順調な滑り出し
人類を救え、魔王を倒せ。
そんな綺麗事、美辞麗句が並んだ民衆らの掛け声を受けながら、位階Ⅹにして【勇者】となったドイツ人の青年、ディートヘルム・クレールは甘く、それでいて爽やかに微笑みながら手を挙げて歩いて行く。
――くだらない。
曲がり角を越えて民衆の姿が見えなくなり、周囲の目がなくなったところで笑みを消してから、ディートヘルムは苛立ちをかき消すように嘆息した。
確かに、ディートヘルムは探索者として積極的にダンジョンへと挑んでいた。
だが、それは蔑視を隠そうともしなかった者たちが、今更になって英雄視して騒ぎ立て、まるで餌を前に態度を変えた獣のような一般人の為ではない。
全ては、孤児院で共に育ち、原因不明の病で意識不明のまま孤児院から捨てられそうになっていた妹――ミアのためだ。
ダンジョンで手に入る魔法薬。
ポーションと呼ばれる回復系の魔法薬の他にも、現代技術では治療不可能な病すらも治してみせる異常回復魔法薬などの存在も見つかっている。
ダンジョンのもっと奥。
深層を越えた奈落と呼ばれるその場所に行けば、もしかしたらそんな夢のような薬が見つかるかもしれない。
そんな一縷の望みを持ち続けながら探索者として活動してきたのである。
ディートヘルムにとっては、位階Ⅹという結果さえも、ただ自分の目的に向かって進む中で手に入った一つの結果に過ぎない。
本人にとってみれば何も特別でもなければ、成し遂げたという達成感のあるようなものではなかった。
そんな中で、突如として頭の中に響いた『天の声』。
いくつかの選択肢が与えられ、己の考えを反芻していく内に次々に取捨選択が行われ、その結果として【勇者】という称号が与えられることになった。
馬鹿馬鹿しい。
何が【勇者】か、とも思う。
だが、この称号の
「お疲れさまでした、ディートヘルム・クレール様。おかげで我が国民も安心できたと、首相も胸を撫で下ろしておりました」
「……そう。それは良かった」
廊下の先で待っていた一人の女性――レオノーラに声をかけられ、ディートヘルムは短く無愛想に応じてから、その先でピタリと足を止めた。
「――
「もちろんでございます。すでに妹君であるミア様はハイデルベルグ大学病院に移送され、24時間体制でスタッフが容態を見守っております」
「……余計な真似はしないでくれよ。ミアが悲しむような真似は俺もしたくはないが、アイツを守るためならば僕は躊躇わないからね」
「重々承知しております」
深々と頭を下げてみせるレオノーラを一瞥して、ディートヘルムは再び歩き出せば、レオノーラもその斜め後ろを追従するように歩き出した。
ディートヘルムが【勇者】である事をわざわざ国に名乗り出たのは、自分がダンジョンに潜って魔法薬を探している間、ミアの体調管理やケアを充分にできる医療体制の整った施設に移したかったからだ。
彼のいる国――ドイツもまた、探索者の扱いは決して良くはない。
その中であっても成果を出せば、その分の特権が認められるという点では日本よりも幾分マシというところであった。
そんなドイツの探索者であるディートヘルムは、これまでの特権を用いて常にミアのための環境を整えてきた。
しかしミアは探索者として欠陥品とも呼ばれるような立場であるため、国の中でも最高峰と言われているような病院に移してやることはできず、せいぜいが探索者用特区内の医療施設でのケアを依頼するなどが関の山であった。
ディートヘルムは、ただミアを守りたかった。
魔法薬が実際に見つかっていない今の状況であっても、ミアの病気を治せる可能性もあり、彼女を支えられる最高の環境が必要であると考えた結果、人類を守る【勇者】という立場になることを選んだのだ。
【勇者】となった者は、その証として腕か足に特徴的な紋様が浮かび上がる。
その紋様を見せた時、人間は問答無用で目の前の人物が【勇者】であると
ともあれ、その紋様を見せて国に対して交渉をし、ドイツの【勇者】として、民に安心を与える役割をこなす代わりに、ミアを世界的にも名の知れているハイデルベルグ大学病院に預けることができるようになったのである。
レオノーラは、そんなディートヘルムのサポートを国から命じられ、派遣されてきた専属秘書という立場にある女性であった。
もっとも、その裏ではしっかりとディートヘルムが仕事をこなすかどうかを監視するという役目もあるだろうが、ディートヘルムとてミアにしっかりとケアが行き届いているのであれば、特に監視の目を断る理由もなく、結果として傍に置いているという状況だ。
「レオノーラ。この後の予定を」
「はい。ディートヘルム様を含めた【勇者】4名が見つかりましたため、これから30分後にオンラインでの顔合わせが予定されています」
「他の【勇者】か……。見つかったのかい?」
「はい。ただ……」
「ただ?」
言い淀むレオノーラに足を止めたディートヘルムが目を向けて訊ねれば、レオノーラは僅かに逡巡した様子で瞑目し、一度咳払いをしてから口を開いた。
「他3名の【勇者】は、イタリア、ロシア、ブラジルの者たちなのですが……彼らは一癖も二癖もありますので、予めその点についてはご承知おきいただけると……」
気を取り直して言葉にしたつもりではあるようだが、その表情はいつもの涼しげなものとは程遠い。苦々しく、頭痛がするとでも言いたげに眉をひそめ、眉間に皺を寄せているようであった。
普段は必要以上は喋らない相手だ。
鉄面皮とも言えるような、無表情で無感情なレオノーラらしからぬ反応は、ディートヘルムにとっても興味深いものであり、思わず興が乗り、詳しく訊ねてみることにした。
「イタリアとロシア、それにブラジルか。具体的には?」
