シャボン玉

我々が普通に歌う童謡には、意外にも怖いものも存在するのをご存知だろうか。

今回はそれに関して、まとめてみようと思う。



シャボン玉というのをご存知だろうか。

その1部の歌詞を記す。


─シャボン玉飛んだ。屋根までとんだ。


というやつである。


普通に何も知らないでこの曲を聞くと小さい子かだれかわからないが、お外で晴れた日にシャボン玉を吹いて飛ばして遊んでるという情景が浮かぶであろう。

もしくは家族と旅行先とかで車の窓を開け、その開いたところからシャボン玉を吹き飛ばすか。

はたまた、出かけたところで飛んでいるところを見ただけかもしれない。

人によって解釈は違うし、どう思おうが個人の自由とやらになるだろう。

私の解釈は、小さい子が外で吹いてキャッキャとしながら遊んだのだろうと言う解釈だ。

物心着いた頃にはこの曲を聞いていたので、そういう解釈なのかもしれない。

自分のことが分からないとなると少し不安ではあるが致し方ないだろう。

子どもの頃はもうちょっと簡単に解釈していたけれど。多分。いや知らん。子供の頃の解釈と今の私の解釈は似て非なるものになるだろうから。



話を戻すと、この曲は実は死んでしまった子どもの命をシャボン玉に例えて歌ったものだという説があるのをご存知だろうか。

人に限らず、生き物というのはいずれ必ずどんなことがあろうと死という不変の事実を目の当たりにする。

この世に生を受けたなら、死を迎えるものだ。遅かれ早かれ。

どのような死に方をしてしまったか私には分からない。



だが、命というものは私たちが吹いて飛ばすシャボン玉のように儚く、そして輝くものなのだ。

ましてや子どもは未来というものがある。

かと言って大人に未来がないのかと聞かれればその答えはNOである。

自身の未来は自身が決めるものだ。

決める前に死んでしまうこともあるが。

我々が今日、生きていられるのは奇跡の他ないのである。

たくさんの奇跡が積み重なり、たくさんの人との縁が繋がり、今我々は生きている。



私は思う。

たまにはゆっくり息抜きにシャボン玉を吹いて思いを込めるというのも、誰かのためのもしくは自分のためになるやもしれない。

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