粛清
魔王が足を進める姿に、特に力を入れている様子はない。
ただ踵を踏み鳴らして、一歩ずつ『深層の悪夢』へと歩み寄っているだけ。
だというのに、一歩足を踏み締めるだけで、薄氷を踏み潰したように硬い地面に亀裂が走っていく。
パキリと音を立てて、空間が軋んだかのように、周囲の壁面にも亀裂が走った。
:ルール?
:ひえっ
:何これ、亀裂?
:めっちゃ静かなのにパキパキ音だけが聞こえてくる
:タケト、今の内にポーション飲め!
:魔王様助けてくれえええ!
:圧倒的強者の貫禄でなんか笑えてくるww
はっと我に返って、カバンを漁ってポーションを取り出した雪乃が武都へと駆け寄り、ポーションを武都に手渡した。
武都もまたそんな動きのおかげでようやく状況を呑み込めたのか、ARグラスに流れたコメントの数々に目を走らせつつもポーションを流し込み、口元を拭った。
――助けられた?
いや、そうではない。
武都は確かに聞いた、「ルールを破った。だから消す」という言葉を。
舞い上がる砂塵の向こう側は未だ見えない。
動きはなく、ただもうもうと立ち込める砂塵と、砕け散った青みがかった壁面の粒子だけが、物騒な光景には不似合いに煌めきながらその場に舞い上がっている。
たった一撃で吹き飛ばすだけ、叩きつけるだけではこうはならないだろう。
その爪痕が、先の一撃の衝撃を今なお物語っていた。
かの『深層の悪夢』がどのような状態になっているのかは判然としないが、しかしまるでその向こう側が見えているかのように魔王が足を止め、口を開いた。
「ほら、文句があるならかかってくるといいよ。認めてもらいたければ力を示せ、それが僕らの流儀だ。少し、お説教ついでに遊んであげよう」
刹那、砂塵を貫き、大量の黒い刃が魔王へと殺到した。
武都に襲いかかってきた時に対して、速度も音も、そして数さえも比べ物にならない程に研ぎ澄まされた攻撃だ。
武都にはその軌跡を追うことさえもできなかった。
伸縮し、打ち出されたはずの一撃であるはずだ。
しかし武都には、それが突然その場に現れたようにしか見えなかった。
しかし、ただそこに佇んでいるだけの魔王に、それらは届かなかった。
一定の距離まで近づくと、まるで爆竹でも鳴らしているかのような、何かが爆ぜるような音と共に、その刃の先が不自然に弾き飛ばされ、虚空を駆けて天井を、壁を、地面を貫いた。
:え
:なにこれ?
:え、何本あるんよ、これ!?
:魔王様動いてないのに攻撃弾かれとる?
:結界か何かとは違うな。明らかに吹き飛ばされるように弾かれてるし
:魔王の貫禄がヤバすぎて草枯れる
:ワイ探索者、なんも見えん
:『深層の悪夢』がこれってマジか
弾かれたであろう一撃が武都たちにも向かってくる。
しかしそれら武都たちに届く事はない。
目の前でそれを見ていた武都にも、意味が分からなかった。
魔王が一瞥したかと思えば、その際にも再びの破裂音にも似た音と共に明後日の方向へとさらに弾かれて、不自然に曲がった黒い直線がそこに現れるのだ。
「――縺雁燕縲∵ョコ縺呻シ�」
「しらばっくれるなよ。
短く言葉とも鳴き声とも取れる、『深層の悪夢』が何かを告げる。
それに対し、魔王は淡々と答えた。
「縺斐■繧�#縺。繧�→菴輔r險縺」縺ヲ縺�k��」
「言い訳のつもりかい? 許されるはず、ないだろう?」
:待って
:まったまったまった
:情報量多すぎィww
:どゆこと!?
:会話してるん!?
:聞きたいこと多すぎる!
:トラップを操作!?
