乙女ゲームの世界に転生した残念ヒロインでしたが、いろいろあって王太子の婚約者になりました

黒柴 あんこ

第1話乙女ゲームの世界に転生した残念ヒロインでしたが、いろいろあって王太子の婚約者になりました

「もしかして君は聖女なのか?」

 助けてもらった男性の怪我を癒そうとしたら、何故か虹色の癒しの光が溢れて、男性の腕はみるみるうちに完治した。

「え、いや、そんなはずはない…と思います」

 私は必死で否定した。だって私は、乙女ゲームの世界にヒロインとして転生できたのに、肝心の魔法学園で聖女になることもなく、バッドエンドが怖くてこの国に留学という名の逃亡をしたのだから……


 私はミリアンナ・ダントン。ダントン男爵の次女としてディラン国に生を受けた。薄っすらと前世の記憶を思い出したのは10歳の時、馬車に轢かれそうになって頭を打った時に、前世ニホンという国に住んでいた記憶を思い出した。きっと私は車に轢かれ死亡したのだろう、本当に薄っすらだったため、あまり気にしないままその後も生活をしていた。

 はっきりと前世の記憶を取り戻したのは、13歳で魔法学園の門をくぐった時だった。突然、頭の中に音楽が鳴り響いた。そう、前世やりまくっていた乙女ゲーム【魔法学園 聖なる乙女と恋人たち】のオープニングで流れる曲が…

「うそ、ここ聖乙の世界…ミリアンナ・ダントンって、私ヒロイン?」

 気づいた私は狂喜乱舞した。ヒロインが5人の攻略対象に愛され、幸せになる未来が見えた気がした。すぐにそれは誤解だと気づくべきだった。推しだった攻略対象アルバート第二王子に無視された時点で…もしくは、同じく攻略対象の宰相の息子オーディンに避けられた時に、それともチャーリー先生に引きつった顔で逃げられた時?私は気づかずに、躍起になって黒歴史をどんどんと積み上げていった。

 そもそもアルバート第二王子に婚約者がいる時点で、設定がおかしいことに気づくべきだった。悪役令嬢のはずの侯爵令嬢ジョセフィーヌ様が意地悪をするどころか、私に関わってこなかった時に、それともイベントの起こるはずの場所に何度行っても攻略対象に遭遇しない時に、何度も引き返せるタイミングはあったはずなのに、私は意地になっていた。

 何とか第一王子のギルフォード殿下と、イベントっぽく知り合い光魔法で傷を癒した。これで私は聖女の力に目覚め、ヒロインとして乙女ゲームらしく恋を始められる、そう思ったのに聖女の力に目覚めることはなかった…ここで諦めなかった私は、ここから地獄の底まで落ちることとなる。

 前世を思い出した私は、今世ではあるまじきスキンシップ多めのヤバい女になってしまっていた。貴族令嬢からは白い目で見られ友達なんて出来るはずもなかった。ヒロインは愛されキャラで、誰からも愛されるはずなのにおかしい。ここで引き返さなかった私、もう最悪しか想像できない。

 何とかゲットしたギルフォード殿下は俺様キャラが暴走していて、ゲームでは格好よく見えていたのにはっきり言ってウザい。現実ではドン引きだった。この頃の私は、もうどうしたらいいか分からず迷走していた。

 そんな時、アルバート様の婚約者が入学してきたのだ。クリスティーヌ・スコット侯爵令嬢、彼女は私の推しのアルバート様に愛される羨ましい存在だった。更に彼女はなんと聖女だったのだ。やっぱり乙女ゲームとは全然違う設定だ。ここでやっと私は現実を見る余裕がでてきた。攻略対象の誰かを攻略できなければ、バッドエンドになってしまう。そう思い込んでずっと心細い中、私なりに頑張ってきたつもりだった。

 思い切ってクリスティーヌに接触すると、やはり彼女は転生者だった。攻略対象のアルバート様の婚約者で聖女、そんな都合のいい設定、もしかしたら転生者?と思っていたのだ。

