圧倒的な〝暴力〟




 燐や紗希、夏純にとって、灰谷京平という男も、緑大鬼オーガという存在も、『分かりやすい脅威』であった。


 人は危険性を認知でき、理解し、その上で初めて「これは脅威である」と認識できるものだ。裏を返せば、『分からないモノ』に対しては、その危険性というものさえ理解できないという事に他ならない。


 故に、彼女たちには理解ができなかった。

 可視化されるほどの魔力とは、どれ程の力を有したものであるのか。


 一方で、灰谷もまた彼女たちに近い実力の持ち主であった。

 しかし灰谷は己の仲間――否、同志とも呼べる存在の中に、常人を超えた力を持つ人物を知っている。故に、魔力が可視化できる程の力というものがどれだけの力があって行える代物であるのかを、それが如何に常軌を逸した代物であるのかを、朧気ながらに理解している。


 だからこそ、目の前に現れたそれが、いかにありえない・・・・・存在であるか、異常な存在であるかという事実に気付いた。


 彼女たちが「大蛇のようだ」等とぼんやりと思いながら見つめている、可視化されている魔力は、超高濃度の毒のようなものだ。

 それこそ、ダンジョンに潜り、位階を上げていない、耐性も育んでいない常人であれば、触れただけで一瞬で命を刈り取る代物である。


 そんなものが、たった一人の子供から何本も伸びて、意思を持っているかのように揺らめいているという、その恐ろしさに。


 しかし、それでも足りていなかった。


 黒く、昏く。

 少年から伸びる可視化された魔力は、さながら漆黒の大蛇、あるいは八岐之大蛇のような、もしくは九尾の狐の有する尾のようだ。

 しかしその一本一本が、灰谷にとってみれば〝死〟そのものを体現しているような、そんな存在であった。


 恐怖が、感情が、理解に追いつかなかった。

 カチカチと耳障りに鳴り続ける何かが、自分の口が震えて歯と歯がぶつかり合う音であると気付けたのは、さながら死を纏うような不思議な少年の一撃によって、下層の魔物である緑大鬼オーガがあっさりと屠られて、ようやくの事であった。


 ――逃げろ、と本能が叫ぶ。

 ――あんな化け物から逃げられるはずがない、と現実が冷酷に告げる。



「――……ほら、答えなよ。じゃないと、殺すよ?」



 どこか感情の伴わない、浮いたセリフを無感情に読むかのように告げられたその言葉に、天才と呼ばれた灰谷の思考が、ようやく追いつく。


 常人ならば、恐怖に気を失ったかもしれない。

 しかし灰谷は理知的で、こんな時であっても本能よりも理性が勝り、本能を抑え込もうとする。


 ――逃げられない、ならば抗うしかない。

 ――勝てない、いや、そんなはずはない、と己に言い聞かせる。


 そんな、ほんの一瞬の間に起こった結論への推移。

 しかし、さらにこの場を見つめている者たち――つまり、『燦華』の配信を映像越しに眺めている者達にとっては、『燦華』の面々よりもずっと、現実味のない光景としてそれを受け取っていた。



:は?

:は????

:え

:いや、え? マジ?

:一撃……?

:うっそだろwwww

:あのあの、オーガさんって複数人でやっと勝てる化け物なんですが??

:何この少年、出てきた瞬間画面にノイズがちょいちょい走ってるんだが?

:可視化できるほどの濃密な魔力のせいだろう。過去、深層の魔物を映した時にも似たような現象が起こっていた

:なんか詳しそうなニキいて草

:ニキではない。ネキだが?

:おっふ、すまんw



 コメント欄に連なった「は?」や「え?」の一言の嵐。

 そうして続いた後、落ち着きを取り戻したらしい視聴者たちのコメントが凄まじい速さで流れていく。

 そんなコメント欄の動きをぼんやりと追う形になった燐たちの耳に、一瞬早く結論に至った灰谷の声が響いた。



「……ッ、な、何者だ、貴様ッ!?」



 酷く震えた声を悟られないように、己を必死に鼓舞して叫ぶ。

 しかしそんな灰谷の虚勢とは裏腹に、目の前に突如として現れた〝死〟は、淡々と答えた。



「質問しているのはこっちだよ。キミだろう、戦士の誇りを踏み躙り、道具に成り下がるような行いをしたのは」


「……はっ、それの何が問題だと言うのだね?」


「うん?」


「人間は常にありとあらゆるモノを利用してきた! 歴史がそれを証明している! 獣を喰い殺し、自らが楽になるために飼い殺し、美味く都合がいいように変えてきた! 魔物とてそれと同じこと! 利用してやって何が悪い!?」


:ん、まぁ利用できるなら利用するのが人間ではあるか

:一理あるのは確かだが、やろうとしてた事が国家転覆じゃろ?

