02 儀式
北條家。
鎌倉時代から続く歴史ある家系でこの山に囲まれた田舎街をずっと治めてきた。
戦国時代、幕末、太平洋戦争と日本全体を揺るがすほど激動の時代も、北條家とそれを支える家臣たちによってこの街は栄えてきたのだという。それは粛々と現在までその奉仕関係は続いている。
現在の社会問題と呼ばれている少子高齢化ともこの田舎街では大した問題ではない。北條家とその家臣団の屋敷を中心に----この街のなかで生活が完結できる----街づくりが施され、行政、教育、医療、娯楽といった施設が全て揃っている。
その甲斐あってか、人口は増加傾向にあるわけではないものの、減少傾向にあるわけでもなく、一万弱ほどを横ばいに保っているそうだ。
『現代の城下町』と世間からは揶揄されている。
城下町
この街を歩いていると必ず目にするものが、三つの三角形を山盛りの形にした『三つ鱗』と呼ばれる家紋。----北條家を象徴する家紋だ。
商業施設、診療所、公園、工場などには大抵この三つ鱗の家紋が刻まれている。
僕はこの街があまり好きではない。
なんだか息苦しいと思ってしまう。
特段、この街を治めている北條家の人たちが独裁的に支配しているとかではなくて。 何か大きな存在に見られているような気がしてムズムズしてしまう。
僕の住むアパートから中心街を抜けると、山沿いの道へと切り替わる。水田や畑が広がる景色はザ・田舎を象徴するような光景で、散歩コースとしてはうってつけだ。梅雨も開けてジメジメとした夏の暑さも、夕方以降になると涼しくなり汗もかくこともそんなにない。
ただ、まあ、蚊が近寄ってくるのが玉に瑕。
虫除けスプレーかけてくればよかった。
「......ん? なんだあの変な集団」
寄ってくる蚊を振り払おうとしている時に、白装束をした集団が松明を片手に持ちぞろぞろと、ある山へと登ろうとしている。
「あの山はカラス山じゃん」
山の正式な呼称はしらない。
カラス山と呼ばれるのも、あの山からカラスが街にやってくるからだ。
電柱のケーブル、ゴミ捨て場、屋根、と至る所にコンビニでヤンキーが群がるみたいに、数匹集まっては道行く人間にガンをつける。
鳥の考えなんてわかったもんじゃないから、見られると普通に怖い。
僕も含めて地元住民は餌となるゴミを散らつかせないように捨てるなど、対策をしてきたのだけど、一向にカラスの群れは減ることはなかった。
どうして餌もないのにこの街にやってくるのか?
巣を作るような習性もないカラスがどうして特定の山からやってくるのか?
誰も原因はわかっていないらしい。
そんな場所に白装束をした人たちが向かっている。
今日は祭りがあるとか、そんなことは聞いたことがない。
これでも地元民であるからして、地域の祭り事がいつあるのかくらいは把握してるつもりだ。歩道の脇から山の頂上へと向いている階段を、百鬼夜行のごとく、白装束の集団は、ぞろぞろ、のろのろ、と登っていく。
階段?
.....階段なんていつの間にあったんだ?
散歩コースとして僕はこの辺はよく知っている。
あの山、カラス山はただの普通の山だ。正式な呼称もなければ、標高を気にするような高さもないし、ハイキングコースが整備されているわけでもない。
野良の山。
「こんな階段いつの間にできたんだ?」
階段の近くまで寄ってみる。凹凸のある石で作られた階段が奥まで続いていた。それは明らかに人口的で昨日今日できたような雰囲気ではなかった。
手に持った懐中電灯を上へと向ける。
石の階段を波のように押し寄せる樹木が覆っていて、廃村のトンネルみたいな不気味な空気を感じる。
僕は思わず一歩下げる。
今なら引き返せる。今なら引き返して明日のテスト勉強の続きをする。そうすることが正しい。
「......よし。帰るか」
と、踵を返そうとした時だった。
《これ臆病者がッ! 登るのじゃ!》
「......⁉︎」
何か聞こえた?