 クリスティーヌの存在を知って、私はこの地獄の様な設定を全部忘れて、一からやり直すことにした。この国では流石にもうやらかし過ぎて取り返しがつかない。そこで私は隣国マッタン王国に留学することにしたのだ。両親を説得して教授の推薦状を2枚、とんとん拍子ではなかったが何とか許可が出た私は、この国の成人年齢の16歳の時、単身この国に留学することが出来た。


 マッタン王国には私の黒歴史を知る人はいない。やっと私はゆっくりと息をすることが出来た。何かに押し潰されるような焦りを感じながら、ディラン国の魔法学園で過ごしていたのだ。

「もう私は自由なんだわ。ゲームはディラン国が舞台だったもの、私は舞台をもう降りたのよ」

 マッタン王国の魔法学園の門をくぐって、晴れ晴れとした気分で私は自分に言い聞かせた。そこからは本当に充実した学園生活を送った。積極的に授業を取り、沢山の知識を得た。友達も出来たし、あの頃感じていた侮蔑の視線に晒されることもない。なんて幸せなのだろう。


 そんなある日、学園のお気に入りの庭で友人が来るまでの時間を潰していたら、頭上から小さな泣き声が聞こえてきた。

「え?子猫?木から降りられないのね…待っていて、木登り得意なのよ」

 木の上には、小さい子猫が震えながら鳴いていた。私は枝に手をかけスルスルと木を登っていった。ダントン男爵領は自然が多く、私は小さい頃から木に登って遊んでいた。令嬢としては失格かもしれないが、両親もお転婆な私をのびのびと育ててくれていたのだ。

「よし、こっちにおいで、さあ、怖くないからね~」

 私はゆっくりと子猫に手を伸ばし、そっと抱き上げ上着の胸の部分に入れた。そして、ゆっくりと枝を掴みながら下に降りて行った。かなり慎重に降りていたのに、何故か途中で木がつるっと滑った。

「え、え?」

 私はバランスを崩して、そのまま下へ落下するしかなかった。かなり下まで来ていたはずだ、それでも3メートル以上の高さはあった。

「危ない!!」

 誰かの叫び声を聞いた時には、誰かに抱えられるように倒れ込んでいた。

「痛った、くない?あれ?」

 胸に入れていた子猫は、そのまま驚いて逃げていった。潰れなくて良かった…

「じゃなくて、あの、大丈夫ですか⁈」

 私は、助けてくれた誰かを慌てて見た。茶色い髪に金色の瞳の美青年だった。どこかで見たような顔だ。

「大丈夫だ。君こそ大丈夫か、どこか痛いところは?」

「私はお陰様で、大丈夫でした…って、あなた腕から血が出てます!」

「ああ、これくらいかすり傷だ、気にしなくていい」 

 男性の二の腕から、かなり血が出ている。倒れ込んだ時に、下にあった石で切ったのかもしれない。

「あの、私、光魔法が使えるので、癒させてください!」

「光魔法、それは希少な属性持ちだな。わかった、頼む」

 私は頷いて、男性の腕に癒しの魔法をかけようと、目を閉じて集中した。途端、虹色の眩い光が瞼の裏を照らした。いつもの癒しの光は淡い白色の光だったはずだ。虹色?何事??私が焦って目を開けると、驚いた男性の瞳と目が合った。

「もしかして君は聖女なのか?」

 聖女?ってあの聖女?私の中で黒歴史の記憶が疼く。

「え、いや、そんなはずはない…と思います」

 男性の腕は綺麗に治っていた。先ほど見たのは確かに虹色の聖女の癒しの光だった。クリスティーヌが実際に癒しているところも見たし、乙女ゲームのスチルで何度も見ていた、あの光だ。

「だが、あの光は聖女のものだろう?昔一度だけ見たことがあるんだ…」

「え?そうなんですか?」

「ああ、この国の前王妃が聖女だった。もう亡くなってしまったが…」

「そうでしたか」

「前王妃が聖女なのは有名な話だが?」

「あ、私はディラン国の者でして、詳しくなくてすみません」

「そうか、留学生なのか。それで、君の名前は?聖女なのだろう?もしや、アルバート殿下の婚約者のスコット侯爵家の令嬢か?たしか、彼女は聖女だと聞いている」

 矢継ぎ早に質問が飛んでくる。私は自分が聖女なわけがないと言っているのに、目の前のイケメンは私を聖女だと決めつけてくる。

「私はクリスではありませんし、聖女でもありません!何かの間違いです!助けてくれて感謝していますが、これ以上関わらないで下さい!さようなら」

 私はそのまま走ってその場を逃げ出した。聖女というワードは、私にとっては苦い記憶でしかなかった。折角幸せな第二の人生を謳歌しているのに、今更聖女だなんて言われても困るのだ。