:いや、というかそれもだけど……
:『深淵の悪夢』が、たかが雑兵て……
流れるコメントの数々に反応する余裕もない。
武都と雪乃の目の前で、魔王は淡々と『深淵の悪夢』が放つ、全てが致命の一撃となり得る攻撃を一歩たりとも動かずに捌きながら、改めて続ける。
「転移トラップで人間が巻き込まれ、死ぬのはいいさ。実力が足りなかった、注意を怠った、運が悪かった。その経緯なんてどうでもいい。結果として人間が死んでも、あるいは魔物が倒されたとしても、そんな事もどうだっていいさ。別に人間を守るつもりはないし、逆に言えば、魔物が必ずしも勝てばいいとも思わない。ルールを守った闘争の結果がそこに生まれた、ただそれだけだからね」
ゆっくりと、魔王が歩き出す。
苛烈極まる攻撃を、一切の動きも見せずに、どうやってかも分からない方法で防ぎながら。
即死級の攻撃が降り注ぐその場所には似つかわしくない気軽さで、足を一歩、前へと踏み出した。
「ダンジョンに足を踏み入れ、奥へと進むか、あるいは引き返すのか。それらを選ぶのは人間に与えられた権利さ。その結果、巨万の富を持ち帰ろうと、あるいは生涯消えない傷を負ったとしても、命を落としても、そんなものは僕の関知するところではない。いずれにせよ、それは当人が選択し、招いた結果だ」
――けれど。
そう言葉を区切って、また一歩。
「魔物であるおまえの役割を、忘れたのかい? 人間が辿り着いていない領域にいるおまえが、ただダンジョンを上ったというのなら、まあいいさ。けれどおまえは、くだらない知恵を働かせて、領域外の相手を意図して自らの領域へと陥れた。偶然に見せかけた」
持ち上げた足が大地につく、その直前。
魔王の姿はかき消えた。
「――ねえ。おまえ、僕を騙そうなんて、よくそんな事をしてくれたね?」
なんの前兆もなく、魔王の姿はそこから消えていた。
見失った武都たちが魔王の居場所に気が付いたのは、その質問の声を投げかけたおかげであった。
武都と雪乃が声の方へと目を向けた、その時には。
魔王はかの悪夢の目と鼻の先にいて、胸の部分を貫手で貫いていた。
「縺絶ヲ窶ヲ縺≫ヲ窶ヲ縺……」
「――いいや。おまえはもう、いらないよ」
言葉を終えると同時に引き抜かれた魔王の手には、魔物の核となる
『深層の悪夢』が現れた際の容姿である人のような姿、その原型は残っているものの、もはやそれは朧気ながらに人の輪郭を持っていたであろう事が分かる程度に、身体のあちこちから刃を伸ばしていた事が見て取れた。
そんな『深層の悪夢』から伸び、のたうち回るように動き回り、揺れていた刃の動きがピタリとやんで、力なくだらりと崩れていく。
さらさらと、伸ばした刃の先から朽ちていくかのように、『深層の悪夢』の身体が砂になるかのように崩れていき、カツンと音を立てて魔石となってその場に落ちた。
:うおおおおぉぉぉ!
:魔王様強すぎて草枯れる
:いや、もうマジじゃんこれ、ガチの魔王じゃん
:粛清されたってことか?
:あの悪夢が、こんなあっさりとやられるん……?
:魔王「たかが雑兵の分際」
:いや、思わずタケト助かったって喜んだけど、考えれば考えるほどホント草も生えんぞ、これ
「……助かった、の……?」
「……多分、な」
視界の端に流れるコメントの数々に反応する余裕など、武都と雪乃の二人にはなかった。
雪乃の問いかけにも、武都には呆然としたまま短く答えるだけで精一杯だった。
突然死地に追いやられ、そこにいたのが『深層の悪夢』という、探索者はもちろん、探索者でなくとも知っているような存在。
そんな存在に玩具のように遊ばれ、それでも救助を待ちながら、せめて雪乃だけでも生き延びさせようと耐えていた中で現れた、魔王。
そんな魔王に手も足も出ないままに、『深層の悪夢』は屠られた。
それこそ、今しがた自分が遊ばれていた時よりも、さらに圧倒的な余裕をもって、だ。
そんな武都に向かって、魔王が『深層の悪夢』が落とした魔石を拾い上げ、山なりに投げ渡した。
反射的にそれを受け取ったところで、魔王が口を開いた。
「今回の件はこちらの落ち度だからね。お詫びと言っちゃあなんだけど、それは持ち帰るといいよ」
「……は?」
:はぁ!?!?
