この身果つまで
祐里(猫部)
久方の天への白き門開くば兎のときを経し小さきもの居り
昔から常に強く思っていることがある。十年遅く生まれたかった、と。
現在の環境や状況に満足していないわけではない。ただ、パソコンを使って文字を打つ、インターネットを繋いでアップロードやダウンロードを行う、そういった今では普通のこととなっている行動をもっと若くして行いたかったと思う。
スマートフォンを含む携帯電話についても同様で、十代の頃にプリクラのシールを携帯電話に貼りたかった。黒ギャルとまではいかないまでも十代の頃にギャルを極めたかった。ミニスカートとブーツを十代の頃に楽しみたかった。低俗な欲を、私は昔から多く持っている。
とはいえ、自分の性格ではギャルなど到底無理だし、二十代だった頃にミニスカ(中略)を楽しんでいなかったといえば嘘になる。一応がんばってはいた。それは今も同じで、努めて時の流れについていこうと、してはいる。
だが、ここで第一のもやもやが発生する。時の流れについていったところで、人生の折り返し地点をとうに過ぎた私は、すぐに死んでしまうのだ。このことを考えると何故か『温故知新』などという言葉が浮かんでくるが、そんな的外れな四文字熟語を使ってみたところで寿命が伸びるわけでもない。
おかしな四文字熟語が浮かぶくらいなのだから脳の萎縮は既に始まっているはずだ。老化現象で。できるだけ抗おうとDHAの錠剤を飲めば下痢をする。体も脳と一緒で老化が進行している。幸い関節痛とは無縁だが、それも時間の問題だ。
ただ、自分の性格から考えると、年齢を重ねてだいぶ丸くなった今が一番、このようなユーザーとのやり取りが発生する場に向いているのだろうとも思う。これが第二のもやもやだ。反骨精神旺盛だった若い頃だったらいろいろなものに噛みついていただろう。今なら「これは通報案件かしらねぇ……んー、ま、いっか。面倒だし」で済ませるものでも、もっと若かったら「通報したるわあああ!!」という心境で力強くクリックしていただろう。もしかしたら、どこかに「通報しました!」とコメントを残すなんてこともしていたかもしれない。怖いもの知らずは、本当に怖い。
結局、ただ生きていくしかないという結論に達する。若かろうが年寄りだろうが、命がまだ燃えているならもやもやを抱えて生きていくしかない。
一緒に暮らしていた(暮らしている)うさぎたちは、きっと私を待っていてくれるだろう。
この身果つまで 祐里(猫部) @yukie_miumiu
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