「ふう、追いかけてはこなかったわね。よかった、二度と会いたくないわ」

 イケメンではあったし、どこかで見たような顔ではあったが、聖女が絡むなら二度と会いたくないし、名前も名乗っていないのだから、今後会うこともないだろう。そう思っていたのに…


「ミリアンナ・ダントン男爵令嬢」

 次の日の放課後、友達と学園内のカフェでお茶をしていると、いきなり背後から私の名前を呼ぶ声がした。

「まあ、オリバー王太子殿下、ごきげんよう」

 友人が感嘆の溜息をついてそう言った。オリバー王太子殿下?それは後にディラン国に留学生としてやって来る攻略対象の名前では?慌てて振り向くとそこには昨日のイケメンが立っていた。

「え?でも、オリバー殿下は赤髪では…」

 そう、乙女ゲームに出てくる隣国の王子ことオリバー殿下は、燃えるような赤い髪に金色の瞳だったはずだ。

「おお、よく知っているな。赤髪は目立つから、学園にいる間は茶色い髪に魔法で変化させているんだ。別に変装しているわけではないから、知っている者も多いけどな」

 赤はマッタン王国の王族独特の髪色で、確かに目立つ。それでどこかで見たことのある顔だと思ったのだ。ディラン国に来た隣国の王子は、赤髪に金色の瞳を隠していなかったから、まさか茶色の髪の彼がオリバー殿下だとは思わなかったのだ。