:せめて人のためになる事なら、まあ納得もできたんだがなぁw

:おいやめろ、肉嫌い過激派とかがまた騒ぎ立てるぞ?



 ここで安易に肯定だけを返せば、何をされるか分かったものではない。

 そう考えて必死に叫びながら、灰谷は時間を稼ぐ。


 持ち前の頭脳と思考の早さで切り抜けようとあらゆる選択肢を思い描いていく灰谷と、未だに目の前の光景に現実味が湧いていないコメント欄の気楽さは、あまりにも噛み合っていなかった。

 しかし、そのおかげではっと我に返った燐は、そっと後ろに下がっていく。


 こちらに背を向ける、恐ろしい程の魔力を持った少年。

 結果として「助けてくれた」とは言える状況であるのは間違いないが、その脅威度は計り知れなくとも、「得体が知れない」という感想を抱く程度には異質だと理解できた。

 事実として、唐突に姿を見せたかと思えば、自分たちでは勝てそうにない緑大鬼オーガを一瞬で屠ったのだ。一流の探索者がチームで戦う相手だというのに、あっさりと、である。それを異質と言わずになんと言うのか。


 そんな風にゆっくりと下がる燐を無視して、少年は僅かに俯いて――肩を揺らした。



「く……、くくく、あっはははは! なるほどなるほど。つまりキミは、強者であればそうやって振る舞うのが当然だ、と。何も間違っていないと、そう言いたいのかな?」


「っ、無論、その通り――」


「――じゃあ、キミは僕の言う事を聞かなきゃいけないね?」


「は……?」


「強者の言うことは絶対、なんだっけ? だったら、僕よりも圧倒的に弱い弱者であるキミは、強者である僕にどう扱われようが、文句を言えない。キミが宣ったそれは、そういう類の話だよね?」


「――……ッ、私が、弱者、だと……!?」


「うん、そう言ったつもりだけど?」


:くっそ煽りよるww

:これは草

:灰谷の顔こっわw

:顔真っ赤やんw

:煽るなって! まだ隠し玉とかいるかもだろ!

:舐めプすんなって!



 シリアス感が満載な状況。

 なのにあの少年の、どこか小馬鹿にしたような物言いとコメント欄のコミカルな空気感のせいもあってか、燐はシリアスな空気を破壊されているようで、どうにも気が抜けそうになる。



「……燐」


「紗希、大丈夫?」


「えぇ、夏純のおかげで。それにしても……」


「助けられたのは事実。ですが、あの方が仲間とは思えません。いつこちらに矛先を向けるやもしれぬ状況ですわね」


「……うん」



 紗希や夏純も、少年に対する感想は燐と同じものであった。


 確かに、あの緑大鬼オーガを倒し、結果的に3人は助かった。

 だが、少年の口にしたセリフ――つまり、颯が何も考えずに口にしたセリフ――は、あの緑大鬼オーガの無念を晴らすために屠ったような、そんなセリフだった。


 現に、自分たちに声をかけるような事もせず、灰谷だけと言葉を交わしている。

 もともと私たちがどうなろうと、あの少年にとってはどうでも良かったのかもしれない、と3人は思う。



「――ふ、フザけるな……ッ! 緑大鬼オーガ如きを屠れたからと、図に乗ったなぁ、小僧! ならば見せてやろう、私の力というものをッ!」



 灰谷が叫びながら、再び左ポケットの内側で何かを操作する。

 同時に、身体の心を震わせるような振動が響いてきて、遠くから地響きのようなものが3人の耳にも届いた。



「……下層、から……?」


「――ッ、まずい……! 燐、夏純! 逃げるんだ!」


「紗希!? 一体何を!?」


「下層から、魔物の群れが上がってきているんだ! 『魔物氾濫』が起ころうとしている!」


「な……ッ!?」


:は!?

:え、マジ!?

:ヤバイヤバイヤバイ!

:下層から上がってくるなんて、外の人達も避難しないとマズいだろ!

:いや、厳しいだろ。本来スタンピードは事前調査で前もって避難の余裕が生まれるようになってるんだぞ? いきなり避難しろなんて言われたら、逃げる以前にパニックに陥って被害が広がるんじゃね?

