閑話② その後のダンジョン庁職員の憂鬱





「……やれやれ、ようやく騒動も一段落ついた、というところか」


「そうですね。もっとも、あの謎の現象については未だ解明できていませんが……」



 ダンジョン庁の建物内にある、『東京第1ダンジョンにおける魔物氾濫特別対策本部』と達筆で書かれた看板が置かれた、普段は会議室となっているはずの一室。

 数十名規模で利用できる室内は、この数日は何人もの人間が出入りしているものだが、その全てが出払っており、今では二人しかこの場所にはいない。


 そんな場所でノートパソコンを操作しつつ紙の報告書を横に積み上げ、中年の男性が無精髭を撫でつけながら呟けば、もう一人、斜め向かいに座っていた黒髪をポニーテールにまとめたパンツスーツ姿の女性がその一言を付け足す。


 そんな言葉に男は深くため息を吐き出して、がっくりと肩を落とした。



「ありゃあどう考えたって『ダンジョンの魔王』の仕業だろう?」


「確証のない状況証拠に過ぎませんので、なんとも言えません。むしろ私は、あれが神の仕業とでも言われた方が納得できます。……あんな力が当たり前に存在するなんて、考えたくありませんから……」



 二人が話しているのは、東京第1ダンジョンにおける『魔物氾濫』後、配信に映っていた犯行グループと同じように、突如として空間が割れ、そこから赤熱した赤黒い鎖が飛び出してくるなり、人を割った空間の中へと引きずり込むという騒動についてだ。


 現在も行方不明扱いで犯人は不明とはなっているのは確かだ。

 いくらインターネット上では『ダンジョンの魔王』の怒りによる圧倒的な強さ、そして彼が消えてしばらく経ってから起きた事であるため、『ダンジョンの魔王』によって引き起こされた事件だ、と騒がれていようとも、証拠もない以上は犯人を決めつけることはできずにいる。


 警察も捜査はしているだろうが、そもそも『ダンジョンの魔王』が犯人だったとして、その証拠をどうするのか。またそれ以前に、あの圧倒的な力を有する存在をどうやって逮捕するというのかを考えると、立件したくもない、というのが本音だろう事は容易に想像がつく。

 立件さえしなければ、「証拠もなく、証拠がない以上は事件にできない。だから逮捕する必要はない」と言えるのだ。

 その裏側がいくら透けて見えていようと、建前というものがあれば言い訳はつくというものだ。



「……そういや、おまえさんはちょうど休憩中でテレビを観ていたんだったな?」


「っ、……はい。立河議員が出ていた討論番組、ですね。ダンジョン特区に関する討論を行う番組でしたので、ちょうど食堂で……」


「……なるほどな」



 立河議員と言えば、衆議院議員として名の知れた若い――とは言っても高齢者の多い議員としては、であるが――議員だ。

 ダンジョン特区の開発を推し進めると同時に、特区内の探索者や探索者候補である孤児などに対し、もっとしっかりとしたダンジョン探索義務を与えるべきだと訴える強硬派の筆頭とも言える人物であり、特区外――つまり〝選挙権を有した者達〟からの支持率はかなり高かった。


 そんな人物が、テレビ放送中に突如として背後の空間から飛び出した鎖に縛り上げられ、痛み、それに熱さでも感じていたようで、断末魔の叫び声をあげながら引きずり込まれていくその姿は、お茶の間を凍らせるに至った。

 もっとも、それが立河だけであったのならばともかく、彼と親交を深めていたとされるダンジョン庁の別の課の課長や部長までもが似たような事象によって行方不明となっていたり、今ではダンジョン庁だけではなくあちらこちらで突然消えた人員の捜索、代理を立てることを含めた補充に追われている。


 さらに付け加えれば、それをテレビで見てしまった者は恐怖に縛られながら気絶する程度に留まったが、目の前でそれを見た者はガクガクと震えて発狂して倒れ、起きた時にはその当時の記憶が完全に消えている、というのもまた厄介だ。

 この事実が発覚していたから良かった――とは言い難いが――ものの、行方不明となった人物と最後に同行していた者が失踪の原因を知っているのではないかと、一歩間違えれば拉致や監禁など、犯罪の容疑者扱いになった可能性もあっただろう。


 ともあれ、あまり思い出していて愉快な話ではないだろう。

 男はちらりと顔を青褪めさせた部下の顔を見てから、再び一枚の書類を手に取り、そちらに目を落としながら口を開いた。



「立河議員って言やぁ、特区の開発関係とかに力を入れてたな。探索者の探索義務、孤児の探索義務を強化しろっつー主張だったか。ったく、そんな主張が支持されるっつーんだから、世も末ってヤツだなぁ」


「……崎根さきね課長は支持していなかったんですか?」


「俺ぁその風潮はどうかと思うがなぁ。どうにもきな臭ぇしよ」


「きな臭い、ですか? そうでしょうか? 探索に必要な戦闘技術や知識を得られる環境を提供し、その支援を受けているのですから、義務が伴うのは当然かと思いますが……」



 ――あぁ、コイツもか?