「それよりも、どうして名前を?」

「ああ、今年に入ってディラン国から留学してきた女性は、ミリアンナ・ダントン男爵令嬢だけだったからね。調べればすぐにわかったよ」

「そ、それは職権乱用なのでは…」

「はは、まあそう固いことを言うな。君が昨日逃げずに名前を教えてくれていれば、このようなことはせずに済んだのだからね」

 確かに助けてくれた人相手に、脱兎のごとく逃げ出したのは失礼な態度だったとは思う。だがしかし、聖女だと決めつけられるのは御免だったのだ。

「さて、それではご令嬢たち、少しミリアンナ嬢を連れて行ってもいいだろうか?」

 友人たちに微笑みながら、オリバー殿下は私の手を取った。友人たちは真っ赤になってこくこくと頷いた。王子に否と言えないのは分かるが、友人に裏切られた気分になった。


「どこへ連れて行くのですか?」

 手を引かれたまま、オリバー殿下は私を学園の奥の方へと連れて行く。一国の王子が私に何かすることはないと思うが、それでも気にはなった。

「ああ、すまない。君の魔力判定をしてもらいたくて、学園の奥の間を目指しているんだ」

 魔力判定…魔法学園に入学してすぐに、私も魔力判定はしている。その時は白く水晶が光り、光属性だと判断され残念に思っていた。ちなみに聖女は虹色に光る。

「まだ疑っているのですか?私は、ディラン国にいた時に光属性の判定を受けています」

「疑っているわけではないんだ。ただ、やはり昨日の光が気になってね」

「分かりました、受けます。だからいい加減手を離してもらっていいですか?逃げませんから」

「おっと、これはすまなかった。エスコートすればよかったな」

「結構です。早く終わらせて解放してください。今日は友人たちと、このあと予定があったのです」

「そうか。それは申し訳なかったな、っと、ここだ、入って」

 私は渋々扉をくぐって、奥に置いてある水晶に近づいた。この大きな水晶に魔力を流すと、属性に合った色が光り輝く仕組みになっている。どこの国も同じような感じらしい。

「一応やりますが、どうせ光属性ですよ…」

 私は水晶に手を置きゆっくりと魔力を流した。きっと白い光が出て無事に解放されるだろう。

「は?」

 水晶は見事な虹色に光輝いた。

「聖女だな」

「ち、違います!光属性です!」

「おいおい、なんでそう意固地なんだ?」

「だって、そんなこと、今までの私の黒歴史が、報われないじゃないですか…あれだけ頑張ったのに、今更何で聖女に…最悪です!」

 何故か目から大量の涙が溢れた。空回りし続けた私の3年間は何だったのだろうか?今まで努力したのに、やっと解放されたと思ったのに、何の嫌がらせなんだろうか……

「すまない、泣き止んでくれ。俺が泣かせたのか⁈」

 焦ってオリバー殿下がオロオロしだした。その姿を見たら何故か可笑しくなって、私は泣き笑いの様になってしまった。

「ふふふ、ごめんなさい。大丈夫です。聖女にいい思い出がなくて、少し悲しくなってしまったのです。オリバー殿下のせいではありませんよ」

「そうか、それならばよい。しかし、この結果はどうしようか…」

「あの、出来ればこのまま光属性持ちで生活が送りたいです。今更聖女になんてなりたくない…」

「君は卒業すれば祖国に帰るのか?」

「いえ、出来ればこちらの男性と結婚するか、こちらで何か職を得ようと考えています」

「こちらの、男性ということは、誰かともう予定が?」

「あ、えっと、今から探します。でも、焦らずゆっくり決めたいので、今は誰もいません」

 オリバー殿下はホッとしたような顔で「そうか…」と呟いた。聖女は貴重な存在だから帰国させたくないのだろうか?まだ自分が聖女だという実感は湧かないけれど…

「わかった。聖女であるということは黙っておく。だが、聖女であると分かったからには、今の住まいでは心もとない。王宮に住まいを移してくれないか?」

 私は学園の近くの留学生専用の寮に住んでいた。貴族専用の住まいは、何かと快適で気に入っていた。

「どうしてですか?私はこのままでいいです」

「聖女だと分かれば攫われてしまうかもしれない。それに寮は必ずしも安全な場所ではない」

「いくら王太子殿下だからって、勝手に決めないで下さい。私は私のしたいようにするために、ここまできたんです。何の権利があって…」

 カッとなって思わず言い返してしまったが、王太子殿下に対して不敬過ぎた…

「も、申し訳ありません。無礼な態度を…」

 慌てて頭を下げた。不敬罪で捕まるなんて、この国でも生きていけない…怖くなってプルプルと震えてしまう。このまま断罪されたら、バッドエンド?

「ミリアンナ嬢、大丈夫だ。そんなことで俺は責めたりしない」

 安心させるような、優しい声でそう言いながら、オリバー殿下が私の頭をポンポンと撫でた。

「……」

 半泣きになりながら顔を上げると、困った様に微笑むオリバー殿下の金色の瞳と目が合った。一瞬きゅんと心臓が高鳴った気がしたが、きっと気のせいだ。

「では、困ったことがあればすぐに相談して欲しい。君のことが心配なんだ」

「あ、ありがとう、ございます」


 オリバー殿下は私の一歳年上の17歳で、半年後には隣国に留学する予定のはずだ。ゲームではそうだった。今は自国の魔法学園に通う生徒で、目立つ赤髪は魔法で茶色に変化しているが、それでも王太子だということは隠しておらず、生徒たちにもフレンドリーな対応のようだ。

