第二章 【勇者】と【魔王】

第二章 Prologue:盲目の美女




 つい先日、『ダンジョンの魔王』が乗り込み、海外の裏組織『月華』の人員を屠った、長野県の某山中にある屋敷の敷地内、礼拝堂。

 割れたステンドグラスからは夏の強い陽射しが降り注ぎ、梅雨を終えたばかり夏らしい、しかし山の中であるおかげか街中に比べれば比較的涼しげな空気が流れ込んでくる。


 激しい戦いが――と言うには一方的ではあったが――あったその場所は今、夏を謳歌する虫たちの声が妙に遠く聞こえるような、そんな不気味な静けさに包まれていた。


 どす黒く染まった血痕、何か・・が付着していたであろう虫の集る染み。

 不幸中の幸いは、その場所から逃げ出そうとした者達が割り砕いた窓やステンドガラスのおかげで、嫌なニオイが停滞せずにしっかりと換気がされているというところだろうか。


 そんな、人の気配のないその場所に、一人の女が姿を現した。



「ん~~、いいわ、ここ。素敵。そう、とてもとても素敵だわ」



 上機嫌な様子で、味わいながら噛み締めるように、女は独りで呟いた。

 女は割れたガラス片、砕かれ落ちた瓦礫を踏み締めながら、満足気にその礼拝堂の中を歩き回ってから、しなやかな指を血痕のついた長椅子に這わせる。


 もしもこの場所を誰かが見たとすれば、それは絵画のような光景にも思えただろう。


 射し込んだ陽光が朽ちた教会の中を照らしていて、その中には真っ黒なマーメイドラインドレスを身に纏い、零れ落ちそうなほどに豊満な胸元を晒した、妖艶さの際立つ女性が佇んでいる。

 波打つストロベリーブロンドの長い髪は腰ほどまで伸びており、大きく垂れ下がった紫色の瞳はどこか狂おしさに濡れていて、左目の下には泣きぼくろが耳に向かって斜めに二つばかり並んでいる。薄っすらと開いた口元の唇は、潤いを感じさせる程に瑞々しい。


 しばし血痕を指の腹で撫でるように静かに触れていた女が、すっとしなやかな指をその顔に近づけて、美しく白い指先についた黒い汚れへと、ふっと息を吹きかけて――紫色の炎が指先もろとも呑み込み、汚れを消し、綺麗な指がそこには残った。



「あぁ、素敵……。ここには人間の絶望の痕跡が色濃く残っている。生への欲望を燃やしていながら、なのに、強烈に死を渇望するという混沌とした気配が、今もまだ混じり合って蠢いている……」



 うっとりとした表情を浮かべながら、しかし彼女の紡ぐ言葉は酷く物騒なものであった。

 もっとも、ここに来た時、最初に漏らした言葉からして、決してただただ美しい女性という訳ではない事は窺い知れたというものだが。



「……私の蒔いた・・・・・〟を、逆に取り込み、喰われるどころか力として昇華させ、同胞にまで至る……? ふふっ、こんな奇跡に巡り会えるなんて」



 彼女は周囲に視線を巡らせているようで、周囲を見てはいなかった。

 いや、正確に言うのならば、彼女は盲目・・であり、目が見えていないのだ。


 しかしそれでも、彼女の目は普通とは異なるものを映し出す。


 今、彼女の紫色の瞳に映っているのは、先日の光景――【道化たる執行者ミマシューター】が笑いながら蹂躙を繰り広げている、その光景であった。


 己を語りながらもおどけてみせて、けれど、心は笑っていないらしい目つき。

 人間が仇敵に向けるような目でもなく、敢えて見下して冷たい目を向けているという訳でもない。

 その目は興味のなさを物語っている。


 笑顔なのに、興味はない。

 構っているのに、いてもいなくても構わないと言いたげな振る舞い。


 それらはまるで、自分たちのようだ・・・・・・・・と、彼女は歓ぶ。



「ふふ、ふふふふ……っ。可愛い子。まだまだ生まれたてで、同胞と呼ぶにはおさない子。あら、でもせっかく私も今は女性型の肉体端末を使っているのに、そういう方・・・・には興味がないのね? 愛してくれなさそうなのが残念ね……。女性型なら女性型らしく愛される事も愛する事もしてあげられる・・・・・・・のに」



