兄妹の末路
――迂闊だった。
ダンジョンの狡猾さを甘く見ていた己の甘さ。
後悔したところで何かが変わる訳でもないというのに、青年は歯噛みした後で、なるべく平静を装って振り返った。
「雪乃、大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫……だけど……」
足元に出てきた転移トラップに飛ばされた先で、青年は同行していた妹である雪乃に声をかけつつ、周囲を警戒する。
幸いにも周囲に、目につく範囲に魔物はいないことが確認できるが、ほっと胸を撫で下ろすだけのゆとりはなかった。
青年――
そんな武都が4つ歳下の妹であり、養成校の3年生となったばかりの妹を連れて探索に来たのは、ひとえに妹である雪乃のお願いを聞いたためであった。
雪乃は探索者としてダンジョンを攻略するのではなく、支援科に所属している。
将来的には、現在試行錯誤されている『D-LIVE』のシステムを使ったオペレーターとして、ドローンを操作しながら探索のフォローをしていき、兄である武都を支えていきたいと考えていた。
ここ数年で、一般人にも見る事ができるようになったダンジョン内部の光景。
かつて支援科と言えば、一般的には道具や武具の職人、魔法の付与を行うなどを生業としていたが、そこにドローンを利用したオペレーターという、安全な場所から通信を行い、いざという時に探索者ギルドに救助依頼を出すなどの後方支援が加わった。
雪乃が目指すのは、そんなオペレーターだ。
過去に引き起こされた『魔物氾濫』によって、唯一の家族である兄と自分だけが取り残されてしまった。
だから、せめて唯一の家族である兄を自分が救いたかった。
そんな想いを胸に、オペレーターを目指している。
そのためには、ダンジョンが如何なる場所であるかを知っておきたい。
だから、一度でいいから浅いところまででもダンジョンに連れて行ってほしい、と。
そんなささやかなお願いであった。
しかし――結果は、この状況であった。
「……おにぃ……ここって……」
「……運が良ければ下層下部か……。ただ、この広さ、それに周囲の独特な壁の色は、見たことがない」
「そんな……っ!」
「落ち着け、雪乃。取り乱したらダメだ。魔物に見つからないように上に戻っていくルートを探す。だから、絶対に声をあげたりはしないと約束してくれ」
「……っ、わ、分かった……」
「あぁ、いい子だ。予備のドローンを起動させてくれ。運が良ければ、この辺りを知っている視聴者がいるかもしれない。ナビゲートしてもらえる可能性もある」
「あ……、うんっ」
希望が見えたと言いたげに安堵した様子の雪乃を見ながらも、しかし武都は「望みはないだろうな」と冷静に思考を巡らせていた。
配信を観ている視聴者の多くは、いわば素人だ。
一時の娯楽としてダンジョン配信を視聴し、コンテンツとして消費しているだけ。
そんな彼ら彼女らが、ダンジョン内の情報をそこまで詳細に把握しているとすれば、余程の物好きぐらいなもの。
しかし、配信は裏を返せば、自分では手に入らない情報の助言を求める事もできるツールだ。
こうした非常事態はもちろん、何か問題が発生した場合に、第三者からの情報提供によって生き残れたり、あるいは二次災害を防ぐ事にも繋がっていた。
念の為、ARグラスの予備を雪乃に渡しておいて良かった。
武都はそんな事を思いながら、改めて周囲を見回した。
この場所はこれまで配信で東京第3ダンジョンを調べてきた武都自身も、見た事はない。
下層上部を探索している『マジカル★マッスル』の配信を雪乃と一緒に眺めていた事もあるが、その際の壁面や床の色はどちらかと言えば灰色だったが、今武都たちがいるこの場所は、そこよりも更に広く、そして周囲は青色に近い。
幻想的な光景ではあるが、薄ら寒いものを感じる。
濃厚な魔力濃度、明らかに自分たちが場違いであるという、そんな空気を感じ取っていた。
――座り込むな、立ち上がれ、心を折るな。
カバンを漁る雪乃には見えないかもしれないが、事実、武都の膝は僅かに震えていた。
身体は無駄に緊張を強いられ、手は震え、ちょっとした物音でも聴き逃さないよう、常に周囲を警戒している。
妹の手前、兄として挫ける訳にはいかない。
その矜持だけで、どうにか己の心を律し、その場に佇んでいた。
「おにぃ、準備できたよ」
「あぁ。――えっと、リスナーのみんな、来てくれてありがとう。余裕がなくて悪いんだが、できれば拡散してほしい。ここは東京第3ダンジョン。転移トラップに引っかかってしまって、ここがどこだか分からない。少しでも情報がほしいんだ」
:こんー
:お、今日配信だったの?
:そこどこ? 見たことないわ
:え
:転移トラップって、マジかよ
:ちょ、マジか!? すぐ拡散する!
:フォロワー32人のワイの拡散力が火を噴くで!
:草生やしてる場合じゃないけど草
「ありがとう、みんな。雪乃、コメントのチェックを頼む。俺は周囲の警戒に意識を割かなくちゃいけない」
「う、うん、分かった。あの、皆さん、よろしくお願いします……」
:うぎゃあああ、妹ちゃんも一緒とかマジかよ!?
:配信で何度か存在が出てた妹ちゃんかよ!?
:イマジナリーシスターじゃなかったんかワレェ!
:おま、タケトォ! よりによってこんなタイミングで!?
:拡散しまくれ!
:探索者ギルドに通報した! 情報提供呼びかけてくれるって!
:ナイス!
:妹ちゃん、落ち着いてね!
:生きて帰れよ、絶対!
切迫した状況だ。
お世辞にも笑い話に興じられるような状況ではない。
しかし、どこか他人事のようにしか感じない視聴者たちの、どこかコミカルな焦り具合や軽口めいたコメントが、今は武都と雪乃にとって心地良かった。
緊張し、強張っていた身体から余計な力が少しばかり抜けていく。
武都もまた、僅かに身体の震えが落ち着いた事に気が付いて、気付かれないように小さく、しかし深く息を吐き出した。
――大丈夫、まだ生きていられる。
自分がもしも死ぬ事になっても、雪乃だけはなんとしても生かしてやるんだ。
俺が、守ってやるんだ。
己に強く言い聞かせ、そして――目を見開いた。
「――隕九▽縺代◆隕九▽縺代◆縲∵�縺玖�」
気配はなかった。
少なくとも武都には何も感じ取れなかった。
何も変わっていなかったはずだった。
ただ、まばたきをした。
その次の瞬間に、
「――……ぇ?」
ドスッ、と何かによって振動する身体。
ゆっくりと視線を下ろして、それを見る。
黒い靄。
まるで真っ黒な霧が集まって、固まったかのようなそれが、己の腹部に突き刺さっていた。
「――おにぃ!?」
:は?
:タケト!?
:あ
:おいおいおいおい! 嘘だろ!?
:アレ、マジか
:何あの黒いヒトガタ
:最悪だ
:オワタ
視界の隅に流れるコメントたちを見て、ようやく武都は
かつての日本最強。
そのチームが録画していた攻略情報の
偶然にもダンジョン内の魔物が持ち歩いたのか、下層の魔物からドロップされたカメラに残っていた、記録。
当時の『最強のパーティ』が壊滅した、その映像に
それは黒い靄が人の形を象ったよな、そんな存在だった。
一瞬で移動し、身体を伸ばし、あっさりと盾も、鎧も、それらに護られたはずの人の身体さえも両断し、貫き、殺した存在。
:マジで『深層の悪夢』かよ……
悪夢と呼ばれた魔物が、コメントに反応したかのように哄笑するような声をあげた。
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