「それで、どうしてここにおられるのですか?」

「特に理由はないが、時間があったので様子を見に来た」

 友人たちと一緒にランチをするため学園内のカフェに来たのに、偶然かわざとなのか最近よく顔を合わせる事が多い。きっとわざとだ。

「まあ、オリバー殿下、今日もご一緒できるのですか?嬉しいですわ」

 メリー伯爵家のアビー様が、嬉しそうに声を弾ませて微笑んだ。確か彼女には婚約者がいたはずだ…ディラン国にいた頃の私に姿が重なって、嫌悪感が押し寄せる。

「いや、今日は通りかかっただけで、すぐに行かないといけない。君たちはゆっくり過ごしてくれ」

 オリバー殿下はそう言うとサッと身を引いて、そのまま通り過ぎて行った。

「まあ、逃げられましたわ。そこがまた素敵なのですけど」

 アビー様が嬉しそうに微笑んだ。

「アビー様、婚約者の方が怒りますよ」

「ふふふ、あくまでオリバー殿下は観賞用ですわよ。現実、彼の横に立つなんて恐れ多いですわ。将来この国の王妃になるのですよ。私なんて無理ですわね」

 その言葉にドキリとした。そうだ、オリバー殿下はこの国の王太子、ゲームでハッピーエンドとなった時は、ただゲームを攻略しただけだったが、現実としてそうなるのは確かに恐れ多い…隣国の男爵令嬢の私には…

「って、何、落ち込んでいるのよ、ないない…」

 最近何かとオリバー殿下が絡んでくることが多くて、いつの間にかそれを当たり前の様に受け入れていた。駄目よ私、しっかりしなさい。あの黒歴史を思い出すのよ、攻略対象なんて絶対鬼門に決まっているじゃない。私は気合を入れ直して、その日からオリバー殿下をとことん避け始めた。昼食も手作り弁当を持参して、裏庭でこっそりと食べている。友人たちには、心配されたが今はこれがベストだと思った。


「やっと見つけた。どうして最近俺を避けるんだ?」

 いつものように裏庭で昼食を食べていると、頭上からオリバー殿下の声がして、ぎくりと肩が跳ねた。久しぶりに見るオリバー殿下は、更に格好よく見えて目に毒だった。

「俺が君に何かしたのか?」

「それは、違いますが、一身上の都合で、オリバー殿下には極力お会いしたくなかったのです」

 オリバー殿下は、首を傾げてこちらを見てきた。その姿さえ格好よく見えるなんて、私チョロすぎる…

「兎に角、私と距離を置いて欲しいのです。出来ればあなたが留学するまで」

「…どうして俺が留学すると知っている?まだ正式に発表されていないはずだが、もしかして君は隣国の間者なのか?」

 私は焦って口を押えた。ゲームの知識だとは流石に言えない。でも、間者だなんて酷い誤解だ。私は慌てて首を横に振った。

「そうだよな、木から落ちる間抜けな間者なんていないよな…」

「酷いです!確かに落ちましたが、あれは事故です」

 木がつるっと滑るなんて、きっと何か異変が起こったのだ。

「そうか、君が木から落ちてきて、俺は君に落ちた、ということだな」

「は?なにを…」

「だから、俺は君が、ミリアンナ嬢が好きだと言っている」

 一瞬何を言われているか分からなかった。じわじわと言われたことを理解した私は、嬉しい気持ちと恐ろしい気持ちでぐちゃぐちゃになった。

「何を言っているのかわかっていますか?私は身分の低い隣国の男爵令嬢です。お戯れを言わないで下さい!」

 そのまま荷物を抱えると、その場から逃げようと身をひるがえした。

「おっと、君はすぐに逃げ出す。今日は逃がさない」

 オリバー殿下が咄嗟に私の肩をぎゅっと捕まえた。私は体勢を崩して勢いよくオリバー殿下の胸に倒れ込んでしまった。荷物が足元に散らばって落ちた。

「何を…」

「ミリアンナが好きだ。君の気持ちは?」

 オリバー殿下の声が耳元で響く。ドクンと胸が高鳴った。

「まだ知り合ってそんな時間が経っていないのに、そんな言葉、信じられません!」

 私は散らばった荷物を回収する余裕もなく、その場から走り去った。こんな展開、まるで乙女ゲームみたいだ。もうバッドエンドに振り回されるのは嫌なのに…

 きっとオリバー殿下に必要なのは、この国にいない聖女の存在であって私のことではない、きっとそうだ。それを悲しいと思う私は、かなりオリバー殿下に心が傾いているのだろう。これ以上近づけば、きっとまたゲームの設定に振り回され、私は私らしく生きることが出来ない。

