第三章 日本動乱

第三章 Prologue:魔力犯罪対策課、第4特別対策部隊





 カツカツとローヒールのパンプスが鳴らす硬質な足音が、建物の中に響き渡る。

 その足音を奏でていた年若い一人の女が、とある一室の前でピタリと足を止めた。


 学生の時分にはトレードマークであった長い黒髪は切られ、肩を越えた辺りで整えられており、つり上がったキリッとした目は他者を寄せ付けない冷たささえも感じさせる。


 そんな彼女は一度小さく、しかし確かに息を大きく吸ってから吐き出して、目の前の扉をノックした。



「――入れ」


「はっ、失礼します」



 中から聞こえてきた声に短く返事をしてドアノブを握り締め、女が室内へと足を踏み入れる。


 入室を許可した相手――その女性と、中に入ってきた女性は互いに目を合わせ、しかし表情を変えることもなく、小さく頷くこともなかった。

 ただ視線だけでおよそ半年ぶりとなる再会の挨拶を済ませたところで、部屋に入ってきた女は気が付いた。


 向けられてきている、値踏みするような視線の数々。


 それらを一身に浴びながら、少女はこの部屋――いわゆるブリーフィングルームの先、大きなモニターの置かれたその場所に立つ女性の隣に立ち、そして椅子に腰掛けたまま己に視線を向けてくる者たちに負けじと腹部に力を入れて、真っ直ぐに顔をあげた。



「――本日付けでこちらのダンジョン庁直轄、『魔力犯罪対策課、第4特別対策部隊』に配属されました、御神みかみ 凍架とうかです。位階Ⅳ、得物は刀を利用しております。人を斬った経験はあります。よろしくお願いいたします」



 女――御神の挨拶を聞いて、口笛を吹いてみせる男、痛ましいものを見るように眉を顰める女と、その横で無表情ながらも推し量るような目を向ける女。そして、獰猛に笑みを浮かべてニタリと笑う男。

 それぞれの反応を見て、御神の挨拶をその隣で聞いていた女性――かつての教員であった水都が小さく咳払いしてみせた。



「諸君らにも通達していた通り、彼女は私が教員として務めていた養成校にいた優秀な生徒だ。学校カリキュラムとは別に私が直々に鍛えた弟子のようなものと思ってくれていい。昨年・・の初冬、私がこの部隊を率いる事にはなったものの、当時はまだ基準に達していなかったが、ようやくこの春・・・に召集令対象となったため、部隊に引き抜かせてもらった。諸君らも――」


「――水都隊長」


「……なんだ、木下」



 水都の言葉を遮って声をかけたのは、御神の挨拶を聞いて獰猛な笑みを浮かべた男――木下きのした りくという男であった。


 歳の頃は二十前後といったところか。

 まだまだ若いながらも一流の戦士である事が制服の上からでも分かるような盛り上がった筋肉を有している、浅黒い肌の男だ。丸めた頭には剃り込んで象られた紋様が描かれており、獰猛さを隠そうともしない笑みを張り付けている。



「そっちの嬢ちゃん。水都隊長の弟子って事は、腕は立つんですかい?」


「それは私が保証しよう。御神は確かにこの春に命令された学徒動員令の対象年齢――養成校高等科3年生以上――になったばかりだが、そんじょそこらの卒業生よりも圧倒的に強い。それこそ、対人戦闘であれば殊更にな。昨年の夏に起こった〝魔力犯罪者による大暴動〟の一件で、学校側に流れ込んだ連中を数名斬った実績もある。ただの新人と思って侮らず、正規隊員だと思って接するように」


「へぇ……? ま、アンタにそこまで言わせるってんなら、期待できそうだ」


「隊長にその口の聞き方は失礼」


「……へいへい。すんませんね、副隊長殿」



 無表情に見つめていた女――長嶺ながみね かえでが淡々と告げれば、木下はちらりと長嶺へと目を向けてから肩をすくめながら、特に悪びれた様子もなく謝罪の言葉を口にした。

