狩りと玩具




「が、っは……ぁっ」


「おにぃ――!」


「ぐ、るな゛ぁ……ッ!」



 腹部に突き立てられた黒い刃。

 それを両手で抑えながらも、武都は背後で手を伸ばし、自分の元へと駆け寄ってこようとする雪乃を制止するべく無理やり声を絞り出した。


 が、武都自身もまた僅かに驚愕する。


 ――傷は思ったよりも浅い、と。


 かつての『深層の悪夢』の映像では、全てを斬り裂いていた一撃。

 しかし今は、身体をそのまま貫く訳ではなく、どちらかと言えば浅く刃を突き立てられた程度、といったところ。どういう訳か致命傷に至る程ではない。


 もしかしたら、『深層の悪夢』の中にも強さの違いが存在しており、自分が対峙しているのはかつての悪夢に比べれば、まだ戦える相手なのではないか、と武都は僅かな希望を見出した。


 だというのに。

 目の前のソレ・・は、まるでそんな武都の心を見透かしたように哄笑しているらしい。


 まるで、滑稽なものを見て愉悦に浸っているような、悪意に塗れた笑い声。

 言葉は分からずとも、その声色が、己に突き立てた左手とは反対の右手が、まるで腹を抱えるように腹部へと当てられているその仕草が、『深淵の悪夢』の真意をありありと物語っている。


 だから、ここで初めて武都は真実に気が付いた。


 ――コイツ、遊んでやがる……ッ!


 危機的状況に陥り、己の命も、そして最愛の、守るべき妹の命を懸かったこの状況で、目の前に対峙するその存在が、何故自分をあっさりと殺さなかったのか、手に取るように分かった。


 これは狩りを愉しむための、手加減。

 愉しいひと時を、ほんの一瞬で終わらせないための、ほんのちょっとしたお遊びに過ぎないのだ。


 相手は自分を殺し得る程の力を持たない存在だ。

 取るに足らない弱者だ。

 ならば遊んでやろうという強者のゆとり、あるいは驕り。


 本気を出せば簡単に壊れてしまうから。

 このまま終わってしまってはもったいない、つまらない、退屈だ。


 だから、死なない程度に痛めつけよう。

 ほんの少しの希望を与え、あっさりと心が折れないように加減しよう。


 ――――これは、玩具だから。


 命を懸け、大切なモノを守ろうとする武都に、そんなレッテルを貼ったのだ。


 その悪辣さに、その巫山戯た態度にかっと頭に血が上りそうになりながらも、そんな怒りを呑み込んで、武都は視界の隅に浮かんだ配信のコメントの数々を素早く読んでいく。



:『深層の悪夢』がいるってことは、深層か……?

:笑ってやがる

:タケト、逃げろって!

:逃げれねぇだろ、あんなの

:妹ちゃんだけでも逃がせばいいのに

:妹ちゃん逃げて!

:バカ言うな。今は『深淵の悪夢』一体だけだからタケトも守れるが、下手に逃げようとして他の魔物と遭遇したら挟撃されるんだぞ。下手に動かない方がいい

:救援待つしかないのかよ!?

:『深層の悪夢』なんか相手に、生き残れるわけねぇだろ……



 この危機を脱せられる妙案とも言えるようなアドバイスは、そこにはない。

 どちらかと言えば諦念に近いものと、半ばヤケクソめいた、助言にも程遠いただの叫びでしかない。


 それでもコメントの一部が言う通り、確かに今雪乃を走って逃がすというのは悪手だろう。

 目の前にいる化け物――『深層の悪夢』と名付けられ、恐れられているその魔物が即座に自分を殺すような類の魔物であったなら、すぐにでも逃げてもらうしかないかもしれない。

 が、今はまだその時ではない。


 引き抜かれた黒い刃が、再び伸縮し、今度は武都の二の腕に突き立った。



「――逞帙>�滓悶>��」



 表情はないが、頭を左右に揺らしながら身体を小刻みに上下しつつ、『深層の悪夢』は何かを語りかけてくる。


 ――腹に据えかねるものはあるが、確実に魔物コイツは遊んでやがる。

 自分を嘲笑い、じわじわと殺すつもりであろう事が透けて見える。


 ――ならば、まだ時間は稼げる。

 自分が足掻けば足掻く分だけ、目の前の悪意の塊は、時間をかけて自分を痛めつけてくれるだろう。


 魔物が〝狩り〟を愉しむという話は普通に考えれば有り得ないが、しかし目の前の魔物が『深層の悪夢』と呼ばれるに至った所以を考えれば、時間を稼ぐ事ぐらいはできそうだと武都は考える。

 何せコイツは、日本最強のパーティを終始痛めつけ、からかうように立ち振る舞い、失意と絶望に歪んだ表情を浮かべる面々を見て哄笑してから、その首を刎ねていたのだ。

 諦めたという訳でもないが、しかし勝てるとはお世辞にも思えない。



「いや……、おにぃ……っ!」


「……大丈夫、大丈夫だ。絶対、連れて帰る。だから、待ってろ、雪乃――ぐっ!?」



:あぁ、ホント無理、見てらんない

:クソ! 最悪の魔物が!

