『永久を喰らった男』

小田舵木

『永久を喰らった男』

 君の心臓が。僕の眼の前に現れる。

 ついさっきまで君の中にあった心臓は。脈を打っている。だが。それもすぐに止まってしまう。

 僕は。君の胸の中に手を突っ込んで。君の心臓を取り出した。

 それは僕の君に対する感情の発露だ。

 愛、独占欲…僕は君を自分だけのモノにしたかったのだ。

 傲慢だって?知ったことではない。

 僕は僕の中の感情に従って、君の心臓を取り出した。

 君はすぐに絶命するだろう。心臓からの血液供給なしにヒトは生きられない。

 

 君が死ぬ時。君は僕の中で永久とわの存在になる。

 ヒトは存在を止め、概念になった時に永遠になる。

 詰まらないタンパク質の巨大なコンプレックスである内は、世界にギリギリで存在しているに過ぎない。

 

 脈を止めた心臓。弾力のある心筋。段々と黒ずみ始めた赤。

 僕はそれにむさぼりつく。犬歯で心筋を噛み千切る。

 君の血で僕の顔は濡れる。今、僕は君に抱きしめられているようなモノだ。君の中のタンパク質で顔を濡らしているのだから。

 

 僕は心筋を貪り。噛み切り。喉の奥に押し込む。

 僕の中に。君というタンパク質が流れ込む。

 こうやって。僕は君と合一するのだ。

 

 下に目をやれば。

 心臓を抜き取られた君が転がっている。いや。君『だった』モノが転がっている。

 あでやかな烏の濡れ羽色黒紫の髪が。白くなっていく君の顔を縁取っている。

 見開かれた目。その虹彩には僕が焼き付いているのかも知れない。

 君が最後に見たモノは。僕。これで。僕は君の中で永遠になる。

 

 僕は心臓を貪り終えると。

 君の元にしゃがんで。見開かれた目を閉じる。

 余計な痕跡を残すような真似だが。やらずにはいられなかった。

 幕を閉じるようなモノだ。

 僕が始めちまったこの劇に、幕を閉じなければいけなかったのだ。

 

                  ◆

 

 君を貪り。永遠にした僕は。

 何時から『心臓喰らい』になったのだろう?

 それを説明するのは難しい。

 たとえれば。子どもの時嫌いだったモノを急に食べれるようになった瞬間。

 アレだ。僕はある日、突然心臓を喰らいたくなったのだ。

 そしてその時。僕が思慕していたのは君で。

 僕は君の心臓を喰らいたくてしょうがなくて。結果として、ああなった。

 この選択に後悔はない。

 心臓というネジで回っていたタンパク質の人形を。概念に変える事で。僕が君を永遠の存在にした。

 

 同時に。僕もまた永遠の存在になった。

 君の中で、って事じゃない。

 心臓を喰らう事で。僕は永久の命を手に入れたのだ。

 理屈は分からない。ただ、心臓を喰らう限り。僕は命を落とすことはないだろう。

 

 僕は歴史の中に放たれた。

 ヒトという動物の限界を超え、永遠に近い時を歩む事になった。

 

 だが。僕はそれを後悔せざるを得ない。

 なにせ。もう僕と同じ時間を歩む存在はいないのだから。

 

 ヒトは。時間という概念に縛られる事で。初めて存在を世界に固定する。

 僕は永遠に近い時の中に放たれ、存在が極めて曖昧になった。

 永遠に存在し続けるモノなんて、普通はないのだ。

 始まりがあり、終わりがある。だから存在しているのだ。だからその存在が消える事が惜しいのだ。存在が消える事が惜しいから、愛が生まれるのだ。

 永遠に存在し続けるモノは。空気と変わらない。

 そこに消えてしまうが故の愛しさは生まれない。

 愛しさがないモノは。存在しないのと同義だ。

 

                  ◆

 

