化物




「――【赫焉迅雷かくえんじんらい】」



 弾けた赤い雷。

 とん、とん、と規則的に跳んでいた颯が――ヂヂィッ、と耳障りな音を立てて弾けた残光を残して消える。


 同時にラトは目を剥いて後方に跳んでいた。


 消えたと思った次の瞬間には、己の領域に入り込んだ異物。

 知覚したその時には、すでに自分の真横へと迫り、その手のひらをすでに突き出していた。

 咄嗟に反対側に跳びつつ、影を利用した触手を生み出して防御へ――だが、同時に再び耳障りな音を奏で、領域の反対側へと移動していた。


 振るわれる拳は背面へと迫り、しかし。



「――チィッ!」



 ここにきて、ラトもまた己のギアを一つ、引き上げる。

 肉体端末として課せられている制御を一つ外して、影を硬化させた盾を生み出して受け止める。

 だが、颯の攻撃はそれで止まらない――否、まるでそれを予測していたかのように、盾についた手を軸にしてぐるりと回り、蹴りを放った。


 しかしラトもまたそれを咄嗟に上体を反らす事で回避し、反撃――とはいかなかった。すでに颯が、拳を振っていた。

 紅く尾を引いて中空を切り裂くその手を避けて見送る最中、確かにラトの盲目の瞳は領域内の情報を捉えていた。


 颯が、避けた己の目を冷たく、真っ直ぐ見つめているというその光景を。

 その目に剣呑な光を宿して、静寂と荒れ狂う程の殺気を介在させて、その気配に似つかわしくない鋭く、どこまでも貫く事だけに特化させて鍛え上げた刃のような、そんな殺気を己に向けている――そんな姿を。


 そこには、先程までの、どこかぼんやりとしているような飄々としたその姿はない。


 ラトは己の肉体端末の限界まで即座に力を解放して対応する事に決めた。

 さらに、颯の動きに応じてラトもまた己を魔力で強化する。




 ――――だが、それでも。




 ――速すぎる……ッ!

