国の対応
東京第1特区――旧東京都奥多摩周辺。
昨年の初夏に起こった、人為的な『魔物氾濫』事件の舞台となった場所だ。
ダンジョン庁の支部建物から東京第1ダンジョン特区に向かう車は、フルサイズのSUV車と、その後ろにマイクロバスを改造している移動式の作戦司令部用の車が追従するという2台編成で向かっていた。
今回の作戦の部隊となる東京第1特区は、自然が溢れていると言えば聞こえはいいが、裏を返せば通信環境に不安のある場所とも言える。そのため、作戦司令部用のバスを動かし、上野と補助員のドローン操縦、通信スタッフが同乗して現地でサポートを行う予定となっているためだ。
SUV車を運転するのもダンジョン庁のスタッフであり、状況に応じて即座に車を動かせるよう、作戦行動中は車内で待機する予定である。
助手席には水都。
後部座席は従来の前向きのものから改造されて横向きとなって設置されており、バックドアから出入りするタイプとなっている。
運転席側に藤間と木下、助手席側に長嶺と御神がそれぞれ左右に並んで座っていた。
そんな移動中の車内、街を抜けて見えてきた自然溢れる光景を見つめている御神に気が付いて、藤間が声をかけた。
「そういや御神ちゃんは特区で育ったんだろ? 外に出る機会は少なかっただろうし、こういう景色を見るのは初めてかい?」
「……はい。ここまで自然溢れる景色というものをこの目で見たのは初めてですが、それが何か?」
「あはは……、ちょーっと待ってね? あの、そんなに警戒しなくたって、なんもしないからね~? もうちょっとこう、フレンドリーな感じとまではいかなくても、警戒感マックスなのはやめてもらえたりすると嬉しいかな~、なんて」
声をかけてきた藤間に、どこか素っ気ない物言いで御神が答えてみせる。
女性を見れば見境なく口説くという水都の言葉を、素直に受け取っているらしい事が分かりやすい。
藤間はそれを見て少々ふざけた態度のまま説得を試みるも、返ってきたのは相変わらずの冷たい視線であった。
そんな御神の態度に、藤間が苦笑を浮かべてから手をひらひらと振って続けた。
「そりゃ、確かにお近付きになりたいなって思う相手には声をかけるようにしているのは否定しないよ~? でも、こんな時代だからさ。次に会った時に、なんて考えていても、間に合わないなんて事もあるかもしれない。だったら、断られるって判ってたって声ぐらいかけておきたいだろ? 後悔したくはねぇからさ」
「……それは、そうかもしれな――」
「――みかみん、耳を貸さなくていい」
思わず納得しかけた御神の返事。
それを遮るように口を開いたのは、腕を組んだままじっと眠るように目を閉じている長嶺だった。
「そいつはそうやって、自分のチャラ男っぷりを正当化しているだけ。相手にする必要ない」
「ちょいちょい! 副隊長、そりゃないって~! これ、割とガチで本音よ?」
「百歩譲ってそれが本音だったとして、色々な相手に声をかける理由にはならない」
「う……っ、そ、それは~……」
「……確かに」
「そういうのが好きで、勝手にするのは構わない。プライベートで好きにやればいい。でも、みかみんはまだ外に出てきたばかり。おまえみたいなクズの毒牙にかかるのは看過できない」
「え、クズ呼ばわり!? ひどくない!?」
「……うるさい。それ以上騒ぐなら、斬り落とす」
「何を!? え、こわ!?」
「ギャーギャーうるっせぇな。心配しなくたって、藤間だってそんなガキにまで手ぇ出すつもりはねぇだろ。コイツ、女は出るとこ出て色気があってナンボだって豪語してるしよ」
「ちょっ、木下くん!? フォローどころか横から刺すとかやめてもらえるかなぁ!?」
横合いから呆れたように声をあげたのは木下だったが、その物言いに思わず御神が眉をぴくりと動かした。
何も藤間に気に入られたいという訳ではない。
ただ、木下が言う〝色気〟とやら――つまり、自分の胸があまり大きいとは言えないのは確かであり、何故かそれを揶揄されたような気分になったのである。
ちなみに、そう感じたのはどうやら御神だけではなかったようだ。
長嶺は黙り込んでそっと薄目をあけて自分の胸を確認すると、何故か表情は変えていないのにどんよりと気分を落として黙り込んだ事には、幸いにも誰も気が付いていなかった。
「ま、まあ俺の好みがどうのとかは置いといてさ。御神ちゃん」
