第56話 捕まえた!

◇真霧side◇

 少しの間シャワールームの前で水城先輩のことを待っていると、シャワールームのドアが開いて水城先輩が姿を現した。


「お待たせ色人くん!私の身体、男の子には結構目の保養だったでしょ?これで色々と助けてもらった恩も結構返せたよね~」

「どうして俺が水城先輩のことを覗いてた前提なんですか」

「あはは、冗談だよ冗談!大体、結び目結んだだけでシャワーの時も水着は付けてたから、仮に君に覗かれてたとしても何の恩も返せてないんだよね~!だから────」


 水城先輩は俺に距離を縮めてくると、俺の耳元で囁くようにして甘い声で言った。


「いつか今まで色々と助けてもらったことに対してのお礼、するね」


 そう言われた俺だったが、俺は少し水城先輩から距離を取るように後退りながら返事をする。


「結構です、お礼が欲しくてしたわけじゃないので」

「え~?せっかくのお礼なのに受け取らなくて良いの?」

「はい、それよりも、もう作業員の人はこのプールから出て行ったので、早く更衣室でちゃんとした泳ぎの水着に着替えて来てください」

「ふ~ん?最初この誘いした時はどちらかと言えば面倒って感じだったのに、随分積極的になってくれたんだね~?もしかして、案外私と泳ぐのが楽しいって感じてくれてたりするのかな~?その辺どうなのかお姉さんに教えてよ~」


 確かに最初水城先輩から水泳練習の話を聞いたときは、水城先輩と水泳練習なんてどう考えたって俺にとってプラスな要素は無く、どちらかと言えば厄介ごとしか想定できなかったからこの日が楽しみというわけではなかった……そして、案の条厄介ごとは起きた────が。


「はい、正直水城先輩と泳ぐのがかなり楽しくて、自分でも最初この話を聞いた時の水泳練習に付き合うという認識が、水城先輩と泳ぎたいという認識に変わっていることを実感します」

「っ!?た、楽しい!?え、え?お姉さんの聞き間違いじゃないよね!?今君、楽しいって言ったの!?」

「言いましたけど」

「嘘……そう、なんだ……私と泳ぐの、楽しいんだ……」


 水城先輩はそう呟いた後、嬉しそうに口元を結んで口角を上げた。

 そして、俺の肩を二回タッチして明るい表情で言う。


「私も君と泳ぐの楽しいよ!今日はいっぱい泳ごうね!」

「よろしくお願いします」


 その後、水城先輩しっかりとした競泳用の水着に着替えると、俺と水城先輩は時間を忘れて泳ぎ続けた────


「もう11時なんだ〜!かなり泳いだね~!移動時間とか着替えとか含めて私たちが泳ぎ始めた時間を考えても、私たち少なくとも3時間は全力で泳いだんだ~」

「その3時間の間でも、結局一度も同着かどうかの決定的な判断が付くような大差で泳ぎ切ることはできませんでしたね」

「うん、本当君には驚かされるよ~、少なくとも高校生で私と同じぐらい早い人なんて今までの人生で見たこと無かったからね~」

「でも、あと2時間泳いだたら俺が負けると思います……普段ジムでトレーニングはしてますが、水泳ではジムでは使わない筋肉や筋肉の使い方をたくさん行うので」


 それに、俺はこの3時間の間で何度か水城先輩からこうした方が体力を使わないで済むというようなアドバイスも受けていた……認めたくないことではあるが、やはり水城先輩にはそれだけ水泳において積み上げてきたものがあり、それが俺との決定的な差だ。

 それは一朝一夕で手に入れられるようなものでは無いため、そのことは素直に受け入れないといけない。


「普段から水泳やってるわけじゃないのに5時間全力で泳げるだけですごいよ、それにしても……君、ジム行ってるんだ?」

「行ってます」

「だからそんなすごい身体してるんだ……ねぇ、色人くん」

「なんですか?」


 俺がそう聞き返すと、水城先輩はどこか恥ずかしそうにしながら言った。


「私ね?今までプールがメインで一応ジムも付いてるみたいなところのジムなら何度も行ったことあるんだけど、本格的なジムって実はまだハードル高くて行けてなくて……だから、良かったら今度はお姉さんのジムトレーニングに付き合ってくれないかな?器具の使い方とか、色々教えて欲しいな~って思って」

「良いですよ」

「……え?そんなあっさり、良いの?」

「はい、別に断る理由は無い────」


 断る理由は、無い?

 ……変だな、今までだったら水城先輩から誘われたら基本的には拒否するような心構えだったのに、そんな言葉が咄嗟に口から出るなんて。

 だが……本当のことのため、俺は改めて言う。


「別に断る理由が無いので、良いですよ」

「っ!ありがとう色人くん!そんな優しい君にはお姉さんからのハグを────」


 水城先輩が俺のことを抱きしめようとしてきたため、俺はプールの水に飛び込んでそれを回避した……すると、水城先輩が言った。


「へぇ、水の中でお姉さんから逃げられると思ってるの?」

「────っ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はすぐに泳ぎ始めて水城先輩から距離を取ることにした……その直後、水城先輩もプールの水に飛び込んできて泳ぎ始めると俺のことを追いかけてきた。

 水城先輩から逃れるためには、男子更衣室がある方のプールサイドに上がって男子更衣室に入らないといけないが、水城先輩の速度を考えればプールサイドに上がってる間に捕まえられてしまうため、ある程度距離を引き離さないといけない。

 幸いにも俺の方がプールの水に飛び込んだのが早く、俺たちの泳ぎの速度は少なくとも現段階ではそこまで大差は無いはずのためまだ望みはある────と思った俺は、このまま直線で行ってもプールサイドに登れる時間が生まれる可能性は低かったため、一か八か貸し切りのプールだからこそできる斜め方向に向いて直進することにした。


「っ……!」


 ────が、その俺の軽率な判断によって、コースロープによる純粋な泳ぎにくさや、見えている景色の感覚の違いから俺の泳ぐ速度が確実に低下した。

 だが、それは水城先輩も同じはず────と思ったのも束の間。

 俺は、後ろから俺のことを追ってきている水城先輩の速度がほとんど変わっていないことに驚くと────後ろから水城先輩に抱きしめられた。


「捕まえた!」


 そして、水城先輩は俺のことを抱きしめる力を強めて言う。


「あのまま直線だったら逃げ切れた可能性もあるのに、プール全体を使うなら君がお姉さんに勝てるわけないよ~」

「そうですね……俺の判断ミスでした」


 あの状況ならプールサイドに登れる可能性が低くとも、下手なことをせずに直進で勝負をすべきだっただろう。


「反省できてえらいね~!じゃあ、しばらくはお姉さんに抱きしめられるの受け入れようね~!」


 ……俺はここでの敗北を身と心に刻むために、しばらくの間何も抵抗せずにとても楽しそうな表情をしている水城先輩に抱きしめられ続けることを受け入れた。

 ……水城先輩の俺への抱きしめ方が、以前の自らの体を押し当てるというものに加えて、腕や手を広く使って俺に触れているというような感じがしたが、そもそも水城先輩に抱きしめられた回数が少ないため、これはおそらく俺の勘違いで、特に気にするようなことではないのだろう。

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