やっと会えたね、と赤い羽根をもらいましたが、これって?
南都カナル
リナの事情
大賢者の血筋のメヒレス伯爵家の朝は、名前と年齢の確認から始まります。最初は母国語で、次に古代語で。
目覚めてすぐに脳の覚醒を促す効果があるんだとか、なんとか。
「おはようございます。お名前は?」
「リナです」
「年齢は?」
「16歳です」
『落ち着いてください。お名前は?』
『リナだひ』
「リナ『です』よ」
「あーそうでした『リナです』」
『何歳ですか?』
「…あー『ん?じ、じろう?』違うわ、なんだっけ?」
この古代語は学園でも学院でも学ぶことができません。メヒレス家の独占研究対象の言語だそうです。聞いたことない音の羅列で、めちゃくちゃ発音が難しいです。
「リナ、『16』よ、ふふっ、まだ赤い羽根ではないようね」
微笑みながら言う侍女頭のティナさんの胸には憧れの赤い羽根のブローチが輝いています。本物の鶏の羽を赤く染めて樹脂で固めているそうです。赤い羽根をつけている人は古代語が流暢なので、古代語をマスターするといただけるのではないかと思います。多分。
できたら今日までに赤い羽根持ちになっていたかったです。
学園に在籍している間にこちらに推薦をいただき、別邸でお勤めしていましたが、数々の不思議な試験をどうにか合格し、本日より侍女見習いとして本邸のお屋敷にあがることになりました。
メヒレス家は、西に隣接する王都とメヒレス家領地にまたがるスーレイ学園の経営を全面的にまかされている由緒正しき伯爵家です。スーレイ学園は貴族も平民も等しく受験資格があり、試験に合格すれば無償で同じ授業を受けることができます。他の国には見られないこの全くの実力主義の学園を創立したのが初代メヒレス当主さまだったそうです。
初代メヒレス様こそ、魔王を倒しコシル王国を興した伝説の4人のうちの一人で、その功績で伯爵の爵位を叙勲された大賢者さまらしいのですが。
まぁ、言い伝えですからね、魔王なんているわけないと思いますけど。きっと国取りの正当性を強調しているのでしょう。
ふと、玄関ホールからのびる階段の先に見知った護衛の後ろ姿が見えました。
ちょっとワクワクしながら階段を上がります。
「あ、アレク…さん!」
小さい声のつもりでしたが、吹き抜けのホールには思ったより響いてしまいました。あわてて身を小さくします。
「アレクさん!お久しぶりです」
と笑いかけて、表情筋が固まってしましました。
アレクさんの左胸には赤い羽根のブロートが輝いていたからです。さすが最初から本邸勤めの方は違います。
アレクさんはスーレイ学園の同期生で、入学から卒業試験まで順位を切磋琢磨してきた仲です。アレクさんは男爵家でわたしは平民ですから、こちらが試験の度に順位表を見て勝手にライバル視していただけの関係でしたが、2年の夏だったでしょうか、なんでか急に認識され、それからはおこがましくも友人のように接していただいています。
その上、月に一回、豪華な食事をごちそうになり、就職活動に必要な仕立てのいいドレスや靴もプレゼントしていただきました。
アレクさんのご実家のモビット家ではノブレスオブリージュ?だかなんだかで月に一回平民や困っている人になにかしなきゃいけないんですって!アレクさんには平民の知り合いがわたししかいなかったそうで、その関係で本当によくしていただきました。
孤児院にアポをとったり、一から調査するより楽でいいよ、とおっしゃっていただいてましたけど。
「リナ、もう仕事にはなれたかい?」
「あー、古代語の発音が難しくて」
アレクさんはわたしの軽口に眉にしわを寄せて悲痛な表情を見せました。そんなに不甲斐ない話でしょうか。わたしはツキリと胸が痛みます。もしかしなくても本邸の中で赤い羽根なしはわたしだけのようです。
と、館内にチャイムが鳴り響きました。この音は…
「「フェーズ2!?」」
外には決して漏らしてはいけないのですが、メヒレス家には家系病のようなものがあるそうです。病、といっても病気ではなく、命に別状はないとのことですが…。噂ですけど、うつる可能性があるとかなんとか…
本邸勤めになるとメヒレス伯爵家のお給金がかなり跳ね上がるのに、使用人の数が別邸よりぐっと少ないのはそのせいなのでしょうか?
3階の絨毯じきの長い廊下をアレクの早歩きに小走りでついていくと、坊っちゃまの部屋の前に侍従長、侍従3名、侍女頭、先輩侍女2名、護衛の先輩の総勢8名がきれいに整列していました。これにわたしたち二人を足した10人が本邸の使用人の全てなのです。ちなみにみなさん当たり前に赤い羽根がついてます。整列していると、余計にみなさんの胸元が気になって仕方ありません。
「フェーズ2状態はフェルナンドさまです」
先輩侍女が報告をはじめました。
なんと!メヒレス家の次男のフェルナンドさまが!
