第2話

 平日は大学で授業を受け、週末は史跡を巡る。そんな生活をすることになった。二か所目の屯所、西本願寺には前回の反省を生かして昼頃に向かった。ここには新選組の観光客らしい観光客はいなかった。寺への参拝客のようだ。

「わあ、この銀杏の木まだあるんだ」

 沖田が寺に足を踏み入れるなり、驚いたように言った。目を向けると、境内の真ん中にとても大きな木がある。看板が立てられていた。樹齢約四百年。二度の大火を生き抜いたと記載があった。

「元治元年の大火って、総司さん知ってるんじゃないですか?」

 文久四年の途中で元号は元治に変わった。沖田たち新選組は既に京にいる頃だ。

「禁門の変の時の大火かな」

「禁門の変! 長州の人たちが御所に攻め入った事件ですよね」

 文久三年の八・一八の政変で長州勢は京から追放されたが、それに異を唱える長州の浪士たちが京で市街戦を行った。特に激しい戦いだったのが、天皇の住む御所の門の一つである蛤御門のあたりだったため、蛤御門の変とも呼ばれている。

「逃げ去る長州の奴らが長州藩邸に火をつけたのが町中に広まってね。結構酷かったな。まあ、それも新選組のせいにされたけど」

「新選組のせいに? どうしてですか?」

「僕らは京の嫌われ者だからね」

 沖田は肩を竦めた。雫は眉を顰める。

「嫌われてたんですか? 京の町を守ってたのに?」

「町の人たちから見れば、僕らも不逞浪士も大して変わらなかったってわけ」

 否定できないしね、と沖田は笑った。

「……どうして、そんな風に笑えるんですか?」

 雫の問いに、沖田は首を傾げた。

「みんなのためを思ってやったのに、感謝されないの、辛くないですか? 虚しくないですか? 誰のおかげで平和に暮らせると思ってるんだってならないんですか?」

 新選組は京の人のために、江戸に戻らずに京に留まり治安を守った。誤解されることもあるのはわかる。最初は上手くいかなかったかもしれない、それもわかる。でも、不逞浪士と変わらないとまで言われるのは、新選組をまだ少ししか知らない自分にとっても腹立たしかった。

 沖田は頬を掻いて、なんでもないように言った。

「別に、感謝されたくてやってたわけじゃないからね」

 雫は目を見開いた。どうしてそんな風に、当たり前のように言えるのだろう。

「……わからないです。見返りも求めてなくて、同意も共感もないのに、命をかけて町の人たちを守ってきたんでしょう? 新選組が目指したものって、何だったんですか? 名誉とか名声ってやつですか?」

 雫が問う。沖田が真剣な表情で雫を見つめた。

「……僕は、そういう難しいことはよくわからないけど」

 少しだけ考えて、沖田は続ける。

「少なくとも僕は、死ぬその時まで、この剣で何かを……誰かを守りたかった」

 腰に差している二振りの刀に手を添える。

「僕は近藤さんの敵を斬ってきた。新選組の敵を斬ってきた。別に誰かに感謝されたかったわけじゃないし、お金とか名誉とか、そういうのもいらない。僕のこの剣で何ができるのか……僕にとって大事なのはそれだけだった」

 雫を真っ直ぐ見て、沖田は言う。

「僕には剣しかないんだよ。この剣で何ができるんだろう……敵を斬って、何かを守る。ただ、それだけなんだ」

 殺す覚悟も死ぬ覚悟も、既に持っているもの。沖田は先日そう言っていた。この剣で敵を斬る。何かを守る。そのための覚悟だ。自分の命も、他人の命も、零れ落とさないために、覚悟は既に持っておく。