:『深層の悪夢』の落とす魔石!?
:そんなん貰えるならワイも転移されたい
:転移トラップに引っかかってこい。それで死んでも知らんが
:辛辣で草
:いくらになるんだよ、それ……
:多分、魔石だけで7桁いくぞ
:マジか
魔物が落とす魔石は、今ではありとあらゆる方面で活用されている。
その内包されたエネルギーはダンジョンの奥にいる魔物ほど強く、深層クラスの魔石が持ち帰られたケースは世界的に見ても両手で数えられる程度だ。
武都もさすがにそんな代物をあっさりと渡してくる姿には驚かされはしたものの、相手は魔王だ。
魔石が人間にとって価値のある代物であるという事ぐらいは理解していても、それがどの程度の希少性を有しているかも、どの程度の価値を持っているかも理解していないからこその行動だろう、と当たりをつけていた。
とは言え、だ。
「……貰えるってんなら貰うが……、そもそも帰れるかどうかの方が怪しいんだがな」
「あぁ、心配いらないよ。キミの実力に相応しい位置――せいぜい下層上部あたりか。もしくはそれまでに救助に来ている人間がいれば、そっちと合流するあたりまでは僕が護衛してあげるよ」
「え」
「えぇ!?」
:マ!?
:ちょっ、マジか!?
:タケト! 移動してる内に色々聞かせてもらって!
:探索者ギルド、東京第3ダンジョン支部の者です。どうにか、支部まで同行の依頼をお願いできますでしょうか?
:探索者ギルド、マジで公式アカウントで草なんだが
:情報をもらえ!
流れ出すコメントの数々を見て、武都も、そして雪乃も「それはそうなるだろうな」と思う。
何せ相手はダンジョンの魔王と思しき相手。
その正体は謎に包まれていたが、先程の『深層の悪夢』への言葉の数々からもそれはほぼ確定的であるかのように思える。
ダンジョンの出現の理由、その目的は今もなお分かっていない。
それらを語り、対話できる存在も、出現の理由を物語る何かが見つかるような事もなかったのだから。
そんな中で現れた、魔王と呼ばれるようになったダンジョン側と思しき者の存在。
かの『深層の悪夢』を雑兵と評し、許可を出すなどができる立場にいる事はまず間違いないだろう。
そんな存在と情報のやり取りができるとなれば、この機会を逃すなど願ってもないチャンスであると言えるだろう。
コメント欄が色めき立つのも無理はない。
――――が、そんな視聴者たちの反応を理解しているかのように、件の魔王はその顔をドローンへと向けた。
「あぁ、ただし――それ、ハイシン、だっけ? それ、結構な数の人間が見ているんだよね? それ、もしまだ見ている人間がいるなら、切ってもらえるかな? それがキミ達を上に連れていく条件ってことで、どうだい?」
「っ、知ってるのか」
「それぐらいは、ね。あぁ、それに、ハイシンを見てる人間たちにも言っておくよ。彼らの救助以外で下手に近づくような人間がいたら、この二人もそいつらも、まとめて殺すからね? 僕が言いたいこと、分かるよね?」
かつての『燦華』との対峙の際にも似た飄々とした様子で、微笑みながら魔王はそう告げるのであった。
◆――――おまけ――――◆
※ シリアス(っぽい何か(ただし、主人公を除く))が続いた反動です
※ 本編とは全く関係のない舞台裏っぽい何かです
しんそーのあくむ「解せぬ」
まおーさま「え、何が?」
しんそー「ねえ、これオレのセリフ何も伝わってないよね?」
まおー「うん。分かる訳ないじゃん」
しそー「…………」
まお「だいたい、プロローグでも言ってるじゃん。何言ってるかわかんないって」
しそ「それはそう。……え、まって?? じゃあオレ、なんでやられたん????」
ま「魔物だからだよ。他に何があるの?」
し「え、こわ。真顔で言い切るじゃん、こっわ」
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