白装束の集団の誰かが戻ってきたのかと、懐中電灯で周辺を照らしてみるが誰もいない。それより耳から聞こえたってより、脳内に直接話しかけられた、みたいな感覚だった。
もう一度聞こえないか耳を澄ましてみる。
「.......何も起こらないな」
空耳だったのかな。
でも確かに聞こえた感触はあるんだよな。
......なんか怒られたような感じが。
「......ふう。よし! 行ってみるか」
懐中電灯がなければ月明かりすらない石の階段に足がすくんでいるけど、登ろうと思う。幻聴なのかもしれないけど、あの階段を登るよう僕の背中を押しているように感じる。転ばないように足下を気をつけながら、一歩一歩地面の感触を確かめるように僕は登っていく。
頭上で何かが飛び回る音が聞こえる。
......カラスだった。
慎重にビビりながらかれこれ10分くらい登っている。
けれど未だに白装束の集団に出くわさないし、明かりが灯した場所も見当たらない。本当に僕はあの白装束の集団を見たんだろうか、錯覚や幻覚でも見ていたんじゃないだろうかと、また不安になってくる。
というよりいっそう幽霊ってことの方が納得いくんじゃないだろうか。
白装束を身にまとい松明を持って歩くなんて、いかにも幽霊っぽいじゃないか。そう仮定する方が説明がつく。
じゃあ僕はどこに向かっているんだろうか? って話にもなるけど。
常世への入り口かな?
すると、ようやく明かりが灯った場所が見えてきた。
松明の灯りだろう。
揺ら揺らと揺らめく炎が延々と続くかと思われた石の階段のゴールに思えてくる。ようやく見えたゴールにもう一踏ん張り登ろうと顔を上げた時、僕はこの場所の正体がわかった。
「......鳥居だ」
五メートルくらいある鳥居がゴールとしてそびえ立っている。
この石の階段は参道へ続いていたんだ。
でもこの階段がいつできてどうして今まで見えなかったのか知らないように、この鳥居の先にあるであろう神社も当然知らない。
これでも僕は地元民だ。
この田舎街から出たことさえないほど。
なぜか僕の家庭は旅行をしたことがない。しようとすらしなかった。父さんに「東京に行きたい」ってねだってみたら酷く怒られた。学校も不思議と修学旅行は地元のホテルで宿泊だったし。それも予算がないからって理由らしいけど。
まあ、何が言いたいかっていうと、地元でしか活動したことがない僕やこの住民たちにとって知らない場所なんてない、とそう思ってきた。
なのに、カラス山に神社があるなんて知らない。
家の近所にいつの間にかコンビニができていたとか、そんな嬉しい話じゃない。なんというか奇妙で不気味な感じだ。。
鼓動が早まっていくのがわかる。それに脇が湿って気持ちが悪い。
僕は姿勢をできるだけ低くしながら、鳥居の近くまでいく。バレないように体を支柱に隠しながら本殿があると思われる方向を覗いてみる。
「この度は私の娘......北條あけみの
......は?
何がどうなってるんだ?
烏帽子を被り白装束に身を包んだ北條家の人。この田舎街の市長が本殿の前に立っち、それに深く頭を下げて話を聞いている北條家の家臣団。
地元民だからこそ、彼らの顔は見たことがある。
映画の撮影シーンみたいな殿の前で頭を下げる武将たちの光景に驚いたが、僕はそれ以上に、田舎街の市長の娘、北條あけみがなぜそこにいるのかわからなかった。
北條あけみは何を考えているのか何を感じているのかもわからない無表情のまま、頭を下げている北條家の家臣達の前に立っている。
彼女は僕と同じ高校二年のクラスメイト。
中学までは誰からも好かれて明るい子だったのに、高校に入学した途端、一切誰とも口を聞かなくなった。あまりの突然の変貌ぶりに誰も彼女に事情を聞こうとはしなかった。むしろ北條あけみの方から周囲と遮断していたようにさえ見えた。
「かれこれ500年、北條家は山の神へ贖罪として娘を生け贄として捧げてきました。前回行われたのは......私の姉です。代々と北條家から生まれる娘には赤い瞳を宿した子が生まれてきます。赤い瞳を宿した娘は山の神の力を継承しており、その力は人智を越えるものです。その山の神から奪ってしまった力を返すために、生け贄を捧げてきました。......我がご先祖様たちは血肉が裂けるような思いを抱えながら、山の神にお赦しを願ってきましたが----これで最後となります」
「「......おおッ!!」
校長先生が全校生徒の前で話す時みたいに北條あけみの父親は語り出す。
最後との言葉に頭を深く下げていた家臣達は声をあげて歓声を上げる。中には「ついに終わりがきましたか」や「これでわし達にも自由が訪れるわけですなぁ」と終わり? 自由? 意味がわからないけど、涙ながらに肩を寄せ合う者すらいた。
「お静かに。私の娘......北條あけみにも当然赤い瞳が宿っています。......あけみよ、少しだけ力を見せてあげなさい」
「はい、お父様」
父親に肩を添えられた北條あけみは一歩前に出てから瞼を閉じて深く呼吸をする。そしてもう一度瞼を開くと......瞼を開くと両目が赤い瞳へと変貌していた。
「両目ッ⁉︎ それは......初代北條家の娘と同じ。.....両目に赤い瞳を宿した最も山の神に近い状態......」
北條家の家臣の一人が、北條あけみの瞳を見て驚きながら言う。
「そうです。私の娘には両目に赤い瞳が宿りました。......つまり、もっとも神に近い状態なのです。この500年間......両目に赤い瞳を宿した者は現れなかった。ただし、初代を覗いて。これは.....初代と同等の力を持っていることを意味し、私の娘を捧げることで、ついに北條家の贖罪は果たされるということなのです」
松明の明かりに照らされて陶酔しきったような面持ちで北條あけみの父親は断言する。
何を言っているのか僕にはさっぱりわからなかった。
生け贄? 山の神? 赤い瞳? ......北條あけみ?
