【短編】銀の唄鳥【ファンタジー/シリアス】

桜野うさ

銀の唄鳥

 その国は銀の国と呼ばれていた。

 緑澄み渡る草原。気高い山には無色の水が滾々こんこんと湧き、活気に色づく町へと流れる。豊富な水を啄む水鳥は、この国の異名と同じく白銀の色をしていた。

 この国は私の自慢だ。


「おはようございます、麗しの姫君」


 いつもの様に剣の素振りを行っていると、いつもと同じく銀の衣を纏った男が声をかけてきた。私より五つか六つほど年上だと予測しているが、実の所この男は年齢不詳であった。


「吟遊詩人か」


 ぶっきらぼうに言葉を発すると、男は口元に苦笑いを浮かべた。


「そろそろ名前を覚えていただきたいものですね」


 街の娘らが甘く柔らかだと噂する声を歌わせながら、男は手に持った銀のハープを一つ爪弾いた。その音は美しい筈であるのに、心に苦く感じる。


「貴様こそその呼び方は何とかならんか」


 手にした剣を下ろしながら、私は不機嫌な声色で言う。


「貴いお方である貴女様のお名前を、私の様な卑しいものが軽々しく口にするなど恐れ多い」


 吟遊詩人の男は、いやらしいくらい恭しく頭こうべを垂れた。その仕草があまりにもわざとらしく、癇に障る。


「姫と呼ぶのは構わん。だが、要らぬ飾りを付けるな」


 無骨な鎧で身を包み、戦場を駆ける私を麗しいと称するのはこの男くらいだった。吟遊詩人は柔らかく微笑んだ。


「私は旅の途中で様々な国の姫君を拝見してまいりました。心より美しいと思ったのは貴女だけですよ、麗しの姫君」


 この様な軽口で何人もの女を手に入れてきたのだろう。侮蔑を込め、鼻を鳴らす。大目に見ても賞賛される様な顔立ちはしていないことなど、私自身が一番良く知っている。


「世辞ではありません。他の姫がする様に、身を飾ることに労力を注がれれば良いのに」

「身を飾る暇があれば、政治のやり方を覚えるのにあてがうさ」


 吟遊詩人はやや呆れた様な顔をした。

 右手に刺繍針を、左手に絹を持つ代わり、剣と盾を持つことを選んだとき、私は女であることを捨てた。


「その様に努力されましても、王位を継ぐのは弟君でしょう」


 吟遊詩人の言う通り、私に王位を継ぐ事は出来ない。この国は代々から直系の男児が王位を継ぐ決まりがあった。どんなに努力を重ねようと、能力を磨こうと、王になることが私には出来なかった。女を捨てたとは言え、未だその性に縛られているのも確かだ。


 年の離れた弟は、まだ十にも満たない。だが、父である現王が病に伏せたため、いつ王位を継承しなければならなくなってもおかしくはない立場にいた。だからこそ私がこの国を守らねばならない。


「私が王位を継ぐかどうか、その様なことは問題ではない」


 私は、銀の衣の男をしかと見据え言った。


「私は愛するこの国のために労力を注ぐまでだ」


 男は納得したように、ゆっくりと瞳を閉じると、口元に笑みを浮かべた。


「なるほど、確かに貴女の愛するこの国は美しい。貴女と同じく、私が今まで見てきた中で一等美しいです」


 言い切って少し間を置き、男はそれを訂正した。


「……いえ、やはり一番は故郷ですね」


 この男と初めて会ってから、もう二十日近く経つ。こいつは初めて会った時からずっと、この場所で、私に会いに来続けた。しかし、この男が自分の故郷の話をするのはこれが初めてだった。


「貴様の故郷はどの様なところだ?」


 興味が湧き、思わずそう問うた。


「小さな国です。この国と違い、豊かでもない」


 吟遊詩人は、瞳を宙に浮かせ言った。懐かしい、過去の光景に思いを馳せているようだった。


「唯一自慢できることは、音楽くらいですね」

「音楽?」

「ええ、その国は音楽に愛されていました。民も皆音楽を愛していました」


 そこで男は一呼吸を置いた。


「町では様々な楽器が売られ、沢山の音楽家たちが国に来ました。勿論、その国からも沢山音楽家が生まれました」


 私は、男の話に耳を傾けながら、男の故郷を思い浮かべてみた。

 活気付く町並み。そこここで音が行き交っている。どれもこれも美しい音色ばかり。皆が楽しげに歌い、音楽を奏でている。素敵な国だ。だが、私はそれを上手く想像できなかった。見てもいないものを頭に具現化するのはなかなかに難しい作業だ。