 僕は存在しなくなって。

 世界の片隅で人々を眺めるだけになっちまった。

 偶に。心臓を喰らいたくなって人を襲う。

 もう。君の時みたいなドラマはない。ただ。襲って。喰らうだけ。

 僕は。永遠に存在するようになった事を後悔しているのに。心臓を喰らうことを止められない。

 何でだろう?考えても分からない。

 単純に。食欲という欲求に突き動かされているだけなのかも知れない。

 思考など介在しない。ただ。欲に突き動かされて喰うだけ。

 

 数多の心臓を喰らった。数多の時が流れた。数多の人々が死んでいった。

 なのに。僕だけは時が進まない。永遠とはそういう事なのかも知れない。

 時が進まなくなる事。それが永久。

 

                  ◆

 

「そういう事なら―自分の心臓を喰らってしまえば良いよ」そう少女は言った。

 

 今が何時なのかは知らない。ただ。気がつけば少女が居り。僕は彼女に来歴を語ったのだ、「心臓を喰らい続けていたら永遠に生きれるようになっちゃった」と。

 

「自分を喰らう…ね」

「そ。自分で自分を終わらせれば良いの」

「そりゃ盲点」

「頭悪いの?」

「かも知れない」

 

 僕と少女はベンチに座っていて。

 彼女は僕を見ずに。飛ぶ鳥を目で追いながら話してる。

 その横顔は。かつての君にそっくりで。僕は思わず懐かしくなる。

 

「さ。見守っててあげるから。やってみなよ」彼女は言う。

「出来るかな…僕に」

「出来る出来ないじゃない。やるしかないの」

「無理を言う」

 

 僕は自分の胸に手を当てる。

 心臓が鼓動を打って。僕は存在し続けている。

 ああ。数多の心臓を抜き取り。数多の心臓を喰らってきた僕なのに。自分の心臓となると、おっかなびっくりの体である。

 

「怖い」僕は彼女に吐露する。

「その怖いことをずっとやってきたのが貴方でしょう?」

「そうだけど」

「自分を自分だと思わなければ良い」

「他者として扱えってかい」

「そう。貴方は貴方あなたを喰らうのではなく。永久を喰らう」

「永久が永久を喰らう」

「そうして。本当の永遠に貴方はなるの」

「…ずっと。そうしてきたっけな」

「さあ。勇気をだして」

 

 僕は。自分の胸の中に手を突っ込んで。

 脈打つ心臓を掴み取る。

 僕は自分の胸から目を上げる。そこには少女。かつての君そっくりな少女。

 ああ、僕は。君を永遠にしたけど―ずっと会いたかったのだ。君という存在に。

 心臓を抜き取り。喰らい。僕が死んだら…また会えるだろうか?

 いや。僕は輪廻転生など信じていない。死後の世界など信じていない。

 

 僕は胸から腕を抜き去る。

 手の中には赤く輝く心臓。

 ああ、コイツが。僕の心臓か。初めて拝んだ。

 

「出来たぞ…」

「後は喰らうだけ」少女の言葉が段々と薄れていく。

 

 僕は心臓が無くなってもギリギリ動いている体を無理やり使って。

 自分の心臓を喰らう。

 永久を喰らう。

 滲み出る血液が僕の顔を濡らす。温かい。

 

「じゃあね。『心臓喰らい』さん」少女の声が聞こえる。

「ああ。じゃあな…」僕は霞みゆく意識の中、そう言う。

 

 意識が消えゆく中。

 僕は自分の心臓を咀嚼そしゃくし尽くそうとするが。

 どうしても飲み込めない。

 ベンチの上でもがいて。最終的には空を見上げる。

 物理的に空を見上げる事で。口の中の粉々に砕けた心臓を飲みつくそうって訳だ。

 

 視界が滲んでいく。

 僕もやっと、本当の永久になれるのだ。

 そんな事を考えていると。

 空に少女の顔が覆いかぶさって。僕の顔をじっと眺めている。

 そんなに見つめないでくれ。君が酷く懐かしくなってしまうから。

 君に会いたくなってしまうから。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『永久を喰らった男』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