第95話 どんなことでも

 カフェに入ると、俺がコーヒー、水城先輩が紅茶を注文して対面となっているソファ席の前までやって来た。

 俺がその片方に座ると、水城先輩は俺の対面────ではなく、水城先輩も俺と同じ方のソファ、つまり俺の隣に座ってきた。


「隣でも良いよね?」


 わざわざ隣に座る理由は無いが、逆に言えばわざわざ対面に座らないといけない理由も無いため、俺はそれに頷く。

 すると、水城先輩は俺の頼んだコーヒーに視線を送って言った。


「色人くん、コーヒー飲めるの?」

「はい、飲み過ぎないように注意はしてますけど、一週間に何度かは飲んでます」


 そう言ってから、俺は一度コーヒーに口を付ける。

 カフェで出されるコーヒーは、基本的に専用の機械を通して作られているため、ハズレというものが無く美味しい。


「そうなんだ〜」


 そんな軽いやり取りを終えた後、俺たちの間には少し沈黙が生まれ、その沈黙を破ったのは俺の隣に居る水城先輩の言葉だった。


「それで?色人くんはどうして浮かない顔をしてたの?」


 詳細を話すつもりは無いが、ここで何も答えないのは逆に水城先輩に失礼に当たると考えた俺は、俺が浮かない顔をしていたのだとしたらその理由として考えられる一端の原因について水城先輩に話すことにした。


「……俺に好意的に接してくれる人物に、ずっと隠していることがあって、それを伝えないといけないのはわかってるんですけど、それを伝えたら今まで俺が積み重ねてきたことによって、その人物のことを傷付けてしまうんです」


 七星に俺が偽りの存在として接していたことを七星に伝えれば、告白するほどまでに霧真人色という存在に好意を抱いてくれた七星は、きっと悲しむだろう。


「そっか〜……でも、それは色人くんが傷付くと思い込んでるだけで、実際は相手の子は傷付かないかもしれないよ?」

「それは……」


 そんなことはあり得ないと否定したいが、俺は今まで自らが相手の思考を理解できていると誤解して何度も失敗して来ているため、そんな偉そうなことを口走ることはできない。


「せっかくカフェに来たのにこんな話ばっかりしてても、気分落ち着かないよね……そうだ!私苦いのあんまり得意じゃないんだけど、色人くんのコーヒー飲んでみてもいい?」

「はい、どうぞ」


 そう言って俺が水城先輩にコーヒーを差し出すと、水城先輩は「ありがとう〜!」と言ってそのコーヒーの取っ手を持ち、数秒の間飲み口を見つめてからそのコーヒーを一口飲んだ。


「苦い……けど、甘いね」


 水城先輩は、どこか嬉しそうな表情でそう言う。


「苦いけど……甘い?」


 このコーヒーには甘味なんて一切無かったはずだが……俺がそんなことを思って水城先輩の言葉に困惑していると、水城先輩はそんな俺のことを見て頬を赤く染めながらどこか可愛げのある表情で小さく口角を上げた。

 ……なんだ?やっぱり、今までの水城先輩とどこかが違うような気がする。

 何か心境の変化でもあったのだろうか、と思っていると、水城先輩は俺のことを隣から抱きしめてきた。


「ごめんね、ちょっと、抑えられなくて……ねぇ、色人くん」

「はい」

「────お姉さんは、色人くんが辛い時はこうして優しく抱きしめてあげるし、色人くんがして欲しいっていうなら他のどんなことでもしてあげるからね」


 ……前にも似たようなことを言ってはいたが、言葉のニュアンスが少し変わっているし、何より────今の水城先輩は、言葉以上の何かが大きく変わっている。

 だが……どうして今の水城先輩に抱きしめられると、前以上にこんなにも温かく感じるんだろう。

 今の俺の気分が沈んでいるからなのか、それとも水城先輩の方に何かしらの変化が起きたからなのか……


「ありがとうございます、水城先輩」

「っ……!ううん、いいんだよ、色人くん……」


 何にしても、俺は少し気分が明るくなって、七星と向き合う勇気をもらえたような気がしたため、水城先輩にそう感謝を伝えた。

 すると、水城先輩は俺のことを抱きしめる力を強めた……その時間は、水城先輩と居る時間の中では今までに無いほど静かな時間だったが────とても心地良い時間だった。

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