 その姿に長嶺の隣に座っていた女性が口を開きかけるが、長嶺がその前に手を出して制止してみせ、それ以上は続かないようであった。


 そんな一連の様子に、「こんなチームの在り方で大丈夫なのだろうか」と僅かに不安を抱く御神の隣で、水都が小さくため息を吐いた。



「私は礼儀なんぞ求めていない。私が求めているのは、最低限の協調性と最高の結果だ。少なくとも、礼儀で結果が左右されるとは思わん」


「さすが。話が分かる――」


「――しかし、最低限守るべきマナー、他人と付き合う上での礼儀というものは当然存在している。特に我々は、ダンジョン庁という省庁の直轄部隊だ。一般人に接する上で、我々がその程度の事も守れないのでは示しがつかない。分かるな、木下」


「……ッ」


「多少のライバル意識は切磋琢磨する上で価値があると言えるが、お山の大将を気取って縄張り争いをしたがる獣は部隊に不要だ。貴様らは仲間、戦場では命を預け合う事になる。その事を念頭に入れておけ」


「……すんませんっした。以後、気をつけます」


「結構。御神、今後はここにいるメンバーと行動する事になる。実質的な現場での指揮は、この部隊の副隊長であるアイツ――長嶺だ。魔法攻撃を得意としつつ、短剣を使って接近戦もこなす遊撃手といったところだな」


「よろしくお願いします」


「よろしく。水都隊長の弟子、期待している」



 色素の薄い茶色がかった髪色をした、ボブカットの髪。

 丸い目は大きく、鼻と口は少々小さいが、背は一般的な高さのようで胸は少々小ぶりというところか。

 長嶺はどうにも人間味の薄い、人形のような女性だというのが御神の第一印象であった。

 先程の木下への物言いも含め、今も一切表情を変えずに期待していると言われ、思わず反応に戸惑ってしまう。



「続いて、現場での後方支援、主に遠距離攻撃と周辺の索敵とサポートを担当するのが、あちらのチャラ男だ。女と見れば手当たり次第口説こうとする、下半身でしか物事を考えられん馬鹿だ。最低限の交流にしておけ」


「ちょっ、隊長!? そりゃねーっすよ!? あっ、俺は藤間ふじま さとるな! よろしく、御神ちゃん! いやー、カワイ子ちゃんが来て俺ぁハッピーだよ!」


「……任務上はお世話になると思いますので、その時はよろしくお願いします」


「はは……、任務上に限定されちゃったよ。いやー、めっちゃ警戒されてるじゃーん……」



 ――なるほど、確かにチャラ男っぽい。

 金色に近い明るい髪は男性にしては少々長めで毛先が跳ねており、耳には幾つもピアスがついており、ヘラヘラと笑ってみせている辺り、水都の紹介した言葉は御神の腑に落ちるという印象であった。



「長嶺の隣にいるのが、上野うえの 凪沙なぎさ。彼女は他の面々のように、探索者として特区で育った側の者ではないため、現場には出ない。オペレーターという立場で、主にドローンや監視カメラ映像を確認しながらの通信を利用したサポートを行ってもらう人員だ。作戦行動中は彼女を通してルートの選定、目標の確認や司令部との擦り合せなどを担ってもらっている」


「よろしくね、御神さん」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」



 二十代中盤といった印象の女性。

 ウェーブがかったミルクティーベージュ色の長めの髪と、しっかりと、けれど手慣れているらしく簡略化されている化粧を施した大人の女性といった上野は、微笑んでみせつつも、どこか気が晴れない様子の苦い微笑みを浮かべている。


