第31話 後悔

◇七星side◇

「特高の人ってだけあって、あの男の人も本当に速かったな〜」


 歓声が繰り広げられる中そう呟いた七星は、続けて思う。


「────もし人色さんが今私の横に居たら、どんなこと言うんだろう……なんて、きっと『速いな』とか私が何か言っても『そうだな』とかしか言ってくれないだろうけど……」


 先ほどまでこんな考えは一切過らなかったが、今になって突然こんなことが過ぎるようになった。


「真霧が居なくなったから、かな……やっぱり、誰かと居ないとずっと人色さんのことばっかり考えちゃう……」


 そう呟いた後、頬を赤く染め首を横に振って言った。


「そうだ!これから休憩時間もしばらくあるだろうし、二連続で一位獲れたこと祝いにあの真霧の知り合いの人の選手控え室にお祝い言いに行こ〜!」


 七星は、一人で居ると霧真のことばかり考えてしまう自分のことを誤魔化すように、観客席を後にした。



◇真霧side◇

 プールと選手控え室を繋ぐ廊下へやって来た俺は、水泳帽とゴーグルを外し、前髪が鬱陶しいので濡れた髪をかき上げた。

 すると、物陰に隠れていたらしい水城先輩が俺の前に現れて言った。


「見てたよ、君の泳ぎ」


 そう言って俺の前へ近づいて来たところで────


「……え?」


 水城先輩は、困惑……というよりも、驚愕に近い声を上げた。


「どうかしましたか?」

「……君、前髪上げるとそんな顔してたんだね」


 なるほど、そういえばいつもは前髪が下ろされているから、水城先輩にこの状態、言うなれば霧真人色の時の状態の俺を見られるのは初めてか。

 だが、水城先輩はそもそも霧真人色という存在を知らないため、今はただ真霧色人が髪を上げているというだけの認識のはずだ……よって、何の問題も無いだろう。


「そうですけど、それが?」


 俺がそう聞き返すと、水城先輩は少しだけ俺の顔を眺めてから少し間を空けて小さな声で呟く。


「私、今までどれだけ整った顔立ちしてる男の子だったとしても、特段何か思ったりしたこと無かったのに……君だから、こんな風に思っちゃう、のかな」

「すみません、聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」


 俺には聞こえないほど小さな声だったため俺がそう促すと、水城先輩は頬を赤く染めて両手で手を振って言った。


「う、ううん!なんでもないよ!それより、さっきも言ったけど君の泳ぎ見てたよ?お姉さん感激しちゃった、君やっぱりスポーツで特高に入ったんでしょ?ていうか、あんなに速いんだからもしかして水泳で入ったんじゃないの?」

「違いますよ、俺はただ全力で泳いだだけです」

「水泳部でもない君が全力で泳いだだけで、水泳で特高に選ばれた私よりタイム速く泳がれちゃったなんて悲しいな〜」


 確かに、先ほどのタイムだけで見れば第一試合で水城先輩が出したタイムよりも速かっただろう……だが。


「背泳ぎで平泳ぎの水城先輩、それも負傷してる水城先輩に俺が全力を出して負ける訳にはいきません」

「……優しい言葉だね、私の選手としてのプライドを傷付けないようにしてくれてるの?」

「俺がそんな気の利く人間だと思うんですか?」


 俺はここで茶化されるかと思ったが────水城先輩は、そんな俺の予想とは真反対に真剣な声音で言った。


「思うよ」

「……」


 俺が、気の利く人間……?


「……すみません、そろそろ着替えたいので」


 俺はあることを思い出し、少し気分が悪くなったので、そう言ってこの場を立ち去ろうとした────その時、水城先輩が言った。


「待って、色人くん……お姉さんから、お願いしたいことがあるんだけど良いかな?」

「……なんですか?」


 足を止めてそう聞くと、水城先輩が言った。


「また、本場の夏になったら、今回の男女混合で行われる高校戦じゃなくて、高校生の個人で行われる本格的に大きな大会があるの……それに向けて、この夏はたくさん練習したいから、暇があったら練習に付き合ってくれないかな?」


 ……今は少しさっきの話のせいで気分が悪くなってしまっているが、俺は水城先輩の水泳に打ち込む姿勢は嫌いじゃない。


「考えておきます」

「うん、ありがと」


 それだけ言うと、俺はこの場を去────


「じゃあ、最後に!一位を獲れたご褒美に、お姉さんからのハグをプレゼントしてあげる〜!」


 そんな声と共に、水城先輩が俺のことを後ろから抱きしめてこようとしたため、俺は咄嗟にそれを回避した。


「ちょっと!どうしてお姉さんからのハグ避けちゃうの!?」

「では、今度こそ失礼します」


 俺は完全にその問いを無視してそれだけ言い残すと、今度こそこの場を去って選手控え室の方へと足を進めた。


「あ!行っちゃった〜……辛そうな顔をしてた君のことを抱きしめてあげたら、少しはその辛さも紛れるかなって思ったけど……どうして君は、さっきあんなに辛そうな顔をしたの?……今日君が私のことを助けてくれたみたいに、私も、君のことを────」


 その後、俺はさっき水城先輩に言われたことについて、選手控え室へと続く廊下を歩きながら少し考え事をしていた。


「俺が、気の利く人間……」


 が、今考えても思考が堂々巡りになってしまいそうだったため、ひとまず家に帰るまでは余計なことを考えないようにした。

 そして、選手控え室が近づいて来たところで────俺からは死角となる曲がり角から、足音が聞こえてきた。

 あっちの方向は、この選手控え室に来るために通らないといけない通路がある方向だ……水城先輩が呼んだであろう水泳部員か、それとも警備員とかだろうか。

 まぁ、俺にとってはどちらでも良いことだ。

 俺が選手控え室の方へ向けて再度歩いていると、後ろから小走りの足音が聞こえてくる。


「えっと、確か、この辺りって言ってたよね」


 ────後ろから聞こえてきた声に、俺は聞き覚えがあった。

 この声は、七星の声だ。

 どうして七星がここに居るんだ?

 そんな疑問を持ち、俺は咄嗟に七星の方へ振り返った────が、俺はその動作を取った瞬間に、そのことをとても後悔した。

 今俺は髪をかき上げている、つまり七星にとって今の俺は────そんな後悔をした頃にはもうその動作を止めることはできず、俺は七星と顔を合わせてしまった。

 そして、七星は困惑した表情で言った。


「────え?人色、さん……?」

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