〝呪い〟




「――ぐ、ぅぅ……ッ!」


「まったく……! これが魔法でもなんでもないなんて……っ!」


「これ以上は、もう……ッ!」



 大重の指示を受けて、弓谷、萩原、丹波の3人が張った魔力による結界。

 本来ならば攻撃魔法を防ぐために用いられる格子状に輝いた光の結界が、ビシビシと音を立てて罅割れては砕け、また次の瞬間には誰かが魔力を注いで新しい結界を構築する。


 ――これが、『ダンジョンの魔王』の力……。

 結界を何度も、何重にも構築してどうにか耐えられる膨大過ぎる魔力が、哄笑する魔王から放たれた感情の発露による代物である事は、丹波にも理解できた。


 結界の中に避難させられた鬼島はすでに腰を抜かしてへたり込んでしまっており、倉本もまた唖然としながらも腰を落として身構える事で精一杯という有り様。

 大重だけが、いつでも飛び出せるように、けれど必死に歯を食い縛っているという状況である。


 まだまだ若い鬼島や弓谷は、どちらかといえば安全マージンを充分に確保した探索で成長してきた。

 それは『大自然の雫』の育成方針でもあり、クランマスターである大重が、新人をしっかりと一人前となれるよう育てるために尽力してきた賜物である。


 ――しかしそれは、裏を返せば〝圧倒的不利を知らない〟という事だ。


 安全な探索を中心としており、『魔物氾濫』の対策に駆り出されても己の対処できる範囲での戦闘を主とする。故に、圧倒的な上位の魔物を前にした時、心が折れずに立ち向かうだけの胆力も、圧倒的強者に対する立ち向かい方も学べていない。


 しかし、これは何も『大自然の雫』だけに言えることではなく、近年の探索者界隈全体に言える傾向であった。


 ある程度安定して稼ぐことができるのなら、無理をしてさらに深く潜ろうとする探索者は少ない。

 何故なら、無理をしなくても充分に裕福な生活ができるからだ。

 命を懸けてまで深くまで潜らない。潜る理由がない。


 己の強さを磨く者、まだ見ぬダンジョンの奥を見たい者、名声を一身に浴びたい者、金を稼ぎたい者。

 価値観や目標は人それぞれだが、それらはどれも等しく強欲だ。

 そんな強欲さを、貪欲さを持つ者を除いて安全な場所で、安全な探索だけを行う。探索者界隈の実状であり、現実だ。


 しかし、それでも窮地における立ち回りを学ぶ者もいる。

 それは弓谷のような回復役だ。


 探索者以外の者には「回復役はひ弱で、心も脆い」といったイメージを持たれがちではあるのだが、実は違う。


 回復役として戦う中で仲間が傷に、毒に苦しみ、そんな状況を自分が支えなくてはならないという命の瀬戸際に立たされる。

 己の判断が、回復が、選んだ治療方法が間違っていれば、その者も、支えている仲間たちも命を落とす環境で、ただひたすらに冷静に己の役割をこなさなければならないのだ。そうした経験が蓄積され、おかげで窮地に対する耐性が得られるのである。


