世界最速の帰宅部員が、異世界で現実帰還RTAを始めたようです。

水母すい

帰宅部、異世界へ行く


 帰宅部。

 それは、部活に所属していない生徒たちを指す蔑称……


 

 ――では、ない。



 日々の帰宅に心血を注ぎ、一秒でも早い帰還を志す者。

 不要な寄り道をよしとせず、より健全な帰宅を目指す者。

 

 その流派――「帰宅道」に違いはあれど、帰宅を愛し、帰宅に愛された者こそが真の帰宅部員であると言えるのかもしれない。いや、そうに違いない――。


 とある学校の帰宅部員、寄道よりみち直帰なおきはそうった。


 

 

        ◇




 教室の生徒が一斉に立ち上がる。

 一人の男子が帰りの号令をかけると、また皆が一斉に軽く礼をした。


 その瞬間、はすでにスタートを切っていた。


「あれ、今なんか通ったか……?」


 教室の一番後ろの席にいた男子が、不思議そうに首を傾げる。

 彼の後ろを、何かがものすごいスピードで横切ったのだ。


「なんだ、お前知らねーのか?」

「な、何をだよ?」

寄道よりみちだよ! ウチの帰宅部の主将エース!」


 


 号令と同時にスタートした彼の足取りは、今日も軽かった。

 

 二十段近くある階段を一気に飛び降り、周囲の安全を確認してまた走り出す。三階からの階段を下るのにかかった時間は、ものの十秒であった。


 そこから次に目指すのは、昇降口の下駄箱。

 ここでの靴の履き替えをどれだけスピーディーに行えるかが重要だ。


 寄道は走りながら上履きのかかとを緩め、下駄箱到着と同時に両足とも脱ぎ捨てる。そして脱ぎ捨てたそれを片手で掴み上げ、その場で彼は身を捻った。


 まず左手で、下駄箱から靴を取り出す。

 次に右手で、上履きを下駄箱にぶち込む。


 彼はすぐさま手にした靴を置き、素早く両足を差し入れる。

 回転を取り入れた、無駄のない華麗な動作であった。


「19秒66……よし、いいぞ」


 腕時計のタイマーを一瞥して、寄道は冷静に言った。

 

 それでもなお、決して彼の足が止まることはない。

 むしろ、彼にとってはここからが本番だった。


「おお、寄道君。もう帰りk――」

「さようなら田中先生また明日!!」


 すれ違った教師に高速で挨拶を決めて、彼は素早く校門を出た。

 

 

 紹介が遅れたが、彼の名はやはり寄道よりみち直帰なおき

 

 彼の通う学校の帰宅部の主将にして、「全日本帰宅部選手権大会」にて三度の優勝をおさめた実績をもつ、まさに帰宅の天才である。帰宅部界隈では【孤高の絶影】と称されるほどの実力の持ち主であるが、彼自身そんな噂には、まったくもって興味がなかった。


 帰宅を極めるこそが、彼にとっての人生。

 それに付随する実績など、オマケに過ぎないのである。


「30秒経過……まだだ、まだいける!」


 と、この間にも彼の進撃は続いていた。

 帰宅といっても、寄道の行く道はただの通学路ではない。


 あるときは高い塀を越え。またあるときは路地を飛び抜け。

 そしてまたあるときは、民家の屋根の上を疾走する。


 この街のすべてが、彼の帰宅路なのだ。


「次はあの信号……このタイミングなら、青だ……ッ!」


 草むらをすり抜けて、寄道は歩道に飛び出す。

 彼の予言通り、目の前の信号は青であった。


 しかし――


「まずい、あの猫……!」


 目の前の横断歩道を悠々と歩くのは、一匹の猫。

 そこに運悪く、暴走したトラックが突っ込んでくる。


「……っ、駄目だ! かせるものか!!」


 瞬時に状況判断を行なった寄道の足は、考える前に動いていた。

 手を伸ばし、迷い猫のもとへ爆速で駆けつける。


 が、さらに不運なことが起きた。


 ミサイルのごとく襲来した寄道に驚いた猫が、普通に逃げていったのである。

 

 

「なっ……?! ま、待て……い、いや行け!?!?」



 代わりに横断歩道に残ったのは、寄道直帰。

 真横から迫るのは、暴走トラック。


(はは……まだ帰宅の途中だというのにな)


 彼は潔く運命を受け入れると、そのまま瞳を閉じる。

 直後、彼の体を強い衝撃が襲った――。



 

       ◇




「えー、お主は死んだ。異世界に行ってもらう」


 白いヒゲを生やしたジジイが、適当に言った。

 

 寄道はいつの間にかちゃぶ台の前に座らされており、ご丁寧にお茶まで出されている始末であった。彼の前のお茶には、茶柱が一本立っている。


 ――そうか、ここは天国だ。

 

 寄道は三秒で理解した。


(タイムは……まだ1分32秒……)


 腕時計のタイマーを確認する。

 どういうわけか、カウントはまだ続いているようだった。

 