 知覚と同時にすでに攻撃の態勢に入って肉薄されては、それが己の領域内であっても対応できない。


 受け止めればそれを理由にして先程のように縦横無尽に身体を振り回し、次、またその次と攻撃を仕掛けてくるのでは、いちいち受け止める方が予測がつきにくい。


 咄嗟に反対に跳びながら距離を稼ぎ、僅かな時間を稼いでどうにか回避が間に合っているという状況だ。

 そのため、ラトもまたそれらを捌くためだけに動き回り、攻撃に転じる余裕までは生まれなかった。


 しかし、ラトとて〝外なる神〟の中でも、さらに上位の存在だ。

 思考の処理速度を強化し、どうにか回避行動も追いついている。


 拳を避け、影を操って硬化させたもので反撃するべく、颯の動きを読もうと解析を試みる。


 速さは確かに凄まじい。

 それこそ、人間程度では到底反応などできるはずもないような、そんなレベルのものなのはラトにも判る。


 ――――しかし、単調だった。


 それは恐らく、〝過剰な強化〟が齎した弊害。

 要するに、身体が、感覚が、その速度に追いついていないのだ。


 故に、その特性をラトは見抜いて対応できる。

 それだけの実力を持つからこそ、ラトもまた上位種の、さらに上澄みでいられるだけの存在なのだ。


 これまでの動き、直線上への速度と方向を切り替えた時の速度の変化。

 それらを見切り、徐々にラトの回避が颯の動きを先回り始めた。


 だから、おかげで余裕が生まれる。

 そうしてラトは、思うのだ。


 ――人間種にしては・・・・・・・、有り得ない力の持ち主だな、と。


 人間種という、ラトらから見れば脆弱な種族にしてここまでの高みに上り詰めたというのは、なるほど、感嘆の一言に尽きる。

 しかし、こと上位種たる自分たちから見れば、驚きこそすれど脅威ではないと、そうラトは思う。


 それは驕りではなく、純然たる矜持の話だ。

 傲慢さではなく、冷徹なまでの現実の話だ。


 まだまだ上位種である同胞としての稚児。

 その伸び代はこれから、時間をかけて伸ばしていけば良い。


 そう判断して――――



《――ラト、ヨグが楽しみにしているのであなたに助言・・・・・・しましょう》



 ――ニグから届いたその思念に、一瞬、思考が止まった。


 人間の言葉ではなく、彼らの言葉。

 圧縮された、ニグからの思念が戦いの一瞬の間にラトへと冷たく言い放つ。



《その意識を改めなさい。でないと、負けますよ・・・・・?》


《……な、にを言っているのよ、ニグ。いくらなんでも――》




《――颯という存在は、ヨグの興味を惹いた・・・・・・・・・ほどの、異常な適応能力・・・・・・・化物・・です。この意味が、分かりますね?》




 そんなニグの圧縮された思念をラトが受け取った、ちょうどその時だった。



「――……慣れてきた」


「は……? ――ッ!?」



 一瞬、前方の離れたところで止まった颯が短くぽつりと零した言葉。

 直後、再び動き出し――今度は拳だけではなく黒翼から次々と棘を伸ばし、一瞬でラトを包囲し、刺し貫こうと迫る。


 咄嗟に領域内から拾い上げた情報を精査して、ラトはそれらの回避できるコース、防ぐべき攻撃を算出して、咄嗟に取捨選択を実行。

 その場で影を同じような速度で展開させると、必要な分を相殺させて身体を捩って直撃を避けてみせた。


 そこからは、さらに手数を増やした颯から次々と襲いかかる猛攻を捌き、さらに反撃の糸口を探る。

 そうしてラトは必死に領域内の情報を追いながらも、圧縮した意思を乗せ、数瞬の間にニグと思念で会話していた。



《――ちょっと、ニグ!? どういう事よ!? こんな情報、なかったじゃない!》


《はい。颯の戦闘能力についてはヨグの希望で伏せていました》


《くっ、この……っ! あぁっ、もうっ! さっき言ってたのはこれね!? どうなってるのよ!? あんなの、どう考えたって有り得ないわよ! あれが位階XX20!? バカ言わないで! こんなの、位階で言えばXXV25さえ軽く超えている・・・・・・・!》


 迫る颯の攻撃をどうにかいなし、距離を取りながらも、ラトの表情からはいつもの余裕というものが失われていた。


 颯の【赫焉迅雷】は、身体能力の圧倒的な強化が本質だ。

 もっとも、その余波・・として漏れ出た雷撃だけでも、深層級の魔物ならば触れただけで塵と化す程の威力を持っているが、あくまでもそれは副産物であり、本質ではない。


 ――ならば。

 距離を自由に詰められては、いつかこちらが不利になる。


 そう考えて、ラトは魔法攻撃によって距離を詰めさせないという戦法に切り替える事に決め、僅かに距離を取るように後方へと跳んだ。


 そんなラトに、ニグのどこか愉しげな声が届く。



《――あぁ、言い忘れていましたが、ラト》


《また!? もうっ、今度は何が出てくるっていうのよっ!?》






《颯のその魔法は、もう一段階、その上があります・・・・・・・・






《――は?》



 距離を取ったラトが、弾幕を張るかのように緑がかった黒い光弾をばら撒いて、面攻撃に戦法を切り替えた。

 その向こう側で、【赫焉迅雷】によって生じた赤い雷を纏っていた颯が、動きを止めてその赤を両手に集め、合掌する。






「――【赫裡縒かくりよ】」






 ――――狩られる。






 ぞわりと肌が粟立ち、肉体端末には存在しないはずの〝死〟を予感して、ラトが飛ぶ。


 刹那、己の放った弾幕を貫いて、【赫焉迅雷】によって生じた赤い雷を纏った颯の得意とする直径にして3メートル強はあろうかという太さを持った〝魔砲〟が、ラトのいたその場所を呑み込み、貫いた。



「――ッ、無茶苦茶な……!?」



 颯の身体の周囲を飛び散り、激しく暴れ回っていた【赫焉迅雷】は消えていた。

 身体からほとばしっていた赤い雷と荒々しさとは一転、一見すれば凪いだ海のような静けさを纏っている。


 いや、一見すれば消えているように見えるが、ラトの目はそれ・・を映していた。


 ――身体の内側に、完全に呑み込んだ発動……ッ! ということは、さっきより速くなる・・・・・・・・・……!


 先程までの【赫焉迅雷】は、その余波を周囲に撒き散らしていたが、今は違う。

 先程の魔砲は、【赫焉迅雷】で生じた力の無駄な余剰分を乗せただけの、颯にとってみれば〝ただの魔砲〟でしかない事に、ラトは気が付いていた。

 だが、今の一撃をまともに正面から受けていれば、己の領域を放棄して肉体端末の修復をしなければ何もできなかったであろう事は予測がついた。


 使っている【焉迅雷】を己の内側――に呑み込み、己の魔力にり合わせる、故に【赫裡縒かくりよ】。

 冥界を思わせるような奈落にて出会った魔物が、己の魔法を呑み込んで爆発的に強化するという特性を見て組み上げられたという経緯を持ち、魔法を思い付いた際の光景――冥界のような場所に対するイメージから名付けられた、【赫焉迅雷】の第二形態だ。


 その強力過ぎる強化効果のせいで、第一形態の【赫焉迅雷】を発動し、その速度、負荷の調整を行わずに発動すれば、術者である颯ですら、己の身体を充分に操れなくなる、そんな魔法である。


