理不尽




「――あン?」



 東京第1ダンジョン、深層手前。

 本来なら『試練の門番ゲートキーパー』がいるその場所に、下層側から繋がる扉がゆっくりと開かれていく事に男が気が付き、声を漏らした。


 扉を開けて入ってきた存在は何者か。

 それを確認するように仮面をつけた男が目を向ける。


 入ってきたのは6人の男女、『大自然の雫』の精鋭部隊だと男が気が付いた時――すでに大重は、その男まであと一歩で届くというところまで一瞬の間に距離を詰めており、その手に持った大剣を斜めに斬り上げるように振りかぶっていた。



「――おおぉぉぉッ!」



 ――獲った、と『大自然の雫』の面々も、そして大重も思う。

 斜め下から胴へと迫るその一撃は、これから何をどうしようと避けられるはずがない。

 隙を晒したその一瞬を逃がすほど、大重という男は甘くはない。


 確かに男は反応できていなかった。

 身体を動かして致命傷を避けるような行動はもちろん、防御も、反撃も、戦う上で取るべき行動は一切取れていない。


 しかし、振るわれたその大剣は、仮面をつけた男の身体を素通りした・・・・・



「な……ッ!?」



 素通りした大剣を見送る形となった仮面の男。

 しかし男は大重に反撃するどころか、後方に跳んで距離を取り、首を鳴らして凝り固まった身体をほぐしている。


 ――今の感触は、幻影……いいや、確かに斬った感触があった。なのに、結果だけが書き換えられたようだ。


 たった一度の感触で、大重はその術式に当たりをつけ、眉間に皺を寄せた。

 守護者部屋に入る際、丹波に守護者部屋の内部の魔力を解析させ、罠などの類を見破ったはずだ。

 事実として丹波が看破したおかげで、室内に仕掛けられている罠などは見破ることはできた。


 だが、おそらくそれは簡単な魔法で、見破ることを前提に隠蔽したのだろう。


 魔力解析によってあっさりと姿を見せた見破らせるための罠を見て、「罠を見破った」と思わせるための仕掛けだ。

 ダンジョンにそういった類の罠が存在しないため、探索者が陥りやすいブラフを利用した心理的なトラップだったのだと悟り、大重は警戒度を引き上げた。


 ――コイツら、対人戦のノウハウがあるタイプか。

 丹波の推測、そしてこのやり口から、ただの愉快犯という線はない。

 人殺しを得意とする類の輩であることを、大重は確信した。



「誰かと思えば、随分なご挨拶じゃねェかよ、えぇ? 『日本最強』さんよォ」


「……俺たちのホームを荒らしておきながら、俺たちが笑って許してやるとでも思ったか?」



 先程までとは一転し、今度こそ怒気を隠さずに大重が告げる。

 常人ならば容易く意識を刈り取られるような強烈な殺気を前に、中央で大重と対峙する男はもちろん、その他の3人もまた、身動ぎする事もなく耐えてみせた。


 ――なるほど、コイツ以外もなかなかやるらしい。

 警戒レベルを上方修正する大重に対し、しかし正面に対峙した男は余裕を崩さず、仮面で顔の上半分が隠れていても分かるような、嘲笑うような態度を口角をあげてみせた。



「いいやァ、そうは思わねェさ。どっちかっつーと、むしろテメェらがここに来てくれねェかなって、待ち焦がれてたぐれェだぜ?」


「ほう。招待してくれたとでも言うつもりか?」


「魔王とか騒がれてる、いけ好かねェガキを殺す前座・・ぐれェにはなるだろうよ。視聴者オーディエンス共も、いい加減動きがなくてウンザリしていた頃だろうからよォ。飛び入りゲストは歓迎だぜ? まして、それが『日本最強の一人』なんて言われてるようなヤツなら、不足はねェってなモンよ」


