『日本最強』
旧東京都奥多摩地域は、東京都という都市に組み込まれてこそいるものの、自然のままの姿を保つ山々、神秘的な鍾乳洞、緩やかな滝など、美しい自然が多く残る場所だ。
ダンジョン出現前よりもともと人の手があまり入らず、人口密度は低い方ではあったが、その代わりに観光地として名を馳せていた。
しかしダンジョンの出現と共にダンジョン特区に指定されて以来、探索者として鍛える事で、自然を愛する者が、不便さを楽しみながらも美しい自然と静かに共存できる特区ということで、むしろ移住者が増えたという経歴を持つ場所である。
東京第1ダンジョン、その近くにある探索者ギルド東京第1支部。
日曜日の朝ということもあり、平日に比べて探索を生業としている専門の探索者以外にも、学校、職場などでの同好の士を集めたグループ――いわゆる趣味として楽しんでいるグループも多く訪れていた。
梅雨の合間に訪れた、晴天の日曜日。
ここ最近の雨量が落ち着いていた事もあり、災害リスクも低いこのタイミングで、趣味でダンジョンを楽しみにきたもの、自然を楽しみにきた者達がやってきたのだろう。
全国的にも自然豊かなダンジョン特区となったこうした場所は、このような陽気の日には賑わう傾向があった。
休日らしい喧騒に包まれ、朝一番の来客のラッシュを乗り越えたところで、休日らしい東京第1支部の動きが一本の連絡によって変わった。
「――それは本当ですか……!?」
応答した女性が思わずといった様子であげた声。
それに気が付いた同僚たちが、何か面倒事か、あるいは事故かと視線を向ける中、その女性の顔がみるみる青褪めていく事に気が付いた。
「はい……はい、かしこまりました。ご報告ありがとうございます。可能であれば、非戦闘員である観光客、住民の避難にご協力いただけますと幸いです。緊急マニュアルに則り、これより支部職員へ通達すると同時に非戦闘員の避難を呼びかけます」
その文言に、事態を察した者たちが固唾を呑み、未だに状況を把握していない若者たちが小首を傾げる。
そんな中、視線を集めていた女性は電話対応用のヘッドセットを外そうともせず、繋がっているパソコンを操作した。
――――そして、独特な警報音が鳴り響き、探索者ギルドの受付内、天井に設置されていたモニターに危険を告げる『CAUTION』の赤い文字が浮かび上がる。
状況を予測できなかった者、またはその場から離れており、表示された文字に気が付いた職員たちの顔が青褪めた。
《――東京第1支部所属職員へ通達。繰り返します、支部所属職員へ通達。〝コード・イエロー〟を発令します。繰り返します、〝コード・イエロー〟を発令します。全職員はマニュアルに従い、対応を開始してください》
機械音声が鳴り響く。
――〝コード・イエロー〟。
これは「『魔物氾濫』の予兆を発見した」という監視班からの報告によって発令される、全世界探索者ギルド内共通の緊急対応を指示するものであった。
◆
事態は時間の流れと共に推移していく。
周辺の観光客、住民、非戦闘員の退避と同時に行われた、警察、及び自衛隊による防衛ラインの構築、東京第1ダンジョンをホームとして活動している大手クラン――『大自然の雫』と協力しての間引きなど、うららかな朝の空気とは一転、太陽が中天へと差し掛かる頃には酷く物々しい空気が漂っていた。
基本的に『魔物氾濫』が何故起きるのか、その理由は定かではない。
ダンジョン内の魔物の飽和とも言われているが、それなりの数の探索者が潜っているようなダンジョンでも『魔物氾濫』が引き起こされるケースは少ないものの見受けられている。
現実的な対策は、対症療法以外には見つかっていないのが実状であった。
ダンジョン周辺には上層の魔物にちらほらと中層の魔物が混ざり始め、このままではさらに下層の魔物なども出てくる可能性が高い。
そこで、このまま防衛と避難を優先しつつもダンジョン内部への偵察を行うべきかという話し合いが持たれようとしていた、ちょうどその頃。
ダンジョン配信を行う『D-LIVE』を通して行われた犯行声明の発表。及びテレビ局からも別途送られてきていたという犯行声明の報道が一斉に世間を賑わせた。
それらの犯行声明に誰よりも憤ったのが、この奥多摩周辺をこよなく愛し、守ると決めている東京第1ダンジョンのホームクラン、『大自然の雫』の面々であった。
「――クソッタレがぁ……ッ! ただの『魔物氾濫』ならば災害だと割り切ることもできたが、わざとこの地でこんな行為を起こしただと!? しかもその狙いが『ダンジョンの魔王』だとッ!?」
「落ち着いてください、マスター」
探索者クラン『大自然の雫』、『魔物氾濫』用の対策本部となっているテント内。
