『月華』




 長野県某山中。

 一般道から外れて山道を突き進み、申し訳程度に切り開かれた獣道にも近い道を通り抜け、木々の間を縫うように進み続けてようやく辿り着けるようなその場所は、人の手が入らなくなって久しい。


 そんな場所に佇む洋風の造りの屋敷があった。

 造りはゴシック様式で、海外の貴族のお屋敷さながらといった建物だ。


 ひっそりと、まるで世間から隠れるように建てられたその屋敷は、かつての国会議員のお忍び用の避暑地として利用されていた建物であったが、正式な主がいなくなってからというものの、打ち捨てられ、今では財産を記した書類上でのみ存在が確認できる。

 誰の記憶からも忘れられた場所であった。


 そんな建物の敷地内には、荘厳さすら感じさせるような立派な礼拝堂が建てられている。


 当時この屋敷を建てた者が敬虔なクリスチャンであり、誰かを招いて見栄を張るでもなく、ただただ「神への礼拝の場である以上、しっかりとしたものを建てるべきだ」という考えから建てられているこの場所は、もはや教会として機能する事さえ可能なほどに広く、充実していた。


 広い礼拝堂。

 並べられた長椅子、採光用の天窓、美しいステンドグラス、雄大な十字架が置かれたその場所は、荘厳で美しかった。


 しかし今では、礼拝者用に並べられていた長椅子は撤去され、いくつか壁際に寄せて置かれているような荒れた有り様であった。

 乱雑に、規則性もなく適当に置かれた椅子には数名の男女がまばらに腰掛けており、そのどれもがおよそ凡人とは思えない気配を漂わせており、壁際には数十名ほどの者達が立って待機している。


 年齢層は様々だが、そのどれもがおおよそ若いメンバーであった。

 もっとも、若いとは言え二十代前半から三十代後半といったところではあるが。


 そんな礼拝堂の奥、祭壇のあるべき場所には、一脚だけ豪華な椅子が用意されている。


 そこには一人の男が座っていた。


 歳は二十代後半といったところか。

 まだまだ年若く、しかし切れ長の瞳は冷たく、相応の修羅場を潜り抜け、世間の闇を見てきたような、そんな目をしている。

 豪華な椅子にもたれて足を組んでおり、肘置きに肘をつき、緩く握った拳をこめかみ辺りに当てるようにして頭を預けていた。


 やがて礼拝堂の入口の扉が開かれ、二人組の男を従えるように、一人の男が入ってきた。



「おぉ、これは『盟主』様。今回は非常に助かりましたよ、えぇ」



 連れられて入ってきた男は、かの『燦華』のパーティを襲い、テロ計画を仄めかしていた男、灰谷京平であった。


 どこか真新しい服に、彼のトレードマークとも言える白衣。

 それらはつい最近新たに購入して用意されたものであることが見て取れる。


 礼拝堂の奥、豪華な椅子に座る『盟主』と呼ばれた男が、灰谷の相変わらずといった様子に、どこか呆れたように僅かに瞑目し、小さく嘆息した。



「無事で何よりだ、『研究狂』」


「えぇ、えぇ。おかげさまでこうして自由の身に戻れました、ハイ。新しい服なども用意していただき、感謝しておりますとも。それに、幹部の皆様まで勢揃いとは、ワタクシ、そこまで愛されていたという自覚などございませんがねぇ?」


「安心しろ、お前に会いに来たという訳ではない。最近、東京の拠点周りが慌ただしくてな。この仮拠点に一時的に集まっただけだ」


「くふふ、でしょうなぁ」


「『鍵兄弟』、お前たちも奪還と護送の任務ご苦労だった」


「うす」


「いえ」


 短く言葉を返したのは、灰谷をこの場所まで連れてきたスキンヘッドが特徴的な大きな体躯を持つ兄と、対照的に長い髪で目元を隠している細身の弟の二人組であった。


 警察署からの護送車両の襲撃。

 今回、東京第一ダンジョンにてこちらの〝組織〟――『月華ユェファ』のメンバーである『月狼』が企てた騒動は、半分はこの奪還の陽動という目的も含まれていたのだ。



「さて、『研究狂』。お前が今回捕まった原因、確か『ダンジョンの魔王』とか言われている子供のせい、だったな?」


「えぇ、そうですとも。拘留所でもあの少年の噂は聞いていましたとも。まったく忌々しい限りですねぇ、えぇ」


「その『ダンジョンの魔王』とやらが、つい先程、『月狼』の前に姿を現したそうだ」


「おぉ、それはそれは。彼の領域魔法、あの興味深い魔法があるのなら……」


「あぁ、そうだ。あの魔法ならば負けることはないだろう」



 東京第1ダンジョンを標的とした今回の騒動。

 その目的は、陽動以外には大きく二つある。


 彼らの組織――『月華』としてはまず、報復と共に自分たちの力の見せしめを行いたいという狙いもあり、『配信可能なダンジョンであること』を前提に選定したこと。それに加え、この島国での活動支援者の一人である国会議員の要望だ。