「俺の相手をするのに、貴様が相手である方が不足というものでなければな」


「いいねェ。その伸びた鼻っ柱、叩き折りたくなってきたぜ」



 睨み合う大重と仮面の男。

 大重に加勢すべく後方から丹波らが駆け出そうとした、その時――――



「丹波ッ! コイツは〝領域魔法〟の使い手だ!」


「――ッ、皆さん停止を! 〝法則ルール〟の解析を試みますッ! 絶対に領域内に入らないでくださいッ!」



 ――――大重の叫ぶ声、その意味を汲み取って丹波が足を止めて声をあげる。

 幸いにも〝領域魔法〟と呼ばれたその魔法の効果範囲内に足を踏み入れる前に丹波が声をあげたおかげで、『大自然の雫』の面々はどうにか領域内に取り込まれずに足を踏み留めることに成功していた。


 その姿を見て、大重と対峙する男が感心した様子で手を叩いた。



「おーおー、やるじゃねェか。マイナーな領域魔法をしっかり勉強してるとは、優秀なこった」


「……やってくれる。まさか、領域魔法なんぞをダンジョンの中で見る事になるとは思わなかったぞ」


「ハッ、そりゃあそうだろーな。何せコイツは仕掛ける準備も含めりゃ、手間が大きすぎる代物だからなァ。基本的に前に進む探索者とは相性の悪ィ魔法だ。だが、こうして発動しちまう事さえできちまえば、強ェ魔法だぜ? 分かるだろ、『日本最強の一人』であるアンタならよォ」


「分かるさ。12年前の神奈川南部防衛戦を戦い抜けたのは、領域魔法――いいや、当時は呼び方が違ったな。確か……――」



 ――――生贄・・魔法、と。


 そう呼ばれていた魔法が領域魔法という新たな名前になった経緯を、大重は思い出していた。


 この魔法が脚光を浴びたのは、今から12年前、神奈川南部で引き起こった『魔物氾濫』時の事だ。

 ダンジョン出現の黎明期を乗り越え、ありとあらゆる者達が魔法を開発していたその時代に、『悪魔契約』と呼ばれるような旧時代の黒魔術に注目して生み出された魔法、それが生贄魔法だった。


 生贄を指定し、その存在を代償に強力な魔法効果を引き出す。

 当初は魔物から手に入った魔石などを生贄として発動できればと注目されていたが、魔石に内包されている魔力をあっという間に喰らい尽くしてしまう事から、あまりにも効率の悪い魔法として実用性はないと言われていた。


 しかし12年前。

 神奈川南部を襲った『魔物氾濫』の際に、とある家の者が、その血族たちを生贄に指定し、『人間を守護する結界』を広範囲に展開し、一般人の被害を抑えたのだ。


 だが、その代償はあまりにも大きかった。

 術者も、そしてその術を構成するために力を貸した血族たちも、協力を申し出た数十もの人員も、この生贄魔法の維持のために、魔力も、そして生命までもを吸い取られる形となってしまったのである。


 生贄魔法は『指定した領域に対し〝法則〟を適用する』という凄まじい魔法効果を齎してくれる。だが、その代償として『生贄となった存在の魔力、そしてそれがなくなれば生命を代償に魔法を持続する』という性質を持つ。

 さらに指定する〝法則〟が強力であればあるほど、生贄の消費する魔力、生命の消耗が激しいという、まさに旧時代の黒魔術である悪魔契約のような特性を有していたのだ。


 民の生命を守ったものの、その特性と危険性からネガティブな印象が広がった結果、魔法大全という様々な魔法を特集した文書が作られるにあたって、領域魔法とその名前を変えたのである。


 だが、その当時のネガティブな印象と、魔法構成の複雑さから適正を有する者が極端に少なく、同時に事前に特殊な魔法陣の構築などの事前準備が必要である事からも、ダンジョンを進んでいくという探索者の性質上、相性も悪かった。