 そんな彼女の表情と水都の説明、それらを鑑みて御神は確信する。


 ――この人は、甘い・・タイプだ、と。




 ◆




 ――――昨年の夏の始まり、梅雨の激しい雨の最中。

 突如として『境界の隔離壁』を穿って始まった、後に〝魔力犯罪者による大暴動〟と呼ばれるようになった元探索者崩れによる蛮行の数々。


 世間が【勇者】だ【魔王】だのと騒いでいる最中に日本全国で起こった、『境界の隔離壁』への攻撃と破壊活動。

 穴が空いたその場所から一斉に飛び出た、自由を得た探索者崩れとも言えるような者たち。

 彼らによる暴動は、事件発生当初に想定されていた以上の被害を生み出した。


 一般人への被害、器物損壊、相次ぐ犯罪。

 これにより行政や一般人は犯人らのみならず、探索者という存在そのものを危険視し、過激なものでは人権を剥奪し奴隷のように扱うべきだ、というような声まで上がった。


 そんな世の中の動きを受けて、当然ながら健全な探索者たちも反論の声をあげる事になった。


 戦えない一般人はともかく、『ダンジョン適性』を持ちながらも戦おうともしない一般人を許しているから、一般人は抵抗もできない。犯罪者を止められないのだろう、と。

 それが嫌ならば、『ダンジョン適性』を持つかどうかの検査を義務化でもなんでもして、自分たちで戦えばいいだろう。命を懸けて魔物と戦うのがどういうことなのか、体験してみるといい、と声高に反論した。


 当然、一般人らにとって探索者側の言い分は承服しかねる代物だ。

 何せ自分たちにとって、〝戦い〟とは縁遠いものなのだから。


 互いに互いの主張ばかり、喧々諤々とも言える議論が対立を煽り、今ではお互いがお互いを毛嫌いしているという有り様ですらある。


 そうした影響もあり、未だ世界でも一般人を守ろうという探索者は少なく、たった一つしか攻略されていない『魔王ダンジョン』。

 特区で育った現役の探索者の若い世代たちが協力を拒むというケースが多く発生しており、【勇者】の攻略は必然、ゆっくりとした動きになってしまっているのだ。


 その結果、さらにお互いにお互いを批難し、悪循環を生み出す形となった。

 両者間にある溝はさらに深いものになったのである。


 その動きは日本だけではなく世界各国にも波及しているようで、探索者によるボイコット等もあちこちで発生。

 結果として『魔物氾濫』が引き起こされ、壊滅状態に追いやられた特区から押し寄せた魔物たちが、『境界の隔離壁』を穿った大穴から飛び出し、次々と一般人を襲うという事件も発生した。


 結果、国によっては次々と為政者、政治家が暗殺や襲撃を受けるケースが多発するなど、今では統治すらままならなくなっているところもあるという。




 ――――これらの影響を受け、もはや非人道的だのなんだのと、そのような綺麗事を言っていられる状況ではないのだと判断した国々が、現役の探索者よりも御しやすい層を利用するべく、世界各国で特区内の養成校の生徒、その高等科の最上級生以上で学生という立場にいる者らに対し、学徒動員令を発令した。


 その動きに倣う形で日本でもダンジョン庁、および警察による元探索者のならず者ら、魔力犯罪者と呼ばれる者たちに対する対策部隊の設立を急ぐべく、学徒動員令が発令される事となり、本来なら高等科の3年生になるはずの御神がこの場に立っているのである。




 よもや一年前まで砂上の楼閣の如く成り立っていた仮初の平和は、すでに遠い過去に崩れ去った。


 もうすぐあの夏から一年が経とうというのに、世界は、人類はたった一年であまりにも多くのものを失ってなお、事態は好転どころか悪化しているというのが一般人や為政者、そして探索者らの感じている現実的な所感であった。




 しかし、そんな中においても、この変化をあまり強く実感していない者が存在していない訳ではなかった。

 それが、ダンジョン特区で生まれ育ち、まだ学生という身分に甘んじていられた生徒たちである。


 特区で育った者からすれば、戦う場所がダンジョンであるか外であるかだけ。

 そもそもダンジョンでは犯罪も横行しており、〝敵〟となる事もある。

 人間という存在はそういうものであると、特区で育った者たちはとっくに理解し、割り切っているのだから。


 大人の探索者たちはともかく、学生であった御神や他の生徒にとってみれば、今回の騒動は正直なところ、「あまり自分たちとは関係のない話」というのが正直なところだったからだ。


 確かに、あの道化師が配信を通して暴露した内容、それにより特区外と特区内の情報に制限や規制があったことなどは大きな波紋を呼んだ。


 かと言って、養成校を卒業して活動している探索者たちのように、自らの現状をわざわざ訴えて政府を糾弾しようだの、戦わない一般人を言及しようだのといった動きは、水都にも予想外な事に学生の内には想定していたよりも波及しなかったのである。


