〝進化〟
――――夢を見ていた。
まるで深い水の中。
冷たくて、昏くて、それでいてどこか心地良く揺蕩うような、そんな夢を。
時折、目の前にカードが現れた。
そこに書かれている文字は読めなかったけれど、記されているものが何を指しているのか、その意味は判った。
選び、そして不要なものは捨てろ、という意味であるらしい。
三枚、四枚とカードが出てくる事もあった。
たまに、どれも自分には合わないなと感じて、全て捨てる時も。
逆に選べない、という事もあった。
譲れない、譲らないと強く念じれば、現れたカードはしっかりと残ってくれた。
思ったよりも寛容なんだな、と思う。
けれど、それらが一体何を意味していて、これらが一体何に関係しているのかという判断さえ、脳裏を過ぎる事はなくて。
ただ、選ぶ、選ぶ、選ぶ。
そうしなくてはならない、という感覚だけが確かにあったから。
ただ、僕がほしいもの、いらないものを選んでいく。
守るもの、捨てるものを選んでいく。
《――魂の選択が終了しました。『管理者』〝
……ふと、我に返る。
あるいは、夢から醒めた、とでも言うべきか。
そういえば、コレは夢だったな、とか。
僕ってば〝進化〟のために眠ったんだっけ、とか。
寝起き早々から徐々に意識が覚醒して、記憶が整理されていくような、そんな感覚。
なのに、今目の前に広がっている光景は、そんな現実的な感覚とは裏腹に、まったくもって現実的でもなんでもなかった。
――――玉虫色に輝く水の中で、僕は浮いていた。
温かくて冷たくて、明るくて仄暗くて、温かくて薄ら寒い。
なんとも言えない世界で、僕は揺蕩う。
身体は、まったくもって僕の命令通りには動かなかった。
それは当たり前と言えば当たり前で、常識的には有り得ない事が原因だと気が付くのは、そう難しくなかった。
どうやら僕は今、魂だけの状態で自我を持ち、思考し、周囲を見ているらしい。
そりゃあそんな状態で、存在しないものを動かせるはずもない。
なんだか奇妙でおかしな感覚だ。
《――『管理者』〝
ぶくぶくと泡立つように、身体が生まれていく。
ぐりゅん、と音を立てるような勢いで視界が何度も回って、僕を含めて周囲が掻き回されている事に気が付いた。
もしも肉体があったら気持ち悪くなりそうだな、なんて思わず他人事のように考えてしまう。
ぼんやりと思考して数秒ほど。
肉体の構成とやらが完了して、〝僕〟はそこにいた。
《――新たなる同胞の本体の構築が完了しました》
そして正面に映し出される〝僕〟の姿。
じゅくじゅくと音を立て、時に泡立ち破れてガスを噴き出す球体の集合体。
それらはどうやら、全てが目玉のようだ。
赤とか紫とか、暗色系の目の集合体が、三日月型に口角をつり上げた笑みを湛えた巨大な道化のお面を象っていた。
口と目、鼻の穴は深淵を思わせるように真っ暗で、黒くて、何も見えない。
何もない訳じゃない。
周りが玉虫色の水の中みたいだし、何もないなら玉虫色が見えるはずだもの。
なのに、何も見えない。
じっくり見ようとすると、何もないのに何かに見られている気がしてくる。
……うーん、狂気。
普通の感性をしていた頃なら、胃の中をひっくり返す程度に吐いて、頭がおかしくなりそうな見た目をしてるね……。
確かに、『天の声』さんが言っていた通り、人間種がこの姿を見たら重度の精神汚染を喰らうと思う。
なんていうか、ただのホラーとか気持ち悪いとか、そういうのじゃないんだよね。
根源的というか、なんかこう、もっと深いところから掻きむしるような、あるいはせり上がってくるような感じ。
しかも、横から見たいと思ったら〝僕〟は横を向いてくれるのだけど、全ての〝目〟は相変わらずこちらを見つめているのだ。
……こっわ。
こっち見んな。
《――新たなる同胞の『神権』、【裁定の天秤】を構築、疑似発動させます》
ギギギ、と耳障りな音を立てて、天秤を象る何かが現れた。
傾きが変わると、三日月模様を象った道化のような〝僕〟のそれが表情を消して、冷たく、無機質に、無慈悲に見下す。
黒に赤紫色が混ざった炎が〝僕〟の目に生まれて、天秤がその炎に焼かれ、ゆっくりとその傾きを戻していく。
そして、〝僕〟は再び笑みを浮かべたソレに戻っていた。
なんとなく理解できた。
これはこういうものなのだ、と。
この笑みを浮かべた〝僕〟が【諧謔】で、あの炎を灯したのが【粛清】なのだろう、と。
……あの、ここシリアスなところだから、〝僕〟、ひょっとこ顔にするのやめてくれる?