「どうして告白なんかするのよ…嘘つき…」


 授業を終えて、私はいつも通り学園の寮に帰ってきた。今日は一日、ずっとオリバー殿下のことが頭から離れず、授業に集中することが出来なかった。散々な一日だ。

 溜息をつきながら寮の門をくぐろうとしたら、後ろからいきなり誰かに布のようなもので口を塞がれた。ツンと何かの薬品の匂いがしたと思ったところで、私は意識を手放した。


「う、う、ん…」

 ガタガタ揺れる振動に意識が浮上する。まだ頭がぼーっとして酷い気分だ。

「ここは、どこ…?」

「おや、ずいぶん早く目覚めたな。このまま眠っていた方が怖い思いもしなかったのに、可哀そうに」

 どうやら私は攫われたらしいと、ぼんやりと理解した。両腕は後ろ手に拘束され、足も自由に動かないので同じように拘束されているのだろう。

「ど、どうして、こんなことを…」

「さあ、理由は知らねえな。俺はある高貴な方に頼まれたのさ。目障りなあんたを隣国にでも連れて行って、どこかの変態おやじに売りつけろってさ。売った金と依頼料、両方貰っていいって言うからさ、本当酷いお嬢様もいたもんだ」

「お嬢様…」

「おっと口が滑った。気の毒だが、知ったところで売られるんだ。暴れずにこのままじっとしていてくれよ。そしたら手荒な真似はしないからよ」

 男がナイフをちらつかせながらにやりと笑った。騒げば殺される、恐怖でぷるりと体が震えた。

 私は無言で状況を考えた。聖女だから攫われたのではなく、そのお嬢様に恨まれて遠くに売られるのだろう。それも、変態おやじだなんて、なんて指定をしてくれたんだろう…かなり恨まれている。ただ心当たりはない、たぶん…いや、まさか、オリバー殿下絡みの線はあるかもしれない。最近は避けていたが、それでもオリバー殿下が私に絡んでくるのだ。オリバー殿下を慕う令嬢からの嫌がらせなのかもしれない…

 嗅がされた薬のせいか気分が悪くなって、ぐらぐら揺れる幌馬車の中で、私は再び意識を手放した。


「一人も逃がすな、生きて捕らえよ」

 次に意識が戻った時、幌馬車は完全に止まっているのか揺れは感じなかった。外が随分と騒がしく、誰かが激しく争っているような音だけが聞こえる。

「今度は、なに?」

 幌馬車の床に寝かされた状態で拘束され、幌もかかったままなので外の様子を見ることは出来なかった。じっと耳を澄ましてみても、この状況が私にとっていいのか悪いのかの判断は出来なかった。

 長いような短いような時間、じっと私は外の様子を気にしながら待った。このまま殺される可能性を思うと、生きた心地がしなかった。

「ミリアンナ、無事か⁈」

 パッと幌が開けられ、幌馬車の中にいる私とオリバー殿下の目が合った。身じろぎ一つできない私は、少し頭を持ち上げて頷いた。オリバー殿下はすぐに荷台へ上って私を抱き起こし、持っていたナイフで拘束を解いてくれた。

「助けるのが遅くなってすまなかった」

「あの、これはどういうことでしょうか?」

「それは、これから犯人たちに尋問しなくては分からない。寮につけていた護衛が、君が何者かに攫われたと連絡してきたから、ここまで助けに来られた。本当に無事でよかった」

 寮につけていた護衛?初めて聞く事実に、私は半眼でオリバー殿下を見た。

「えっと、黙って護衛をつけていたのはすまない。だが、聖女だと知られ攫われる可能性もあったし、今回は警戒していたからこそ、君を助けることが出来たんだ」

「それは、そうですけど…」

「兎に角、王宮へ来てもらう。君の手当てもしないといけないし…」

 拘束されていたため、手足は擦り切れてヒリヒリと地味に痛い。薬のせいか、気分もまだスッキリしない。

「いえ、必要ありません。自分で癒やせます」

 私は目を閉じて、自分に癒しの魔法をかけた。虹色の光が私を包んで癒やしてくれる。

「そうか、君は聖女だったな。君には申し訳ないが、寮には帰すことは出来ない。王宮で保護させてもらうよ」

 攫われてしまった事実があるため、私は大人しくオリバー殿下に従った。はっきり言って一人で寮に帰るのが怖かった。一歩間違えれば、隣国に売られるか、最悪の場合殺されていたかもしれない。