 崎根は話を聞きながら、密かにそんな事を思いながら、一つの質問をぶつけてみることにした。



「なあ、瀬戸。おまえさん、特区に行ってみたいって思ったことはあるか?」


「特区に、ですか? テレビや授業で習った限り、ずいぶんと最先端の技術で優遇・・されているなとは思いますので、見てみたいな、とは思ったりもしますが、それが何か?」


「そうかい。そいつぁ勇ましいこった」


「……? 勇ましい、ですか?」


「んにゃ、なんでもねーよ。オジサンはそんな風に思ったことねぇからなぁ」



 笑って頭を掻きながら、崎根は部下の女――瀬戸の回答に対し、胸の内で諦念を抱いた。


 ――こりゃあ、まだまだ世間知らずなタイプだわ。

 そんな風に崎根は認識を改め、小さくため息を零す。


 ダンジョン特区と呼ばれる地域は、世間一般――つまり特区の外――においては『孤児や身寄りのない子供たちを救い、生きる術を与えるために支援しつつ、我が国のダンジョン資源獲得に協力してもらうが、その代わりに最高峰の専門の教育、最先端の技術で整えられた、豊かな環境を与えている』というのが国の公式発表であり、特区外の子供たちはそんな風に教わり、教育され、メディアでも報道されている。

 故に、一般人から見た特区内の人間たちは『最高の環境を与えられている、戦場に向かうために育てられたプロとその候補である人材』だ。


 この言葉の厄介な部分は、『国が豊かな環境を与えている』という部分を明言しているところだろう。

 その一言を付け加えるだけで、特区の外で生き、特区の実状を知らない者達はやれ「特別優遇するな」だの、「そこまで保障してやるなら成果を出させろ」だの、『自分達より優遇されているなんてズルい・・・。優遇されているのだから義務を果たさせろ』という勝手な理論武装をして「優遇されるならこっちも優遇しろ。それができないなら相手も不幸にさせろ」という、浅ましい心理を発揮する。


 ダンジョン特区の設立当初、確かに特区内は不幸な――否、可哀想な場所だったのだ。

 国から隔離され、ダンジョンなどという危険極まりない場所に放り込まれ、いざという時は戦えというのだから、せめて環境ぐらいは整えよう、という人道的な理由から手厚い支援が始まった。

 かつては、『国が豊かな環境を与えている』という文言は、そんな場所に追いやっている精神的な負担を減らせるための言い訳、という面もあった。


 しかしそんなものは最初だけだ。

 今ではダンジョン特区は、政治家によって都合の良いように、国民の怒り、不満の捌け口として利用されている。

 今では『国が豊かな環境を与えている』という文言だけを部分的に強調し、他者が羨み妬むといった余地を敢えて残している・・・・・・・・のだ。


 私服を肥やしたがる官僚が、己の評価の為だけに税金を上げる事さえ、そのお題目は「特区の支援のために」と宣う始末。

 それらに付随する何かを、国民から突き上げられるであろう内容を成立させるため、強権を発揮するための都合の良い言い訳の小道具と成り下がっているのだ。


 そんな言い訳を信じる国民が、政治家やマスコミの扇動を信じ込み、特区にいる探索者や探索者候補とも言える子供らに対して先述した浅ましい心理を爆発させ、そうして叫ぶ声を世論だのなんだのという名目で取り上げ、後押しさせ、特区の者たちの人権らしい人権すら奪い、資源をより多く手に入れさせる言い訳作りに利用しているのである。


 そんな事にも気付けず、情報の選別、取捨選択すらできない国民たちだけという訳ではないが、そんな狂言を弄する政治に見事に踊らされている者ほど無駄に騒ぎ立てる輩が多いのだから始末に負えない。


 特区にいる探索者たちが、たとえどれだけ頑張って稼いでも、その恩恵は自分たちに回ってくる頃には出涸らし程度でしかないというのに。

 それらの恩恵は政治家の票や大企業の一部の恩恵だけで、関係のない国民には一割以下の恩恵しか得られないという現実を、まるで理解していない。


 どうにも目の前の部下は、そういう〝教育〟を信じており、その風潮を〝当たり前〟として考えているようであった。



「やれやれ……。人事も何かと大変だっつーのに……」


「……? あぁ、今回の騒動で行方不明となった方々の補充ですか」


「……そうだなぁ」



 瀬戸には明確に答えず、崎根は天井を仰ぎ見てから瞑目した。




 ――――ダンジョン庁は常に崎根のように思惑を見透かし、探索者もまた人間であると考える者と、部下のように〝習ってきたことこそが正しい〟と考え、立河のような人間を支持する者達の陣取り合戦のようなものが繰り返されてきている。


 近年、この陣取り合戦は徐々に後者――つまり探索者の探索義務の強化を訴える風潮が強まりつつあった。

 ダンジョン出現当時を知る者たち、その恐怖を知る世代が防波堤となって探索義務の強化などという非人道的とも言える流れを止めてきたが、時が流れ、徐々にその脅威を「どこか遠い世界のこと」としか感じられない世代の者達がポストに就き、権力を手に入れ始めたからだ。