誰だよ、〝僕〟使って遊んでるの。
《――【粛清】の象徴である〝外なる魔王〟に、『管理者』〝
なにそれつよそう。
まあそもそも出番があるか怪しいと思うけどさ。
だって、本体用のモノってことでしょ?
僕らの世界で本体を出す機会なんてなくない?
だってこれ、天秤だけで横幅20メートルぐらいあるじゃん。
目の前にある〝僕〟自身、比較できるサイズが周囲にないからなんとも言えないけれど、見た感じ、体感だと高層ビルなみに大きい気がする。
僕だって「大きくなりたい」とは思っていた事もあったけれど、この大きさは僕の希望とはかけ離れているレベルだなぁ。
《――同胞の質問を確認しました。回答します。【裁定の天秤】も本体はこちらですが、人間種端末の方に同じく端末を付与します。なお、同胞が先程から〝目玉〟と称しているそれらは、一つ一つが呪いを宿した邪眼と呼ばれるものです。残念ながら、あなたの活動用端末には3つしか実装できません》
へぇー……え、3つ目になれ、と?
額に第三の目、みたいなのやる感じ?
《――同胞の疑問を確認しました。否定します。あくまでも人間種をベースとしているため、背中の翼を除けば人間種のそれと変わりません。厳密に言えば、右の目の中に虹彩と瞳孔を持った3つが混在します》
……こわ。
まあ気になる事はあったけどさ。
ほら、翼て。その辺りは、まあ「なんか魔王っぽい」で受け流せたけどさ。
正確には受け流したというか、とりあえずなんとなく想像ついたからいいけどさ。
問題は目だよ、目。
要するに小さい黒目が3つあるってことでしょ?
想像してみたら普通に怖いんだけど。
《――同胞の疑問を確認しました。肯定します。ただし未発動状態では人間種と遜色はなく、一つの目だけがあるように見えます。同時に2つ以上の邪眼を発動すると、それぞれ小さくなって現れます。日常生活では任意でどれかに絞っておく事も可能です》
……うん、まぁそれならいいけど……。
あ、ついでに翼とか目もフルに展開してみた僕を作ってみてもらえたりする?
どんな感じか見てみたい。
《――同胞の要望を確認しました。肉体端末の構築、及び精神の移行を開始します》
――あ、またぐるんってした。
そんな事を思った次の瞬間、僕の魂は肉体を得ていた。
手のひらを見てみる。
にぎにぎ。
見慣れた手だ。
…………うん、見慣れた手だ。
《――同胞が「地味に大きくなってたりしてくれないかな」という無駄な希望を抱いていた結果、失望した様子でしょんぼりとした事を確認しました。『管理者』〝
……やっぱり的確に射抜いてくるじゃん……。
容赦のない対応にしょんぼりとしていると、突然目の前に姿見が現れた。
あ、これで確認しろ、と。
髪の色は、どうやら魔王ムーブした時と同じ、黒基調に赤メッシュが入っているらしい。
心なしか髪の毛少し伸びた気がするけど、まあどっちでもいいか。
背中というか、腰の少し上あたりに伸びる翼は……うん……、うん?
なんかこれ、最初ぱっと見た時は真っ黒な鳥の羽みたいな感じで「お、カッコイイ」とか思ったのに、よくよく見ると違うな……? そういう模様に擬態している……?
ちょっと正体を知ろうとしたら、それらが粘性を持ってどろりと液体に変わって崩れ落ちた。
《――同胞の疑問を確認しました。回答します。その翼は〝爛れ腐り落ちる呪い〟が凝縮して構成されています。伸ばして攻撃に転用する事も可能です》
いや、こわ。
何そのヤバ過ぎる名前。
もうそんなの文字通り必殺技じゃん。
ハイ、封印でーす。
さて、気を取り直して、と。
瞳の色も魔王ムーブ時と同じ赤みがかった金色……なんだけど、右眼ェ……。
なんだろう、五輪マークの3つ版みたいな感じで三角形に配置されているらしいそれが、左眼の黒目よりも少し大きく歪になったような形で収まっている。
……あれ、端末は基本的に人間と変わらない、じゃなかったっけ……?
え、これが……?
《――同胞の質問を確認しました。回答します。我々から見れば個性、あるいは誤差の範疇です》
いや、まあそりゃあ神とも言えるような存在から見ればそうかもしれないけどね?