 その日の晩、私は王宮の一室で寝込んでしまった。心的外傷による発熱、そう王宮の医師に診断された。流石に心の傷で出た熱は癒せないのか、その日の晩はずっと苦しんだ。

 目を閉じれば殺される夢を見て目が覚める。浅い呼吸を繰り返す私のことを、オリバー殿下が手を握って慰めてくれた。熱に浮かされて正常な判断が出来なかった私は、ずっとオリバー殿下に甘えてしまっていたのだ。


 朝、目が覚めると、手を握ったままの状態のオリバー殿下が椅子に座ったまま眠っていて、私は驚きすぎて目を見開いた。それと同時に、昨晩ずっと手を握って欲しいと殿下に甘えた自分を思い出し、羞恥心で叫び出したい衝動を必死で我慢した。

 整った顔をしたオリバー殿下は、寝顔ですら格好いい、閉じられた瞳にかかる長い睫毛をじっと見て、更に頬に熱が集まってくる。心臓がドキドキして、隠しておくことの出来ない自分の気持ちを自覚する。私はオリバー殿下が好きなのだと。

「もう、仕方ないよね…好きになってしまったんだもん…バッドエンド回避しなくちゃね…」

 確か攻略対象のオリバー殿下は、溺愛系のヒーローで、ヤンデレ属性も持っていたはず。しっかり絆を深めて、こうなったらハッピーエンド目指して頑張るしかない。


 目が覚めたオリバー殿下に昨晩の看病のお礼を言って、そのまま好きですと告白をした。覚悟を決めた私の行動に迷いはない。

「ミリアンナ、夢か、いや、確認のために抱きしめてもいいか?」

 私が頷く前に、オリバー殿下が私を強く抱きしめ、現実だと確かめた。そしてオリバー殿下のその後の行動は早かった。私の体調が戻るとすぐに、オリバー殿下の両親、つまり両陛下に謁見することになった。絶対に反対されると思っていたのに、あっさりと許可が出て、その日のうちに婚約者として内定してしまった。

「だから言っただろ?大丈夫だと。うちは一夫一妻制で、自由恋愛を推奨している国だし、陛下も母上を口説いて王妃になってもらったんだ。身分も平民なら問題だが、貴族であれば男爵であっても気にしないんだよ。祖母である前王妃も男爵令嬢だったしね」

「そうなのですか…」

「ミリアンナは隣国の貴族だし、この国にはいない聖女だ。歓迎はしても文句は言わないさ」(言わせない)

 心の声が聞こえた気がしたが、そこは突っ込まない。

「それと、嬉しい気分の時に報告し辛いんだが、君を攫わせた黒幕が分かった…」

「誰ですか?私の知っている方ですか?」

 変態おやじに売り払うなんてエグイ依頼をしたんだ。きっと私のことを恨んでいることは想像できる。

「そうだ、君の友人の、メリー伯爵令嬢だった」

 私は何を言われているか理解できなかった。だって彼女は、この国に来て初めて親切にしてくれた友人だった。いや、友人だと思っていたのは私だけだったということ?

「大丈夫か?ショックを受けるのは仕方ない…」

「どうしてですか?アビー様に恨まれることを、私はしてしまったのですか?」

「いや、違う。彼女の言い分に何の正当性もない。ただの逆恨みだと思う」

「逆恨み…でも、そんなこと、何も前触れもなくて、襲われた日も、普通に一緒に過ごして別れたんです」

「俺もどうしてかは分からない。ただ、彼女に雇われた者が君を攫ったのは事実だ」

「…話したい、です。彼女に会わせていただけませんか?」

「そうだな、このまま彼女に罰を下すのは簡単だが、それでは君はずっと気にするのだろうな。分かった、少しの時間面会できるように取り計らおう」

「ありがとうございます、オリバー殿下」

「その代わり、殿下と呼ぶのはやめて欲しい。もう婚約者になったのだから」

「え、っと、では、オリバー様と」

「仕方ない、今はそれで我慢しよう、ミリアンナ」

 