「……まだ、何か?」
「うはぁ、超絶視線が冷たい……。ま、まあほら、安心してよ。そういう類の話じゃないからさ!」
「……はあ。それで、何か?」
「お兄さん心折れちゃいそう……。んんっ、まあ一旦そういうのは置いといて、だ。御神ちゃんは今回、ウチへの配属に抵抗はなかったのかなーって思ってさ」
「抵抗、ですか?」
「そそ。ほら、元々ダンジョン庁は魔物に対する特別対策課というものはあったし、人員は少ないけど探索者関連の犯罪対策チームは存在していた。でも、御神ちゃんもご存知の通り、ウチらみたいなチームは〝魔力犯罪者による大暴動〟以来、急遽増設された新設部隊ってヤツだからね。水都隊長だって、元々は特区内の養成校にいる教員っていう予備人員に過ぎなかったのに、人員不足でこうして駆り出されて隊長をしているような有り様だ。正直、こんなトコに入るなんて、不安とか抵抗とかあったんじゃないかなってさ」
藤間の言うことは確かにもっともな話ではあった。
昨年の夏に起こった騒動に伴い、『境界の隔離壁』という特区を囲っていた巨大な壁に空いた巨大な穴。これを塞ごうにも次々と新しい穴が開けられており、特区の外には激増した元探索者崩れの犯罪者こと、魔力犯罪者が飛び出し、犯罪件数が激増した。
位階の上昇した犯罪者が相手では、銃も致命傷を与える武器にはならない。
そんな相手に対抗しようとすれば、必然、対抗するべき存在もまた位階を上昇させた者でなくては戦いにすらならない。
しかし、そういった人員を補充しようにも、探索者と為政者、一般人らとの間に生まれた大きな溝が邪魔をしているのだ。
どう答えたものかと逡巡する御神の隣で、長嶺が口を開いた。
「現実的なところ、今の探索者現役世代、それも若い世代のフリーな探索者に対する勧誘成功率は5パーセントにも満たない」
「そうなんですか?」
「うん。やっぱり不信感はそうそう拭えない。彼らはダンジョンで持ち帰った魔石を探索者ギルドに売れる。だから、不信感を抱いた相手にわざわざ靡かなくても生活ができている」
「そういうこと。俺らみたいに騒動が起きる前から直轄の部隊にいたって世代以外で、同世代――二十代前半――の新規メンバーは一人もいないんだよな、これが」
「……そうなると、人員の調達は……」
――難しい、いや、不可能とも言えるだろう。
そう考えた御神の予想を肯定するように、長嶺が再び続ける。
「うん。だから、ダンジョン庁は大手クランに声をかけている」
「え?」
「幸い、あの騒動で生まれた溝を気にするのは、クランに所属していないような野良の探索者か、中小クランといったところが多いのさ。思うところはあっても仕事であるのなら割り切る、というスタンスが求められる大手クランは、比較的探索者の中でも協力的ではあってね」
「そう。手が足りない、人員が足りない。でも、補充も難しい。だから、ダンジョン庁は積極的に大手クランに救援依頼を出していくつもり。それと同時に、そんな探索者の友人や知人にも積極的にダンジョン庁直轄部隊、警察の部隊に引き入れていこうとしている」
藤間の言葉に続く長嶺の説明は、確かに納得ができるものであった。
実際、大手クランへの協力依頼はすでに始まっている。
以前に比べて報酬はずいぶんと跳ね上がってしまったが、魔力犯罪者に対抗する体制を整えるのは急務であり、背に腹は代えられないのだ。
そうしてどうにか人員をかき集め、学徒動員対象者を長嶺、藤間、木下のように元々ダンジョン庁の直轄部隊に所属していた隊員と組ませることで、どうにか頭数を揃えているというのが現実的なところであった。
ただ、それでも圧倒的に数は足りなかった。
というのも、探索者として活動していた者が道化師による配信を見てから犯罪者になってしまうというケースもそれなりに増加しているのだ。
だからこそ、せめて頭数だけでも集めるべく発令されたのが学徒動員令だ。
さらに、この学徒動員令に応じて10年間任務に従事すれば、国が探索者やその候補生となっていた特区の住人にかけられる借金を帳消しにする、という条件まで提示して、ようやく部隊の人数が補充できるようになった。
しかし油断できるような状況でも、胸を撫で下ろせるような状況でもないことは確かだった。
何故なら――――
「我々のように民を守る探索者はまだ足りていない。学徒動員令を発令してなお、ようやく即応できる体制が整ってきた程度でしかない」