「王族も皆、立派な音楽家でした。その国を継ぐものは、楽器の一つを操れなければ王として認められなかったのです」


 男は静かな声で続けた。歌うような、明瞭で耳に心地よい声で。


「姫は……」


 私は、無意識にそう発していた。


「その国の姫はどの様な者であった?」


 くすり、と吟遊詩人は笑った。可笑しな質問をしたなと恥じ入る。


「その国に姫はおりませんでした。王子が一人居ただけです」

「一人、か。王族なのに随分と子が少ないな」


 私には、王位を継ぐであろう弟の他にも妹が三人いた。妹はどれも母親が違っていたが。


「ええ。本当に小さな国でしたし、王はお飾りでしたから。後を継ぐものがいなくなればそれはそれで構わなかったのですよ。かといって王族は民から愛されていなかったわけではありません。ただ、皆が平等でした」

「実に自由な……国であるな」


 それはある種理想郷と言えたかもしれない。


「本当に自由な国です。そんな国で生まれたため、私は吟遊詩人の様な気ままな生活を好むのかもしれません」


 また、男は柔らかく微笑んだ。緩やかに吹いた風に、男のゆったりとした銀の衣が靡なびく。まるで鳥が羽根をはためかせている様だ、と称するのはいささか陳腐すぎるだろうか。


「一度くらい行ってみたいものだな、お前の故郷とやらに」


 最も、姫と言う立場である私が軽率に行けるはずがないとは知っているが。


「もう、ございませんよ」


 声色を先ほどからと全く変えず、男は言った。


「私の国は武器を持ちませんでした。完全に平和主義の国です。大きな国に呑み込まれてしまうのも、仕方の無い事でした」

「……そう、か」


 私は不明瞭な声で、それだけしか言う事が出来なかった。

 今、世は平和ではない。小さな国が滅びることなど珍しい話ではなかった。私と吟遊詩人が会話をしている今この時でさえ、小さな国がいくつも消えていることだろう。


「暗い話ばかりで申し訳ありません。お詫びに何か一曲演奏いたしましょうか?」


 暫くの沈黙の後、男は軽やかに言った。


「いや、曲はいい」

「おや、音楽はお嫌いですか? 麗しの姫君」

「音楽は好きでも嫌いでもない。だが、今は気分がのらぬ」

「そうですか」


 残念です、と、男はまたハープを爪弾いた。

 空気を振るわせ鳴るその音は、けして不快ではないはずなのに、また、苦く感じた。何故だか胸を締め付けられるような、そんな幻覚に囚われる。


「いつか、貴女に私の音楽を聴いてもらいたいものです」


 微笑む男にそっけなく、いつかな、とだけ返した。


「今宵、町で演奏会を開きます。宜しければ来て下さい」


 私はこの男の奏でる音楽を一度として聴いた事は無かった。



※※※



「姉上様」


 少年特有の透き通るような高い声が城内に響いた。


「あまり大きな声を立てるな、はしたない」


 私がそう諭すと、弟はしゅんとうな垂れた。


「すみません、姉上」


 まだ子どもであっても、王族は王族である。いつでも威厳に満ちていなくてはならない。

 弟は四人の姉の内、私に一等懐いてくれていた。私だけが同じ母親を持つためか、私が一番年上であるためか。


「姉上は、またあの吟遊詩人殿と会っていたのですか?」

「奴が勝手に会いに来たまでの話」


 弟は、あの失礼な吟遊詩人が気に入っているらしい。私にいつもあの吟遊詩人の話をねだり、それどころか町へ忍びであの男の演奏を聞きに行ったこともあるそうだった。弟の乳母から聞いた話だ。