 心が鍛えられなくては、命を守る瀬戸際で冷静な判断などできるはずもない。

 身体が恐怖していても心が奮い立ち、無意識にでも魔力を動かせる。


 だから、どうにか耐えられた。

 冷静沈着で経験を積んできた丹波、熟練とも言える萩原、そして胆力を鍛えられる回復役の弓谷。

 今回の実行犯ら4人が見えない何かに圧し潰されているその中で、『大自然の雫』は咄嗟の反応で魔力の侵入を抑え込む事に成功していた。


 しかし、あと数秒程度で限界が訪れるだろう。

 丹波がそう考えた、その時だった。




「――あぁ、もういいや。おまえたち・・・・・邪魔だな・・・・




 ふっと重圧が消えて、どこか飄々としていて接しやすくすら思えていた『ダンジョンの魔王』が、無感情に、まるで独り言のように呟いた声。


 決して大きくはない、けれどその場にいる誰もの耳に届いていた。


 刹那――――


 ぞわりと背を走る悪寒が。

 生存を促す本能が。

 探索者として戦いの中に身を置いていた経験が。


 ――――総じて叫ぶ。


 始まるぞ、と。


 けれど丹波は目の前の光景を見て動けなかった。

 丹波だけではなく、『大自然の雫』の面々も、敵の4名も。

 誰も魔王を見て動こうともしなかった。


 ――綺麗。


 この緊迫した状況の中で、逃げたいと思っていた事さえ忘れて、その光景に目を奪われ、そんな感想すら抱いていた。


 紫がかったような青みがかったような、光を吸い込むような黒色の翼。

 天使、あるいは堕天使を彷彿とさせる翼が、『ダンジョンの魔王』から左右へと伸びていた。

 静寂の中で、はためいた翼の音が鳴り響き、ひらひらと羽根が舞う。


 僅かに時が止まったような、その状況の中。

 漂ってきた腐臭に気が付き、倉本と大重が一瞬目を見合わせた。

 熟練としての探索者としての勘、あるいは生き抜いてきた修羅場の中で培ってきた感覚が、その危険性を強く訴えたのだ。


 急ぎ二人が仲間たちに振り返ると、ちょうど一枚の羽根が弓谷の近くをひらひらと舞っており、弓谷がそれを手で取ろうと両手を掬うように構えているところであった。



「――その羽根に触れるな!」


「え……――わっ!?」



 大重が叫ぶとほぼ同時に、倉本が弓谷の襟首を掴み、舞い落ちてくる羽根から離れさせた。

 その一枚の羽根がダンジョンの床に触れた瞬間、擬態が解けたかのように液状化し、じゅうじゅうと音を立て、ダンジョンの床に焦げ跡を残して消えていく。 



「これは……!?」


「やはり、か。これはただの羽根ではない。おそらく、あの一枚一枚が強力な呪を帯びている。いいや、むしろ呪そのものによって形成されていると言えるような代物だ」



 倉本の言葉に、全員の顔が再び強張るのも無理はない。

 何せ〝呪い〟という力は、探索者にとっては「致死性の最も高い状態異常」という認識があるからだ。


 毒や石化といったものもあるが、これらは状態異常を回復するポーション、あるいは魔法でどうにかできるが、〝呪い〟の場合は一概に解呪魔法で解呪可能、とはいかない。

 というのも、〝呪い〟の中には悪辣な仕掛けが残っていたりするのだ。


 たとえば解呪魔法に反応して増幅するようなもの。

 あるいは、解呪しようとした者に向かって攻撃するもの、感染するものなどもあるからだ。


 その判別や、強固な〝呪い〟である場合は解除が難しく、手の打ちようがないものが多すぎるのである。


 ――もしも弓谷があのままこの羽根に触れていればどうなっていたか。

 そんな想像を巡らせようとしたその瞬間に、その〝答え〟を示すように耳を劈くような叫び声があがった。



「ぎゃああぁぁぁッ!?」


「あ、ああぁぁ……っ!? お、俺の足、足がぁ……ッ!」


「ああぁぁぁぁっ!」



 突然あがった叫び声に、『大自然の雫』の面々が声の主である敵の男たちへと顔を向け、そして息を呑んだ。



「っ、なに、よ……、あれ……」


「あれは……溶けて崩れ落ちている……?」


「あんなの、解呪なんてそもそも無理じゃない……」


「う、うぶ……っ」



 じゅうじゅうと音を立てながら、まるで氷が鉄網の上で形を崩していくかのように、男たちの手が、足が、衣服と共に崩れ落ちていく。

 たった一人、『ダンジョンの魔王』へと挑発を繰り返したその男の周囲の切り取るように、青黒く、紫めいた淡い光を纏った羽根がひらひらと舞いながら落ちていた。


 顔を青褪めさせながら口元を抑える『大自然の雫』の女性陣と、せり上がってきた吐き気に耐えられずに嘔吐する鬼島。


 そんな仲間たちの様子を見て、大重は折れそうになった心をどうにか己を奮い立たせ、己に言い聞かせる。


 もしも今、あの『ダンジョンの魔王』が不意に標的を自分たちへと向けたら、その瞬間に、自分たちは容易く殺されるだろう。

 そうならない事を祈りながらも、けれどもしもの時は、せめて自分の命を差し出してでも守らなくて、何がクランマスターか、と。


 ――いざという時は、一か八かでも時間を稼ぐ。

