標的




:思い出した! あいつ、指名手配されてる灰谷じゃん!

:誰それ?

:堕ちた天才、だっけ。

:『研究狂』かよ!

:海外に逃げたって噂だったじゃん!?

:ガチ危険人物じゃん、3人とも逃げて!

:まさか『燦華』を標的にした!?

:ヤバイヤバイヤバイ!



 燐と紗希、そして夏純たち『燦華』の目には、コンタクトレンズ型のデバイスが装着されている。

 そこには自分たちの配信を見つめる多くの視聴者たちの生の声であるコメントが次々と流れているが、今その多くが突如として現れた闖入者――灰谷と呼ばれる男の危険を訴えていた。


 灰谷という男、そして『研究狂』という通称は、燐らも知っていた。


 ――『研究狂』、灰谷京平。

 元は国営のダンジョン研究機関に所属していて、天才として脚光を浴びていた男であり、多くのメディアに若き鬼才などと持て囃されていた人物だ。

 しかし多くの成果の裏側で行われてきたとされる、数々の常軌を逸した非人道的な実験が告発された。


 中でも、探索者の遺体を勝手にダンジョンから持ち帰り、研究のために解剖したという内容と、それをあっさりと認めた衝撃は非常に大きなものであった。


 そんな灰谷が突然姿を晦ました。

 何者かの手引きがあったのだとか、その際に警察官が犠牲になっただのという憶測も飛び交ったが、何が事実かは公表されることはなかった。


 憶測が憶測を呼ぶその渦中に、灰谷は大きな事件を起こした。

 魔物をわざと挑発して大量に引き付け、それを他の探索者に押し付けて轢き殺すという、昔流行ったというゲームの中の用語で知られる『モンスタートレイン』と呼ばれる手法を用いて探索者を殺したのだ。

 しかも、その動機は「新鮮な検体・・が欲しかったから」という声明までSNS上に残していた。

 もっとも、その騒動のすぐ後にSNSのアカウントも凍結される事となったが。


 それ以来、表舞台からは忽然と姿を消していたはずだった。 



「灰谷京平……!」


「おやぁ、ワタクシの事をご存知でしたかぁ。くふっふふふ、有名人ですからねぇ、ワタクシ」


「……魔物の使役。これもあなたが研究したのかしら?」


「えぇ、そうです――と言いたいところなんですが、ねぇ。悔しい事にこればかりはワタクシだけではなかなか辿り着けない技術でして……。組織の仲間に少々手伝ってもらい、ようやく形になったのですよぉ」


「組織、ね……。あなたみたいなのがいっぱいいるとなると、頭がおかしくなりそうだわ」


「おほほほ、これは手厳しいですねぇ。まあ、多かれ少なかれズレた者は多いですが、ワタクシと利害が一致しているので、気になりませんねぇ。まあ、あまり情報を与えてあげるつもりはありませんので、あしからず」


:類友か?

:チッ、ベラベラ喋ってくれればいいものを

:コイツ、配信されてるって気付いてるっぽいな

:堕ちた天才って言われてるぐらいだし、配信に気付かずに全部喋ってくれたりはせんだろうな

:通報はしたけど、下層手前って事もあって救援は時間かかりそう

:なんとか時間を稼げ!



