第35話 誰に
「────もうそろそろ着くよ!」
「わかった」
七星のモデル撮影打ち上げ会場が近づいて来たらしく、もうすっかり俺の恋人として振る舞っている七星が元気な声でそう言うと、続けて今度は少し照れた様子で頬を赤く染めながら言った。
「人色、その……改めてなんだけど、待ち合わせの時は変な感じのテンションになっちゃってごめんね?」
「ここに来るまでにもう何度も謝られたから気にしていない」
俺が服を褒めて七星が様々な挙動を取って落ち着いたときにそのことを謝られ、さらにここに来るまでの道中でも何度か謝られており、さらにそう何度も謝られることのほどでも無かったため、俺は本当に気にしていない。
「人色が気にしてないのはわかってるんだけど、ちょっと恥ずかしくて……でも、人色が服褒めてくれたの本当に嬉しかった」
「そんなに嬉しいものなんだな」
「うん!」
「……俺にはわからない感覚だな」
例えば誰かに服を褒められたとしても、その人が俺の服を良いと思っただけであって、主観としての一意見。
「一意見に対して、俺はきっとそこまで嬉しいと感じることはできないな……最も、多数の意見が寄せられたとしてもそこまで嬉しいと感じることができるかどうかは疑問だが」
「もう!人色ってば、全然わかってない」
「わかってない……?」
七星にそう言われた俺が、その言葉で聞き返すと、七星は小走りで俺の前に出た。
それに合わせて俺が立ち止まると、七星は俺の方へ振り向いてキラキラした目で俺のことを見ながら言った。
「私は他の誰でもなく、人色が私の服を褒めてくれたから嬉しかったんだよ」
そう言った後で、七星は続けて言った。
「正直ね、モデルっていう職業柄、服を褒められたことは数えきれないほどあるよ……それが一人だったとしても、大勢の人たちだったとしても」
七星がどの程度名の売れたモデルなのか、俺はまだ詳しくは知らないため一概には言えないが、少なくとも都会の真ん中にあるビルのスタジオを使えるぐらいにはモデルとして名が売れているのであれば、確かに服を褒められるなんていうことは比喩でもなんでもなく文字通り日常茶飯事だろう。
「でもね……私は他のどんな人たちよりも、人色に服を褒めてもらえたことが嬉しかったの!だから、一意見とか、数とかじゃなくて、一番重要なのは誰に褒めてもらえるかってこと!それだけで、こんなにも嬉しい気持ちでいっぱいになるんだから!」
そう言って、七星は俺に明るい笑顔を見せた。
この明るい笑顔は、本当に何度見ても魅力的なものだ。
霧真人色という偽りの存在で、こんなにも明るい笑顔を見せる七星の近くに居ても良いのか……そして、もしも七星がこの霧真人色という人物の全てが偽りだと知ってしまったら、どう思うのか。
もはや、霧真人色という存在の正体が真霧色人だということは、俺の平凡な日常のためだけでなく、七星のためにもバレてはいけない。
バレてしまえば、こんなにも明るい笑顔を見せる七星のことを、存在ごと嘘を吐いて接していた俺は悲しませてしまうことになる。
「……」
七星のことを、悲しませてしまうことになる……?
……前は、七星が悲しもうと悲しまないと関係無く、自らの正体がバレないことにだけ重きを置いていたはずだ。
それが、いつの間にか七星のことを悲しませたく無いという意志が、俺の中に芽生えているのか?
俺がそんな自問をしていると、七星が慌てた様子で言った。
「あ!ごめん人色!こんなこと話してたら、急いで行かないと打ち上げ開始に間に合わない時間になっちゃった!」
七星のモデル撮影の打ち上げなのに、その当の七星が居ない状態で始まるのは寂しくなってしまいそうだな。
「気にしなくていい、そういうことなら急いで行こう」
打ち上げを寂しいものにしないためにも一度自問するのをやめて、七星と一緒に打ち上げ会場へと向かった────その数分後。
「ここ!なんとか間に合ったね!」
「……」
七星がそう言って足を止めたのは────いかにも著名人や業界人がパーティーをしそうな綺麗な建物の前だった。
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