 2日後、私はオリバー様に付き添われて、王宮の端にある牢へやって来た。王太子の婚約者を攫う指示を出したアビー様を牢以外の場所に収監することは出来なかったそうだ。それでも連れて行かれた場所は、比較的明るい光の入る清潔な牢屋だった。

「アビー様、あの、本当にあなたが私を?」

 緊張しながら声をかけると、牢の中にある簡易のベッドに座っていたアビー様と目が合った。仄暗い目をして、私を睨むアビー様は、私の知っている優しかったアビー様とは別人のように見えた。

「何か用かしら?私の姿を笑いに来たの?ああ、そうだわ、オリバー殿下の婚約者になったんですって、本当に腹立たしいですわ。何も持っていない隣国の男爵令嬢だと思って親切にしたのに、いつの間にかオリバー殿下に取り入って、まるで泥棒猫ね。殿下は皆のものなのよ、あなたなんかが触れていい方ではないのよ」

「俺は皆のものになった覚えはない。ミリアンナを泥棒猫だなんて侮蔑、不敬だ」

「待ってください、オリバー様。あの、どうしてこんな事をしたのですか?上手くいかなければ捕まって罰を受けると、聡明なあなたなら分かっていたでしょう?」

「悔しかったのよ。きっかけは些細なことよ。私の婚約者があなたを見て可愛いと言ったの。その上皆の憧れの殿下に想われているなんて、そんなの狡いじゃない」

「もういい、聞くに堪えない。そんなことは君の事情で、ミリアンナには一切非がないことだ。ミリアンナを害していい理由になどなるわけがない」

「そんなこと、分かっていますわ。でも、どうしようもなくて…」

 アビー様はそのまま泣き崩れて動かなくなった。オリバー様がショックを受けた私の肩を抱いて、そのままその場から連れ出してくれた。

「彼女には、辺境の修道院に入ってもらう予定だ」

「あの、待ってください。彼女はまだ16歳です。修道院に入ってしまえば、彼女の未来は費えてしまいます。もう少し減刑出来ませんか?」

「どうして?君を害そうとしたんだぞ。憎くないのか?」

「…少しは、そうですが、でも…」

 泣き崩れた彼女の姿が、留学前の私と重なって見えてしまった。私も推しのアルバート第二王子に愛されるクリスティーヌのことを狡いと思ったことがあるし、いなくなって欲しいと思ったこともあった。それを実際にするかしないか、そこには大きな隔たりがある。私はしなかった、そしてアビー様はしてしまった…

「救いが欲しいのです。一回間違ってしまっても、やり直せる機会が。彼女はまだやり直せると、そう信じたいんです」

 上手く説明できない私の希望を聞き入れ、オリバー様はアビー様を王都立ち入り禁止の上、メリー伯爵領で謹慎処分としてくれた。これからのことは、アビー様次第だ。


「本当にこれでよかったんだな?」

 私はオリバー様と一緒に、アビー様が馬車に乗って領地に向かう姿を、こっそり王宮の塔の上から見送っていた。オリバー様は納得がいっていないのだろう。最後まで私の気持ちを確認していた。

「はい、これでいいです。我儘を聞いていただきありがとうございました」

「攫われた本人が減刑を求めたんだから、そこは気にしなくていい。だが、次はない、そう彼女には忠告した」

「はい、私は彼女を信じます」

「そうか、それならば、それでいい」

「ありがとうございます。オリバー様、大好きです」

 小さな声でそう言ったのに、オリバー様にはしっかりと聞こえていたのか、そのまま強く抱きしめられる。


 この国に来て、自分らしく生きようと頑張った。もう乙女ゲームの舞台は降りた。それでも私の物語は続いていたようだ。

「愛している。俺のミリアンナ」

 隣国で夢見た運命の相手は、まさかの攻略対象だったけど…今、私は幸せだ。そして、これからもっと幸せになるために突き進むのだ。

 ハッピーエンドのその先に。


「愛しています。私のオリバー様」

 嬉しそうに微笑むオリバー様の顔がそっと近づいてきたので、私はドキドキしながら目を閉じた。

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乙女ゲームの世界に転生した残念ヒロインでしたが、いろいろあって王太子の婚約者になりました 黒柴 あんこ @kuroshiba-anko

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