 先日、『月狼』が話を持っていった際に、協力者であり支援者である国会議員が、己の利権が絡む開発事業として狙っている場所こそが、東京第1ダンジョン周辺の土地だったのだ。

 しかし、『大自然の雫』とはそのクラン名に恥じず、「雄大なる自然の恵みに生かされ、自分たちもまた自然と共に生きていく」という理念の下に立ち上がったクランだ。当然ながら、利権が絡むだけの土地開発など到底見過ごせるはずもなく、反対派の旗頭として大重の存在があった。

 そこで、『大自然の雫』の組織力の低下、延いては『日本最強の一人』とも言われている、クランマスターである大重を処分しておきたいという目的があっての事だった。


 灰谷を捕まえた際、『ダンジョンの魔王』は言った。

 ダンジョンの摂理を乱し、魔物の誇りを穢した者を裁きにきたのだ、と。

 その言葉を考えれば、『魔物氾濫』を引き起こすとなれば、必ず出てくるだろうことは予測がついていた。


 ――――もっとも、彼方颯という人物を知る者からすれば、その予測は見当外れだとせせら笑う事にはなるのだが、彼らはそれを知る由もなく――――。


 彼ら『月華』の今後の計画――つまりは魔物を使役するという方法を取ることを考えれば、魔物側と思われる『ダンジョンの魔王』という存在は邪魔になる。

 報復対象である事はまず間違いなかったが、今後を考えると早めに倒すべき相手である事は間違いなかった。


 『月華』の力を知らしめつつ、今後の活動の邪魔になるであろう『ダンジョンの魔王』を消しておきたい組織側。

 そして『魔物氾濫』の危険性を強く訴えることで、ダンジョン周辺の地域やダンジョン特区となって放置されている場所を開発し、対策を強化するという名目で利益を得たい国会議員。


 そしてどちらも、あわよくば『ダンジョンの魔王』を手持ちの駒として欲してもいた。


 そういった背景から、両者の利害は一致していた。


 故に、『月華』から『月狼』が動いた。

 彼の得意とする領域魔法は、こと〝待ち〟の戦法においては最強とも言える。

 さらに、当人もまた位階Ⅷという世間一般で言うところの一流の実力者だ。


 魔物を操って『魔物氾濫』を利用し、『ダンジョンの魔王』をキルゾーンを構築しつつ呼び出し、そこで報復がてらに消す。その姿を世界的にアピールし、組織の名声を高める、という目的もあった。

 事実として、彼はその領域魔法内であれば、あの『深層の悪夢』すらも余裕をもって倒せてしまうのだ。もちろん、代償となる生贄は相応の数が必要とはなるが。


 国会議員側もまた、騒動の拡大化に努めた。

 テレビ局を含めた各種関係者に手を回し、『月狼』の犯行声明を大々的に報道させるよう命じ、裏で取引を行ったのだ。


 今回の騒動は、こうして引き起こされたのであった。


 ――――しかし。



「――し、失礼します! ご報告が!」



 慌ただしく礼拝堂へと入ってきた男の声に、周囲の注目が集まった。



「良い、話せ」


「は……はっ! 『月狼』様が……負けました……」


「なんだと?」



 入ってきた男は、礼拝堂の外で『月狼』の配信をチェックしていたチームの報告担当であった。

 てっきり『ダンジョンの魔王』がもう倒れたのか、と『盟主』が考えたところに齎された報告の内容に、『盟主』の眉間に皺が寄り、周囲がどよめいた。



「『月狼』様は四肢をもがれ、『大自然の雫』に現在拘束されている模様です!」


「ふむ。――そちらに配信を映せ」


「は、はっ!」



 祭壇の横に置かれた自立スタンドに駆け寄り、男が手に持ったタブレット端末の画面を接続して映し出す。

 やがて『月狼』が配信用に飛ばしていたドローンによって映し出される、凄惨とも言える現場の惨状を映し出した映像。そして、流れるコメントの数々が目についた。



:ぐろ

:めっちゃ吐いた

:さすがにこれは魔王様

:人体が溶けるとか夢に見そう

:草も生えてこねぇんよ

:あの黒翼、カッコエェと思ってたら思ってた以上の殺戮兵器で草

:こんな時にも草生やすコメントしてることに草だが

:まあ、ついさっきまでコメントほぼ止まってたしな。同接50万オーバーなのに

:魔王様の黒翼無双入った時、同接20万台まで落ちた話する?