「でも……近藤さんがいなくなる覚悟は、ちょっとなかったかな」

 沖田が視線を外し、ぽつりと言った。だから、沖田は幽霊になって百五十年経って尚、現世にいる。

「探しましょう、近藤さんを」

 雫が言うと、沖田が視線を戻した。

「史料はなさそうだけど、幽霊と話せる特権は生かせると思います。任せて……って言えるほど頼りになるかはわかりませんが……」

 沖田がふっと笑う。

「うん。ありがとう。頼りにしてる」

 西本願寺には何もなかった。日が暮れないうちに、二人は帰路につく。


 ***


 三か所目の屯所は、不動堂というところにあったらしい。スマートフォンで検索をかけていると、幻の屯所という記載されているページを見つける。今はホテルの敷地になっているし、新選組はその後の鳥羽伏見の戦いの準備で伏見奉行所というところに移動したらしく、数か月しかいなかったという。ここに何かあるとは思えないなと思いながら、雫は大学の食堂で食後のコーヒーを飲んでいた。

「君がいつも飲んでるそれ、不思議な匂いがするよね」

 沖田が雫の背後に凭れながら言う。

「幽霊って嗅覚あるんですか。知らなかった」

「五感はあるんじゃない? 食べたことないから味覚は知らないけど」

「あの、すみません」

 女性の声がして、雫はスマートフォンから視線を上げた。食事の乗ったトレイを持って女子生徒が立っている。

「どこのテーブルもいっぱいで。ここ、空いてますか?」

 少し周囲を見渡すと、確かに食堂は混んでいた。雫はテーブルの上を少し片づけてから「どうぞ」と言った。「ありがとうございます」と言って、女子生徒は雫の斜め向かいに座った。彼女の守護霊は凛とした女性だった。無口のようで、雫と沖田をちらりと一瞥しただけで何も言わない。

「私、文学部一年の桧山といいます。あなたは?」

 話しかけられると思わず、雫はコーヒーカップを持ち上げながら硬い表情で答えた。

「工学部一年の神代です」

「工学部? 何を勉強してるんですか?」

「情報系です。ITっていうか……」

「ああ! なるほど! システムエンジニアとか、将来はそういう?」

「まあ……そうですね。この業界なら、今後も仕事がなくなることはないと思ったので……」

「すごい! 現実的!」

 もごもごと話す雫に対して、桧山は満面の笑みで話をする。システムエンジニアはコミュニケーションが少なくても良さそうと思ったのも理由の一つだ。

「それで……桧山さんはどういうことを勉強してるんですか?」

 桧山は半分にしたコロッケを咀嚼してから答えた。

「私、日本史オタクなんです。歴史の勉強したくて」

「歴史の勉強?」

「そう。だから京都に来たんです。江戸も長く政治の中心でしたけど、やっぱりここは京の都かなあっていう感じで……家茂公みたいに、江戸から京に上洛してみたかったんです!」

 雫が目を丸くする。

「じゃあ、桧山さんも東京から?」

「はい、八王子です」

「私、調布です」

「わっ、ちかーい!」

 桧山が喜ぶ。

 それよりも、だ。雫はコーヒーカップを置いて、スマートフォンを手に取った。

「あの、今家茂公の名前を挙げましたけど。もしかして、日本史も幕末がお好きなんですか?」

 真剣に問う。今度は桧山が目を丸くした。

「えっ!? まさか、神代さんも!?」

「いえ……私はそこまでではないんですけど……最近少し調べ始めたっていうか」

「でも、慶喜じゃなくて家茂を知ってるって、幕末オタクの一歩目って感じがします! 親近感わくー!」

「じゃあ、やっぱり幕末のことは詳しいんですか?」

「それなりにですね。日本史全般的に好きですけど、やっぱり黒船来航による開国に始まる幕末の動乱時代はロマンですよね」

 好きですよ、と言って桧山は笑う。雫はスマートフォンで録音機能をオンにした。

「あの、最近、新選組について気になっていまして」

 桧山は頷く。

「新選組人気ですよね。私も一時期はまってました」

「もし、わかったら教えていただきたいんですけど……」

「はい、なんでしょう?」

 雫は少し間を置いて、声を落として問いかけた。

「近藤勇の首の場所をご存知ですか?」

 沈黙が下りた。桧山が瞬きする。そして、にっこり笑った。

「幕末最大の歴史ロマンと言っても過言ではないですね、近藤勇の首の在処。面白そうなところに目をつけましたね」

「もしかして、知ってるんですか!?」

 雫が立ち上がりそうになるのをなんとか抑えた。桧山がスープを飲み干すのを待つ。

「詳しく知ってるわけじゃないんですけど。諸説ありますよね」

 そう言って、桧山もスマートフォンを取り出す。

「東本願寺の住職が引き取って葬った説。斎藤一が持ち去って愛知の宝蔵寺に葬られてる説。土方歳三が会津に持ち去って葬った説。米沢の高国寺に葬った説。板橋の供養塔に葬られてる説。などなど。胴体も板橋に埋葬されてる説と龍源寺に埋葬し直した説があります」

