第10話 君の名は?

 ※このエピソードには、自殺に関連する描写があります。不安のある方は、十分なご注意を払ってお読みください。


 ◆◆◆


 Side—紗々


 東京の町が好きだ。

 大都会はまるで、夢とチャンスが詰まったギフトボックス。

 けれど、人それぞれに与えられたギフトは決して公平ではない。


 雨の向こうは、闇を照らすキラキラのネオン。

 そして、地に落ちた私の姿など、目にも留めない人達が、足早に、または楽しげに通り過ぎる風景。


 耳に流れ込んでくる車が行き交う音と、弾む会話。遮断機が下りる音。電車が通過する音。


 平等に降り注ぐ雨。


 いいなぁ。

 あの人達にはみんな、明日があるんだよね。

 キラキラの未来が、当たり前にあるんだ。


 歩道橋の階段を一歩一歩上る。


 私はどうしてアイドルなんて目指しちゃったんだろう。

 普通の女の子でいればよかった。


 アイドルになんてなってなければ、今頃は、もうすぐやってくる夏休みにワクワクして、友達と海水浴やキャンプの計画に忙しくしていたのだろうか。


 脳裏に映し出されるのは、失った時間と、温かく見守ってくれていた家族の姿。


 ほんの一瞬の過ちは、見事に自分の首を絞めていた。

 きっと、みんな私の事、死ねばいいって思うよね。

 死ねって言葉を、何度も何度も浴びせられるんだよね。

 ごめんなさいって言葉は、何の意味も成さない。


 歩道橋を上り切り、しばし、憧れていた町の風景を視界に収めた。


 もしもアイドルなんて目指していなかったら、恋とかしてたのかな?

 女子高生らしく、友達と恋バナとか、してみたかったな。


 確かにあったはずの未来はなにも見えなくて、今私の視界を覆っているのは高さ5メートルから見下ろす車道。

 車と人がひっきりなしに行ったり来たりしている。


 手すりを超え、両手を逆手にして体を支えた。


 この手を放せば、何もかもお仕舞。

 悩みも苦しみも、遊び半分で傷つけられる痛みも。


 パパ、ママ、お姉ちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんなさい。


 雨が強く体を叩きつける。


 体温は奪われて、指先が冷たくじんじんと疼きだす。


 ごめんなさい。


 やっぱり、死にたくない。


 この手を放す、勇気が出ない。


 涙で視界が歪んだその時。


 つるっと手が滑った。


「きゃっ 」


 ふわりと体が宙を舞う。


 落ちる――。


 そう思った瞬間、強い衝撃が右腕に走った。


 体は宙ぶらりんのまま、右手首と肩に激痛。


 誰かが私の手を掴んだのだ。


 体は吊るされたまま、顔を上げると真っ赤な顔で必死に私の手首を掴んでいる男の子が見えた。


 誰?


 知らない人。


 私と同じぐらいだろうか。

 ずぶ濡れで、必死の形相で、私の命をつなぎ留めてくれている。


「うーーーーーー、死ぬな。上ってこい」


 苦しそうに唸りながら、引き上げようとしている。


 私は、左手で彼の手を掴んだ。


 雨に濡れているせいで、ツルツル滑って力が入らない。


「いや……、死にたくない」


 気が付いたら、そんな言葉をもらしていた。

 肯定するように、彼は首を上下に振った。


「死なせない……、頑張れ! 上って来い」

 絞り出すような声で、そういった。

 見ず知らずの人が、私を助けようとしてくれている?


「あなた、誰? 私が誰か知ってる?」

 もしかしたらファンかな?


「上って、来たら、教えて……やる」


「生きてて、いいの?」


 そう言った瞬間、彼は「へ?」と力の抜けた顔をした。


 繋がっていた手はつるっと抜けて、負荷がなくなり、再び体が宙を舞った。


 やっぱり無理だった。


 さようなら。

 最後に、恋物語みたいなご褒美をありがとう。


 助けてくれようとした男の子、けっこうタイプだったなぁ。


 かっこよかったー。


 さようなら。


「え?」


 目を開けたら、歩道橋の上いた。

 アスファルトを叩きつける雨の音と。

 耳元をかすめる、はぁはぁという荒い呼吸音。


「へ?」


 私は、彼に覆いかぶさるようにして、うつ伏せに倒れ込んでいた。


 仰向けになっている彼は、呼吸を乱しながら、顔を覆う雨粒を袖口で拭った。


「よかったー、無事で」


「は! ごめんなさい」


 急いで、密着していた体を離して、その場にペタンと座り込む。


 彼は上体を起こしたが、すぐには立ち上がれない様子で、座ったままだ。


「あの、ありがとう。助けてくれて。君ってもしかして、私のファン?」


「は? ファンって。君、アイドルか何かなの?」


「あ、ううん。いいの。本当にありがとう。名前を教えて」


「ただ、通りがかっただけだし、無事ならそれでよかった。もうバカな真似するなよ。ここから飛び降りたら、いろんな人に迷惑かかるだろ」


「何よ、それ。ここからの飛び降りじゃなければ、死んでもいいの?」


「いいわけないだろ。いいわけないから助けたんだ」


「私の事、何も知らないのに?」


「知らなかったら助けちゃダメなのか?」


「え、いや……それは……」


 彼はおもむろに立ちあがり、2メートルほど先に転がっている、さしっぱなしの傘を取った。


 それを私に差し出して

「これ、貸してあげる。貸すんだからな。いつか返せよな」

 生きる理由を与えた。


 その傘を握りしめて、うなづく。


「名前、教えてよ。約束したでしょ。上ってきたら教えてやるって」


「ああ、俺は……双渡瀬良太」



・・・・・・・・・・・


夏―②話、終わりです。

引き続きお楽しみください。

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クラスで一番の美少女に失恋したら日本一可愛い幼馴染がカノ女になりました。モテキ?否。偽装です 神楽耶 夏輝 @mashironatsume

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