行動開始




 今回の調査における『大自然の雫』から指定されていた合流ポイントは、かつてはキャンプやバーベキューなどで利用されていた川辺にほど近い、広々とした駐車スペース跡地だった。


 人が入らなくなって久しく、自由に伸びた雑草らを雑に払っただけというところか。切られて間もないまだ青々とした葉が、多くの車両や人の侵入によって踏み潰されているのが見て取れる。


 そんな場所へと入っていくSUV車と部隊用司令部のバスに、『大自然の雫』の面々と思しき者たちからの視線が集まってくる。

 そこへ、長嶺、木下、藤間、そして御神の順でバックドアから降り立ち、同時に助手席からも水都が降り立った。


 冬が終わり春になったにも関わらず、山特有の冷たく澄んだ空気が風に乗って運ばれてきて、少々肌寒い。

 御神がそんな事を思いながら歯を噛み締め、肌寒さに耐えながら水都らに続いて駐車スペースの奥へと進んでいくと、そこにテントが立てられた一角があり、一人の女性が周囲の者たちにテキパキと指示を飛ばしている姿が目についた。



「テント、ですか?」


「仮の作戦司令部だ」


「作戦司令部?」



 水都の口から返ってきた単語に御神が訊ね返せば、水都は小さく頷いた。



「今回の調査対象は用途不明施設とは言ったが、その大半は何かしらの研究を行っている施設であるケースが多い」


「研究……」


「そうだ。そうなった場合、消されたデータをサルベージする必要があったり、場合によっては資料を持ち帰ろうとしたところで襲撃を受けたケースもある。そのため、バックアップを早めに複製して仲間に先んじて送っておくなど、物理的に移動するよりもこの場所で対応した方が確実であるケースも発生する。そういった事情もあり、機材なんかを車で移動できる範囲まで持ち込み、そこで臨時の仮設型作戦司令部を作り出して待機するというのが主流になっている。場合によってはここから機材も持ち運ぶ事もあるな」


「なるほど……」


「それに加えて、襲撃された場合の医療用テントとしての役割もあるが、な。まあその辺り含め、備えは万全に、ということだ」



 そこまで告げたところで、テント――仮設の作戦司令部前でテキパキと指示を出していた女性が水都らに気が付いた。


 眼鏡をかけ、ショートカットの黒髪をヘアピンで軽くまとめている女性。

 オーパル型の縁のない眼鏡をつけた女性が御神らに気が付くと、僅かに驚いたように目を丸くしてから軽く目礼する。


 そうして若い部下に指示を飛ばし、部下が駆けていった後でようやく御神らへと身体を向けた。



「……ダンジョン庁、魔力犯罪対策課の方々ですね?」


「はっ。魔力犯罪対策課、第4特別対策部隊、隊長の水都みなと 朱里あかりです。本日はよろしくお願いします」


「……はあ。やめてください、水都先輩。ご無沙汰しております」


「……くくっ。いかんぞ、先輩だの後輩だのは仕事には関係のないことだ。ほれ、名乗ってくれ」


「……『大自然の雫』、サブマスターの丹波になみ 雪乃ゆきのです。本日は調査同行依頼に応じてくださり、ありがとうございます。……やりにくいので勘弁してください」


「ふっ、そうか。なら、お言葉に甘えてそうさせてもらおうか」



 既知の仲であるらしい二人のやり取り。

 その事を知らなかったのは御神だけではなかったようで、藤間や木下、上野はもちろん、長嶺すら僅かに目を丸くしていた。


 水都は今年28歳であり、丹波はその二歳下となる26歳。

 実はこの二人、養成校を卒業後に一時期お互いに組んで探索者として活動をした事のある旧知の仲であったのだ。


 探索者ギルドには、新人探索者などに対し、歳の近い先輩探索者をしばらく同行させ、信頼のできる探索者や、危険な探索者の情報共有や見分け方を教えたり、学生時代では分かりにくい探索行動時の生の知識や、ノウハウを教えてサポートするメンター制度と呼ばれる制度が存在している。