 結果として一部儀式などで使用される程度となり、今となっては知る者の方が圧倒的に少ない魔法であった。



「――神奈川南部防衛戦は、俺も参加していた。だからこそ、この魔法の強力さも、危険性も理解している。だが、貴様は一体何を生贄に……」


「あァ? 決まってんだろォ? いるだろうがよォ、いくら使い捨てても枯渇する事もねェ、魔力を持った存在が、よォ」



 男が片手を上げてみせたところで、男と同じような仮面をつけていた他の男が施していた魔法を解いた。

 まるで風景が溶け出すかのように壁際に異変が生まれ、次の瞬間には下層下部、そしていくつかは深層で見つかる種類の魔物たちの姿が現れる。


 種類もばらばら、大きさも、その見た目も。

 ただそれらの共通点は、そのどれもが首輪をつけてその場に佇んでいるという点だけ。


 その光景を見て、大重は一瞬戸惑い、そして気が付いた。



「っ、あの首輪を使って魔物を捕らえ、生贄にしているという訳か……!」


「ヒャハハハハッ、あぁ、そうだ! 下層下部以下の魔物なら、魔力は豊富だからよォ! 下手な人間よりもよっぽど燃費がいいってモンだぜ! おかげで無茶苦茶な〝法則ルール〟さえ適用できるんだからよォ! 『魔物氾濫』で放出するために使うなんて、そんなつまんねェ真似はしねェ。アレは俺の大事な道具だから――なァ!」


「――ッ、く……ッ!?」



 今度は仮面の男が動き、大重へと一気に距離を詰めて攻撃を加える。

 単調で、手加減をしたであろう蹴りの一撃は、しかし大剣で受け止めた大重の身体もろとも後方へと吹き飛ばした。


 

「っ、萩原さん、早くマスターの援護を――!」


「――ダメよ。あの男が言う通り、守護者部屋の中はあの男の支配領域になっていて、すでに魔法を展開されている。その効果を見極め、対策が立てられない限り、私たちが入る訳にはいかないのよ」


「どうして!?」


「もしも定められた法則が、『外部からの攻撃を全て領域魔法の術者ではない人間に与える』だったらどうするの? あるいは、『全ての攻撃を領域魔法の術者の強化に変換する』だったら?」


「ッ、そんな、ことが……?」


「可能なのよ。効果が大きく、自然の摂理から外れるほど、生贄の魔力消費、生命消費は大きくなると言われているのは確か。でも、それを魔物で補っているとなると、相当無茶な〝法則〟を与えている可能性が高いわ」


「な、なら、せめて贄となっている魔物を倒せば……!」


「できないわ。あの魔法は文字通り悪魔召喚のような悪辣さを持っている。術者が魔法を解こうとしない限り、生贄を守る。しかも、生贄がいるのは領域の中。私たちは丹波ちゃんの解析が完了し、安全を確保できない限りは下手に手を出せない」


「そんな……」



 気が逸り声をあげる鬼島に、萩原は努めて冷静に説明してから、意を決したように一つ深呼吸して改めて口を開いた。



「マスター、よろしいですね!?」


「……あぁ、それでいい。丹波が解析を済ませるまで、時間はキッチリ稼いでやる。もっとも、解析が終わる前に術者であるコイツを気絶させてしまう方が早いかもしれんが、な」


「ハッ。できるモンならやってみろや、ロートル」



 大重と仮面の男の二人の戦いは、そんな言い合いから始まった。


 位階Ⅸの大重の攻撃は凄まじいが、しかし対峙する男はそれらをひらひらと避け、時には素通り・・・させては挑発を繰り返しているようであった。

 もっとも、相手の攻撃もまた大重には届いていないようで、互いになかなか攻め切れないような印象である。


 しかし、冷静に戦いを運びながら観察を続ける大重とは対照的に、仮面の男は段々と焦れてきているのか、どうにも苛立ちが混じっているようにも見える。


 これが普通の戦いであるならば、先に崩れるのは仮面の男で間違いない。

 しかし、肝心の大重の攻撃が素通りしてしまっては、勝てるものも勝てないというものだ。



「く……ッ、鬱陶しい……!」



 仮面の男の仲間である残りの3人は戦闘に参加するつもりはないのか、丹波の解析を妨害する事に注力している。魔力を常に3方向から丹波らのいる場所に向けて流し、解析を阻害しているのだ。