 逃げられるのなら逃げるべきだろう。

 燐も、そして紗希や夏純もそう思う。

 しかし、ここが『試練の門番ゲートキーパー』部屋なのが痛い。


 この部屋は、いわば闘技場の舞台上。

 周囲には障害物もない円形の広間となっており、逃げるにしても100メートル近くを真っ直ぐ駆け抜けるしかない。

 無防備に背中を向ければ、その瞬間にさっきからこちらを睨みつけているあの大緑鬼オーガが襲いかかってくるだろう。


 下層の魔物の代表格、大緑鬼オーガ

 人に比べて知能は低いが、しかしそれでも獣型の魔物に比べて頭がいいと言われている。

 最大の武器は、その強靭かつ巨大な体躯を活かした圧倒的な膂力。

 その一歩は数メートルをあっという間に詰めてくるほどに大きく力強い上に、膂力も人のそれとは比べ物にならない程に強い。


 燐たちは確かに下層に入るための『試練の門番ゲートキーパー』を倒せた。

 だが、かと言って大緑鬼オーガを相手に真正面で戦えるほど、強くはない。


 探索者の戦いは、多くは〝読み〟と〝詰め〟で決まる。

 膂力、速度で格上とも言える魔物たちを相手に、わざわざ真正面から戦いを挑むのは、余程の変わり者か命知らずの類だ。

 一般的には遠距離から先手を打ち、前もって準備しているキルゾーンに誘い込んで一斉攻撃を叩き込んで、弱ったところでトドメを、というのが定石であった。


 そうでもしなければ、勝てないのだ。

 人間よりも圧倒的に強い身体を持つ魔物という存在は、それ程に強い。


 殴りつけられれば骨が砕け、吹き飛ばされ、内蔵が破裂する。

 握られれば骨は潰され、噛みつかれれば容易く喰われる。


 そんな相手に無防備に背中を向けて逃げようとしても、逃げ切れないのは目に見えている。


 コメントを見る限り、すでに救援依頼も出してくれているらしい。

 だったら今は無理に動くよりも、私たちが生き延びるには少しでも時間を稼いで、救援を待つしかなさそうだ、と燐も、そして紗希と夏純も瞬時に判断を下した。


 慌てず、警戒したまま、燐が改めて口を開いた。



「……わざわざ私たちの前に狙ったかのように現れるなんて、何が目的なの?」


「んんー、時間稼ぎのつもりですかぁ? ふぅむ、まあワタクシにもメリットがない訳でもないので、いいでしょう。簡単に言えば、人気のあなた方は、いわば立派なインフルエンサー。注目を浴びるには程良い存在、とでも言うべきでしょうかねぇ」


「……それが、何?」


「先ほども申し上げた通りぃ、ワタクシ達の組織は国を相手にこれから交渉を行っていきますからねぇ。ワタクシ達の力がどのようなものかを知らしめるには、当然、それなりに知名度もあり、有名な存在の協力があるに越した事はないのですよぉ」


「つまり、私たちを狙っていた、という事ですの?」


「えぇ、その通りですよぉ。デモンストレーションにはちょうど良い相手、ということですねぇ」


「……ッ、コイツ……!」


:狙われてたのか……!

:なるほどな。国を相手にするなら、分かりやすく力を見せつけておきたかった訳か

:普通、配信されてたら犯罪する側は自分たちの顔や行いがバレるから標的にしないもんだけどな

:かえって配信してる方が都合がいいってことかよ

:救援まだ!?

:神奈川第5は不人気ダンジョンだしな……。多分、下層付近まで潜ってる探索者が少ないんだ



 視聴者たちも、そして『燦華』の面々もまた、灰谷の真意をようやく理解する。

 新進気鋭、若手の最強と呼ばれる彼女たちは灰谷の標的にされ、利用される事になってしまったのだ、と。


 国を相手に交渉するというのは、おそらくは本音。

 けれど、最初にその力を見せつけなければ、せいぜいが怪文書として上に届かずに処理されたり、ただの悪戯扱いで終わってしまう。

 だから、実際に力を見せつけ、それがただの虚仮威しや誇張などではないのだと、予め証明しておく必要があった。


 その証明の場として選ばれたのが、自分たちの配信だ、と。


 若手の有名パーティによる、下層への挑戦。

 センセーショナルな話題を携えた今回の配信は注目を集め、実際に今も配信の同時接続人数は20万人を超えていた。


 だからこそ、灰谷にとっても都合がいい。

 だからこそ、灰谷はこの機会を見逃すつもりなどない。



「さて、宣伝・・にご協力いただくのはこれまでにして、そろそろあなた方には死んでいただきましょうかねぇ」


「――ッ、あなた、そんな真似をしたらどうなるか分かっているの!?」


「えぇ、もちろんですとも。ふふふ、ですが、何も問題はありませんねぇ。むしろ好都合とも言えますとも。何せ、魔物を操れるという証明として、あなた方ほど利用価値の高い獲物はそうそういませんからねぇ」



 最後の足掻きとばかりに声を荒げてみせるものの、灰谷は止まるつもりなんてないようだ。




「――さあ、行きなさいっ! ワタクシの可愛いペットよ!」



 緑大鬼オーガが、咆える。




 ――――そんな緊迫したやり取りをしている彼女たちを他所に、この光景をまじまじと見ながら首を傾げている存在など、その時はまだ誰も気付いていなかった。






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