スケールが違うんよ、スケールが。
……ところで、この僕の端末についてる邪眼の効果ってどういうもの?
《――同胞の疑問を確認しました。【恐怖に心を凍らせる瞳】、【狂気を振り撒く瞳】、【指先から広がる遅々たる崩壊を与える瞳】です。なお、意識すれば即座に発動します》
……ふぅ、落ち着け、僕。
なんかこう、もう手が付けられないじゃん、そんなの。
どうしようもなくヤバいじゃん。
深淵にいるクリーチャーより圧倒的に危険度高いじゃん、僕。
……こう、邪眼とか魔眼とかって、もっとこう格好良くて補助効果があったりとか、そういうものだと思ってたけど、違うんだなぁ……。
――よし、忘れよう☆
使わなければないのと一緒だよね☆
とりあえず僕、何も世界を支配しようとか災厄を撒き散らそうとか、そんな事を考えてる訳じゃないんだし。
なんかちょっと目立ちまくっちゃったせいで条件を満たして〝外なる魔王〟とかいうトンデモ存在にはなっちゃったけど、僕の基本方針は変わらない訳だし。
……あれ、僕ってば〝外なる魔王〟として、何かしなくちゃいけない事とかあったりするの?
ないよね?
《――同胞の質問を確認しました。回答します。あなたは【諧謔と粛清の象徴】であり、通常種とは異なる〝外なる魔王〟であり、同時に新たに生まれた独立種族【
《自由ニ、アソんで、いいヨ。何ヲ、秩序にシて、【粛清】しテモいイ。ただシ、たのシまセて、ね?》
……ア、ハイ。
つまり僕、玩具的な存在なのでは……?
まあいいけどさ。
僕は僕、楽しくやれればそれでいいし、やりたいようにやってくれればいいって言うなら、やらせてもらおう。
それにしても……ふむ、「何を秩序にしてもいい」かぁ。
となると、ここ最近の魔王ムーブ的な感じで、ダンジョンの秩序を守る存在的なムーブをしているし、そこの方針は守りたいよね。
まだまだ僕のやりたいムーブはたくさんあるんだし。
ただ、今の僕は〝進化〟で身体そのものも強くなってる。
確か以前の僕が位階ⅩⅧとかいう数字だったけど、この身体、この感覚は……多分、
明らかに以前よりもずっと感覚が研ぎ澄まされている。
――――位階が上がれば、世界が変わる。
それは探索者にとっては常識とも言える知識、そして経験だ。
身体の動かし方に対する感覚も、その強度も、体感時間さえも。
そして身体の速さも。
そんな自分の身体を使いこなすために、探索者は位階が上がる毎に訓練期間を設けるほどに、色々なものが劇的に変化するのだ。
位階の上昇にも匹敵するほどにスペックが変わってしまって、身体の動きに振り回されるとは言っても、今の僕は間違いなく今朝の自分よりも強い。
おそらく、正面から戦っても戦いにすらならない。
速度と力、それだけでゴリ押しできてしまうだろう。
それだけ、位階が上がるというのは大きな事なのだから。
ともあれ、それぐらい強くなってしまうと、それはそれで問題がある。
こう、『なんかミステリアスでクソ強いし、見た目の割にやたらと達観していて年齢不詳な、どこか人を食ったような謎のショタキャラ』枠をやるためには、人目につかないところで暗躍とか、ひっそり黒幕ムーブをしている方がいいじゃん。
なのに表に出てくる最強の強さって、それは黒幕系ムーブじゃなくて魔王系ムーブでしかない。
――……これは、アレだね。
僕が思い描いていた『なんかミステリアスでクソ強いし、見た目の割にやたらと達観していて年齢不詳な、どこか人を食ったような謎のショタキャラ』枠をやるための行動、第2フェーズに動く時期がきた、ということだ。
――――そう、ついに来たのだ。
なんかすごい秘密結社と、無駄に豪華なお城風の秘密基地を作る時が。
黒幕系ムーブをする上で、絶対に外せないそういう系の存在。
秘密結社とか秘密基地、一度はやってみたかったんだ、そういうの。
ほら、ミステリアスな存在って無駄に綺麗で薄暗い、蝋燭とかランプとかで灯された場所が基地だったりするじゃん。アレだよ。
全人類の男子の憧れだよ。知らんけど。
《タノしい子。あナタニは、コレ、あげル》
今後の方針を考えていたら、目の前に光が集まって、凝縮して鍵のような見た目になった。
……なにこれ?
銀色の鍵?
《そウ、〝銀の鍵〟。それがアれば、自由に空間ヲ、超えラレル》
あらやだ便利。
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