 養成校を卒業後、メンター制度を利用するのは基本的に女性探索者が多い。

 というのも、ダンジョン探索中の犯罪――要するに強姦などに対抗するため、女性探索者間での繋がりを作っておくことは、こうした犯行に対する対策の一環としても推奨されているからだ。


 一方、男性探索者もこのメンター制度は利用できるのだが、十代後半、社会に出たばかりの年若い男が、そういった制度を素直に利用する事は少ない。

 自分ならできる、男なんだから大丈夫というような根拠のない自信を持っているため、どうにもそういう制度を利用するのが恥ずかしいという感覚に陥るようである。


 もっとも、そういった根拠のない自信を持つ者が、多少は痛い目に遭いながら学んでいければ良いのだが、その一度の失敗が命を落とすことに直結するのがダンジョンであり、魔物相手に戦うということでもあるのだが。


 ともあれ、丹波が新人探索者として活動を開始したばかりの頃に、このメンターとして探索者ギルドに指名され、同行していたのが若かりし頃の水都であった。


 二人の関係性を不思議そうに見ていた御神らに対し、水都がそんな事を簡単に説明してから、改めて丹波へと続ける。



「――まあともあれ、今回はダンジョン庁と大手クラン『大自然の雫』による合同調査だ。お互い、上も下もない。心配するまでもないと思うが、いくら私が丹波の先輩であり、そんな私の部下だからと言って、もしも横柄な態度を取るような馬鹿がいれば教えてくれ。私がこの手で礼儀と知性を叩き込んでおく」


「ご安心を。こちらもそういう手合い・・・・・・・は慣れていますので。きっと自分たちでどうとでもしますから」


「そうか。ならば、遠慮はいらん、みっちりやってやってくれと伝えておいてくれ」


「……変わりませんね、先輩は。前線を退かなくてはならない程の大怪我を負ったと耳にしていました。右肩から先がなくなるかもしれない、と。ですが、お元気そうで何よりです」


「幸い、良い治療士がいてくれたのさ。だがもう昔のようにはいかん。このザマだからな」



 苦笑しながら右腕を僅かに持ち上げ、そこで止まる。


 かつて、自分に探索者としてのイロハを教えてくれた、尊敬しているとも言える相手の痛ましい姿に、丹波も思わず悲しげに顔を顰めそうになり、ゆっくりと頭を振った。



「……それでも、です。あなたは生きていますから」


「……あぁ、そうだ。あいつらとは違って、私は生きている。残された以上、やれる事はやるつもりだ。だからこそ、今ここにこうして立っている」


「……はい。――すみません、お時間を頂戴してしまいましたね。早速ですが、件の施設について、情報と行動予定を共有いたしますので、中へどうぞ」


「あぁ。長嶺、それと上野。ついて来い。残りはそっちで待機していろ」



 気持ちを切り替えて、水都が長嶺、それにオペレーターの上野を連れて仮説テントの中へと入っていく。

 その様子を見送って、御神は小さくため息を吐いた。


 人に歴史ありとは言うが、水都の過去は御神も概要しか知らない。


 あの日、学校で『ダンジョンの魔王』が姿を現した、あの時。

 御神は「助かった」と思ってしまった。

 それが後になって悔しさへと変わっていったのは、探索者として戦いの中に身を置いているからこそのものだったのだろう。


 圧倒的な力を前に心が折れそうになり、弱々しく「助かった」なんて安堵してしまった。

 そんな弱い自分が、同じクラスの生徒に対して実力が足りないなどと、よくも言えたものだ、井の中の蛙もいいところだ、と恥ずかしくて悔しかった。


 故に、御神は水都にカリキュラム以上の成長のために何が必要なのかを訊ね、師事するようになったのだ。

 水都に鍛えられてきたこの半年足らず、ダンジョンで戦い続け、出てきては課題をもらって、という日々を我武者羅に過ごしてきた。


 そんな自分が信頼している相手である水都の過去。

 それを知ろうともしなかった自分には、過去の断片を見ても何も言うことなんてできるはずもなく。


 同時に、そんな過去が水都にもあったのだと知っていたにも関わらず、その生々しさに思わず息を呑んでしまったのだ。



「――御神ちゃん。養成校を出て、みんなそれぞれ自分の道を進んでいく。でも、少し経ってから、気が付いたら仲の良かった知り合いが死んでた、なんてことは、まあよくある話だよ」