 というのも、特区内の学生にとってみれば、そもそも大人になって自分で選ばざるを得なくなってからの話ではなく、まだまだ自分たちには選択肢と呼べるような代物が与えられていなかったからだ。


 まだ子供であるとは言え、特区の学生にとって戦うこと・・・・とは〝当たり前〟のこと。

 故に、特区に生きる学生らにとっては、学徒動員令についても『ダンジョンだけじゃなく、将来の選択の幅が広がった』と、概ねにして特区出身の学生には学徒動員令も受け入れられているという、一種奇妙な状況が出来上がっていたのであった。


 もちろん、一定数は不平不満を叫ぶ輩もいたが、そんな事をしても何も変わらないと考える者も多かった。




 ◆




 上野は一般人として暮らし、常識を培い、育ってきた者である。

 そうした価値観からすれば、この一年足らずの間に起こった騒動は酷く大きな変革とも言えるかもしれない。

 その結果、未成年であり学生でもあった御神が対犯罪者への対策部隊に国の命令で召集されたのであれば、確かに「可哀想、酷い話だ」と思うかもしれない。


 ――一般人と、特区で育ってきた私たちの溝は、やっぱり深くて、遠いわね。


 御神が改めてそんな事を実感していると、水都が改めて口を開いた。



「――最後になったが、そこの筋肉は木下だ。部隊の中でも前衛として敵に切り込む役割を持つ前衛だ。おまえと同じ前衛を務める相棒的な役割になる」


「よろしくな、ルーキー。以前の雑魚・・・・・とは違うってとこ、見せてもらうぜ」


「以前の雑魚、ですか?」


「冬にウチの部隊が発足して最初に来た学徒動員対象が、対魔力犯罪者集団との戦闘で腰を抜かして使い物にならなくなった。ウチの部隊は特に、荒事のある現場を担当する事が多い。だから、そういう場所で使える人材を要請して、あなたが来た」


「なるほど。では、私が超えるべきハードルはずいぶんと低いみたいですね」



 木下に代わって答えた長嶺がじっと御神を見つめ、御神もまたその視線を受けてあっさりと答えてみせる。

 その言葉を聞いて、無表情であった長嶺が僅かに目を見開き、そして口角を僅かに上げる。



「……うん、いいね。気に入った。改めてよろしく、みかみん」


「み、みかみん、ですか?」


「うん。私は気に入った仲間には愛称をつけて呼ぶから」


「……そうですか。かしこまりました。こちらこそ、改めてよろしくお願いします、副隊長」



 軽妙なやり取りではあったが、しかし水都も、藤間も、上野も木下までも、思わずそのやり取りに目を剥いた。


 長嶺は新人や学徒動員令対象者を『ただのお客様』としてしか見ない。

 そんな彼女の口から、『気に入った仲間』と呼ばれ、愛称をつけられたのだ。


 それはつまり、長嶺が認めるだけの何かを、長嶺自身が御神から感じ取ったという事を意味している。


 この意味を、御神はまだ理解していない。

 しかしその意味を理解しており、かつ御神の才能を見てきた水都だけは、他のメンバーたちのような驚愕よりも先に、未来への期待を感じて小さく笑っていた。 



「――では、自己紹介はそこまで。早速だが、本日は調査任務で動いてもらう。東京第1特区、探索者クラン『大自然の雫』より放棄された用途不明施設を発見したと報告があった。調査を行うにあたって、ダンジョン庁に調査の同行要請があった」


「ダンジョン庁に、ですか?」



 水都の説明に、思わずといった様子で御神が疑問を口にすれば、水都がしっかりと頷いた。



「そうだ。最近、特区内で似たような事例が複数報告されていてな。発見者以外の第三者機関の立ち会いという面もあるが、何より魔力犯罪者集団による妨害、襲撃といったケースが多いため、ダンジョン庁にこうした依頼が回ってくるケースが増えている。今回はその同行任務に、この部隊で参加する。上野、指示を」


「はい。これから皆さんには車で東京第1特区へと移動し、『大自然の雫』クランと合流。その後、当該施設へと案内してもらいながら移動していただきます。また、隊長が仰った通り、今回もまた元探索者――つまり、魔力犯罪者集団による襲撃が起こる可能性が高いです。みなさん、注意してください」






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