第69話 私の知らない君が

「……もしかして、水城先輩がランニングマシンで限界まで走り終えた後に、俺にも限界まで俺に走っていいって言ったのはこれをするためなんですか?」

「トレーニング的に考えたら、限界まで走った方が良いかなって思ったのはあるけど、正直に言っちゃえばそうかな……あと、本当に疲れてる色人くんのことを見てみたいなって思って」

「疲れてる俺のことを見たいって……さっき言ってた通り新鮮だからですか?」

「……ううん、そうじゃないよ」


 そう言うと、水城先輩は手のひらを大きく使って俺に触れながら俺のことを優しく抱きしめて優しい声色で言った。


「君は、しんどかったり疲れてたりしても、我慢して見えにくいところがあるから、少なくとも今身体的には絶対に疲れてる君のことを、お姉さんが癒してあげたいなって思ったの」

「わかりそうでわからないですけど、水城先輩なりの優しさは感じます」

「私のこと優しいって言ってくれるんだ?君がそう言ってくれるのは嬉しいな〜」


 そう言って、どこかゆったりとした声でそう言った水城先輩に対して、俺は先ほどから思っていたことを口にした。


「でも、俺のことを癒してくれるって言うなら、俺のことを抱きしめるよりは俺の足に対して適切なことをしてもらえるとありがたいんですけど」

「もう!お姉さんからのハグだけで満足できないなんて、君は本当に君だね!」


 そう言いながらも、水城先輩は俺のことを抱きしめるのをやめると、俺の横にやってくると俺の足に触れると────とても優しい手つきで揉み解し始めてくれた。


「っ……」

「どう?色人くん、気持ちいい?」

「はい、効い……て、る感じ……が……っ、し、ます……」

「良かった〜、水泳って体全身の筋肉使うから、私体の部位一通りこういうことできるんだよね〜、自分でやってもそこまで気持ち良いって感じないから複雑だったけど、色人くんが喜んでくれるなら良かったかな」


 そう言うと、水城先輩は続けて俺の足を揉む。

 というか、本当にとても上手だ……流石にスポーツに特化しているというだけあって、こういう応用の部分では敵わない。


「……っ……」

「色人くん、変な声出したらダメだよ、色人くんがそんな声出しちゃったら、お姉さんが色人くんにえっちなことしてるみたいになっちゃうからね」

「努力は、して……るんで、すけど……っ」


 ダメだ、足の筋肉が本当にかなり限界に近いところまで追い込まれたということもあって、程良く足の筋肉を刺激されると反射的に声が出てしまう。

 そんな俺のことを見て、水城先輩は目を細めて嬉しそうに言った。


「君のそんな顔、初めて見たよ……普段だったら絶対に見れない、可愛い顔だね」


 そう言うと、水城先輩は俺の顔に片手を添えて、もう片方の手で俺の足を揉みながら言った。


「きっと、まだまだ私の知らない君が居るんだよね……水族館とか遊園地に行ってる時の君とか、家で映画とか読書をしてる時の君とか、将来できる君の彼女にしか見せない顔とか……」


 そう言った後────水城先輩は、両手を俺から離すと俺のことを正面から抱きしめて来た……その時、水城先輩は言葉を発さず、抱きしめられていて表情も見ることができなかったが、その行動には何かの強い思いが込められていることがその俺のことを抱きしめている腕の力や同時にその腕から感じる優しさ、そしてこれは言葉にすることが難しい感覚だが、目に見えない何かから感じ取れた。


「……」


 いつもだったら、水城先輩に抱きしめられたとしても何か口を挟んで水城先輩に抱きしめるのをやめるよう言っているところだと思うが、今はとてもそんなことを言う気分になれなかったため、俺はしばらくの間水城先輩から抱きしめられ続けた。

 そして、やがて水城先輩が俺から離れると、俺と水城先輩はジムを後にして軽く二人で昼食を取ってから解散した。

 ────この日、俺の中で、水城葵という存在が学校の先輩という存在から、別の何かへと変わり始めたような気がした。

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