 しかし、この流れに対して一石が投じられたのが、およそ2年前。


 ――ダンジョン配信という存在の出現だ。


 これまで、情報発信されてこなかったダンジョン、そして動画配信、娯楽というジャンルに興味を持たなかった探索者の中に〝情報を発信する〟というジャンルが生み出されたのである。


 これによって探索者が置かれている境遇、ダンジョンの恐ろしさというものが世間に周知される事を、当然ながら国は恐れた。


 もしも探索者が、自分たちの置かれた現状を、その事実を口にすればどうなるか。

 探索者たちが当たり前のものとして受け入れている暮らしに言及すれば、無責任に騒ぎ立てる国民は何を言い出すかなど、予想がつく。

 孤児である子供を死地に追いやるなと騒ぎ立てる者が出てくれば、これまで通りに事を運べなくなるのではないか、と。


 国によってはそのようなものの導入には断固反対としていた。

 それはこの国も同じだった。

 どこの国も反対の理由として挙げた内容は様々であったが、その多くは本音を隠し、「ショッキングな映像による影響が」だの、「子供たちの情操教育上の問題が」だのといったものに留まっていたのだ。


 しかし、『D-LIVE』の創設メンバーによる、「探索者のリアルを伝えたい」という意思に対し、世界共通組織とも言える探索者ギルドがこれの普及に協力することを先んじて発表し、声をあげた。

 さらにこの発表に対し、特区外で生きる者達からも「見てみたい、導入してほしい」という無責任な声も強まってしまったのだ。


 こうなってしまっては国としてもNOを突き付けにくくなり、導入せざるを得なくなってしまったのだ。


 今のところ、探索者たちの発言はあまり問題にはなっていない。

 配信し、情報を発信する側となった探索者たちが、そもそも自分たちが異常な環境にあるとは思っていない事が起因している。


 もちろん、特区の内外に生じた違いに気付き、声をあげた探索者もいたが、その人物に対しては「優遇されているのだから当たり前だ」だのと責め立てる声が多くなり、逆に配信を辞めるという立場に追い込まれていたりもする。

 もっとも、そうしたコメントを送っているのが、そもそも国の体制側の工作という部分もない訳ではない。だが、その多くが僻み、妬みといったものをぶつける事で発散する一般市民だというのだから性質が悪いとしか言えない。




 ――――崎根はこれらの背景や状況を鑑みて、今回の騒動に伴い部下として配属された者が〝教育〟された側であり、それを疑わない人物であると判った以上、傍に置き続けるということを許容するつもりはなかった。


 ダンジョン庁には簡単には見られないものの、『特区調査報告書』という資料が幾つも存在している。

 それらを見れば、お世辞にも「特区に行ってみたい」など、常人が思うはずもないだろうに、と崎根は思う。

 特区の現実を、その事実を知らない、与えられただけの知識で知ったつもりになり、実際に知ろうとはしていないからこそ、「見てみたい、行ってみたい」などと軽々しく言えるのだ。


 人事部の苦労を思いつつも、面倒をかけてしまうなと申し訳ないと思いながら、顔馴染みで数年来の付き合いである仲間の「またか」という苦笑を思い浮かべ、胸の内で謝罪していたのである。


 思想や学んできた知識、常識とは全く違うものというのは、そうそう簡単に受け入れられるものではない。

 時間をかけて背景まで説明し、いちいち付き合っていられるだけの時間は、今の状況で捻出する余裕はないのだ。


 何せこれから、間違いなく世界はダンジョン出現当時に近い――いや、さらなる激動の時代に逆戻りするのだから。




「ともあれ、これから忙しくなるのは間違いない、か。あの『天の声』で聞こえた勇者だの魔王だのが誰なのか。そもそもそれが一人なのか、複数なのか。それに『魔物氾濫』が世界全てで止まるのか、それとも周辺一帯なのか。なんの情報もねぇからな」


「そうですね……。ですが、魔王についてはかの『ダンジョンの魔王』で間違いないのではないでしょうか?」


「バァカ。そもそも俺らが『ダンジョンの魔王』って呼んでるだけで、そんな言葉を肯定して自己紹介してくれたって訳じゃねぇだろーが」


「っ、そうでしたね……」


「俺ぁむしろ、アレがダンジョン側か、あるいは『天の声』の直属の部下で、この世界での調整を担当する存在って言われた方が納得できるし、そうであってくれと願っているがな」


「何故ですか?」


「あんなのが魔王になったら、人類は絶対勝てねぇだろーが。そうなれば、ダンジョン領域の拡大、『魔物氾濫』の常態化って話だ。場合によっちゃあ……――」



 ――もう特区だなんだと言ってる場合じゃなくなるかもしれねぇんだからな。

 そんな事を思いながら、崎根は深く深くため息を吐き出した。






◆――――おまけ――――◆


しそー「なんつーか、おまえの言動のせいで平和的な世界かと思ってたけど、割とディストピアチックよな、この世界」

まおー「そう? 色々な思惑やらが重なった現実なんてこんなもんでしょ」

しそー「おいやめろォ!? 作者ァ、コイツどうにかしろォ!」

作者「はい、明日から第二章始まりまーす」




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