 わからないことだらけではあったが、寄道は動揺を見せなかった。

 もろもろの疑問を、お茶と一緒に喉に流し込む。


「なるほど、わかりました」

「なんじゃ、妙に呑み込みが早いのぉ。結構結構」


 片手でスマホをいじりながら、爺――否、「神」は言った。


「それで、異世界と言いますと、私は転生でもするのでしょうか?」

「いや、転生はさせん。ワシの術で転移させるだけじゃ」

「はあ、なるほど」


 眼鏡を光らせながら、寄道はバカ真面目に神の言うことを聞いた。

 彼自身、こういうシチュエーションに興味がないわけではないのである。


 すると、白髭の神はある一枚の紙を取り出す。


寄道よりみち直帰なおき、年齢17歳。全日本帰宅部選手権大会にて三度の優勝経験あり、とな……?」

「はい。正確には、スピード部門での優勝ですが」

「なるほど。足には自信があるようじゃな」 


 寄道の「履歴書」と見比べながら、神はふむふむと頷いた。

 

「それならば、お主にちょうどいいスキルがある。そいつをつけてやるから、異世界に行ってパパッと魔王を倒してくるのじゃ。安心せい、お主ならできるわい」


 軽々しく、だらけた神は言いのけた。


「魔王を……ですか? それを倒したら私はまた現世に戻れるのでしょうか?」


「ん? なんじゃお主、まだ現世に未練でもあったのか?」


「いえ……でも今は、ですので。もし本当に向こうへ帰れるのなら、あまりこういった寄り道はしたくありません。私の“帰宅道”のモットーは『一秒でも早い帰宅を』ですから」


 腕時計のタイムを気にしながら、実直に寄道は言う。

 帰宅途中であった彼にとって、この状況は単なる寄り道に過ぎないのだ。現世の家に帰ることができるのなら、それに越したことはない。


「ふむ、そこまで言うならなんとかしてやろう。ただし、魔王を倒した後でな」


 彼の勢いに押された神は、渋々といった様子で言う。


「ありがとうございます。それでは早速参りましょう」

「気が早いやつじゃのぉ……」


 


        ◇




「ふむ、どうやら……着いたようですね」


 感慨もなく淡白に、寄道は言った。

 

 彼の目の前に広がるのは、ゲームや漫画でしかお目にかかれない中世ヨーロッパ風の街並みである。神による異世界転移は無事に成功したようだ。


 寄道が眼鏡を掛け直す。すると、


「――異世界へようこそ! ナオキさん!」

「おや、あなたは?」


 寄道の背後に、突如として一人の少女が現れる。

 真っ白な服に身を包んだ、小柄な金髪の少女だった。


 頭の上には金色の輪が、背中には白い羽根がついている。


「わたしは神様の使いのレミエルといいます! ナオキさんの異世界生活のお手伝いをするために派遣されてきました。よろしくお願いします!」


「なるほど、それは心強いですね。こちらこそよろしくお願いします」

 

 寄道は律儀に腰を折り、レミエルにお辞儀で返した。

 やけに礼儀正しい彼にレミエルが戸惑う中、


「それで、魔王とやらはどこに?」

「えっ、魔王ですか……? たぶん、方角としてはあちらに……」

「わかりました。では行きましょう。時間が惜しいので」


 そう言いながら、寄道はすでに歩き出していた。


「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! そんな丸腰じゃ……っ!」


「しかし神様は、私にならできると……」

 

「それはいずれの話です! 色々経験を積んでからでないと、魔王にはとても――」

 

 レミエルが寄道を連れ戻そうと飛んでいく。

 しかし、彼の足は意外にも早く止まることになる。



 道のど真ん中で、少女の悲鳴が響いたのだ。



「やめて! 離してください!!」

「あたしたちは、アンタらみたいなやつと組むつもりはないわ!!」


 二人のか弱い少女が、三人の男たちに囲まれている。

 

 見たところパーティへの勧誘のようだが、その雰囲気は決して健全とは言えないものであった。周囲の通行人がみな眉を顰めて通り過ぎていく。


 男たちは少女の細い腕をつかみ、無理やりにでも連れていこうとする。


「へへっ、ちょっとくらいいいじゃねぇかよ!」

「悪いことたァしねぇ! いいから来い!!」


 様子を見かねた寄道は、眉間に皺を寄せつつ眼鏡を押さえ、


「流れるようなテンプレ展開……なるほど、ここで私の【スキル】とやらがお披露目というわけですか。少々寄り道が過ぎますが……いいでしょう」


「さっきから呑み込み早すぎません……?」


 苦笑いするレミエルを横目に、寄道は歩き出した。

 少女たちにまとわりつく大男三人に、臆することなく進んでいく。

 

「もし、そこの貴方たち」

 

「ああ? なんだァテメェ!!」

 

喜多来きたく高校2年帰宅部、寄道直帰という者ですが」

 

「マジで誰だよ!!」

 

(そりゃあそうですよ……)


 レミエルは思わず苦笑を浮かべる。

 男たちが怪訝な目で寄道を睨むが、彼は屈しない。

 