 しかし、颯にとっては〝使いにくい本気の一撃用〟という魔法だった。

 何せこの魔法は、ただでさえ己の力を制御しきれない【赫焉迅雷】よりもさらに上位の魔法なのだから。

 故に、これまでは一撃必殺の為の強化魔法だった。


 ――己の領域という、五感に頼らない知覚方法を知る、その前までは・・・・・・


 ヨグの興味を惹いた・・・・・・・・・ほどの、異常な適応能力・・・・・・・化物・・とニグに言わしめた颯という存在は、すでに己の領域、その知覚方法を完全に掌握していた。

 己の領域が全てを把握してくれるというならば、視覚では補えない情報を完全に捨て、身体の制御と思考だけに集中すれば良い。


 颯は確信する――それができるのならば、届く・・、と。


 颯の身体が僅かに身動ぎし、ラトが身構え――ラトは己の身体の側部に存在を知覚する間もなく衝撃が走り、吹き飛ばされた。


 何が起こったのか、そこで知る。

 衝撃の発生したその場所には、すでに颯がいた。



「――っ、この……ッ!」



 ギリギリで身体に纏わせた影が砕けるも、なんとか肉体端末は無事だった。

 吹き飛ばされながら、その加速した思考の中で反撃を仕掛ける。

 ラトの身体に巻き付いていた影が鞭のようにしなって伸び、颯の足を掴んだ。


 そのまま己が吹き飛ばされる勢いを利用してさらに加速させて、颯を投げ飛ばし、ビルを貫通させて吹き飛ばす。


 その場に立ち上がったラトが、再び弾幕を張って追撃を阻止しながらも、今の一瞬で己の領域を僅かに侵食された事に気が付いて、苦々しくも愉しげな、獰猛とも言える笑みを零した。



《――ふ、あはははッ! 何よあれっ! なんなのよ、アレは! 戦い方は人間種の延長ではあるけれど、この実力はとっくに〝あの連中・・・・〟と対等じゃないの!》



 吹き飛ばされた颯が砂塵から飛び出すと、頭から血を流しながらもすぐ傍を壁を蹴り、滑空するように飛び回り、次々に飛来する光弾を避けているその姿を見て、ラトはニグ、そしてヨグへと向けて叫ぶ。

 一撃一撃が着弾と同時に激しい爆発を引き起こし、廃ビルをあっさりと倒壊させていくような破壊力を込めた魔法攻撃。それらをすれすれで躱して逃げ切った先、空中で翼を広げた颯がその動きを止め、額から流れた血を拭おうともせず両手を翳す。



《――颯は、〝我々ですら想定し得ない早さ〟で深淵を踏破しました》



 大きな魔法陣をその手の伸びた先、空中に直径3メートル程の円形で描き上げ――終わると同時に、真っ黒く赤みがかっている光を放電させながら〝破壊特性〟を付与した〝魔砲〟が、ラト目掛けて放たれる中、ニグがそんな言葉をラトへと届ける。



《それってつまり……》


《はい。颯は本来であれば〝10分間生き抜ける事ができていればクリアできる試練〟にて、試練に使っていた〝繝九Ι繧ー繧ソ縺ョ蟷サ蠖ア〟から逃げるどころか、人の身で屠った存在です。幻影体とは言え、消し飛ばしたのです》


《――……ッ、そんな事ができるなんて、驚きだけれど……むしろこれだけの力を持っているなら納得ね》



 放たれた光の帯は一直線に突き進み、ずん、と激しい音を立てて大地を貫いたそれが巨大な爆発を引き起こし、強烈な衝撃を周囲へと拡散させ、ビルというビルの残っていた窓を全て破壊して駆け抜けていく。


 そんな大規模な破壊を生み出しておきながらも、颯の顔は未だ真剣なもののまま、その先を睥睨していた。

 魔力の結界を利用した足場を作って中空に留まり、その砂塵の向こう側を睨みつけていれば、颯の視線の先を中心に暴風が吹き荒れ、その中心に平然と立っているものの、しかし薄汚れたラトが姿を見せた。


 彼女の盲目の瞳と、颯の視線。

 互いにその眼光に剣呑な光を宿らせて、常人ならば数秒と保たずに塵となるような戦いをしていた二人が、ただただ睨み合うように動きを止めて。


 そうして、お互いに口角をつり上げてから、ラトがふっと肩をすくめて言い放つ。




「――合格よ、颯。あなたは稚児ではない。新たな同胞、あなたは私のパートナーに相応しい」




 颯からは見えていなかった血に濡れた左手を見せてから、清々しく笑って戦いの終わりを告げる。


 颯は気が付かないが、ラトのその言葉に隠れた真意に、ニグも、そしてこの戦いを眺めていたヨグもまた、気が付いていた。


 ラトの言う〝パートナーに相応しい〟とは、その実力を認めたということ。

 同胞ですら同等とは認めようとしない、他者を平等に見下し、翻弄するばかりの彼女が、颯のことを同等、あるいはそれ以上であると認めたのだという証左。


 彼女なりの、最上級の褒め言葉であった。






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