 残念とは言いながらも、彼女の顔は笑み浮かべていて。

 残念とは言いながらも、彼女の目はお世辞にも割り切っているようには見えなかった。


 ――せっかく見つけた興味・・を、そうやすやすと手放せるはずもない。

 そんな彼女の本心が透けて、表出しようとしたその時であった。



《――警告します、ラト。その子・・・はヨグのお気に入りです。下手な真似をすれば、あなたとて無事では済みませんよ》



 その〝声〟を聞いて、彼女の笑みから爛々とした輝きは鳴りを潜め、先程よりも幾分か柔らかな笑顔へと変わった。



「……あら、ニグ・・じゃない。ふふ、久しぶりね。それにその声……あなたも女性型なんて、ずいぶんと久しぶり・・・・ね?」



 聞こえてきた〝声〟――それは人間が『天の声』と呼んでいるそれと同じものだった。

 それに対して、ラトと呼ばれた女性は楽しげにくすくすと笑いながら、まるでからかうような物言いで静かに返した。



《人間種に〝声〟を届けるにはこちらの方が都合が良いと判断したまでです。もっとも、あなたが女性型端末を使う方が違和感は否めないかと》


「あら、そろそろ慣れてくれてもいいのではなぁい? もう2千年程度は基本的に女性型で過ごしているのだけれど、なかなか楽しいわよ? というか、あなたがそんな事・・・・を気にするなんて、いつの間にか、ずいぶんと人間種の考え方にだいぶ近づいたわね?」



 ――我々にとって、所詮、性別など〝カタチ〟の一つに過ぎないのに。

 かつては『天の声』――ニグがラトに対してそう言い切った言葉を、今まさにラトが返すかのようにくすりと微笑いながらその裏に滲ませる。


 そんな昔の出来事を掘り返して告げてきた同胞・・に、ニグは僅かに苦い思いをしたようで、ほんの僅かなが、代わりにノイズとなってラトの頭の中へと届いてくる。


 そのノイズさえ、ラトには面白いものであったようだ。

 くすくすと微笑み、柔らかく目を細めていた。



《……あなた程ではないかと》


「あら。ふふふ、拗ねないの。どちらかと言えば、私は嬉しいのよ? あなたが人間に対して思考を寄せるぐらい、興味を持ったということが、ね」


《……そうですか》


「えぇ、そうよ。この狂おしいほどの情熱がようやく届いたみたいで何よりよ」


《……情熱……。あなたのその情熱は、少々人間種には刺激的・・・過ぎます。むしろ自重を推奨します》


「やぁねぇ、自重しているでしょう? だからたまーに、この姿で男を誑かしている程度で済ませているじゃないの」



 ――どの口が言うのだろうか、とニグは思う。


 本人の言う「自重している」というものは、姿を、顔を、形を変えられる事を上手く利用して、権力を持った男・・・・・・・を誑かし、弄び、踊らせ、権力を使った暴走を引き起こさせては破滅させることだ。