日本史の仏像の名前を覚えろっと言われているみたいに、現地味のない言葉が羅列される。何より.....北條あけみが、クラスメイトが生け贄に捧げられるなんて......日本語の意味はわかっていても頭では何も理解できていない。
「......では今宵は宴と致しましょう」
北條あけみの父親が手を叩くと、どこからともなく巫女たちがぞろぞろと家臣達の前に料理を運んでいく。巫女達によって家臣達の盃にお酒を注ぎ終えるのを確認し終えた北條あけみの父親は、自らの盃を手に取りもう一度正面に立つ。
「......あけみは私にとって大切な娘。お前にはもっといろんなことをさせてやりたかった。もっといろんなことを学べさせたかった。そしてお前の大人になった姿をみたかった。......すまない。すまないと思ってる」
「いいのよ、お父様。私で最後...これ以降はもう北條の娘には犠牲者が出ることはない。そう思えたら私の死は無駄じゃない」
同じく隣に立つ娘の頭を撫でながら悲しい顔を浮かべる父親を、北條あけみはこの場を鎮めるような笑みを浮かべる。
「ああ。お前の死は無駄じゃない。お前の死を糧にして北條家はようやく自由となれる。----北條家に乾杯ッ!!」
「「乾杯ぃ!!」」
北條あけみの父親が盃を前へ突き出すと、家臣達もカラス山に響くような声を挙げて一斉に盃をかわす。
それから巫女達が笛や太鼓を奏で始めると宴を始めていくのであった。
ゆらめく松明の炎のなか、音楽を奏でながら舞いを踊る巫女達を見ながら料理と酒を楽しむ白装束に身を包む北條家の家臣団達。先ほどまでの芝居じみた雰囲気はもうなくなり、公民館で開かれる懇親会みたいな、健康や孫に学校の行事などの世間一般の会話が聞こえてくる。北條あけみとその父親だけが料理に口をつけるだけで、ただ黙っているままだった。
あまりに非現実的な光景に僕は覗き見していることすら忘れていた。
「......ん? あれは」
「どうかしましたか?」
「......はは、なんでもないですよ天野ちゃん。ささ、一緒に飲みましょ」
「私未成年です。犯罪ですよそれ」
「相変わらず固いよね天野ちゃんは。少しくらい付き合ってくれてもいいのに…」
「あなた教師だろ。西野先生」
......危なかったー。
もう少しで気づかれるところだった。
すんでのところで鳥居の後ろに首を引っ込める。なんとか気づかれずに済んだようだ。
......いや、本当に気づかれなかったのだろうか。目と目が合ったような。
......それにあれは西野だった。
オカルト研究部の顧問にして国語を担当する僕が通う公立高校の教師。
どうして学校の先生ともあろう人物がこんな神社で、こんな謎の集団と一緒にいるのだろうか。それに驚くことは西野の登場だけじゃない。
西野に声をかけたあの女性は天野さんだ。彼女も僕が通う公立高校の生徒であり同じ二年生のクラスメイトだ。西野はオカルト研究部の顧問というだけあって、こんな場所にいてもおかしくないといえばおかしくないのだが、天野さんは違う。彼女はあくまで僕の見た印象でしか言えないのだが、宗教にハマるような悩みを抱えているとは思えない。むしろ、クラスのアイドル的存在であり彼女の周りには常に人が集まって楽しそうに充実した学校生活を送っているように見えているからだ。
下山すべきだ。
見てはいけないものをみてしまった。もし見たことがバレてしまったら何かマズい気がする。
踵を返して下山しようとした時だった。
「貴方どうしてここにいるの?」
「え?」
先程まで本殿の前にいたはずの北條あけみが目の前にいた。
「んん? 貴方どこかで見たことあるような...ないような...」
同じクラスメイトのはずなのに、北條あけみは首を傾げて本気で僕のことを覚えていないようだった。
「いや僕だよ! 東川! 東川ひかげだよ!」
「......ああ。う~ん誰だったかしら」
ええ...。
僕ってそんな存在感なかったのか。名前を打ち明けても誰だっけ?って表情を変えない北條あけみ。
すると、
「どうかしましたか?」
は?
