長嶺もまた確信する。


 しかし、そもそもこの場はいわば、襲撃してきた敵の集団と『大自然の雫』という二つの勢力での衝突が起こっていたはずだ。

 目の前の少女、そして前方で未だ動こうともしない大男が敵の集団を殺したというのなら、『大自然の雫』の味方の可能性もある。が、そんな存在であったなら、はたして問答無用に死角から首を狙うはずもない。


 正体が全く掴めない状況に混乱しながらも、長嶺は静かに口を開いた。



「……何者?」


「んふ、ひ・み・つ。教えてほしかったらぁ、もうちょーっとリーナと遊んで?」



 笑顔のまま、片手で軽い様子で振るわれた大鎌。

 その一撃をどうにか両手に持った短剣で受け止める長嶺であったが、しかし、長嶺の身体がその衝撃に耐えきれず、さながら車か何かに轢かれでもしたかのように、勢いよく斜め後方へと吹き飛ばされ、近くにあったカプセル状の装置にぶつかり、動きを止めた。



「ッ、副隊長!?」


「がは……っ、ぐ……。みかみん、受けちゃダメ。その子の力、普通じゃない……!」


「やーん、普通じゃないなんてひどーい。リーナ傷付いちゃう~。あははっ!」



 微塵も傷付いた様子もなく、一人称でリーナと名乗る少女はそのまま標的を御神に変えて大鎌を振るう。

 咄嗟に【魔力視】をして避け――ようとして、御神は驚愕して目を瞠り、行動が遅れてその大鎌を回避しきれずに腕を抉られた。



「が――ッ!?」


「みかみん!」


「んぅー? あっれー? 今のは当たるのー? あはは、変なのー」



 腕を抑えながら下がる御神を見て、リーナが可笑しそうに笑う。

 そんなリーナを見つめながら、御神は今しがた感じた違和感を言語化して口に出した。



「副隊長、この少女……魔力が、ありません……!」


「……ッ、どういうこと……?」



 大鎌を振り抜く膂力があるようには到底見えない、細い腕に華奢な身体つき。

 そのようなアンバランスさを保てるのは、探索者のように位階を上げ、魔力を扱えるようにならない限りは有り得ない。


 上昇した位階は常に身体の周りに魔力を纏うものだ。

 それは誰であっても例外ではない。

 だというのに、目の前の少女――リーナと自分のことを呼んだらしい少女からは、それらしいものが一切感じられないのだ。


 腕を庇うように鮮血を流しながら後退する御神に、しかしリーナという少女は追撃に動くこともなくくるくると手を使って大鎌をゆっくりと回して笑っていた。



「あはっ、まりょく、ねー。あ、おねーさん【魔眼】持ちー? リーナも持ってるよー? ほーら、こっちの眼。うふふ、こっちの眼は紫色なんだー」



 前髪の下に巻いていた黒い布を外してみせた少女が、その右眼をゆっくりと閻く。

 しかしそこにあったのは少女の言う通り、左眼とは全く違う色合いの紫色をしており、虹彩の大きさも左眼よりも僅かに小さいように思えた。



「ッ、色だけじゃなくて、瞳の大きさが違う……?」


虹彩異色症ヘテロクロミア……? でも、【魔眼】は基本的に先天性のもの。片眼だけ色が違って、大きさも違う。そっちだけが【魔眼】を持っているなんて、まるで……」


「あはっ、そっちのおねーさん、だいせーかーい。これはねー、後から埋め込まれたのー」


「後から埋め込まれた……!?」



 その言葉は、本来であれば有り得ない・・・・・


 確かに【魔眼】は所有者の眼球を移植すれば他の者も使えるのではないかという研究が、かつて海外で行われた事もあった。

 しかし、結果としてその実験は失敗に終わった。

 被験者が強い拒絶反応を引き起こして死んでしまうというケースが相次いだのだ。


 この実験のために死刑囚として刑が確定している者らを使ってはいたものの、その非人道的な行いに国内はもちろん、周辺国からも批判の声が相次いで、研究そのものが凍結されたのは有名な話だ。



「もう、今思い出してもホントサイアクだったよー。お兄様・・・が助けてくれたあとで、お返しに全員指から順番に斬り落としてあげたからー、リーナ的には充分仕返しはできたけどねー? でもでもー、まだまだ終わりじゃないからー――」