 そう決意して顔をあげたその時、魔王は無感情な、およそ人とは思えないような冷徹な表情のまま、大重を見つめて佇んでいた。


 その目は先程までの飄々とした時のものはまるで違っていて、大重は思わず言葉を失った。



アレ・・、キミたちも用があるんだよね? 残しておくから好きにするといいよ」


「……っ、いい、のか……?」


「別に構わないよ。結果は何も変わらないから」



 ――あぁ、コレは人外の存在だ。


 何にも興味を持っていない瞳と声。

 ただただ映像として周囲を見つめ、ただただ見えたものが〝何〟であるかを認識するだけで、そこに微塵も感情を動かしていない。


 路傍の石を見るような、という表現がある。

 だがそれはあくまでも、ありきたりで価値のないものに対し、興味を抱いていない事を指しているのだと理解できる。


 しかし、『ダンジョンの魔王』の目は、声は。

 そもそも判断するしないという以前の話のようであった。


 稀有であろうが、価値があろうが、そもそもそんなものを判断するつもりもない。

 すでにこの人外の中にある絶対的な基準によって価値が決められており、それ以外の要素が入り込む余地を一切残していないのだと、大重は理解した。


 一言でも間違えれば、この人外は自分たちすらも関係なく殺す。

 感情など動かさず、呼吸をするように、一息で消し飛ばす事さえ迷わない、躊躇わないだろう、とも。


 僅かな沈黙。

 しかしその瞬間、『ダンジョンの魔王』は振り返り、挑発を行った主犯格の若い男の両手両足を、右側の片翼を鋭利な刃に変えて斬り飛ばした。


 一瞬、ほんの一瞬だ。

 誰も彼もが『ダンジョンの魔王』に注目していたというのに、件の『ダンジョンの魔王』が動く気配も、動いた形跡も誰も感じ取れなかった。

 彼ら彼女らの目には、ほんの一瞬で違う写真を上から重ねたかのように、ただ唐突に結果だけが示されていた。



「あああぁぁぁッ!? あが……っ、う、でが、足がぁ! ぐっ、溶けで……!」


「うるさいよ。僕の邪魔をしたおまえが、どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、その〝呪い〟はキミに死という救いを与えない。意識を手放すことも認めない。僕の邪魔をしたおまえを赦すことはない」


「な、にを……――ひ……っ!?」


「おまえが死ぬ方法は、すでに・・・決まっている・・・・・・


「ぁ、ああぁぁぁ……ッ!」



 守護者部屋に、叫び声をあげる男たちの声だけが響く。

 その中で『ダンジョンの魔王』だけが、表情一つ変えずに淡々とそれだけを告げて、再び大重へと振り返った。



「猶予は1時間、といったところかな。その時間が過ぎれば、アレも、アレの仲間たちも等しく滅ぼす。だから、それまでは好きにするといいよ。僕はちょっと用事があるからここを離れるしね」


「っ、待ってくれ! 一体何をしようと――」




「――おまえも邪魔するのか・・・・・・・・・・?」




「っ、違う! そんなつもりは……!」


「……うん、まあキミたちはまだ・・大丈夫だったね。ごめんごめん、ちょっとだけ気が立っていてね。それで、何をしようとしているのかが聞きたいってことかな?」



 飄々とした素振りに物言い。

 だが、その目は先程から何も変わっておらず、一瞬だけ見せた明確な殺気に、大重の身体は震えていた。


 それでも、言う事を聞かない身体を無理やり動かして、大重は頷いて答えた。




「そうだなぁ。強いて言えば、ちょっとしたゴミ掃除かな?」




 優しく笑うように口角をあげて、けれど、その目は何も変わっていない、何も映していない。

 それはまるで、笑顔を象った仮面か何かのようだと、大重は思う。


 そんな大重の目の前で、『ダンジョンの魔王』は両翼を広げて己の身体を隠し、次の瞬間には翼が風化して崩れるように煙になって解けていく。




 うめき声と、叫び声。

 腐臭と静寂だけをその場に残して、『ダンジョンの魔王』は姿を消した。




 世界規模で名の知れている探索者、『日本最強の一人』に対して。

 探索者として名の知れている『大自然の雫』の精鋭部隊、その錚々たるメンバーにも。

 配信を観ていた、探索者として活動する者も、そうではない者までも。




 例外なく全ての存在に対し、その存在を知らしめたのであった。






◆――――おまけ――――◆


Yog:「(満足気に揺らめいていたかと思えば、揺れが激しすぎて荒れ狂う)」

天:「……あの、Yog。ちょっとやめてもらえませんか? こっちにまで影響が……」

Yog:「(しばし安定。しかし羽根の効果で縦揺れを追加)」

天:「ちょっ、Yog? やめ――わっぷ」

Yog:「(一瞬の颯の殺気シーンで今度はぷるぷると振動。なお、超音波洗浄級の高速振動)」

天:「……流れるプールとジャグジーか何かの融合体ですか、あなたは……」

Yog:「(ご満悦)」








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