「……まず、イタリアの【勇者】はバルトロメオ・アンドレイニ、男性で歳は28です。彼は『ダンジョンを攻略して欲しければ一つのダンジョン攻略につきその国でトップの5人の美女を差し出せ』と言い放っています」
「は?」
一瞬、ディートヘルムの思考が止まる。
ダンジョンを攻略して欲しければ美女を5人差し出せ。
なんだ、その頭の悪い要求は、と。
もしかしたら自分は疲れているのかもしれない。
聞き間違いだったのかと自分に言い聞かせつつ――しかしそれが本当に言われた言葉だと頭のどこかで理解しながらも、小さく頭を振って改めて口を開いた。
「……次は?」
「ロシアの【勇者】はグラーシー。こちらも男性で、歳は37。彼は『【魔王】ダンジョンの存在によって被った経済的損失を解消してやるのだから、代償として最低でも億単位のUSドルの報酬』を要求しています」
「……それはまた……」
「最後のブラジルの【勇者】はレチシア。歳はあなたと同じ23。女性ではあるのですが、『自分が守りたいのはジャパニーズ・オタク文化だ。だから日本にしか行かない』、と」
「…………」
一体どんな選定基準で【勇者】なのだ、とディートヘルムは思う。
自分もまた清廉潔白に人類を守りたい、人々を救いたいとは思っていない類のタイプではあるが、その3人と比べればずいぶんと慎み深いとでも言うべきか。
ディートヘルムにも『勇者像』とでも言うべきイメージは存在している。
清廉潔白であり、今回のような危機に瀕した際には、人類の平和を守るために立ち上がる、そんな理想像だ。
確かに、現実でそんな人間がいるものか、とも思う。
探索者に対する国、一般人の認識はどの国も似たようなものであり、お世辞にも自分が恵まれていた、国に感謝している、とは到底言えないレベルの支援しか受けていない以上、そんなお人好しの『勇者像』が実際に出てくるとは思えない。
だが、【勇者】の選定は『人類を守る理由を持っていること』だった。
その理由が女であれ、金を使っての贅沢な暮らしであれ、趣味であれ、結果として『人類を守る理由を持っていること』に該当するのであれば、【勇者】になってもおかしくはない。
――――ないのだが、思わずディートヘルムも眉間に皺が寄る。
「……その要求を、各国は呑んでいるのかい?」
「正直に申し上げれば、どの国も譲歩する姿勢を見せております」
「……それは、また……どうして、と聞いても?」
「現状、我々一般人を含め、【魔王】ダンジョンには相当手を焼いています。それらを踏破できるのが【勇者】であるディートヘルム様らしかいないのであれば、我々とて最大限の便宜を図る必要はあると考えています」
「……本音は?」
「【勇者】にまで【魔王】ダンジョンの防衛を担っていた探索者たちのように裏切られてしまうと、もはや打つ手がなくなります。故に、可能な範囲で叶えられる望みは叶えるしかない、というのが正直なところです」
「……あぁ、そういうことか」
すでにディートヘルムの耳にも世界各国の【魔王】ダンジョン前で起こっている暴動騒ぎなどは届いている。
ましてそれらのダンジョンは『魔物氾濫』が常態化しているため、どうしたって被害も大きく、その経済的損失は笑えない数字にまで膨れ上がっているような状況だ。
それを考えれば、美女を差し出すのも、数億USドル支払いも、国としてはそれで済むのなら手を打った方がいい、という判断になってもおかしくはないだろう。
もっとも、日本にしか行かないと言い放っているブラジルの【勇者】に対してはどのように交渉するのか分からないが。
「それで、そんな話を僕にしてしまっても良かったのかい?」
「構いません。ディートヘルム様の願いは、ハッキリ言ってまだまだ甘いです。他の【勇者】を引き合いに出して、しっかりと報酬を受け取っていただきたいと私は考えています」
「おや、意外だね。てっきり安く使いたいのかと思ったけど?」
国から派遣されてきたサポートという名目の監視の目。
そんなレオノーラの立場を考えれば、むしろ報酬をつり上げさせるような真似はするべきではないのか。
そう考えたディートヘルムであったが、しかしレオノーラは毅然と言い放つ。
「充分なリターンがあるからこそ、人は最大限のパフォーマンスを発揮するのです。変に遠慮をなさった結果、手を抜かれてしまっては本末転倒です。十全な見返りをお約束し、きっちりと仕事をこなしていただくに越したことはありません。その点で言えば、ディートヘルム様の感覚はまだまだ甘いので」
「……分かった。追加の報酬でも検討しておくよ」
「はい、よろしくお願いいたします」
そういう意味であるのなら、どちらかと言えばお金、だろうか。
なんとなく酷く疲れた気分になりながら、そんな事を考えてディートヘルムは再び足を進めていくのであった。
――――【勇者】サイドは順調な滑り出しを迎えた。
そう思われていた、この5日後。
人間勢力の【勇者】はディートヘルムとレチシアの二人のみを残して、バルトロメオ、グラーシーの二人は【魔王】ダンジョンを一つも攻略できないまま、あっさりと命を落としたのであった。
◆――――おまけ――――◆
しそー・うおー・おーが「「「……は?」」」
しそー「……え? えっ?」
うおー「ちょっ、え? いや、待て待て待て!?」
おーが「草も生えんが??」
しそー「いや、待って? サブタイ待って?」
うおー「どこが順調な滑り出しなんだよ……?」
おーが「……秩序崩壊が進む、って意味で順調な滑り出し、とか?」
しそー・うおー「「…………」」
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