「――リーナ」


「んー? なぁに、ヴィム? あっ、ダメだよっ? リーナの獲物だからねー!?」


「違う、そんなことを言いたいのではない」



 先ほどから黙りこくっていた大男が声をかければ、やはり交流のある仲間であるのか、お互いを知った様子で会話が始まった。

 御神がリーナを、長嶺がそんな御神の後ろに移動し、反対にいるヴィムと呼ばれた大男を睨む中、ヴィムと呼ばれた男はどうにも呆れた様子でため息を吐き出した。



「喋り過ぎだ。俺たちの目的はお喋りなんかではない」


「えー、いいじゃーん。だって、どうせ殺すんだよ?」


「……そもそも、先程からどうもおかしい。そいつらは俺たちの獲物じゃないように思えるんだが?」


「えーっ? なんでなんで、どうしてよー! ねえ、おねーさん。あなたたち、リーナの敵でしょ? そうなんでしょ?」


「……え、っと……」



 自分たちに訊ねられても、そもそもこの二人の目的が判らないというのに、肯定も否定もできるはずもなく、御神が思わず口籠る。


 御神もまた、この二人が尋常な相手ではない事はすでに理解している。

 敵対したくはないが、かと言って何が危険かも判らないような状況では、下手に答えて火に油を注ぐ事になってしまっては本末転倒だ。


 どうするべきかと葛藤する御神と背中合わせとなっている長嶺が、御神に代わってゆっくりと口を開いた。



「私たちは、ダンジョン庁所属。魔力犯罪対策課、第4特別対策部隊」


「だんじょんちょー? えー、リーナしらなーい」


「……すまんが、一つ、確認させてもらいたい」


「分かった。機密でなければ答える」


「大したことではない。おまえたち、探索者ギルドからの依頼で動いているのか?」


「違う。私たちは探索者クランである『大自然の雫』からの要請で、この施設の調査協力でやってきただけ。どこかの誰かに息をかけられている訳じゃない」


「……『大自然の雫』ってのは、そっちの白い制服の方か?」


「そうなる」


「そうか。なら、俺たちが敵対する必要はないな……」


「えーっ!? なんでよぉ、ヴィムぅ!」



 リーナがヴィムに抗議するためだけに御神、長嶺の頭の上を飛び越えて合流し、ヴィムを見上げて声をあげた。

 そんなリーナを見下ろす格好となったヴィムが、ため息混じりに口を開いた。



あの御方・・・・の命令に背くつもりか?」


「うぐぅ、そ、そんなつもりはないけどー……っ!」


「なら、余計なことをするな。一番・・になりたいというのに、評価を落としては本末転倒だろう。他の連中もしっかりと任務をこなしているはずだ」


「むー……っ」



 その光景に、もしかしたら助かったのかと、長嶺と御神がそっと胸を撫で下ろす。

 しかしその時、ヴィムの目が長嶺へと再び向けられた。



「――だが、必要以上の情報を知られた以上、生かしておく義理もない、か。俺たちがここに到着した時には白い陣営はすでに全滅していたが……その戦いに巻き込まれたのが二人ほど増えた・・・・・・・ということにしておくとしよう」


「……あはっ! ヴィムってば、分かってるぅ~! じゃ、リーナがやるね!」


「みかみんッ、逃げ――!」






「――はいはい、そこまでだよ。ヴィム、リーナ」






 響いてきた中性的な声。

 その声に、今にも飛びかからんと腰を落としていたリーナの動きを止め、泰然と構えていたヴィムもまた驚いたように目を剥いて、声の方向へと振り返り、そして即座に片膝をついて頭を垂れた。


 幾つもあるカプセル状の装置の一つ。

 その上でしゃがみ込み、立てた膝の上で肘をついて曲げた手に顎を乗せている、一人の少年。


 白銀色の髪に、蒼い瞳。

 白いスキニーパンツの下にブーツを履いて、灰色のシャツに袖なしの白いロング丈パーカーを着込んでおり、苦笑めいた笑いを浮かべている。


 しかしその一方、御神は目を瞠り、その場で唖然としていた。


 かつて御神が間近で見た、『ダンジョンの魔王』。

 彼と全く同じ顔をした少年が、その場に姿を現したのだから。





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