転生して60年 終わりの日

オオバ

静心

 

 60年

  それは人の体にガタが来るには十分すぎる時間だった。「魔法」も医療と同じで万能ではない。どの世界でも「不死身」はありえないし、なりたくも無かった。

 

「........あの日もこんな雨だったのう....」

 

 思えば目まぐるしい人生だった。もうこちらに居た時間の方がとてつもなく長いわけで、親の顔も、声も思い出せない。

 彼らの年齢が100歳を超えていないとすれば、私は親不孝者にならなくて済む。

 

 ....聖人までとは言わないが、母親は私に優しい人だった。

 私はあの人から、他者への慈しみと真とも言える優しさを教わった。あの人はよく言っていた、「生きているのは修行なのよ。早く死んでしまう人はその修行を早く終えられたからなのよ。悲しむばかりじゃないの。」

 ....私が「じゃあ長生きしたいし悪人にならなきゃ! 犯罪家族になろう!」なんて言ったら笑っていたっけ....あの目の優しさを私は少しでも他者に分け与えられただろうか?

 ....あの人は特別、体が強い人では無かった。それに....私は一人息子だった、私の死は子供思いの彼らの心臓を酷く炙らせてしまっていた筈だ。私もこちらで人の親になれたのだから、その心中は察するに余りある。

 

 窓外の空には暗雲がこれでもかと詰められ、雨がざぁざぁと地面へと叩きつけられる。

 

 父親は善人では無いし、悪人よりではあったけれど、ろくでもないとは言え「親」だった。その事に気づいたのは思春期が終わった頃だったから、親子として話す機会はあちらでの私の晩年のみであったが、その少ない時が楽しかったのは強く覚えている。

 長く病気を患っていたが、持ち前の悪運で助かる様には「世の中は実に上手く出来ている」と恐怖を覚えた程だった。

 ひょっとしたら今も生きているかもしれない。そう思わせてくれる程には悪人で悪運が強い人間だった

 

「....そうだったら面白いが....母さんが居なければジジは何も出来んくなるから、野垂れ死にでもしたかもの....ふふっ....」

 

 笑うべき所では無いが、笑いが漏れた。

 頭の中にあのアホ面と私でふざけた事を言い合っては、母さんを笑わせたのを思い出したからだ。

 別に特別面白い漫談を見た訳ではないし、魔法で精神干渉をした訳でもない。でも心底下らないあのじゃれあいは、笑いの大輪を魅せてくれた。

 

 今ではその笑いも、私に息を切らさせる物となったが自然と悪い気持ちにはならない。郷愁が如何に人に涙を流させるのかをこの80年間に私は然りと見た。

 

「ひい....ふう....結局完成せんだった....じゃが、この魔法はこの世界の便利魔法としてこれからも息づいていく。母さんとジジへの元に帰りたいと言う目標がなければ、この世界の発展は幾らか遅れていたじゃろう....胸を張れるというものじゃ....」

 

 安楽椅子から重い腰を上げ、ベッドの方へと移り腰を掛ける。

 

 ....このベッドが広くなってしまってからもう13年経つ。

 彼女の可憐さはシワシワの手になってからも変わらなかった。勝気な彼女の事だから、天国で私の親と1杯引っ掛けているかもしれない。なんて愉快な事だろう。

 もう少しで私もそこに加われると思えば、楽しみ....という訳では無いけれど、死ぬのが怖く無くなってくる。

 1度日本で死んでいる事も多少なりとも関係してきているのだろうか?

 

 ....彼女と歩んだ旅路は長く、険しく、大層愉快な物だった。彼女が隣に居て支えてくれたから、私の2度目の人生のエンドロールは長くなったのだ。

 

「....今度の君の墓参りと私の眠気....どっちが早いだろうね....私は眠気に賭けたいな....」

 

 感傷は実に甘美だ。強く雨の降る日には最適な暇つぶし。

 

「だって....そろそろ君の呆れ顔を見たいからね....」

 

 ベッドへと慎重に倒れ込んだ。

 この歳になると体を痛める機会も増える物で、若い頃のように勢いよく倒れよう物なら背中に激痛が走る。

 ....年寄りには健康の為のスクワットも命懸けなのだ。

 

「ふふっ....すっかり腹も出てしまったよ。」

 

 だらんと突き出ただらしない腹を摩る。

 これでも昔は細マッチョだったんだがね....そう求めてくる彼女が逝ってしまえば、本来怠惰な私はブクブクと太ってしまう訳だ。息子にも、動かないのは健康にも記憶力にも悪い、少し動いてみたら? と進言されたが、私は笑うだけだった。

 ....何せ私には転生した際に貰った神様の御加護と言うものがある。

 私が病に伏す事は何があっても無いのだから。

 