 それは雫も調べて知っていることだった。少なくとも、斎藤と土方に関しては、時期的に難しいと思っている。

「まあ、でもいずれにせよ歴史的興味が薄いところなので、あまり調査は進んでないと思いますよ」

「え? そうなんですか?」

 雫が驚いて問い返す。桧山は肩を竦めた。

「歴史学の観点では関心が薄いんですって」

「そんな……というか、掘り返して遺伝子鑑定なりすれば、どこにあるのが本物かわかるんじゃないんですか?」

 桧山は首を振る。

「真実が明らかになることを誰も望んでないんです」

「どうしてですか?」

「さあ……まさに、その辺りをこれから勉強したいところではありますね。でも、歴史学的に興味が薄いって話は確かです。前に専門家の方に聞きました」

 食後のオレンジジュースに手を伸ばしながら、桧山は続ける。

「残ってる少ない史料の信憑性の担保とか難しいんじゃないですかね。裏付けるための史料が複数出てくればいいかもしれませんが、幕末って結構最近なので史料は多い方なんですよこれでも。そんな中でこれしか残ってないんです。調べ尽くされたんじゃないですかね」

「そうですか……」

 肩を落とす。ちらりと隣を見れば、沖田も俯いていた。

「市内の縁の地は行きましたか?」

 そんな雫を見て、桧山が問う。雫は顔を上げた。

「あ、はい……とりあえず八木邸と壬生寺、西本願寺は行きました。不動堂はホテルになってるらしいので、どうしようかなって」

「ああ、屯所巡りしてるんですね、いいですね。ホテルは石碑がありますよ、確か」

 オレンジジュースを飲みながら桧山が頷く。

「桧山さん、他にここに行ったらどうかという市内の縁の地ありますか? できれば、なんというか、幽霊が出そうなところというか」

「あはは、幽霊信じてるタイプですか?」

 桧山は軽く笑うと、スマートフォンを操作して市内の地図を表示した。雫に見えるように傾ける。

「新選組に関わる有名な事件といえば、まずは元治元年六月の池田屋事件。これは新選組の名が知れ渡ったきっかけの事件ですね。三条駅から三条大橋を渡った先にあって、今は居酒屋になってます」

「い、居酒屋? 歴史的価値のある場所じゃないんですか?」

「元々旅籠だったんですけど、昭和になってから取り壊されたみたいです。あちこちに売却されての今ですね」

 へえ……と雫は声を漏らした。

「あとは禁門の変。京都御所の蛤御門にまだ銃弾の跡が残ってます。それから、三条制札事件……この辺の時代はあまり大きな事件ないけど……あ、忘れちゃいけないのは油小路事件」

「油小路事件?」

「知りませんか? 西本願寺と不動堂村があったと言われる場所の間くらいに油小路っていう道があるんですけど、そこで元隊士の伊東甲子太郎の暗殺が行われます」

 伊東、と沖田が小さく呟いた。

「……詳しく聞いていいですか?」

 沖田が反応したことに気付いて、雫は話を促した。

「まず、伊東甲子太郎という人物が新選組に加入します。藤堂平助という試衛館のメンバーの知り合いだったみたいですね。彼の紹介で入った伊東は参謀の地位につきます。破格の待遇ですよね」