:3人とも、はよ逃げて!



 混乱が広がるコメントの動き。

 そんな中にあっても、しかし突然現れた少年は特に動じる事もなく、堂々とその場に立ったまま灰谷を見つめて動こうとはしない。



「燐、早く!」


「待って! ――ねえ、少年! キミも早く来て!」


「うん? あぁ、いいよいいよ。逃げる必要もないから」


「へ……?」



 軽い調子で言われて、思わず動きが止まってしまう。


 すでに下層に続く前方の通路からは、大量の魔物たちが姿を見せ始めている。

 もしも自分たちが今から逃げに徹したとしても、まず間違いなく逃げ切れない。

 呆気なく追いつかれ、踏み潰されてしまうだろうけれど、それでも、まだ諦めるつもりはなかった。


 しかし、件の少年が軽い調子でそんな言葉を口にするものだから、思わず『燦華』の面々もまた動きを止めてしまった。


 そんな3人の視線の先では、先程の緑大鬼オーガがつけていた首輪と同じ首輪をつけている魔物たちが、灰谷の後ろで動きを止めた。



「ふ、ふはははっ! どうです!? これがワタクシの力! いくら貴様でも、これだけの下層の魔物の群れを前に強気な言葉など――」





「――たかが下層程度・・・・の魔物たちが、束になったところで何になると言うんだい?」




 灰谷の言葉を遮って少年が呟き、地面を足先で叩く。

 同時に、まるで空気そのものが重量を伴ったかのように低い唸り声をあげた。


 ゴキリ、メキメキ、ぐちゃり。

 何か巨大なものに圧し潰されるように。

 耳障りな音を奏でながら、そこに集まっていた魔物たちがその場に崩れ落ち、床を陥没させ、周囲に亀裂を走らせながら、潰れていく。


 術式にする事さえ煩わしい、とでも言わんばかりに溢れた魔力。

 魔力はその性質上、一定以上の密度で圧縮されると質量を持つ。そんな特性を利用したのだ。

 大きすぎる力が質量を伴い魔物の群れの上部、中空に顕現する。

 結果、さながら巨人に踏み潰されるかのように魔物たちを圧し潰した、それだけのこと。


 そこに、技術など一欠片とて存在していない。

 夏純の扱うような魔法のように、繊細に、緻密に組み上げられたものとはかけ離れた、純然たる魔力という名の暴力であった。


 そうして数瞬後には、下層から登ってきた魔物たちは物言わぬ屍となって、魔石と素材だけを残して霧散した。




「――は……?」




:は……?

:ええええぇぇぇぇ!?!?

:はあーーーーー????

:なにそれ

:え、今の魔法……?

:というか何今の

:え、何した?

:魔法……? いや、魔法陣とか出なかったよな??

:ふぁーー、格が違い過ぎるwwww




 濃密な魔力の残滓が漂うその場所で、颯が動き出す。

 すっと一歩、ただその場で踏み出しただけに見えた、次の瞬間。


 少年は灰谷の斜め後ろにその姿を現して、大鎌を斜め下に向けて姿を現した。


 ――――その大鎌の先に、灰谷から斬り取った、左肩から先の腕を突き立てて。



「――ッ、ぎ、ああああぁぁぁぁッ!?」


「あぁ、ごめんね? ちょっとキミの左腕、借りてるよ?」


:ひえっ

:えぐ

:え、え

:理解が追いつかん

:グロ注意

:いつの間に……?

:てか借りてるってあぁた……

:それ、斬り取ったってやつですやん



 人の腕を切断して、しかし何も思うところがない様子で語る少年。

 少年は灰谷の手に握られている長方形の何かの装置のようなものを取り上げて、持ち上げるなりしげしげとそれを眺めながら続ける。



「ふーん……、これを使って魔物たちに命令してたのかな? あまり複雑な命令はできそうにないけど、何かコツでもあるのかい?」


「ぁ、ああ……っ、ぐ……っ!」


「……はあ。腕が取れたぐらいで騒ぎ過ぎだよ」


:腕が取れたぐらい、とは

:それは騒ぐレベルやねんぞ??

:なんで呆れてるんですかねぇ……?w

:こわ……この子サイコパスやんけ……

:スタンピードが阻止されたって喜ぶべき場面ではあるんだが……

:やってる事がエグ過ぎて、どっちが悪役なのか分からんレベルなんよ……



 思わず、コメント欄を見て頷いてしまう『燦華』の面々であった。




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