第142話 下の名前

 七星と水城先輩の二人が涙を落ち着かせたことによって、俺たちは一度互いに抱きしめ合うのをやめると、七星が俺に聞いてきた。


「ねぇ、色人……これで私たち付き合えた、ってことで良いんだよね?」

「あぁ……どちらかを選ばずに二人ともというのは、二人にとっては不本意だったかもしれないが────」

「もう!相変わらずなんだから!今の今まで嬉し涙流しながら色人くんのこと抱きしめてたのに、私たちが不本意なんて思ってるわけないでしょ?」

「私も同じ意見です!もし私が選ばれてたとしても、その横で葵先輩が悲しさで涙流すようなことになってたら……多分、私素直に喜べなかったと思う……だから!色人が私たち二人を選んでくてれて、本当に嬉しいよ!」

「うんうん!これで、これからもずっと三人で楽しく過ごしていけるもんね!」

「はい!!」


 二人は楽しそうな表情で頷き合いながらそう話していた。

 二人の異性から告白されて、その二人と付き合うという返事。

 非難されることはあっても、喜ばれることは無く、最悪の場合最低だと評される可能性まで考えていたが……今まで俺が出会ったことが無いほど明るく眩しい二人のことを俺が推測するなんて、最初から無理な話だったようだ。


「そうだ!せっかくだから、私これからは二人に名前で呼んで欲しい!!」

「それ良いね〜!じゃあ、一羽ちゃん!」

「っ……!葵先輩にそう呼ばれるの、めっちゃ良いです!」

「あ、待って一羽ちゃん!これからは葵先輩じゃなくて、葵って呼んで!敬語とかも使わなくて良いから!」

「え!?い、良いんですか!?」

「もちろんだよ!私と一羽ちゃんの仲でしょ?」

「っ!わかりました!じゃなくて、わかった!えっと……葵」


 七星が照れた様子でありながらも嬉しそうな声色でそう言うと、水城先輩はそれに笑顔で返した。

 すると、水城先輩は続けて俺の方を向いて言う。


「はい!じゃあ、次は色人くんの番だね!」

「俺の番……?」

「うん!色人も、私たちのこと下の名前で呼んでみて!!」

「……わかった」


 二人にそう促された俺は、まずそのまま七星の方を向いて名前を呼ぶ。


「一羽」

「っ〜!」


 続けて、水城先輩の方を向いて名前を呼ぶ。


「葵先輩」

「っ……!!」


 二人は声になっていない声を上げると、頬を赤く染めながら話し始めた。


「色人くんに下の名前で呼ばれるの、強力っていうか……来るものがあるね、名前呼ばれただけでこんなにドキドキするんだ……」

「前恋人のフリした時とかに名前で呼ばれたことはあったけど、本当に恋人になった後で下の名前呼ばれると衝撃が全然違う……!」


 その後も二人は小さな声で何かを呟き続けていると、葵先輩が俺の方を向いて大きな声で言った。


「私たちが顔赤くしてるのに、色人くんだけ顔赤くなってないなんて生意気だね〜、これはちゃんと色人くんの顔も赤くさせてあげないと……ね!」


 そう言うと、葵先輩は俺の右腕を組んできて、自らに抱き寄せるようにした。


「っ……」


 今までは恋人じゃ無かったからとそこまで意識を向けていなかったが、恋人になった後でこういうことをされると────


「あ!私もそれしたい!!」


 俺が自らの心の変化を感じていると、大きな声でそういった一羽も俺と左腕を組んできて、自らに抱き寄せるようにしてきた。


「昨日も同じことして街回ってたはずなのに、今こうして色人と腕組んでると全然違う感じ……これ、ずっとしてたい……!」

「私も、こうしてると色人くんのことを感じられるから、ずっとこうしてたいな……色人くんは?何か心境の変化はある?」


 腕を組むという行為や、二人の女性として魅力的な体が俺の腕に当たっている感触……今までだったらそこまで大きく感情を動かされることはなかったはず……だが。

 俺は自らの顔が二人に見えないように俯けると、小さな声で言った。


「……頼むから、勘弁してくれ」

「もう、色人くんってば、恥ずかしがり屋さ────」


 そう言いながら首を傾けて俺の顔を覗き込んできた葵先輩は、目を見開いて大きな声で言った。


「あれ!?色人くんの顔、ちょっと赤くなってる!!」

「嘘!?」


 続けて、七星も俺の顔を覗き込んでくると、大きな声で言う。


「本当だ!え、色人可愛い!顔上げて見せて!!」

「断る」

「え〜?色人くん、減るものじゃ無いんだし、ちょっとぐらい良くない?」

「絶対に断る……」


 その後、俺はしばらくの間、どこか楽しそうな二人に腕を組まれ続けた。

 その中には恥ずかしさや照れといった感情もあったが、同時に二人とこんな風に過ごすことができていることを嬉しいと思う感情もあった。

 こんなにも様々な感情が入り混じることなんて、今まで一度も無かったから不思議な感覚だが────これが、このとても温かい感情が、好き……ということなんだろうな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る