 雫が頷く。

「慶応三年、孝明天皇が崩御します。伊東は孝明天皇の墓を守る御陵衛士という役割につくと言って、藤堂平助や斎藤一たち数人を連れて新選組を離脱します」

「え? 新選組って、『隊を脱するのを許さず』っていう決まりありませんでしたっけ?」

 局中法度というものだ。新選組について調べれば、とても厳しい規則がいくつかあり、それに背けば切腹を申し付けると言われている。桧山がにこりと笑った。

「昔は、佐幕派の近藤・土方たちと尊王攘夷派の伊東の思想が合わずに、無理矢理離脱したって話でしたけど。近年の研究だと、佐幕派の代名詞となるほど大きくなった新選組が諜報活動などをしにくくなったので、分派という形を取って伊東たち御陵衛士が新選組の間者役になっていたのが明らかになったそうです」

「じゃあ、どうして伊東の暗殺を……?」

「話には順序があります」

「あ、すみません。続けてください」

「ごほん。つまり、分派したと見せかけて裏で密に連携を取っていた新選組と御陵衛士ですが、伊東がついに裏切ります。土佐の陸援隊隊長、中岡慎太郎に新選組の内情を話してしまうんですね。当時の土佐藩は公武合体派つまり佐幕派と、討幕派で揺れていました。そこで起こるのが大政奉還です」

「あ、幕府が政権を朝廷に返すっていう……」

「そうです」

 桧山はオレンジジュースで喉を潤そうとしたが、もう中身がなくてがっかりした顔をした。持ち上げたグラスをテーブルに置く。

「この大政奉還の前に、討幕派の陸援隊が武装蜂起しようとしていることを、新選組の間者と御陵衛士の間者の双方が掴んでいます。大政奉還で一時この武装蜂起は見送られますが、この時伊東は『情報の出所が自分だとバレたら殺される』と思います。それで、新選組の間者がいることを中岡に話してしまう。坂本龍馬にも会いに行っているようですね。そして、その後に起こるのが近江屋事件です」

 雫は首を傾げた。

「近江屋事件知りませんか? 坂本龍馬と中岡慎太郎が見廻組に暗殺される事件です」

「ああ、あれ見廻組だったんだ」

 沖田があまり興味なさそうに言った。

「斎藤一は御陵衛士に入っていた新選組の目付け役でした。伊東派と偽っていた間者ってのが通説ですけどね。まあ、とにかく近江屋事件は新選組の仕業ではないかと思われていたので、新選組の間者が土佐藩に捕縛されました。土佐藩は間者が誰なのか伊東に聞いていたので。そのことで斎藤は伊東が裏切ったことを知り、近藤たちに進言します。はい、暗殺タイミングここです」

「なるほど……ここで初めて『隊を脱するを許さず』に当たるわけですね」

 雫は理解したと頷いた。新選組と御陵衛士は手を組んでいた。友好的な分派であった。そんな中で、伊東がついに裏切ってしまう。明確に、新選組の敵になったのである。

「伊東はバレてないと思っていた。ので、近藤といつも通りに話をして、お酒を呑まされてべろんべろんになった帰り路に、新選組に暗殺されるんです。御陵衛士たちも新選組と同志だと思っていたので、どうしてこの事件が起こったのか理解できなかったようです」

 お酒呑ませて暗殺って新選組の常套手段ですよね、と桧山は笑った。雫は笑わなかった。

「というのが、油小路事件の話で……あ、そろそろ行かなきゃ」

 スマートフォンの時計を見て、桧山が言った。雫もそろそろ授業に行かなければならない。

「ありがとうございます、桧山さん」

「いえいえ、またお話しましょう神代さん!」

 トレイと荷物を持って、桧山は立ち去っていく。守護霊の女性が後を追おうとして、少しだけ立ち止まった。

「……油小路に行くなら、十分にお気をつけなさい。あそこは新選組縁の者が行くには危険な場所です」

 女性はそれだけ言って、桧山を追って行った。

 雫はスマートフォンを手に取って、録音を停止した。

「総司さん」

「うん」

 雫もトレイと荷物を持って、立ち上がる。

「今週末、油小路に行きましょう」

 慶応三年十一月十八日。油小路の事件が起こったのは、近江屋事件から僅か三日後のことだった。暗殺された伊東の報を聞いた御陵衛士の仲間を待ち伏せ、新選組は数人のかつての仲間を殺すことになった。冬に差し掛かり、きっと寒かったことだろう。今は春。四月も半ばを過ぎ、桜もとっくに散ってしまい、夏に近付きつつある季節だった。

