ゆうれい
えにょ
第1話 ゆうれい
大正十三年の夏のことであつた。
吾輩、鈴木庄右衛門は起き上がると戸を開けて、縁側から庭を眺めた。
快晴の夏らしい、暑い朝である。
いつものように、蝉の声を聞きながら散歩しようかと
カンカン帽をかぶり、丸い眼鏡をかけて草履を履くと
ガラガラと玄関の戸を開けて外へ出た。
この辺りは、江戸時代から変わらない街並みで
吾輩が小さき頃から何も変わつてはいないが
店は、別の店になつているようであつた。
そこにあつた水菓子屋が、なんだかわからんもんになつている。
それにしても、会う人みなみたことのない着物を着ておる。
海に向かいて街を歩いていくと、書店があつた。
中に入るとたくさんの本が並んでいるが
なにやら、知らない先生の作品ばかりである。
目の前に、本を読んでいる女学生らしき娘さんがいた。
邪魔をしては悪いと思うたが、何を読んでいるのか気になつて聞いてみることにした。
「こんにちは、失礼ですが何を読んでおいでですかな?」
と、いうと本の表を見せて
「夏目漱石のこころです。」
「おお、夏目先生のこころですか。吾輩も読みました。」
やはり知っている先生の名前を聞くと、うれしくなつたのである。
「吾輩は猫である?」と女学生が言うので
「吾輩は猫ではないが、その作品の名前は知っております。」
というと、ではと軽く頭を下げ他の作品を見ることにした。
森鴎外先生や、江戸川乱歩先生の作品もあつたが
やはり知らない先生の作品ばかりなのであつた。
外に出て、再び歩き出した。
吾輩がよく行く食堂があるのだが
その前の道に、一人のおばあさんがいた。
吾輩の顔を見ると
「庄右衛門さんかえ?」と驚いた顔をして言うので
「いかにも吾輩が鈴木庄右衛門である。」と言うと
そのおばあさんは吾輩に指をさして、まるで幽霊でも見たかのようになつてしまつた。
どこの誰かは知らぬが、なんだか失礼である。
ところで、この食堂の娘である小さい女の子がいたが
吾輩を見るといつも付いてくるので
この間、そこの菓子屋でキヤラメルを買つてやつたら
喜んでいたのを思い出した。
海に着いて、しばらく眺めていたら喉が渇いてきたので
さて、家に戻ろうと来た道を歩くことにした。
途中でコーヒーを売つていた店があつたので
持つていた一円札を見せたら驚いていた。
まあよいかと思い、買わずに帰ることにした。
ガラガラと玄関を開けて中に入り、部屋の障子の戸を開けると
横に仏壇があつた。
そこには懐中時計と吾輩の名前が書いてあつた。
忘れていた、吾輩は
と、思うと縁側に歩いていき、ゴロリと横になって庭を見た。
「いつもと変わらないが、よい1日であった」とつぶやくと
いつの間にか目を閉じて、眠つてしまつたのである。
ちりんという、風鈴の音が聞こえたのであつた。
読んでいただき、ありがとうございました。
ゆうれい えにょ @enyorin
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