憤りのあまり机に拳を叩きつけ、怒りを顕にしているのは、熊を彷彿とさせるような巨躯の男、
齢43にして『大自然の雫』のクランマスターであり、位階Ⅸの猛者でありながらも驕る事もなく、闊達としていて竹を割ったような性格と面倒見の良さで慕われている。
そんな大重には、もう一つの肩書きがある。
本人は「無駄に生き残り、無駄に戦い続けてきたせいだ」などと嘯いてはいるが、『日本最強の一人』として知られている、探索者業界での有名人でもあった。
そんな彼の女房役――と言われるのは本人的には少々不服ではある――が、この『大自然の雫』の探索者であり、
冷静沈着に物事を運び、内部運用、外部交渉を受け持つ若き才女である。
もっとも、本人としてはもう25となり、若き才女と呼ばれるには少々抵抗を感じていたりもするのだが、それはさて置き。
そんな丹波は、普段は温厚な大重の隠そうともしない憤りを前に尻込みする他のクランメンバーとは違い、大重に対して変わらぬ態度で続けた。
「動機については私も腹に据えかねるものがあります。ですが、それよりもテレビがこのような声明をわざわざ報道するという点が気掛かりです」
「テレビだと? そんなものがなんだというのだ?」
「……はあ。その怒気を引っ込めていただければお話します。マスターのそれは中堅の者たちならともかく、新人たちが使い物にならなくなります。警察や自衛隊の方々もです。ハッキリ言って迷惑です。さっさと引っ込めてください」
位階Ⅸというのは、常人から見れば化け物と遜色ない。
マイナス方面の感情の発露によって拡散される空気は重く、殺気を向けられれば意識を失う。拳を振るわれれば知覚する事もなくぶつかり、容易く命を刈り取られる。
そんな大重という男は、怒気が漏れただけでも他者を威圧する。
常人ならば良くて気絶、悪ければ失禁するような代物であり、それは探索者として位階をあげている者であっても、位階Ⅲにも満たないようであれば遜色ない。
それ以降は位階が上昇するにつれて耐性もできていく。
同等の位階になってようやく、それが苦にもならなくなるのだ。
余談ではあるが、彼方 颯といういわば人間側のイレギュラーとも言える存在もまた、〝進化〟前の段階から危険性は一緒であった。
いや、正確にはより大きな力の塊である以上、少々の怒りの発露でも起ころうものなら、それだけで学校中の人間が気を失っていた可能性すらあった。
しかし、本人がそもそも他人に興味を持たないことや、ミステリアスムーブと称している行動を基本としているおかげで、他者に対して怒り抱かれる事はなく、平和が保たれているのだ。
もしも身の丈を弁えずに颯にちょっかいをかけ、颯を怒らせてしまっていればどうなっていたか。
それに気付かずに生活できているのは、ひとえに颯が魔道具で最初から周囲に距離を置いていたこと。そして、そもそも自分と他人を完全に切り分け、興味を抱かずにいてくれているからこそ、不幸な事故は起きていないのである。
とは言え、颯ほどのものではなかったとしても、位階Ⅸともなる大重の放つ怒気は、丹波はともかく周囲の者達に大きな影響を与えていた。
防衛の関係上、警察や自衛隊の対策本部に近い位置に設営された、『大自然の雫』の専用テント内での事でもあり、おかげで警察や自衛隊までもが余波を受けている。
そんな状況に、丹波の冷静な声がけのおかげで大重もようやく気が付いたのだろう。
深くため息を吐き、一度深呼吸して気を落ち着けていく。
「……すまん」
「後ほど、謝罪用の菓子折りでも用意してください。謝罪行脚には付き合いませんので、ご自身でお願いします。菓子折りも自腹で。経費は許しません」
「…………すまんって。同行ぐらいしてくれてもいいだろう?」
「では、話を戻します」
「なあ、聞いて?」
「黙ってください」
「……ぉぅ」
「結構。――本来、テレビという公共の電波では、あのような犯行声明は直接的には放送の対象としません。せいぜい、そのような犯行声明があったということ、または濁した内容を伝えるなどに留めます」
クランマスターとして不甲斐ない姿ではあるが、周囲の反応は「いつものこと」といった反応である。
そんな中で、丹波が淡々と説明を続けていく。
「私も専門家ではありませんので正確な情報は分かりかねますが、ああいった犯行グループの思惑通りに動いてしまうという印象を避けるためであったり、下手にテレビで扱ってしまうと模倣を招く可能性もありますからね。少なくとも〝取り扱いにくいネタである〟、という判断となるでしょう」
「……ふむ、なるほどな」
「意味が分からないなら分かったフリは結構です」
「ちょっと酷くないか? 俺、このクランのマスターなんだが?」