「藤堂平助って試衛館からの仲間が油小路で死んだんだけどさ。いいやつだったから、きっと罠だとか殺されるとかわかってても伊東さんのところに行ったんだと思うんだよね。魁先生は伊達じゃないっていうか……」

 油小路に向かう道を歩きながら沖田が言う。周囲に人がいるので、雫は聞いているだけだ。

「……歳も近い友達だったから、惜しいやつを亡くしたなって思うよ」

 桧山に話を聞いてからも、沖田は御陵衛士についてあまり語らなかった。病が進行していて、あまり隊務に関わらないようになっていた頃だから詳しくないのかもしれない。ただ、その友達だった藤堂のことだけ、まるで独り言のように雫に告げた。これから出会って、斬るかもしれない人のことだからかもしれないと、雫は思った。

 夕刻近く、雫と沖田は京都駅から程近い場所にある油小路にやってきた。細い道だ。ここで何か事件が起こっただなんて感じさせない、閑静な住宅街。

 嫌な予感しかしなかった。ここは、今までの史跡とは違う。明確な、悪意のような何かを感じる。言い換えるなら、怨念、という言葉が合うだろうか。雫は肌でそれを感じた。日が暮れる中、二人は油小路を並んで歩く。途中に伊東がここで死んだのだという石碑を見つけた。

 突如、太陽が消えた。闇に呑まれた世界に、赤い色。そして、強烈な血の臭いがした。

「っ……!」

 雫は吐き気をなんとか飲み込んだ。足下、民家の壁、辺り一帯が血に塗れていた。大量の血。一体、ここでどんな戦いがあったというのか、雫には予想がつかない。

「――新選組」

 背後でそんな声がすると同時、沖田が視界から消えた。大きな金属音がした。

「総司さん!?」

「来ないで!」

 声がして、雫はその方向に目を向けた。突然の襲撃を、沖田はなんとか刀を抜いて受けていた。二刀使いの血に塗れた男が、沖田に刃を向けている。

「その二刀。服部さんだったっけ。久しぶりだね」

「沖田、総司……!」

 ガチガチと金属が噛み合ってから、両者距離を取る。雫は邪魔にならないように壁際に寄った。それでも、細い道でどこまで邪魔にならずにいられるかわからなかった。沖田は冷静だったが、服部という男の方は相当怒っているようだった。幽霊の強さは気持ちが現れる部分もある。沖田は確かに天才剣士だ。だが、この場合の分があるのは――

「くっ!」

 服部が踏み込み、沖田は体勢を崩す。両手の刀を巧みに操り、沖田に猛攻撃を仕掛ける。金属音が狭い路地に響く。何度も何度も、服部は力任せに刀を叩きつける。沖田の体に少しずつ傷が増えていく。だが、沖田は冷静だった。一度服部が間合いをあけたのを好機と見て、すかさず踏み込む。ばさりとその体を袈裟懸けに斬る。体勢を崩した服部はにやりと笑った。

「――沖田ァ!」

「ッ!?」

 背後に突如現れた気配に、沖田の反応が遅れた。別の男が沖田の背後から襲い掛かる。男の刃を受け流す。同時に二人は捌けない。体勢を戻した服部が沖田の左腕を斬り落とした。

「総司さん!」

 雫の悲鳴が響く。

「数人で囲って一人を叩く……新選組の常套手段でしたよね」

 服部が片膝を地面につきながら言う。

「新選組やめたのに、よく覚えてるね」

 片腕で刀を構え直しながら沖田は肩で息をしている。

「やめた、だと? 勝手に裏切ったのはそちらだろう!」

 男が叫ぶ。桧山の話を思い出す。裏切ったのは伊東だけで、部下たちはそのことについて知らなかった。どうして仲間に殺されなければならなかったのかわからなかった。わからないまま、無惨に殺された。そのまま、今もここに恨みと共に存在し続けている。