:救助いつ!?

:救助って言っても、コイツがいるって事は深層だろ? 無理じゃね?

:マジカル★マッスル公式:今、我々の精鋭部隊が下層上部にいる。一応は伝えたが、休憩を無視して全速力で向かっているが、最低でも数時間はかかる

:きた!

:いや、でも数時間って

:諦めていいレベル

:でも諦めたら二人とも死ぬぞ!



 腕を、足を、そして腹を、手を。

 浅く刃を突き立てるような攻撃を何度となく繰り返し、その度にゆらゆらと頭を左右に揺らしながら、先程と同様の言葉を投げかけてくる『深層の悪夢』を前に、武都はそれでもなお、決して心を曲げずに歯を食い縛り、睨み続ける。


 コメントを見る限り、数時間。

 そんな時間であっても、それがなんだ。

 絶対に耐えてやる――と、それだけの誓いを胸の内に抱いて、耐え続ける。




 ――――しかし、『深層の悪夢』と呼ばれるソレは、その名の通り。紛れもなく悪夢の類だった。




 愉悦に浸りながら痛めつけてみてはいたものの、件の玩具である武都の心がなかなか折れてくれない。

 攻撃をしてくるでもなく、ただただ耐え続け、自分を睨み続けてくるのだ。


 そんなものは、『深層の悪夢』が望む流れではなかった。

 もっともっと苦しんで、顔を歪めて、涙を零して、絶望してほしいのに。


 そんなものは、何も面白くはなかった。

 せっかく手に入れた玩具が、思い通りにいかなくて期待外れだなんて、ちっとも面白くない。




 だから、それは必然とも言える流れで――――




 それは小さな子供が手元で遊んでいた玩具から、ふと全く違う場所を見て、そちらに興味が移った瞬間のような、そんな動きを彷彿とさせた。

 人の輪郭を持つ黒い闇のそれが、確かにその時、顔の向きを変えたように見えた。




 ――――『新しい玩具雪乃』に、興味が移った。




 ぎゅるん、と音を立てるように。

 指先が伸びる。


 それは目の前の武都を避けるように明後日の方向へと飛んで、かくん、とその軌道を変えて、武都の後方にいた雪乃へと迫った。



「――……ぇ」


「ッ、雪乃、伏せろぉぉッ!」



 武都がそれに気が付いて声をあげる。

 しかし、その攻撃はあまりに速く、その言葉が届いてから常人が反応した程度では、到底間に合いそうになかった。




 ――――しかし、その攻撃は雪乃には届かなかった。




「――おまえ、ルールを破ったね」




 ドン、と空気が爆ぜた。


 涼やかな声が響いたかと思えば。

 雪乃へと『深層の悪夢』の攻撃が届く、その寸前。


 まるで空気が爆ぜたような音がして、大気が揺れた。

 同時に、その衝撃に吹き飛ばされたかのように『深層の悪夢』が一直線に壁へと吹き飛ばされ、凄まじい勢いで壁に激突し、砂塵を巻き上げた。



:え

:は??

:え……?

:『深層の悪夢』が殴り飛ばされた、のか?

:いや、というかアレ何者だよ

:人型の魔物?

:魔王だ

:魔王様きちゃ!

:は!? 魔王!?



 そこに現れたのは、黒に鮮血のような赤が混じった髪と、赤みがかった金色の瞳の持ち主。

 死神を彷彿とさせる襤褸を纏った少年に、配信を観ていた視聴者たちと、そして一拍遅れて視線を向けた武都と雪乃が気が付いた。


 しかし、武都と雪乃は唖然としていられる程の余裕さえなかった。


 ギチリ、と。

 まるで空間そのものが何かに縛り上げられているかのような、そんな錯覚に陥っていた。


 武都も、雪乃も『ダンジョンの魔王』と呼ばれる少年が姿を見せたというセンセーショナルなニュースは目にしていた。

 その瞬間の切り抜き動画やニュースとて、当たり前のように観てきた。


 しかし――否、だからこそ、というべきか。

 二人は実際にその姿を目の前にして、疑問を抱かずにはいられなかった。


 ――これが、あの・・『魔王』なのか、と。


 かの『燦華』の配信で見た、飄々とした姿とは似ても似つかわしくない。

 圧倒的な力を持ってこそいるものの、敵対さえしなければ、いっそ友好的に接してくれるのではないかと思わせたような空気は今、微塵も感じられなかった。


 空気を、空間を支配し、縛り上げるような物理的な感覚さえ覚える、強烈な重圧と息苦しさ。

 そんなものが生じているのは、まず間違いなく『魔王』から発せられた空気によるものだ。

 そして同時に、二人はそれが〝怒り〟によるものだと感じ取っていた。


 しかしそんな怒気を微塵も感じさせないような冷たい声色のまま、『魔王』は淡々と、あるいは粛々と告げる。





「――ルールを破ったイレギュラー。おまえは、消すよ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る