「存じ上げています。――さて、そんな取り扱いにくいネタを、堂々とテレビが放送したとなると、理由は限られます。たとえば、ディレクターと呼ばれる人間が数字欲しさに勝手な真似をしたなど。もっともこれは、己のクビをかけるような行為ですし、許可がなければストップがかかる可能性も高いので、ないとは思いますが」
「なあ、無視ひどくね?」
「次に、テレビ局が放送した内容です。あれは生放送の動画を切り抜いたものではなく、〝予め撮影されていたもの〟です。つまり、必然的にテレビ局は〝犯行声明を事前に入手しており、事前にどこかの誰かから放送の許可を取っていた〟と考えられます」
淡々と続いた丹波の説明。
自分を無視してでも続けていた丹波に抵抗を示しつつ話を聞いていた大重の纏う空気が、丹波のその言葉でがらりと変わった。
「……どういうことだ、騒動に油を注ぐような真似を黙認してたってのか?」
「そう言っても過言ではないでしょう。もっとも、マスコミはおそらく提供元を黙秘するでしょうし、何故隠蔽していたのかと問われても、『悪戯である可能性が高く、混乱を招かないためにも黙っていた』とでも宣うでしょうから、追求は難しいでしょうが。――問題はそちらではなく、〝どこかの誰かから許可を得ていた〟という点です」
「……何が、言いたい?」
「今回の件――というよりも、今回の犯行グループは、それなりの立場の者と繋がっている可能性がある、ということです。犯行声明の放送が1つのテレビ局のみで行われたのであれば暴走の可能性もありましたが、そうではありませんでした。尻馬に乗った局がないとは言いませんが、しかし、ほぼ全局が放送している事が判明しています。おそらく、許可をした何者かはテレビ局全体に対し影響力を持つ存在。そしてそれが問題になったとしてもテレビ局を庇い、己も無事なまま対応できてしまう程度には、政治的に介入できる立場にいる可能性が高いかと」
「――ッ、バカな! 国の上の連中が、容認したというのか!」
「声が大きいですよ、マスター。あくまでも可能性の話です」
「それはそうだが……っ」
「現状我々には舞台裏で誰が、何を意図してこの件に協力しているのか。積極的な介入であるのか、それとも消極的な介入であるのかも分かりません。――ですが、我々の愛したこの地での『魔物氾濫』を容認した何者か。そしてそれが何者かを知る者が、第1ダンジョンの深層入口にいるという事実だけは確かである、ということです」
丹波がそこまで説明をして言葉を切れば、その続きは何をどうするかなど言わずとも伝わっていた。
丹波もまた、怒りを抱いていたのだ。
自分たちのホームとも言えるこの場所に、『ダンジョンの魔王』などという存在を呼び出すためだけに、『魔物氾濫』などという異常事態を持ち込んだ者たちを。
――そのような存在に繋がる以上、絶対に許すつもりも、逃がすつもりはない。
眼鏡の向こう側にある怜悧さを湛えた瞳は、静かにそんな怒りに燃えていた事に、大重もまた今になって気が付いた。
若くして『大自然の雫』のナンバー2に収まった天才。
いつも冷静で、感情を揺さぶる事のないはずの丹波もまた、己と同様に怒りに燃えているのだと気が付いて、大重は思わず一瞬きょとんとした表情を浮かべてから、いつもの調子を取り戻して獰猛に笑ってみせた。
「――そういう事ならば、話は早い。出るぞ。精鋭部隊の連中、それに物資の準備を急げ。俺達の手で叩き潰し、背後でのうのうとしている愚か者を引きずり出してやる」
「異論はありません。委細承知いたしました」
そして、13時。
東京第1ダンジョンをホームとする『大自然の雫』は、クランマスターである大重、その右腕である丹波を含む精鋭部隊をダンジョン内部へと派遣した。
◆――――おまけ――――◆
しそー「なんか前回ここに来た時、変なナニカを見た気がするんだが……」
おーが「ほんそれ」
しそー「まあいいか。てか、飢えた狼とか言われてた可哀想なヤツ、何考えてんだ? 『日本最強の一人』とか言われてるような、自分より位階が上のヤツがホームダンジョンにしている場所でなんでそんな真似して……」
おーが「ふはっww 馬鹿なんじゃね?ww まあ頭良さそうなタイプではないだろww 脳筋おつww」
しそー「…………」
おーが「……え、なにその目?」
しそー「……いや、全身筋肉に脳筋とか言われると腹立つだろうなって」
おーが「はー? インテリ系ですけどー?」
しそー「いや、百歩譲ってお前がインテリだったのかもしれんけど、お前、操られててインテリ力これっぽっちも発揮できてねぇだろ。やったのタックルだけじゃん」
おーが「」
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