「沖田の首を差し出せば、伊東先生もお喜びになる」

 服部が再び二刀を構える。

「へえ。僕の首は高いけど、取れそう?」

 沖田は挑発する。二人が同時に地面を蹴った。沖田は片腕とは思えぬ速度で二刀を受け流し、まず服部の背後に回ってその首を落とした。倒れる体を踏み台にして、高く跳び上がる。空中で体勢を立て直しつつ、もう一人を着地と同時に一薙ぎで斬り伏せた。地面に倒れる二人を見ながら、沖田は構えを解いた。息が乱れていた。

 ……おかしい。雫は眉を顰めた。この逢魔時の元凶である霊を倒したのに、世界が戻らない。まだ終わっていない……そう思うと同時、殺気が増えた。

 ドン、という衝撃と共に沖田が血を吐いた。

「……寂しいな、総司。僕のこと忘れちゃったのか?」

 沖田の胸から刃が突き出た。背後に若い男が立っていた。

「へい、すけ……!」

「僕があんたの背後を取れることがあるなんてな。死んでから強くなったかな、僕」

 藤堂平助が沖田の背を蹴飛ばしながら刀を抜く。沖田はよろめいて膝をつく。

「なあ、僕たちはどうして死ななきゃならなかったんだ?」

 沖田の首元に刀を突き付け、藤堂は言う。

「どうして、僕たちは仲間に殺されなきゃならなかったんだ? 仲間だと思ってたのは僕たちだけだったのか? 僕は、たとえ新選組から離れても、御陵衛士になっても……」

 藤堂が刀を振り上げる。

「――総司と、友達だと思ってたんだけどな」

 涙を含んだ声で、藤堂が言った。

 振り下ろされた刀は、沖田の首に届く前に止まった。駆け出した雫が、沖田に抱きついていた。

「……お嬢さん、危ないよ。どきなよ」

「嫌です」

「一緒に斬るよ」

「藤堂さんは斬れません」

「どうして? 斬れるよ」

 雫は涙を堪えて、藤堂を睨みつけた。

「総司さんが言ってました! 藤堂平助は友達だって!」

「っ……」

 藤堂の刀が揺れた。雫は藤堂から目を離さない。沖田は近藤以外の話をほとんどしない。そんな中で、唯一ここに来る途中に話をしたのが友人の藤堂平助の話だった。どんな思いで彼が道すがらその話をしたのかわからない。でも、きっと、沖田も本当は友を斬りたくはなかったのだ。

「……わかってるよ、本当は」

 藤堂が刀を下ろす。くしゃりと顔を歪めていた。

「伊東さんが新選組を怒らせることになったのも、それが暗殺に繋がったのも……全部わかってるんだ」

「それじゃあ……」

「でも!」

 藤堂は再び刀を勢いよく振り上げた。

「僕は! 仲間を裏切るのだけは嫌なんだ!」

 その「仲間」が御陵衛士を指しているとわかった。だから、雫はここで沖田と共に死ぬのだと覚悟をした。沖田をぎゅっと抱きしめる。

「そこまでです」

 凛とした声が響いた。藤堂の刀がまた止まる。

 足音が近付いてくる。雫が藤堂から目を離し、近付いてくる人物に目を向けた。この血塗れの細い路地を、まるで我が道かのように優雅に歩いて来る男性がいた。

「伊東先生……!」

「服部君、毛内君、よく頑張りましたね。先にあちらに行っていてください」

 服部と毛内の姿がふわりと消えていく。静寂が訪れた。

「君たちが私たちに会いに来た理由は知っています」

 伊東は真っ直ぐに雫を見て言った。

「でも、私たちも近藤さんの首の在処は知りません」

「……そうですか」

 雫は目を伏せた。沖田に怪我をさせてしまったのに、収穫は何もなかった。京で長く霊をやっているならば知っているかと思ったが、そういう問題でもないのかもしれない。振り出しに戻ってしまった。