「姉上もあの方の演奏をお聴きになれば私の気持ちがわかります」


 弟はにこやかにそう言うのだった。


「そう言えば今宵もあのお方の演奏会があるそうです」


 どこでその様な噂を、と問いただすと、言いづらそうに弟は、町で、と答えた。


「立場をわきまえろ。お前はもうすぐこの国を継ぐ身なのだ。その様に危険なことを……」

「民の声を身近に感じろと仰ったのは姉上です」


 思わず声を出して笑いそうになった。満足に満ちた笑いだ。私の弟はとても賢い。きっと良い王になってくれるだろう。


「今宵の演奏も聴きに参りたいと思います。宜しいですか?」

「いちいち私に了承を得なくて良い。今のは聞かなかったことにしておいてやるから、好きにするが良い。ただ、供は必ずつけろ」


 私がそう言うと、弟は顔を朱に染めた。


「姉上も……ご一緒に」


 はにかみながら弟は言った。


「姉上にもお聴かせしたいのです。……宜しいですか?」


 王族は自分に厳しくあるべきだと思っている。そして他人にも厳しくあれと。

 けして他人に優しくするなと思っているわけではない。ただ、甘さはあまり必要のないものと感じている。その様な考えにおいては、私は王族には少しばかり相応しくないやもしれぬ。どうも私はこの年の離れた弟には甘くなってしまうからだ。


「……仕方ない、少しだけだぞ」


 私が言うと、弟は赤くした顔をさらに紅潮された。

 弟とこの様に接することができるのもあと僅かだろう。弟が王になれば、容易く口を聞くことなど叶わなくなるはずだ。だからせめて、弟に姉との思い出を作ってやりたい。そう考え、私は自分の甘さを正当化した。


 吟遊詩人に対し、音楽は好きでも嫌いでもないと私は言った。だが本当のところ、音楽は嫌いだった。というより、苦手だ。もっと言えば、体が受け付けない。ある時期を境にそうなってしまった。


「こちらです、姉上」


 軽やかな足取りで弟は人垣を渡る。持っている物の中で一番地味で飾りの少ない物を選んだとは言え、不慣れなドレスで走るのは容易いことではない。連れて来た供はあたふたとしてしまっている。


 わが国の生活水準はそこそこ上の方にある。先ほどからすれ違う平民の女の中に、今私が着ている物よりも立派なドレスを羽織っている者を多く見かけた。町の中で、飢えて死にそうな子どもとすれ違った回数は皆無。実際に民に触れると、国の常態がわかって良い。