「――っ、これは……」



 四肢を失くして倒れている『月狼』と、腕や肩、足が溶けて倒れる『月狼』の部下たちの姿と、一応の治療を試みる『大自然の雫』の面々。

 何が起こればこんな惨状が生み出されるのかと目を瞠る者もいれば、その映像のグロテスクさに思わず嘔吐しかけ、慌てて外に駆けていく者もいた。


 映し出された映像、そしてコメントの流れを見つめながら、『盟主』が顎に手を当てる。



「……やはり、『ダンジョンの魔王』によるものか」


「……しかしあの小僧の姿が見当たりませんねぇ。もう去ったのでしょうかね?」



 比較的グロテスクな光景というものを目の当たりにする機会が多い灰谷が、顔色一つ変えずに声をあげる。


 確かに、画面の中には『ダンジョンの魔王』の姿は見当たらない。

 今も動いているのは『大自然の雫』の面々のみであり、コメントの流れを見た限り、とっくにその場を立ち去ったようであった。



「映像を観ていたお前、何があった? 『月狼』は何故負けた?」


「それが、その……。『研究狂』様のあの一件の時と同様、映像が何度も乱れていたので、詳しくは解析チームの報告を待っていただきたく……」


「構わん。お前が見たものを報告しろ」


「……はい。あの『ダンジョンの魔王』は、現れてすぐに領域魔法を内部から魔法の一撃で破壊しました」


「ふぅむ、それはどうやって、ですかねぇ? 領域魔法はそんなに簡単に、しかも内部から敗れるような〝法則〟をつけるとは思いませんがねぇ」



 周囲がどよめく中で、灰谷だけが興味津々といった様子で問いかける。

 声をかけられた報告役の男は、それから辿々しく説明を続けた。


 領域魔法が破られたこと。

 その後、『ダンジョンの魔王』が何故か哄笑し、映像が何度も途切れたこと。

 次の瞬間には、魔王の背中から黒い翼が生えて、そこからひらひらと舞った羽根が、全てを一瞬で爛れさせ、溶かしていったこと。



「――そうして最後に、今度は映像も途切れることもなく、一瞬で『月狼』様の四肢を……翼を刃に変えたかのようにして、斬り飛ばしました……。そこで急ぎ『盟主』様に報告すべく、こちらに報告にやって参りました」



 一通りの説明を聞いて、その反応は様々であった。

 顔を青褪めさせる者もいれば、噂通りの『ダンジョンの魔王』の強さに震える者もいる。


 その反応は様々ではあったが、椅子に座っている数名――幹部級と言われ、名前ではなく通り名のようなもので呼ばれる者たちについては、これから始まるであろう戦いに胸を踊らせているようにも見える。


 しかし、『盟主』はそんな幹部たちの顔を見てから、一度小さくため息を漏らした。



「……『月狼』と領域魔法で万全の状態を作り上げておきながら負けたとなれば……仕方あるまい。しばらくは魔王とやらに手を出さず、様子を見る事にする」


「――ッ、『盟主』様、何故ですか!?」


「幹部級複数で当たれば、『ダンジョンの魔王』ぐらいどうにでもできます! それよりも祖国での突き上げが大きくなる方が厄介です!」



 やはりか、と『盟主』は思う。

 彼ら幹部級の者たちは、それこそ表舞台に立っている『日本最強』と言われるような者たちに位階でも負けていない。それどころか、超えている者さえもいる。

 当然ながら、彼らの矜持がここで手を引くなどという屈辱をあっさりと呑んでくれるはずもなかった。



「ふぅむ……、皆様少々落ち着いていただけますかねぇ? 『盟主』様、様子を、とは具体的にどのような事を想定されていらっしゃるので?」



 唯一、幹部級の中であっても『研究狂』だけが冷静であったようで、『盟主』へと冷静に問いかけた。

 その姿に熱が下がったのか、周囲も押し黙り、『盟主』の言葉を待つように彼ら彼女らも押し黙った。



「無論、お前たちの言いたい事は分かっている。我々の邪魔をしたのだ、必ず報復はさせてもらうつもりだ。ただ、さすがに『月狼』クラスの位階を持った戦士をこの短い時間で追い詰めたような相手となると、こちらも全勢力をぶつける必要がある」


「ふむふむ、道理ですねぇ。アレはそうそう簡単には殺せそうにありませんからねぇ」


「あぁ。だから、一旦は活動を控え、まずは少しでも『ダンジョンの魔王』の情報を集めろ。些細な情報でも構わない」


「ふむ? つまり『盟主』様は、『ダンジョンの魔王』とは人間である、と?」


「そうだ。故に、少しでも『ダンジョンの魔王』の正体に該当しそうであれば、可能性が低くとも徹底的に洗って、疑わしきは殺してしまえば良い。まずは奴が現れた神奈川、東京一帯の捜索から――」




「――その必要はないよ」




 組織の構成員、そして幹部級の者たち。そして『盟主』すらも、その声が聞こえてくるまで、その存在を知覚できていなかった。


 その声は、『盟主』の後ろから聞こえてきていた。

 咄嗟に顔を向ける者、距離を取る『盟主』たちが見たものは、美しい黒翼。




 ――――そして、左手の人差し指と中指を立てて横向きに左眼を挟むように構え、舌を斜め上に出している、いわゆるテヘペロ風な顔で佇む黒髪黒目・・・・の少年。




「てへ、来ちゃった☆」




 付き合いたてで熱の上がったカップルの片割れよろしく、強烈なウザさを発揮して口を開いたその者は、『ダンジョンの魔王』でもなんでもない、彼方 颯であった。







◆――――おまけ――――◆


しそー「うわぁ……」

おーが「え、ちょ、なんでw てかもうこれホラーじゃんwwww」


Yog「(びくっ!? ブルブルブルブルブルブル)」

天「うひぁっ、くすぐったい!? あははははやめ、ちょ、Yog!?」




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