 だからこうして、1人老衰の日を待ち続けている。

 外傷での死は出来るはずだが....それは自殺に他ならない。そんな事をすれば、彼女からも親からも友人からすらも怒られてしまうだろう。

 

 だからこうして心の中で誰にでもなく話している。でもこれは寂しい事では無い。

 1度考えた事がある。心の中で喋る行為は不思議なものだ。

 耳に入った訳でもないのに文字は想像し理解できるし、表情一つ変えずに「死ね」だとか「ありがとう」と言える。

 これは人の唯一無二のパーソナルスペースであると言える。

 プーラカーラの方では近年、読心術という技術が発達しているらしい。日本にいた頃にもテレビで幾人かはそれをお持ちの方を見かけた。

 

 そうして私は考えたのだ。

 心の中とは1つの集合意識なのではないかと。

 我々人間は心の中においては、過去の記憶からその情景を思い返したり、匂いや味、感情を思い出せる限りは何度も楽しむ事ができる。

 けれど、それはどれも個人だけで作られている物じゃない。

 所謂思い出には、人がいたり、何か風景や物が関わってくる。

 凄く昔、倫理の授業でイデアと言う考えを勉強した事がある。あれを簡単に表す事は浅学非才な私には非常に難しい事であるが、その非才ぶりを恥じずに例えるとするならば、「全てには必ず正解があり、それを人は知る事ができる。」

 私はそれを心であり、集合意識であると考えている。故に読心術と言う物は技術として存在しえるし、私の考えを裏付けしてくれている。

 

 だから、私が物事を思い出せる間は先に死んでしまった仲間や友達、大事な人々はまだ死んでいないと言える。だなんて詩ってみている。

 私はまだ死んではいないが、息子や孫達の心の中にも生きている。友人たちもそうだ。

 

 人は2度死ぬという言葉もまたこれに通ずるのでは無いか? なんて思い出して、空に右手を差し出してみる。

 

「....随分と懐かしい思い出だね....」

 

 これは彼女と喧嘩をした日の記憶だ。そんな記憶は幾つもあるけれど、ある日の在りし日の記憶。

 

 私が....まだ自分を僕と呼んでいた頃、私は悪友に連れられ夜の街へと繰り出した。

 日本では行けるようになる前に死んでしまったから、普通がどんな風なのかはよく分からなかったけれど、こちらの夜の街はあちらには無い一風違う点が知的好奇心を強く揺さぶってきた。

 色んな種族の綺麗な方々が私のコップ....いやジョッキに酒を注いでは楽しいお話を提供してくれた。

 ....いやらしい気持ちが1ミリたりとも無かったとは言えないけれど....至って健全なお話だったと私は強く言いたい。

 あの頃はまだ女性慣れをしていない事もあって仕方無かったのだ。

 

 そうして当然の様に夜を明かし、私は薄暗くなり始めた砌、自分と彼女の家の扉を音を立て無いように開いた。

 

「おかえり」

 

 リビングへと忍び足で進んだ私の耳に入ってきたのは、暗闇よりいでた感情の一切読めない言葉であった。

 あの時の鳥肌は、死刑判決を食らった時よりも、私の思考を凍らせ鈍らせた。この話が私の人生最高の怪談話だ。

 その後の展開は今思い耽れば耽る程、情けのない事だ。

 

 夜の匂いを誤魔化せるわけも無く、私は問い詰められた。

 だが思考の停止していた私は半笑いで悪友の家で飲んだ時に何故だか分からないがついたと言ってしまった。

 変に隠そうとしたのが、不味かった。

 彼女は村へ帰ると言い出し、最低限の荷物を持って家を飛び出してしまったのだ。彼女は獣人だったから、私の足では彼女の本気走りには並走出来ない。

 

 あの時はこうやって、小さくなりゆく彼女の背中の影を掴もうとするしかなかった....なんと甲斐性のない男だったのだろうか。

 

 その分、それからは色々と努力したつもりだったのだけれど....それは彼女には届いていただろうか?

 

「届いていたら良いのう....」

 

 私は手をできるだけ伸ばし、私は自分の問に自分で返事をした。

 

 瞼が重くなってきた。つい2時間前まで寝ていたと言うのに、また眠くなるのは夢で皆に会いたいからだろうか?

 

 私は布団に頭まで埋もれさせ、目を閉じた。

 

「....おやすみ....」

 

 私はまた誰にでもなくそう呟いた。

 それでも呟き続けるのは、いつかまたおはようと言ってもらいたいからだろう。

 

 真っ暗な目の前では、また記憶達が上映され始める。

 体から力が抜けていき、心地の良い脱力感が体を占めていく。

 

 ただ静かな心な私の心が安らぎをもたらした。

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転生して60年 終わりの日 オオバ @shirikachan

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