「それなら、とりあえずは――」
「――ううん、足りていない。だって、この国はまだ『魔王ダンジョン』が現れていないのに、この状況。足りているなんて到底言えない」
「あ……」
――――そんな課題が今も残っているのだから。
最初の【勇者】、そして【魔王】が生まれて、もうすぐ1年が経過する。
配信の中で道化師のメッセンジャーが言っていた通りであるのなら、いつ新しい【勇者】や【魔王】が現れてもおかしくはないのだ。
「……正直、お偉いサマ方がもうちょいマシだったらなぁ……」
「藤間」
「っと、すんません、副隊長。ついね、つい」
諌める長嶺と、謝罪を口にする藤間。
そんな二人ではあったが、形だけのものだろうという事は御神にも理解できた。
正直に言えば、国の対応はあまりにも稚拙で、遅すぎる。
誰もがそう感じているし、御神とてそう思うのだ。
最初から特区などという、臭いものに蓋をするやり方をしなければ良かった。
初動がそうだったとしても、特区出身の者たちを素直に歓迎していれば、ここまでの騒動はそもそも起こらなかったのは間違いないだろう。
まして、特区出身者を爪弾きにしたり、自分たちの都合だけを優先して安く利用しようなどとせず、しっかりと高い給与やポストを用意していれば、こんな状況になる前から対応できる部隊の編成は可能だったはずだ。
そして、現在の対応も杜撰で、あまりにも愚かだ。
全てを最初からやり直せるような状況ではないとは言え、国が素直に過ちを認め、必死になって一般人、探索者らを説得し、架け橋となるのならばまだ良かった。
国民とてこのまま無駄死にしたい訳ではないのだから、素直に頭を下げ、真摯に向き合えば、まだやりようはいくらでもあるのだ。
だと言うのに、国は未だに自分たちの愚かさを、その過ちを認めようとはしていない。
政治家は保身に走り、沈黙を貫き、そんな愚かな者たちの尻拭いをする者たちだけが必死になって、どうにか国を動かしている。
こうした中で、新設の国の部隊に入るなんて不安に思わないはずもない。
藤間の質問はそういった背景を指しての質問であったが、しかし御神は躊躇うことなく口を開いた。
「――それでも、私はここに来ることに迷いはありませんでした。私がこの人生で初めて、唯一信頼できた大人の人が、この部隊を率いていらっしゃいますので」
「それって……水都隊長のことかい?」
「はい」
「へぇ、それはそれは……――ふべぇっ!?」
「さっきからうるさいぞ、チャラ男。黙って座ってろ、馬鹿者が」
声をかけたのは、助手席に座り込んでいた水都であった。
振り向きもせずに左手で投げた中身の入ったペットボトルが、見事に藤間の顔に直撃したようであった。
「ちょっ、隊長! なんで俺だけ!? つか、痛くはねーっすけど、普通、中身入ったペットボトル顔面に投げます!?」
「うるさい、と言っているんだ」
「ぐぬぬ……あれ? あれあれ? 隊長、なんか耳赤くないっすか――って、うおっ!? ちょっ、それはマジで怪我する! すんません、なんでもないっす!」
からかい混じりに声をあげた藤間が見たのは、水都が手に取ったサバイバルナイフを見たからだ。
水都との付き合いはまだ半年程度。
だが、水都が己の身体が怪我で満足に動かないものの、ダンジョンでの実地訓練などの際、手首の動きだけを利用した投擲や蹴りのみで魔物を圧倒してみせる強さの持ち主であることを、この部隊の者たちは理解している。
そして、命令を聞かない者に対し、死なないのであれば指導上怪我を負わせるぐらいならば躊躇いもない存在だという事もまた、藤間と木下の二人は身を以て理解していた。
「……まったく。御神、おまえも余計なことは言わんでいい」
「ふふ、分かりました」
「――ご歓談中のところすみませんが、間もなく合流ポイントに到着いたします」
「あぁ、騒がしい連中ですまないな」
「いえ、むしろここまで自然な空気で任務に向かわれる部隊は少ないですし、運転していて胃が痛くならずに済みました。感謝いたします、水都隊長」
「…………そうか」
なんとなくではあるが、スタッフの気苦労を垣間見た気がしてなんとも言えない表情を浮かべる水都たちを乗せて、ついに車は合流予定ポイントに到着した。
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