「私が何者かは重要ではありません。今すぐその手を離しなさい」


 二メートル近くの背丈がある男たちを、寄道は見上げる。

 見知らぬ少年に諭された男たちだったが、無論それで素直に従うはずもなく。


「……なんだクソガキ、やんのか? あァ!?」


 男の一人が、寄道の胸ぐらをつかんで持ち上げる。


「こんなにもすぐ暴力に訴えるとは。低俗な精神ですね」

「ハッ、オレたち冒険者は腕っぷしがすべてなんだよ。――死ねぇ!!」


 寄道の顔面めがけて、男の拳が迫る。

 しかし彼は臆せず、男の股間を全力で蹴り上げた。


「ホォッ――!?」


 日々の帰宅で鍛え上げられた健脚が炸裂する。

 寄道はその隙に男たちから距離をとり、すっと息を吸う。


 そして、満を持して――



「――スキル、【帰還者の覇道リターナーズ・ロード】!」



 頭に浮かび上がったスキル名を、寄道は叫んだ。

 その刹那、三人の男と寄道の脳内に、次の情報が流れ込んでくる。




帰還者の覇道リターナーズ・ロード・適用効果〉


・スキル使用者が帰還者、帰還者の定めた者たちが追跡者となる。

・決められた《帰還地点》に帰還者は向かい、追跡者はそれを追う。

・制限時間は30秒。時間内に帰還者が《帰還地点》に到着した場合、追跡者は心臓麻痺を起こし、その場で死亡が確定する。

・追跡者に妨害されるなどして到着できなかった場合、帰還者はスキル終了後にしばらくの間、行動不能になる。




(――成程。理解しましたよ、神様)

 

 いち早く動き出したのは、やはり寄道だった。


 

帰還開始さようなら


 

 イメージするのは、帰りのHRの直後。

 教室を飛び出し、目的地まで最短距離で向かう自分――。

 

 寄道の新たな「帰宅」が、いま始まったのである。


「ちょ、ちょっとナオキさん!? 待ってくださいー!」


 レミエルがふよふよと浮遊しながら寄道を追う。

 情報の理解に苦しんでいた男たちは、はっとして顔を見合わせた。


「なあ、ひょっとしてこれオレたち……」

「ああ……あのガキを止めねぇと、死ぬ……!?」

 

「……ちくしょう、追うぞ!! 殺してでも止めろ!!」


 危機感に駆られた男たちも、遅れて駆け出した。

 大剣や弓矢を携えて、寄道を止めるべく追跡を開始する。


 しかし、生半可な覚悟では寄道を止めることなど不可能だった。


「クソ、なんだよあの動き! どこ走ってやがるッ!!」


 目の前が見慣れぬ塀であろうと、家であろうと。

 寄道は得意のパルクールで難なく飛び越え、足場として活用する。


 男たちの飛ばす矢にも身を捻って柔軟に対応し、追従を許さない。


 

 一度「帰る」と決めたならば、寄道直帰は止まらない。



(これはたしかに、私にぴったりのスキルだ……ッ!)


 風のごとく疾駆しながら、寄道は清々しく微笑んでいた。

 帰宅のスピードをひたすら極め続けていた彼にとって、これ以上に最高のスキルは他にないだろう。神の采配は間違っていなかったのだ。


 舞台ステージがたとえ異国の地であっても、彼の才能は留まるところを知らない。目的地を目指して、ただひた走る。


「――待てクソガキ!! ここから先は通さねぇッ!!」


 頭上から、大剣を担いだ大男が先回りして降ってくる。

 寄道の前に立ち塞がった彼は、剣を大きく振りかぶった。


「くたばれェ!!」


 その瞬間、寄道は迷わず跳んだ。


 跳躍しながら空中で一回転し、男の剣の刃に手のひらで触れ、腕全体で身体を押し出す。


 そしてそのまま、軽々と男を飛び越えていった。


「…………は?」


 呆気にとられた男が情けなく声を漏らす。

 その間も、寄道の進撃は留まるところを知らない。


 男たちの妨害を切り抜け、一本道を全力疾走する。

 そして目の前の一軒家――《帰還地点》に滑り込んだ。


 寄道は、その扉に手をかける。


 


「――帰還完了ただいま


 

 

 扉を開け放ち、彼はそう告げた。


「おや……おかえり」


 突如入ってきた見知らぬ少年に、家に住んでいた老婆は答えた。

 それと同時に、スキルが終了する。


 タイムは、18秒24――。


「ぐっ……クソ、が……っ」

 

 寄道の背後で、男たちが倒れ込んだ。

 彼はそこでふっと息をつく。

 

「失礼しました、ご婦人」

「ええ、またおいでねぇ」


 寄道はそっと扉を閉めた。

 

 一部始終を眺めていたレミエルも、目を丸くする。


「すごい……これなら、魔王も……」

「ええ。いける気がします」


 寄道は微笑を浮かべた。

 

 確証は無い。

 だが、二人の胸には確信があった。


「レミエルさん、参りましょう。魔王のもとへ」


 神様の言うとおり、彼と、このスキルならば。

 最短・最速を目指す彼の精神ならば。


 魔王を討ち果たすことも、できるのかもしれない。



 

「――あまりは、していられませんから」


 


 これは、史上最速で魔王討伐を目指す少年の物語だ。


 

 

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