 丹波はそんな妨害を掻い潜るために集中して歯を食い縛りながら解析を進めているようであった。



「丹波ちゃん、提案なのだけれど、私か弓谷ちゃんで障壁で魔力を妨害したらどうかしら?」


「っ、いえ、〝法則〟が絞れるまで、下手に手を出さない方が良いです……! あの男たちは、私たちを騙すために看破させるための隠蔽を施すような連中です。ただそれだけ、これぐらいならいいだろうと焦れた私たちが手を出す事こそが狙いかもしれません。解析に成功次第、即座に指示を出しますので、待機をお願いします……!」


「……っ、分かったわ」



 目の前で仲間が苦しんでいるというにもかかわらず、何もできないもどかしい状況。

 歯噛みして耐える事しかできないなんて、と声をかけた萩原も、そして倉本もまた拳を握り締めた。


 膠着する戦闘状態ではあるが、このまま〝法則〟の解除ができなければ、大重が負けるかもしれない。

 そんな状況の中、下手に動いてしまった結果、大重の身を更に危険に晒しかねないという状況から、指を咥えて見ている事しかできない歯痒さに、拳を強く握り、唇を噛み締める『大自然の雫』の面々。


 倉本が、鬼島が、焦れて飛び出してしまいたくなる気持ちを歯を食い縛って耐え続ける。

 萩原が、弓谷が、解析が完了次第即座に動けるように魔力を編み込み始める。

 丹波が、妨害を掻い潜りながら解析を続ける。



「ヒャッハハハッ! どうしたロートル、そらそら、反撃してくれてもいいんだぜェ!?」


「チィッ、おのれ……!」



 領域の中での攻防が続いていた、その時だった。

 領域の中に突然、新たな第三者が姿を現したのは。




「――やあ、何やら取り込んでるみたいだけど、お呼ばれされてたからお邪魔させてもらうよ」




 姿を現した何者か。

 それは『大自然の雫』の面々も、そして『魔物氾濫』を引き起こした犯行グループである仮面の一行も知る存在だ。


 ――――『ダンジョンの魔王』。


 彼は飄々と言い放つ。

 対して、仮面の男は罠の中に狙っていた獲物が入ってきたとでも言いたげに、仮面の向こう側で獰猛な笑みを浮かべていた。



「待ってたぜェ、魔王サマよぉ! 歓迎するぜェ! 俺の領域へようこそ、ってなァ!」




「ん? あぁ、招待されてたからね。――それよりコレ・・、ちょっと邪魔だから吹っ飛ばすね」




「――は?」



 まるでちょっと気を利かせて友人が座るスペースを空けるかのような物言いで、魔王がそんな言葉を口にして、手を翳す。

 すると魔王の目の前に巨大な魔法陣が現れ、周囲の者がその動きが魔法の構築であると気が付くとほぼ同時に、そこから黒い光の束が生贄となっていた魔物たちを呑み込み、強烈な爆発を引き起こした。




 ――――パリン、とガラスが砕けるような音が鳴り響く中で、魔王が振り返った。




「ごめんごめん、なんか邪魔くさい魔法もあったし、操られてる魔物もいたから、面倒だから一緒に吹っ飛ばしておいたよ。せっかく招待してくれたんだ、何せキミ、強いんでしょう・・・・・・・? 魔物たちに水を差されるのもどうかと思ってね。――さて、始めようか?」




 あまりに理不尽な存在である魔王には、生贄魔法がどうの領域魔法がどうの、そんなものは一切関係なかったようで、にこやかに、友人との待ち合わせに少し遅れた程度の気軽さで、そう告げる。



「――――……は?」



 もっとも、そこにいた『大自然の雫』も、敵の面々も。

 そして、この配信を観ていた視聴者たちからのコメントまでもが、まったく同じ音を発して固まっている事など、魔王は考えてもいないのであった。







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