第29話 お願い

 そう聞いた俺に対して、水色髪の女性は俺から距離を取って普段通りの声音で言う。


「もう〜!君がそんなに心配性だったなんて、ちょっと意外だね〜!」

「じゃあ、負傷はしてないってことですか?」

「うん!でも、さっきは確かにいつもと比べたら本調子じゃなかったよ、大会で緊張しちゃってるのかも!いやぁ、お姉さんの緊張してるところなんて見られちゃって恥ずかしい〜」


 ……次の種目は背泳ぎ。

 背泳ぎは足というよりは太ももをメインに動かす種目だが、それでも足を使うため足首に負担はかかる。

 そして何より、その次の種目のバタフライ。

 バタフライではスタート時に両足を使う、ドルフィンキックと呼ばれるものが必要になる。

 あれは、とてもじゃないが足首が負傷している状態でできるようなものではない。


「……この部屋に来るまでに不思議に思いましたけど、他の部員は居ないんですか?」

「水泳部の子は他にも居るけど、特高に水泳の技術が認められて入った子は数人しか居なくて、その数人の中で私が飛び抜けて速いから私だけが参加することになってるんだよね」

「その人たちは、この大会を観に来てるんですか?」

「うん、観に来てると思うよ」

「だったら、今すぐにでも連絡して代わりに泳いでもらうべきです」

「本当意外だね〜、私は大丈夫って言ってるのに、君ってそんなに世話焼き────」


 もし制限時間の無い状態であれば、この水色髪の女性────水城先輩の芝居に付き合っても良かったが、あいにくこうしている間にも次の種目までの時間は刻一刻と迫ってきているため、俺は少し強引に話を進めるために、再度水城先輩との距離を縮めて左足首を軽く握った。


「いっ……!」


 すると、水城先輩は苦痛の声を上げた。

 そして、少し間を空けてから水城先輩は言う。


「実は、ちょっと……気合い入れて練習し過ぎちゃって、足に変な負荷がかかってたみたいなんだよね」


 それだけ水泳に懸ける思いは本物、ということか……だが。


「でも、このぐらい────」

「こんなに軽く握っただけで痛い状態であと三種目出て、仮に優勝できたとしてもそのあとで大きな反動が来ますよ」

「そんなこと、君に言われなくたって……でも────」

「水城先輩、選手としてのプライドがあるのはわかりますけど、それと同じぐらいに選手生命は大事にすべきだと思います……水城先輩はまだ高校二年生、あと一年以上は特待別世高校の水泳部に居ることになるんですから、時にはプライドを捨てる覚悟も必要です」

「っ……!」


 俺が初めて水城先輩の名前を呼んで伝えたいことを伝えると、水城先輩は少し驚いた様子だった。

 そして、少し間を空けてから言う。


「……でも、今からみんなをここに呼んでも、移動時間と着替えを含めたら次の種目には間に合わな────」


 そう言いかけた時、水城先輩は俺のことを見て少しの間固まった。

 そして、小さな声で呟く。


「プライドを捨てる、覚悟……」


 そして、少しの間固まったあと、俺に向けて言った。


「ねぇ、水泳部じゃない君にこんなこと言うのは本当に恥ずかしいんだけどさ……次の種目、私の代わりに出てくれないかな?」


 ────え?


「ど……どうして今の流れで、俺が出ることになるんですか?」

「どうしてって、君が言ってくれたんでしょ?プライドを捨てる覚悟が必要だって……水泳部員じゃ無い君に、本当はこんなことお願いしたく無いけど、水泳部のみんなを今から呼んでも次の種目には間に合わないの……だから、だからお願い!次の種目だけ私の代わりに出て!!」


 水城先輩は、真っ直ぐな目で俺のことを見てきて言った。

 あの水城先輩がここまで真剣にお願いをしてくるというだけで、どれだけ水泳に熱い思いを抱いているのかはわかる……わかるが、俺はそういったものを引き受ける性格では────


「……」


 なんて、こんなにも真剣な顔でお願いされたら、断れるものも断れないな。

 俺は、少しの沈黙の後頷きながら言った。


「わかりました、次の種目だけ俺が出ます」

「本当に!?」


 俺がそう伝えると、水城先輩は俺の右手を両手で握って言った。


「ありがとう!この恩は、何かの形で必ず返すね!」

「いや、返してくれなくて良────」

「あ!もちろん君が何位獲っても怒ったりしないから安心してね!ただ全力で泳いでくれれば良いから!」

「全力……」


 ────全力か。


「……一応聞いておきますけど、男性用のスクール水着と水泳帽、あとゴーグルはありますか?」

「あるよ!はい!」


 そう言うと、水城先輩はこの部屋の中にあるロッカーからそれらのものを一式俺に渡してくれた。


「じゃあ、そろそろ着替えないと間に合わないだろうから私は部屋出てよっかな……それとも、君の着替え見てても良い?」

「ダメに決まってるじゃ無いですか」

「だよね〜!じゃあ、今度のお礼で私の着替え見せてあげる!」

「結構です」

「お姉さんの生着替え見られるのに断るなんて、君本当に変わってるよね〜」


 そう言ってこの部屋のドアノブに手を掛けて、水城先輩は言った。


「頑張ってね、私……同じ学校だからとかじゃなくて、君のこと、個人として応援してるから」


 それだけ言い残すと、水城先輩はこの部屋を後にした。


「……ここまでお膳立てをされて半端な結果を取るわけにはいかないな」


 それに────水泳帽にゴーグル、これがあれば俺の正体がバレることはない。


「ただ大会を観るだけの予定だったのに、こんなことになるなんてな」


 そんなことを呟きながらも、俺は男性用スクール水着に着替え、水泳帽を被るとゴーグルを付けた。

 そして、軽くストレッチをすると開始数分前になったため、俺は選手控え室を後にして大会の行われるプールへと向かった。

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