「……それは、養成校でもありましたから」


「ん、そだね。でも、養成校を出るとその確率はぐんと跳ね上がるんだよね、これが」


「え……?」


「学生時代に管理されて、抑圧された反動ってヤツだろうね。なんだか自由になった気分になっちゃうんだろうね。だから、油断する。養成校時代は普通に行き来できた階層だってのに、イレギュラーな事態に遭遇した訳でもないのに仲間が死んだ、なんて話もあったよ。馬鹿なヤツだったけど、死に際までそんなんだったからさ。俺、なんか笑っちゃったんだっけな」



 声をかけてきた藤間の顔を見て、御神は思わず目を丸くした。

 おちゃらけていて、ヘラヘラと笑う藤間らしからぬ、どこか遠くを見つめて寂しそうな目をしている事に気が付いたからだ。


 そんな御神の視線に気が付いたであろう藤間が、御神の方を向いて少々苦い笑みを浮かべたかと思えば、すぐに気を取り直したようにニヤリと口角をあげた。



「だからね、御神ちゃん。俺はそういう悲しい出来事に後悔したくなくて、色々な女性に声をかけているだけ――おわっと!?」


「す、すみませんっ! 失礼します!」



 藤間の言葉を遮るように女性がぶつかる。

 どうやら『大自然の雫』のクランメンバーと思しき若い女性のようであったが、その女性は藤間に向かって謝罪の言葉を口にするなり、再び慌てた様子で駆け出して、仮設の作戦司令部へと入っていった。



「んー? ありゃ何かあったかね?」


「そうみたいですね」


「なんだぁ? ただの調査任務って感じじゃなくなりそうだなぁ、おい」



 近くで退屈そうにしていた木下も空気を察知したのか、ニヤニヤと笑みを浮かべて御神、藤間の二人の元へとやってきた。


 そうして、僅かな時間。

 仮設作戦司令部であるテントの中から上野が駆け足で乗ってきたバスへと向かって駆けていき、僅かに遅れて水都、長嶺が早足で3人へと近寄ってきた。



「――先行していた『大自然の雫』クランの調査班より、襲撃があったと連絡があった。私たちも急ぎ行動を開始する。長嶺、木下と共に前衛で先導しろ。上野のナビゲートが始まるまで誘導を頼む」