「もし、どこかで近藤さんに会ったらお伝えください。――また、共に酒を呑み交わしましょう、と」

「伊東さん!」

「その時は君も一緒ですよ、藤堂君」

 驚く藤堂に、伊東は笑みを向けた。驚いた藤堂の頬に涙が伝う。俯いて、小さく頷いた。

「お嬢さん、お名前は?」

 伊東が雫に問う。

「あ……神代です。神代雫……」

「神の依り代。なるほど。守護霊がいなくなったのはいつ?」

「十歳くらいの頃です。逢魔時に……」

「そう。気の毒に……あなたを守っていたのなら、さぞ名のある神霊だったのでしょう」

 伊東が悲し気に目を伏せた。そして藤堂を呼んだ。刀を納め、藤堂は伊東の隣に駆け寄った。

「私たちはここから離れられませんし、まだあちらに行くつもりもありません。何か困りごとがあったらいらっしゃい。助言くらいはできるかもしれません」

「どういう、風の吹き回しですか、伊東さん……」

 沖田が睨みつける。伊東が笑う。

「私は神代さんに言ったんですけどね。まあ、君はまずはしばらく休むといいでしょう。その怪我は霊体にも重傷です。神代さん、その落ちている腕は拾ってくっつけてあげてください」

「え? くっつけて……? は、はい!」

 脇に落ちている腕を拾い上げ、立ち上がろうとする沖田に肩を貸す。霊だからか、身長差に感じるほど重くはなかった。

「では。行きましょうか、藤堂君」

 伊東と藤堂は立ち去って行く。

「あ、そうそう」

 伊東が振り返った。

「近藤さんの首の在処はわかりませんけど、持ち去られたのは確かです。見張りが見逃したらしいですからね。おそらく新選組隊士ではない人物でしょう」

「……そうですか。いろいろとありがとうございました」

 雫が頭を下げると、伊東は笑みを浮かべた。

「また会いましょう、神代さん」

 二人が立ち去り、闇と赤色だった世界がただの夜になった。強烈な血の臭いは鼻にこびりついて離れそうになかったが、暖かい風が路地を流れた。二人の姿はない。

「総司さん、歩けそうですか?」

「大丈夫だよ、そこまで重傷じゃない」

 強がる沖田に小さく息を吐いて、どうせ幽霊の血は他の人には見えないからとタクシーを拾った。沖田を乗せたり下ろしたりする間を運転手に不思議がられたが、なんとか家に到着する。沖田の出血は酷かったが、幽霊だからか既に止まっていた。斬られた腕も、切り口にあてることでくっついた。便利だなと、少し思った。

「しばらく寝る。どこか出かけるなら起こして」

「はい、おやすみなさい」

 沖田は自分の寝床に転がった。すぐに寝息が聞こえてくる。

「はあああ……」

 雫はベッドに飛び込んで深い息を吐いた。……死ぬかと思った。今回は、本当にそう思った。目の前で殺し合いがあったのだ。自分ももしかしたら斬られる可能性があった。そう考えると、今になってから体が震えて来た。俯きになって、枕を抱える。この震えを、沖田に知られたくはなかった。

「そういえばさ」

 急に寝たはずの沖田の声が聞こえて、雫は飛び起きた。

「は、はい! なんですか?」

 沖田はこちらに背を向けたままだった。

「危ないことに巻き込んでごめん」

 落ち込んだ声。今、沖田がどんな顔をしているのか、雫からは見えない。雫は震える腕を押さえて、笑みを浮かべた。

「大丈夫です。気にしないでください」

「気にする」

「ありがとうございます」

 沖田は無言で息を吐いて、また寝てしまった。しばらくその背を見ていた。沖田の羽織を真っ赤に染めていた血は消えてなくなった。幽霊は不思議だ。枕をまた抱えて、ベッドに倒れる。そのまま天井を見る。白い天井。目を閉じると、先程まで見ていた闇の中の赤い光景が思い出せる。

 ――さぞ、名のある神霊だったのでしょう。伊東の言葉を唐突に思い出して目を開く。自分の背後にいたお姉さんは、一体誰だったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幽幻の遺志(仮題) 羽山涼 @hyma3ryo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る