 その様を見て遊び、飽きたらさっさと姿を消してしまうようなお遊び・・・を続け、結果として過去に国すらも傾けてきた事を指しておきながら、よく言うものだ、と。


 もっとも、同胞としての力を使わず、話術で、時には肌を使って籠絡してきたのだから、なるほど、確かにお遊び・・・の範疇だ。

 もしも彼女ラトがその気になっていれば、もっとこの世界は荒れているはずなのだから。


 ただしそれは、彼女らにとっての価値観に過ぎないが、それはさて置き。



《……ともあれ、あなたが目を付けようとしているあの子は、ヨグの大事なお気に入りです。下手な横槍を入れることは推奨しません》


「……そう。私とて、ヨグと争う気はないもの。分かったわ。――でも、わざわざ私に声をかけてきたって事は、他に何か用事があるんじゃなくって?」


《はい。世界全体で『災厄指定存在』、『神権保有者』の資格保有候補まで育った境界――位階Ⅹ保有者が一定数揃ったため、【勇者】と【魔王】を導入します》


「あら意外。人間ってば、ちょっと目を離していた間に、いつの間にかそんなに育っていたのね」


《我々のちょっと・・・・と人間種の30年程を同じ感覚で語るのであれば、その通りです》


「ふぅん? まあいいわ。それで、私は予定通り〝種〟を植えればいいのね?」


《はい。対象者の情報を与えますので、〝凶禍の種〟を植えてください。それにより『選定』を開始します》


「分かったわ。〝人間にとっての【勇者妄執】〟である〝世界にとっての『災害指定存在』〟となるか。それとも〝人間にとっての【魔王躍進】〟である〝新たな世界の『神権保有者』〟になれるのか……。ふふ、人間は言葉の印象から逆の存在を考えたりもしそうなものだけれど……どちら・・・に傾くか、楽しみね」



 ラトは微笑み、そして歌うように両手を広げて天を仰ぐ。

 盲目の瞳の向こう側に、人間の辿る未来を夢見るかのように、歴史の様々な争い、絶望、希望の光景を映し出して。


 ニグがそんなラトの姿に僅かに呆れ、繋がりを断とうとした時、ふとラトが何かを思い出したように小さく口を開けた。



「――それにしても本当に驚かされてしまったわ。まさか私が戯れに蒔いた〝種〟を植え付けられながら、命を落とすでも、発狂するでもなく、力に昇華して同胞になる子が出てくるなんて。ねえ、ニグ? ヨグのお気に入り以外で気まぐれに蒔いた〝種〟が萌芽した子はいるかしら?」


《いいえ、存在していません。いずれも死んでいます》


「あら、残念。いたら私が可愛がって、ヨグのお気に入りにあてがってあげたのに。でも、そうね。いないなら仕方ないわよね? ふふ、〝種〟を植えて回ったら、私が侍りに行こうかしら。ねえ、ニグ? ヨグに許可をもらっておいてくれるかしら? 私が手伝ってあげるから、って。ね?」


《――ダめ》



 その〝声〟は強烈なノイズと共にラトの頭の中で強く響いた。

 常人ならば顔を顰め、頭の痛みに蹲る程の衝撃を伴ったその声であったが、しかしラトはむしろ、待ってましたと言わんばかりに笑みを深める。



「あっは、ヨグも久しぶり。積もる話はあるけれど、まあいいわ。ね、いいでしょう? 許してくれたら私、もっと色々手伝っちゃうわよ? 悪い話じゃないでしょ?」


《……おマエ、お遊ビが過ギる》


「今回ばかりは話は別よ。あなた達が敵対するっていうのは、私にとっても望ましくないもの。そ・れ・に、さっきも言った通り、悪い話じゃないはずよ? それはあなた達だって充分判るはずよね?」


《――……ニグ、キめテイイ。タダし、籠絡、しヨウとすルナ。邪魔ハ、ゆルサない》


「あら、ずいぶんと可愛がってるみたいじゃない。珍しいこと。それで、ニグ。ヨグはこう言っているのだけれど?」


《……はあ。何故私が……。……ラトの協力がある方が、我々、そして彼の望みを遂げる可能性は高くなると判断します。よって、ニグが禁じる行為さえしなければ許可します》


「ありがと。でも、彼から言い寄られちゃったらどう?」


《――そレハ、ナい》


《……ヨグと同じく、私もまた彼に限ってそれはないと断定します。むしろ、下手に手を出し、彼があなたを邪魔な存在だと判断すれば、彼はあなたの正体を知ってもなお、敵対するかと》


「あらら、ずいぶんと信頼されているのねぇ。ふふ、楽しみになってきちゃったわ。それじゃあニグ、それにヨグ。これからは私の事も使ってちょうだいね? 〝種〟だけ蒔いたら、すぐに行くわね」



 それだけ告げて、ラトは名残惜しいとでも言いたげに一度だけ深呼吸して、影を伸ばす。

 影は自我を持ったかのように何本にも枝分かれすると不規則に揺らめき、床から浮かび上がるように空へと伸びて、そのままラトの姿を呑み込み、地面へと吸い込まれていく。

 影がなくなったその時には、ラトの姿もまたその場から消えていた。


 そうして、礼拝堂は再び蝉や鳥の鳴き声の中、時間だけを止めたかのように静寂に包まれたのであった。






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