 空気が振るえる音がした。あの男のハープの音色だ。

 身震いがする。

 いつも私に語りかける声よりも高い、男の歌声が聞こえる。


 頭がぼんやりとした。

 耳が音で震える。だが、もう音は私の耳には入っては来なかった。


 目の前にあった人垣は消えた。


 代わりに私の耳に聞こえてきたのは剣の触れ合う音。


 私の音楽。


 銀の音色だ。


 目の前には、ハープを携えた少年が立っていた。年は弟よりもまだずっと幼い。短い指で器用にハープを奏でた。その姿を見て、自分自身が悲しくなった。

 銀の唄を歌う私の楽器は、彼の楽器の様に人を感動させることなどできはしないから。

 そんな私の楽器が、彼を殺したのだ。


 白銀の剣は朱に染まった。私自身も。だが、それで一向に構わない。私の国が、銀の国が赤く染まらなければそれで良い。

 耳に、ハープの音が聞こえた。あの吟遊詩人が奏でる音なのか、あの時の少年が奏でた音なのか。わからない。ただ、無性に吐き気がする。

 徐々に私の視界は戻っていく。



 人垣の間にあの吟遊詩人の姿を見つけた。男も私に気が付いたらしく、いつもの様に柔らかく微笑みかけてきた。私はそれに気づかぬ振りをした。


「すまない、少し気分が悪くなった。城に戻る」


 他の者に聞こえぬよう、小さな声で私は弟に言う。


「姉上……私が無理に付き合わせてしまったせいで……」

「いや、不慣れな服に気疲れしただけだ」

「姫。では、私がお供します」


 私は、前に出た従者を制した。


「必要ない、懐に短刀がある。私より、弟を頼んだ。弟に何かあれば国が混乱に巻き込まれる」



 夜風が心地良い。ここはとても静かだ。町の賑やかな声も、ここまでは届かない。

 ここは町を一望できる丘の上だ。虫の声が聞こえる、ただ、それだけった。

 視界が突然、銀に染まる。私は一瞬状況が読めなかった。何故、あの吟遊詩人がここにいる。

 いや、吟遊詩人が今ここにいる方が自然なことかもしれない。


「……演奏会はもう良いのか」

「ええ」


 男はいつもと同じく、柔らかく落ち着いた話し方をした。


「先ほど貴女に聴いていただいた歌。あれは、私の国で最もポピュラーな子守唄です。赤子の頃から聞かされるので、どんな小さな子どもでも演奏できますよ」


 言ってから、男は自らの言葉を過去形に直した。

 私はあの歌を聞いたことがあった。私が殺した少年が、死の瀬戸際に奏でていた歌だ。


「お前が私に近づいたのは、復讐を果たすためか?」

「何のことです?」

「……お前の国を滅ぼしたのは、わが国だ」

「知っていますよ。初めから」


 男の声からは怒りは読み取れなかった。だからこそ、逆に不気味だった。


「貴女のことは、ここでお会いする以前から存じておりました。こうして言葉を交わすのこそ、ここへ来て初めてでしたが」

「……この国へは、私は殺すために来たのか」


 鋭く言い放つ私の言葉に、男はゆっくりと首を横に振った。


「貴女に会いに来たのは事実ですけれど」


 男は微笑んだ。そして、ハープを構えた。


「曲の続きを貴女に聴いて貰いたい」

「嫌だ……音楽は、聴きたくない」

「何故?」


 音楽を聞けば嫌でも思い出す。罪無き人々を殺しつくした私の腕を。

 そうしなければこの国は守れない。小さな国を吸収して拡大せねば、近隣諸国に滅ぼされるのはわが国だ。


「貴女に会いにきたのは、音楽は貴女の敵ではないことを伝えるためですよ」


 男はハープを爪弾いた。丁度、あの時の少年の様に。あの時の少年は、どういうつもりで私に子守唄を聞かせようとしたのだろうか。自分に剣を向ける私に。


「私は貴女を憎んではいません。むしろ、初めてお見かけした時から貴女に好意を寄せていました」


 男はやや冗談めかして言った。


「……と言っても、変な意味ではありませんよ。こう見えて私は一応既婚者ですから」


※※※


 銀の国が攻めて来た。はじめ、私はその言葉を信じなかった。しかし、城から見渡す景色の変わり果てた姿を見て、信じるしか無い事を悟った。

 私は銀の国を憎んだ。そして、先頭で軍を率いている女を憎んだ。

 銀の国は私の国を植民地にすると言い出した。こちらにも優位な条件は提示された。だが、自由なわが国が他所の国の支配下に落ちるなど、我が国の民は許さなかった。


 銀の国の兵士が城になだれ込む前に、私は家臣より逃げるようにと言われた。国の王が国の危機に逃げるなど、滑稽の極みだ。

 民を逃がすのが先だと私は言った。だが、聞き入れられなかった。

 王族はお飾り、そして民と平等。それがわが国だったのではなかったか。その様に私が抗議すると、家臣は言った。国王を逃がすのは民の意思である、と。貴方の音楽を皆愛している、だから逃げて下さい、と。


 その言葉を聞き、私は自嘲した。恐らくもう二度と私は音楽を奏でることは出来ないだろうとわかっていたからだ。私はこんなにも憎しみに囚われている。こんな心では、音楽は私を愛してなどくれないだろう。


 敵軍は、最早すぐそこまで迫っていた。


 突然、ハープの音色が響いた。たどたどしいひき方、今年で五つになる息子の演奏だった。繰り返し何度も脳へと刻み込まれた音色。赤子の頃より聞かされ続けた子守唄。

 心が氷解する様だった。憎しみが晴れていく。とても大事なことを思い出した気がした。


 ハープの音が止まった。


 演奏が終わったからではない。何か大きな音により、かき消されてしまったのだ。

 辺りに、耳を劈く悲鳴が走る。

 私は、息子の死を悟った。同時に、近づいて来るであろう女に身構えた。

 だが、女は近づいてこなかった。私は女の姿を盗み見た。女は無骨な鎧に身を包み、剣を携えていた。そして、息子の死体の前でじっと立ちすくんでいた。

 何故かその時、私は彼女を美しいと感じた。顔の造形ではなく、もっと別の何かが。


 女の噛み締められた唇を見た時、その訳がわかった気がする。女の口元には、血が薔薇の様に滲んでいた。

 彼女は気丈に咲く。張り詰めた細い細い、ハープの弦の様な糸の上で。

 愛する国を、息子を奪った女のはずなのに、怒りの感情は沸いてこなかった。


 その後、銀の国はわが国から引き上げた。結局領土は奪われたが、民がそれ以上に殺されることは無かった。

 私は、民たちの願いどおりに国から逃げた。そしてあてどなく旅をした。


 それから一年ほど経過したが、ずっと私の心にはあることが引っかかっていた。また、あの時の彼女に会いたい。その一心で、私の足は銀の国へ歩を進めた。


 そして彼女を美しいと思ったように、彼女の国のこともまた、美しいと感じた。

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