「了解」


「おう!」


「御神、おまえは藤間と共に後方を警戒してついていけ。藤間、御神の援護をしながら、警戒の必要なスキルを叩き込め」


「はいよー。御神ちゃん、よろしく」


「よろしくお願いします」


「『大自然の雫』のメンバーの救助を優先、施設は場合によっては放棄する。以上、全員命を無駄にするな。分かったな! ――では、行動開始!」


「ついてきて」


「おう」


「御神ちゃん、行くよ」


「はい」



 すぐに動き出した長嶺と、即応する木下。

 そんな二人に追いつくように藤間と共に御神もまたその場から駆け出した。


 長嶺が向かった先は、かつては遊歩道になっていた道とは全く異なる、深い森が自然のまま放置されていた方向だった。

 背の高い木々が生い茂り、乱雑に生えた木々と不規則に伸びた枝葉が、それらを避けて進む内にあっさりと人間の方向感覚を狂わせる。


 太い木の枝から、さらに前方の木の枝へ。

 さながら忍者のように移動を行うのは、足下の水捌けの悪いぬかるみと、飛び出た木の根を嫌った行動だ。


 そうして進む中で、上空後方から独特なモーター音を奏でたドローンの飛行音が聞こえてきて、同時に左耳につけたオープンイヤー型のヘッドセットから音声が届いた。



《――こちら上野! 目標地点と皆さんの位置情報をリンクさせました。マップ出します! ARレンズを参考に進んでください!》


「さんきゅ、なぎっち」


「さっすが!」


「チッ、思ったよりズレてんな……。副隊長!」


「問題ない。木々を無理に避けての進路修正は無駄に体力を消耗する。この先に川がある。そこで進路を修正して進む」


「了解!」



 短いやり取りでの意思疎通、それに判断の早さ。

 それらを目の当たりにして、御神は感嘆して目を僅かに丸めた。



「御神ちゃん。周辺の敵影確認、できそうかい?」


「っ、すみません。――視ます・・・


「視る?」



 短く告げて、御神が【魔眼】の一種、先天性の代物である【魔力視】を発動させる。


 従来、【魔眼】の長時間発動は魔力の消耗が激しすぎる。

 しかし、短期的な発動を断続的に行う訓練を水都に課せられ、日常生活の中でもそれを繰り返してきた。


 日常生活においても、意図的に瞬きをする度にオンとオフを切り替える。

 そんな動作に連動させて意識を切り替える特訓をしたおかげで、御神の【魔力視】は即座に発動した。


 そして――気が付いた。



「8時方向、魔力反応3! こちらに向かって真っ直ぐ接近してきています!」


《え……ッ、そんな!?》


「――なぎっち、多分みかみんは【魔眼】持ち。8時方向。レーダー無理ならカメラで確認よろしく」


《はい! ……ッ、動いた! カメラ切り替え! サーモグラフィで見つけました! 拡大――『大自然の雫』メンバーではありません! 武器の携行を確認、魔力犯罪者と思われます! おそらく、このまま進めば30秒ほどで接敵します!》


「レーダーに反応がなかったっつーこたぁ、隠蔽系の魔法持ちか?」


「そうなると、ただ挨拶にきた、なんてことはなさそうだね~」


「間違いなく敵の一派。――なぎっち了解。このまま川辺で迎え撃つ。飛び出すと同時に一斉に反転、遠距離攻撃を叩き込む。生死は問わない。それで終わらなければ、藤間、木下で足止め」


「了解!」


「おうよ! ハハッ、盛り上がってきやがったなぁ、おい!」



 これから戦いが始まる。

 その状況に滾っているのか、木下がペースをあげて木々の枝から枝へと飛び移りながら矢のように一気に前へと進む。

 そんな木下を見送り、長嶺が藤間にアイコンタクトを送ると、藤間が小さく頷いて速度をあげて、木下へと追従した。



「みかみん、私たちは魔法攻撃後、確認せずにそのまま移動を継続する。ついてこれる?」


「大丈夫です!」


「うん、じゃあいこう」



 短いやり取りを告げて、二人もまた速度をあげる。


 そうして、長嶺と御神の二人が一斉に森の切れ目、川辺へと飛び出した。


 同時に8時方向に向けて長嶺が風の刃を、御神が氷の巨大な槍を一斉に撃ち込み、先んじて待機していた藤間が炎の竜巻を生み出して追撃する。


 激しく逆巻いた炎の渦の向こう側で動く姿を、再び御神の【魔力視】が捉えた。

 前方へと進む長嶺に追従しながら、御神が声をあげる。



「――敵2! 左右に散って接近しています! 気を付けて!」


「ハッ、やるじゃねぇか、ルーキー! っしゃあ! ここは貰うぜ!」


「男二人、むさいけど頑張りますかね~。副隊長、御神ちゃん、お先にどうぞ。大したことはなさそうだし、アイツら締め上げて向かいますんで~」



 木下、それに藤間の二人を残す形で、長嶺と御神は再び川を飛び越えた向こう側の森の中へと進んでいった。






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