様子を見にきたであろう女性(声からして天野さん気がする)がやってきた瞬間、僕は北條あけみに突き落とされたのだ。
しかも階段がある方ではない。
傾斜となった崖の下へ僕は突き落とされた。
それからくるくると転がり落ちながら岩に顔をぶつかったり、木の先端が脇腹に刺さったりしながら、止まることなく落ちていく。
もう何メートルの高さから落ちたのか分からないけど、松明の光すら見えないところまで僕は落ちた。落ち終わった。
「.......くぅ。はあ、はあ、はあ......いたい、いたすぎる」
サンドバックにされたような気分だった。身体中が痛すぎる。
でもまだ生きていたことの方が僕はちょっとばかし驚いていた。足の骨は折れているし身体中を打撲だらけ。おまけに脇腹には木の枝のようなものが刺さっていて、顔面はぐちゃぐちゃだ。
でもわかる。
もうすぐ僕は『死ぬ』。
死ぬ。
死ぬ。
死ぬ。
その二文字に戦慄する。
ここは北條家の私有地。許可なく勝手に入ってしまったから、ここを通りすがるような一般人なんてこない。
つまり助けなんてこない。
僕はここで死ぬんだ。
この暗くて寂しい山の中で。
「し、死にたくねぇ」
恐怖をかき消すように威勢を張ってみるものの、それも大して意味はなかった。
脇腹に突き刺さった傷口の痛みがもう感じなくなってきていた。体がこのまま地面に蕩けてしまいそうなほど力が抜けていく。
「......祠?」
死を受け入れようとした時に、樹々の隙間から月明かりに照らされた祠が視界に映る。
《安心しろ。お前はまだ死なない》
祠の方から声が聞こえた気がした。
これこそ本当に幻聴ってやつなんだろ。
「ああ......思い出した、思い出した。東川君......東川ひかげ君だったよね?」
ん? 今度は幻覚か?
どうして......どうして北條あけみが目の前にいる?
「ごめんなさいね。神社って女性用トイレがないものだから、人目のないところを探していたら貴方がいてびっくりしてしまったのよ」
だからって突き落とすなよ。 立派な殺人罪じゃね? これ。
「ふふ、大丈夫。私が助けてあげるわ。ただし条件があります」
「......じょ、じょうけん?」
鉄分の味が口いっぱいに広がるなか僕は疑問を呈する。
何を言ってるんだコイツは? と。
「そう、条件。これから一週間、貴方には私の彼氏になってもらいます」
「ぐはぁッ!!」
意味分からん過ぎて僕は寛大に吐血した。
「はあ、はあ、はあ。......なっなんだって!?」
「彼氏よ。ボーイフレンド」
「い、意味がわからない」
「まあ、詳細は後から話すわ。それで、私の彼氏になってくれる? もし断ったらこのまま死ぬけど」
選択肢一つしかねぇじゃん。どんな脅し方なんだよ。
真面目な表情をして不真面目なことを真面目に提案する北條あけみは怖かった。さっきまで『死ぬ』ことにどれほど恐怖していたこすら馬鹿らしいほど。
「わ、わかった。僕は......お前のか、彼氏になる」
「そう! なら助けてあげるね」
笑みを浮かべた北條あけみは、僕が同意するとともに自分の左手首を僕の顔の前、より正確にいうと、口の前に差し出した。
「飲みなさい」
「......がッ⁉︎」
懐から小刀を抜き出した北條あけみは自らの左手首を切りつけると、手首から指に沿って血が流れる。そしてその血を僕の口のなかに無理やり流しこましていく。
「飲みなさい! 大丈夫。病気とかそういうのはないから。むしろ私の血を飲むことで傷はすべて治る......と思う」
「ッ⁉️」
せめて断言しろッ!!
そう叫びそうになったところで僕は気を失ってしまった。
北條家の贖罪 @momochi1029
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