外部にもらさないように、でしょうか、そのあとは古代語でやりとりをしています。
うぅ、赤い羽根なしの身がうらめしい。どうやら朝の確認について話しているようです。10歳の誕生日を迎えたばかりの坊ちゃまが自分は18歳だと言っているということだけはかろうじて聞き取れました。
そして、激しい古代語のやりとりの後、どうやらアレクさんが坊っちゃまの部屋付きに決まったようです。
アレクさんがちらっとわたしを見た後、坊っちゃまの部屋に入っていきました。
フェーズ2というのは言葉がわからない状態だが、しばらくすると記憶が戻るだろうというのだった…はず。
パニックを起こしやすく、暴れることもあるとか。それに噂のように病気がうつったりしたら…アレクさんが心配です。
◇◇◇◇
2階のホールの片付けをしていると、
『なのは!なのはだろ?』
フェルナンドさまの甲高い声が響きます。顔を上げるとわたしに向かって大きく手を振る坊ちゃまと、慌てた様子のアレクさんがいました。
フェーズ中というのに、その…正気そうといいますか、お元気そうでなによりです。
わかります、坊ちゃま。古代語の数詞は本当にややこしいですよね。
今日は11月7日、『なのか』ですよ、と心の中だけでつぶやきながら、生ぬるい微笑みでアレクさんを見るとフェルナンドさまの口を大きな手でふさいでいるではないですか。
えっ、それはさすがに不敬罪ものではないでしょうか?それともフェーズ中のお守りはそんなこと言ってられないからノーカンなのでしょうか?
わたしは見なかったことにしてその場を去りました。
◇◇◇◇
それはもう、突然のことでした。
庭の四阿の片付けをしていると、街から派遣された庭師の方々がなにやら考え事をしているようでした。聞けば、パンジーの植え付け時期について意見が割れているようで。
毎年11月半ばに植えているから、例年通りに植え付けしたい年配の方と、今年の秋が暖かいからもう少し遅らせたいという若手でもめているようです。
パンジーってあの花だったわよね、と頭の中で思い巡らせていると、急に勝手に口が動いていました。
「朝晩の気温が10℃以下になったら植え付けってスマホで見たことあるわ」
「スマホ?」「なんですか、それ」
庭師の方々の言葉を遠くに感じながら、わたしの脳内にもう一人の人生が流れ込んできました。
真っ青な顔で立ちすくみ、返事をしなくなったわたしを見て庭師の方が近くの人を呼んできているのが視界の端で確認できました。
わかっているのですが、脳内が大変なことになっていて動くに動けません。
庭の最短を突っきって、アレクさんが駆け寄ってくるのがわかりました。
一通り脳内の映像と音声が止みました。急に現実の視界と聴覚がクリアになります。
「えっ、赤い羽根って募金?」
わたしのつぶやきに、隣で心配そうに見ていたアレクさんが真剣な顔で聞いてきました。
『落ち着いてください、お名前は?』
耳から入ってきた音が、遅れて頭の中で結びつきます。
は?日本語じゃん!
古代語って日本語??
プチパニックのわたしから、アレクさんはじっと目をそらしません。
『そ、添島なのは、です』
日本語で聞くということはそういうことかな、と先ほど脳内に流れ込んできた日本人の高校生の女の子の名前を答えました。
うぐぅ、と喉の奥を鳴らして、アレクさんのきれいな薄い空色の瞳がみるみる潤んでいきます。
耐えるような表情で声をしぼりだしました。
『なのは、オレ…中尾…俊だ』
『しゅん?』
とたんに脳内にキラキラと、教室やら陽に透けるワイシャツやら丸坊主の高校生の笑顔がはじけました。
あぁ、俊!
手をつなぐタイミングがわからなくて緊張した帰り道や、少しでもよく見られようとハンバーガーの包みを丁寧にたたんだこと、年賀状を家族にからかわれたこと…なんだかどうでもいいことばかりだけど、宝物だった日々。
端整なアレクさんの頬をきれいな涙がつたっていきます。
強い力でわたしの肩をつかむとうつむきながら言いました。
「…そうだといいなって、ずっと、ずっと思ってた」
いつの間にかティナさんがアレクさんの隣に来て、ニッコリ微笑みながら赤い羽根を差し出しました。
アレクさんは涙を拭ってそれを受け取ると、わたしの胸につけてくれました。あぁ、赤い羽根ってそういう意味だったのですね。
ちなみにフェルナンドさまは俊の幼馴染の記憶をお持ちだそうです。お名前を伺いましたがいまいちピンと来ず…記憶の中にはないお名前でした。
「俊がよく話してたから一方的に知っていただけだけどねー」だそうです。一体なんの噂をしていたんでしょう。
◇◇◇◇
ところで、メヒレス伯爵家の赤い羽根の秘密を知ってしまった今、一番気になることは、旦那様の胸に赤い羽根が3つあることです。
メヒレス伯爵家にはまだまだ秘密がありそうです。
やっと会えたね、と赤い羽根をもらいましたが、これって? 南都カナル @hplc
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